特集

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PHOTO:三橋コータ、曲香、N-yukano、桜坂秋太郎、桂伸也

 
新たな時代の風雲児となるべく奮闘を続けているロック男子たち。その姿を追う特集「ROCK SAMURAI STORY」。今回、西洋、東洋のサムライ5人組による新たなロックの開拓者fadeの姿を追い続けたこのシリーズ、最終回となる第四回は、「青い目のサムライ」こと、ボーカリストJon Underdown(以下、Jon)のロングインタビューをお届けしよう 。
 
メンバーそれぞれが日本に留まらない個性を示し、大きなスケール感を持つバンド、fade。中でも唯一の西洋人であるJonは、バンドの象徴ともいえる存在感を表している。日本を愛し、ときに日本人以上に「サムライ」を感じさせるJon。Seattle出身の彼は、2001年の4月に日本におとずれた。はたして彼はそれまでどのようないきさつで音楽と日本に触れ、現在の道を歩むことになったのだろうか?今回は、音楽との出会いから来日までの経緯を、彼に語ってもらった。
 

 
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1.「歌は本当に小さいころから好きだったんだ。」

 

—Jonさんの音楽的なバックグラウンドについてうかがいたいと思います。音楽に対しては、いつごろから興味を持たれたのでしょうか?

 
Jon:たぶんかなり小さいころからだったと思うね。音楽に対する一番古い記憶は、たしか2歳か3歳のころだった。小さいころはすごく風呂嫌いだったらしいんだけど、うちの親父がアコースティックギターを持ってきて弾き語りをしてくれたら、俺は喜んでずっと風呂に入っていたんだ。
 
一緒に彼の一番好きなCountry Song、Blue GlassとかCountryバックグラウンドの曲を弾いて、一緒に歌いながらね。それが始まったら、風呂から出たくなくなっちゃってた。もう本当に楽しくて。よく1時間も2時間も入っていて、逆に今度は俺が出たくないって言い出す始末(笑)。
 

—やんちゃでしたね。でも、本当に楽しくて好きだったという様子が目に見えるようです。

 
Jon:そうだね、小さなころから本当に音楽に対する興味があったと思うよ。それからはうちの母さんや親父のミュージックコレクションを聴きまくっていた。二人とも昔から60’s、70’sのバイナル(いわゆるレコードメディア)アルバムをたくさん持っていたんだよ。二人とも好みがぜんぜん違って、母さんはどっちかというとFunkyなものやLatinなもの、それと当時流行っていたRockなんかがすごく好きだった。対して親父はCountryとかBlue Glassなんか。そんな曲を聴きながら育っていたんだ。
 
それと7歳年上の姉ちゃんの、趣味のものもね。彼女はちょうど80’sのHair Metalブームに興味を持っていて、WHITESNAKESTINGPOISONとかをいっぱい聴いていた。それを俺は、こっそり彼女の部屋に入っては彼女のカセットテープを盗んで(笑)、自分のウォークマンに入れて、寝る前とか学校に行くときに聴いていたんだよ。メッチャカッコいいなと思っていたんだ。
 

—お姉ちゃんがいる兄弟では、よくありそうな光景ですね(笑)。具体的に今につながるようなロックを本格的に聴かれ始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

 
Jon:それは、彼女が運転免許をゲットしたときのことだった。「Jon、ちょっとドライブに行こう!」って、ドライブに誘ってくれたんだ。俺が9歳のときだったね。ちょうどGUNS’N ROSESの『Appetite for Destruction』が出たころで、親父の持っていたスポーツカーに乗って100マイルくらいでブッ飛ばしている中で、姉ちゃんがこれを聴こうよって言ってカーステレオでそれを流したんだよ。フルボリュームで「Welcome to the Jungle」が流れてきて、車でブッ飛ばしている中でそれはカッコいいなんてレベルを超えて、「ロックを聴くとメチャクチャ興奮する!」っていうのを感じたんだよ。そして俺もロックに対して興味が湧いた。
 
それから俺も80’sのHair Metalバンドをよく聴き始めたんだ。当時、MTVの『HEAD BANGERS BALL』というHeavy Metal番組が深夜にあって、それをよく見ていたんだよ。それから、ローラーダービーというスポーツがあってね、ゴッツイ感じの女の子たちがローラースケートをしながらちょっとバトルするゲーム。ちょっとホッケーみたいな感じで、そのぶつかり合いがメッチャ興奮するイベントなんだけど、当時のローラーダービーでは結構Hair Metalバンドの曲がヘビーローテーションで流れることが多くて、その雰囲気もすごくカッコいいなと思っていたんだ。9歳から10歳くらいまではそんな感じだったんだよ。
 

—Hair Metal以降は、どのような音楽に傾倒されていたのでしょうか?

 
Jon:Grungeだね。当時、MTVが『Buzz Clip』というコーナーをやり始めたんだ。目玉になる新人アーティストをピックアップして、「このPVが熱いぞ!」みたいな感じでガンガンPVを流してお勧めするコーナー。ある日、学校から帰ってきて、それを見たときに出会ったのがNIRVANAの「Smells Like Teen Spirit」。あれにはもうメチャやられた、PVにも音楽にも。
 
それからGrungeに対する興味が湧いてきたんだ。当時一番好きだったのはPearl Jamのファーストアルバム『Ten』。あれにもすごくやられた。中学校1年生の夏だった。もろにGrungeブームのときでね。Seattle育ちだったこともあるし(※Grungeは、Seattleを中心に発生した音楽ジャンル)。よく年上の友達とドライブとかしながら、そういうのを聴いていたよ。
 

—ライブなどにもよく行かれましたか?

 
Jon:うん、行っていた。当時、Jane’s Addictionというバンドがあって、ボーカルのPerry Farrellがオーガナイズした『Lollapalooza』というフェスがあってね。2年目のときはSeattleじゃなくて本当にうちの地元に来たんだよ。そのとき大親友のロビンが、バースデープレゼントでチケットをくれた。それで見に行ったそのフェスが初めて見に行ったライブだったんだよ!人生初。お父さんの風呂場ライブ以外で(笑)。11歳のときだったな。
 
当時のラインナップは大好きなバンドばっかりだった。Pearl Jamやら、『Badmotorfinger』をリリースしたころのSOUNDGARDENやら。『Blood Sugar Sex Magik』をリリースしたころのRed Hot Chili Peppersがヘッドライナーでね。初めてモッシュピットに入ったんだ。その当時一番好きだったのがPearl JamのボーカルのEddie Vedder。すごくカッコいいと思ってたんだけど、あのライブを見てさらに惚れちゃった。それまで小学校のころからクワイア(合唱団)をやったこともあり、すごく音楽が好きだったし、よく聴いたり歌ったりしていたんだけど、あのライブを見て俺は「ロックボーカリストってすげえカッコいいな」って思ったんだよ。
 

—とても順当なロックライフですね。また、歌うこと自体も好きだったということは興味深いです。

 
Jon:歌は本当に小さいころから好きだったんだよ。気分がいいときは普通に今と同じように道端で歌っていたし。学校の授業でもトップ3に入る科目はミュージックだった。そのころ週2回ほどボーイスクワイアというもの(聖歌隊)をやっていて、学校が始まる1時間前くらいに行って、それをやっていたこともあった。いつも楽しかったね、それは。音楽というか歌が楽しかったわけ。
 
でも初めて「ロックバンドをやれたらすごくおもしろいな」とか、「すごくカッコいいな」とか、「俺もEddie Vedderみたいになりたいな」なんてリアルに強く思ったのは、あのライブを見たときが最初だったんだ。11歳からはさらに音楽に興味が湧いてきて、前にも増してライブをたくさん見に行くようになった。当時流行っていたビッグアーティストのライブもそうだったけど、うちの地元の音楽シーンも、実はすごくよかったんだよね。
 

—地元のほうでは、どのような音楽シーンが存在していたのでしょうか?

 
Jon:うちのほうでは、どちらかというとPunkや、Emo Punk、Grunge ~Alternative Rockがメインのシーンだった。地元のほうから出たバンドで当時よく見に行ったバンドは、たとえばMxPxなんか。よく週末に見に行っていたよ。地元の教会やスカウトホールやフェアグラウンドもある遊園地みたいなところに、でっかいホールがあって、そこでもよくライブをやっていた。だから結構音楽に囲まれていたところなんだ。ライブはそんなふうに、音楽に対する興味をドンドン強くしてくれた。
 

—友人や知人の影響もありましたか?

 
Jon:あったね。さっきも話したけど、同級生で親友のロビンという友だちとの付き合いの中とかにも。彼に出会ったのは小学校4年生、10歳のときだった。彼のお父さんも音楽フリークだった。あんまり聴いたことのない音楽をよく聴いていたんだ、BluesやReggae、古いものや昔からのコレクションを聴く一方で、モダンなものもよく聴いていた。彼のお父さんは高校の先生だったから、高校生たちの中で流行っているものの情報をゲットして、そのアルバムを買っていた。そして「一緒に聴こうぜ」って俺に声を掛けてくれて、彼ともよくドライブをしながら新しいアルバムを聴いていたね。
 

—素敵なお友達ですね!普段はどんなお付き合いをされていたのでしょうか?

 
Jon:夏休みの2~3ヶ月の中で1~2週間、よくロビンの家族とキャンプに行っていたね。そして、旅行に行く前にロビンと彼のお父さんと、俺とでその家族旅行のためのミックステープを作っていた。その当時一番好きな、カッコいいと思っている音楽でコンピレーションを作ったんだよ。
 
みんなでCDをバーっと集めて、どういう流れにするかを考えて。それでミックステープを2つか3つ作って、キャンプに持っていった。結構遠いところまで行っていたからさ、それを1週間から2週間くらいずっと聴いていたんだ。そんな習慣を小学校4年生の夏から始めて、日本にくるまでずっと続けていたんだ。夏には絶対やっていたんだよ。
 

—それは楽しそうな日々でしたね。ミックステープに青春の一部が投影されているような。

 
Jon:そう、思い出深かったのは、ロビンのお父さんから「女の子に興味が湧いて好きな女の子ができたら、ミックステープで告白しろよ」と言われて、よく作っていたことだね(笑)。「I love you,Baby」的な感じで。
 

—まさしく『青春の一ページ』ではないですか!音楽以外の生活はどのような感じだったのでしょうか?

 
Jon:小さいころから、冬はスキーをやっていたんだ。実は音楽でやっていこうと思う前、日本に来る前までは、プロスキーヤーになろうと思っていたんだ。すごくスキーヤーにも憧れていた。彼らのライフスタイルなんかが、大好きだった。ロビンと出会ってからはさらに興味が強くなったし。冬になると毎週末には学校のバスに乗って、Stevens Passっていうスキー場(Washingtonの有名なスキーリゾート)のスキースクールに行っていたんだ。土曜日は一日中滑って、次の日は親や友達とまた滑って…
 

—学校とスキーの日々、という感じですね。

 
Jon:中学校1年か2年くらいまではその程度だったけど、中学校1年のときにはロビンの家族が会員になっていたそのスキー場のクラブで過ごしていた。いろんな人たちが会員になっていて、そこには共同で過ごせる小屋があって、金曜日の昼から月曜日の昼まで使える。会費もすごく安かったし、ロケーションも最高だったから、彼の家族が会員になってからは毎週末に学校が終わるとピックアップしてもらい、行っていたんだ。
 
金曜の夜からナイトスキーをして、それから日曜の夜までは滑りっぱなし。オフシーズンのときもスキーじゃなくてスクリーに行って…スクリーっていうのは、雪がない自然の丘を、スキーをしてるイメージを思い浮かべながら、急な坂を、スキーをしているように滑ったり、崖から飛び降りたりして、できない技を練習したりすることなんだ。春夏はそんな感じで、とにかく年がら年中スキーだったね(笑)。
 

—まさしくスキー三昧の毎日ですね(笑)。学校でもスキーに傾倒していたのでしょうか?

 
Jon:そのとおり(笑)。高校に入ったころは、ちょうどローラーブレードが流行っていたんだ。だからスクリーのすごいバージョンとして、秋に入って学校が始まってからはロビンとスキーのトレーニングとして「ローラーブレードをやりに行こうぜ」って、ずっとローラーブレードをしていたんだ。
 

2.「今振り返ると、本当にタイミングがよかったというか。」

 

—そんなスキー漬けの毎日の中で、シンガーとして活動を始めたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

 
Jon:まあ、友達とよく好きな曲を適当にギターで弾きながら遊びでやってたんだけど、高校1年、15歳のときにバンドを始めたんだ。きっかけはローラーブレードでの事故だった。ある日、ローラーブレードをやるときにたまたま手首のプロテクターを忘れたことがあって、そのときに変な落ち方をして右腕を折ってしまったんだ。ひどい折れ方で、医者の先生に「これは完治に2ヶ月くらいかかるぞ」って言われて。ちょうどスキーシーズンが始まる2週間前くらいで、まさしく「Fuck!」って思ったよ。「どうしよう、やることがねえぞ!?」って。
 
Seattleって、冬はスキーヤーにとってはGreatなところなんだ。「曇っていて、雨が降っていて、寒い」イコールそれは、山では雪がたくさん降ってるっていうことだから、いくら天気が悪くても「絶対今週末のコンディションはいいぞ」っていう感じでワクワクするんだ。当然「Yeah!」ってなるわけだよね。でもスキーができないときつい。暗くて寒いのに、エンジョイすることがない。
 

—それは大きな事故でしたね。

 
Jon:ちょうどそのころ、初めてのバンドの誘いがあったんだ。違う学校のジェリーっていうギターボーカルのやつがいてね。きっかけはたしかローラーブレードのつながりだったと思うけど、彼もローラーブレードがすごく上手かった。その1年前の夏に出会って、一緒にローラーブレードをして、気が合っておもしろいやつだと思っていた。だから、よく音楽がどうのこうのっていう話をしたり、音楽を一緒に聴いたりしていてね。その彼がある日、いきなり俺の学校に来て、「Jon、バンドをやろうぜ」って。ちょうど腕を折っていたときに。でも、「俺は何も楽器はできねえぞ」って言ったら、「Jon、お前は歌えるだろ!?」って。それで「じゃあやってみよう」っていうことになったんだよ。
 

—それがシンガーとしての活動のきっかけだったのですね。どんな音楽を始めたのでしょうか?

 
Jon:彼らとどんなバンドにしようという話になって、結局思いついたのはSka Punk Reggaeバンドだった。彼の学校の友達にはトロンボーン、トランペットやサックスのプレーヤーがいたんでね。たしか彼が違う学校の、マーチングバンド的なスクールバンドに入っていたんだけど、そのホーン隊の友達も一緒に入っていて、ドラムもいるぞ、ベースもいるぞってみんなそろっていたから、あとはボーカルだけだぜってことで、この俺。
 
それで「じゃあJAMろう(Jam Sessionをしよう)!」っていうことになったんだ。それからリハーサルをすることになった。場所はドラムのマイクの、家族の実家のガレージで。マイクのガレージでリハーサルをやっていた。あと俺の実家の土地には、ばあちゃんがずっと住んでいた小さな家があったんだけど、彼女が再婚して出ていったから空いていた。だから「じゃあこれも使おうぜ」って、両方でリハーサルをやっていたんだ。Ska Headっていうバンドで、音楽的にはSka Punk Reggaeだった。俺たちの好きなカラーの音楽や、Bob MarleyElvis Costelloの曲…そんな曲をやりつつ、オリジナルも作っていたよ。そこで1年半くらいやっていたかな?そのバンドは。
 

—では、もしJonさんがそのとき腕を折られていなければ、音楽はやられていなかったのですか?

 
Jon:そうだね。とにかくスキーに没頭していたころだったから、バンドに誘われても、俺はたぶんYesとは言わなかったと思う。今振り返ると、本当にタイミングがよかったというか、怪我はなぜかいいチャンスを持ってきてくれた。
 
で、ジェリーは俺より年上だったから高校を卒業後は会わなくなって、それでそのバンドはやらなくなったんだ。1年半くらい続いたかな。そのバンドをやり始めてからは、一時ロックを聴かなくなった。流行っていたGrungeに飽きて、SkaやSka Punk的なもの、それからReggaeなんかを本格的に聴き始めて、すごく好きになったんだ。
 
それから、Sublimeっていうバンドに出会ったんだ。Sublimeは高校2、3年のころに一番好きなバンドだった。うちのバンドにはトロンボーンやホーンがいたバンドだったから、そういう楽器のあるバンドを聴くようになっていたね。モダンなものも、昔のSwing、Big BandでCount BasieとかDuke Ellingtonとか、そういうものも聴くようになった。高校を卒業するまでは、そんな感じの音楽を聴いていたんで、趣向自体も変わっていたかもしれない。Sublimeは俺とロビンはメチャクチャ聴きまくってさ。
 

Sublimeから受けた影響はかなり大きそうですね。

 
Jon:そう。今までで俺の一番好きな大晦日(おおみそか)の過ごし方は、メチャ強烈なSublimeのミックステープを2つ作って、友達の家が持っている山の小屋で友達が集まってさ、シャンパン、ジャックダニエルズ、そしてSublimeのスーパーダンスパーティーだった。スーパー年越し。俺が運転できるようになってからは、俺の車ではSublimeBob MarleyのBOXSETの4枚CDコレクションがあってさ。たぶんそれくらいしか流れてなかったと思うよ、マジで(笑)。本当に大好きだった。
 

—高校を卒業されたあとは、どのように過ごされたのでしょうか?

 
Jon:ヨーロッパを旅してまわったんだ。これもまたロビンと、ミックステープを用意してヨーロッパに行ったわけ。その後、Washington大学に入った。入ったばかりのときには、いろんなサークル的コミュニティがあって、男が一緒に住んでるのが「fraternity」、女性が住むのが「sorority」。で、夏休みにrushっていう行事があった。それはいろんな家に行ってそこに住んでる連中と遊んだりパーティーをしたりして、一番気が合う人たち同士で「お前もここに入っていいよ」って感じになれば、そこに入れるわけ。でも俺はそういうことには個人的に全く興味なかった。ただ俺の家族、親父も母さんも姉ちゃんもとりあえずrushはやっていたんだ、入れなくてもとりあえず人とつながりは作れるかもしれないから。
 
でも俺はそういうことに関わりを持ちたいと思っていなかった。それでもしつこく言ってくるから、とりあえず「やるよ」とは言って参加することになったんだけど…そこではそんなrush的ものじゃなくて、野外パーティーやらウエイクボード、ローラーブレードや、スキーなんかをする、アクティブでスポーティな連中にたまたま会ったんだ。すごく楽しかったから、その「fraternity」に入ることにしたんだ。最初は「大丈夫かな?」と思っていたけど、そのおかげで俺の人生を変えてくれたジョンポール、マイク、ジョージの3人に出会った。同じ1年生で。俺はそこに1年しか住まなかったけど、そのおかげで2つ目のバンドが始まった。Changes Dailyっていう。
 

—新しい音楽活動ですね。新たなバンドでは、普段の生活とも大きく密接して活動をされていたのでしょうか?

 
Jon:そうだね。俺たちが1年のころはそれぞれの音楽テイストが違っていたんだけど、とにかくいつも酒を飲んで、遊んで、JAMっていた。3人とも「rush的な遊び方には興味ねえ!」っていう感じで、パーティーにも参加せずにJAMりに行っていたんだ。
 
ジョンとジョージはギターが上手くて、曲も書けたし、歌も歌えた。俺とマイクはボーカルで、マイクはいろいろできる人間だったから、結局バンドを作ったんだ。1年生のときは本当にJAM程度だったけど、このメンツで合わせるのはすごく楽しかった。ただ、俺は1年終わって勉強に完全に興味がなくなっていたけどね(笑)。
 
そして、Lake Tahoe…アメリカでは有名なスキーのホットスポットなんだけど、俺とロビンとチャーリーでLake Tahoeでデビューしてみようぜっていう話になってね。大学1年生の夏休みの間に俺は学校を辞めて、一緒に行くことにしたんだ。8月の末か9月くらいにWashingtonを出たんだ。西海岸を旅しながら、1ヶ月くらいかけてLake Tahoeにたどり着いた。みんなバイトとかやりながら、シーズンが始まるのを待っていた。今年からもしかしてみんなプロになれるかもしれないよ、って。
 

—再度のスキーのチャンスでもありましたね。スキーはされたのですか?

 
Jon:それがね、やっと雪が降ってきてスキー場がオープンし、シーズン到来の2日目に俺は右膝をぶっ壊しちゃったんだよ。完全にぶっ壊して、それからはスキー1回しかしていない。もう歩けないし、働けないし、また「どうしよう」って。とりあえず実家に戻って手術をしたんだ、ちょうどクリスマスあたりに。そして「怪我したまま学校に戻りたくねえなあ」とか思いながらも、仕方なく学校に戻ることにしたんだ。そうするとまたマイクとジョンポールの他に…俺のいない間にいろんな連中が増えていてね(笑)。そしてChanges Dailyは始まったんだ。俺たちはどちらかというとJAMバンド的な感じだった。
 
Dave MathewFishGreatful Dead、それプラスそれぞれのルーツ…Rock、Reggae、Soul、BluesとかFunkとかを掛け合わせて、バンドができ上がったんだ。そのバンドはすごく楽しいバンドだった。完全に遊び、というかベストな意味での遊び。いつもJAMったり、ライブをやったりしていて、今まで一番楽しいバンドだったと思う。本当に「音を楽しむ」っていう意味の音楽だったんだ。いつもみんな一緒に住んでいて、「fraternity」を出ても一緒に住むことにして、バンドハウスを作って。もう最高だったんだよ。
 

3.「俺がそれまで経験してきたこととすべてがぜんぜん違う世界に見えていたから、いつか行ってみたいと思っていたんだ。」

 

—充実した日々でしたね。そんな生活の中で「日本に行く」ことを決めたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

 
Jon:1年半くらいはSeattleのBarや、ちょっとしたアウトドアのフェスに出たり、イベントに出たりして、俺はずっとこのバンドをやっていこうと思っていたんだ。「楽しいな」と思って、辞めようとか、別のことしようなんて思っていなくて、結局大学で勉強することに興味がなくなった。そこにいる意味が分からなくなって。同時に「これだけじゃ、なにか物足りないな」っていう気持ちもずっとあったんだ。で、そのころ大学生として日本に留学する機会があるということを聞いた。それで留学のプログラムに申請して、日本に行くことを決めたんだ。
 

—もともと日本に興味があったのでしょうか?

 
Jon:あったね。5歳か6歳のころに忍者映画を見たことがあったんだ。そのころのワンパクな自分にとって、初めて見た忍者映画は本当に衝撃的だったんだよ、すべてが。ストーリーも衣装もすごくベタなセットだったと思うけど、ビルの形や食べ物、何もかも全部アメリカとぜんぜん違う。しかも忍者。今の日本じゃなくて昔の日本、ぜんぜん違う世界。「なんだこれ!?」って驚いたわけ。ただ、当時は日本だとは思ってなくて、「このアジアンなワールドって、一体なんなんだ!?」って思っていた。
 
それからいろいろ見ていた忍者映画やカンフー映画とか、アジアの中でも区別がつかないものだったから、とにかくおもしろかった。動きやヘアスタイル、服もすべてカッコいいと思っていたんだよ。それに俺の地元にはフィリピン人などアジア人がいっぱい住んでいたんだ、海軍の街だったから。だからいっぱいアジア人の友達を作ったんだ。小さいころからそういうことに興味があってね。
 

—身近に日本やアジアを感じさせるものがあったのですね。

 
Jon:うん。周りの白人の友達には、そのよさは「わかんねえ」って言われたり、馬鹿にされてたりしていて、周りの白人の友達とそういう話をシェアしようとしても、ぜんぜん盛り上がらなかった。だけど、学校にいるフィリピン人なんかとそういう話をすると、すごくエキサイトしたわけ。よくフィリピンの友達の家に行って食べ物を食べたりとか、中学のころにはカンフーや太極拳を勉強し始めたりとか、すごく楽しかったんだよ。
 
あと、Seattleにはウワジマヤっていうジャパニーズ・スーパーがあったんだ、ダウンタウンのInternational district(チャイナタウンのような、他国民自治体の行政区画)に。当時流行ってたRockファッションやDoctor Martens(ドイツ発の靴、ブーツのブランド。)なんかのAlternative Seattle Grunge的なものはその近くの店で売っていたからよく友達とショッピングに行っていたんだけど、俺はどうしても「ウワジマヤに行きてぇぞ!」とか言っていた。見に行くだけで何も買わないんだけど、見てるだけでアジア的なものを見たり触れたり。それだけですごくエキサイトしていたんだ。
 

—なるほど、様々な魅力を感じたわけですね。なにか共感するようなこともあったのでしょうか?

 
Jon:あったね。アジアに対して共感していたのは、武道に関すること。アメリカ人に比べて、アジア人はいい意味での「謙遜(けんそん)」があると思うんだ。「謙遜」する文化じゃない?「俺がすごいぞ」っていうわけじゃなくて、たとえば横綱になったとしても「まだまだです」って。「初心忘るべからず」、トップになったとしても、まだまだできていないところはいっぱいあるぞっていう心を持っている文化じゃない?それがすごく昔からカッコいいなと思っていたんだよ。
 

—自国にはない文化に魅力を感じられたのですね。アジアの中でも日本という国に興味のスポットが当たったのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

 
Jon:高校に入ったときには、外国語はスペイン語、フランス語、ドイツ語の定番語学があったけど、それと合わせてなぜか日本語もあったんだ。メチャ珍しいんだけど。そのとき、「おお!こりゃ日本語だろ!」って、日本語を勉強し始めた。そうしたらアジアに関する興味は日本にフォーカスしてきて、高校で2年くらい、大学に入っても勉強して、すごく好きになった。言葉も文字の違いも、食べ物や文化もおもしろそうだった。
 
もうこの歳になると、「ニンジャ、サムライ、ゲイシャ」っていう時代は終わってるのも当然分かっていたけど、「サラリーマンってなんだ?」とか、「なんでマスクをして歩いているの?」とか、「東京の人ごみって半端ねえ」とか、「京都ってカッコよさそう、美しい」とか、俺がそれまで経験してきたこととすべてがぜんぜん違う世界に見えていたから、いつか行ってみたいと思っていたんだ。ベタかもしれないんだけど、サクラが咲いてる背景に富士山の写真とか見てると「うぉ!」ってやられちゃうわけ。「行きたい!とにかく行きたい!」っていう気持ちが高校のころからあったんだ。
 

—なるほど、こうして「青い目のサムライ」が生まれたわけですね。日本に行くまではどのような経過だったのでしょうか?

 
Jon:留学のチャンスがあると聞いたときに、「やっぱ行くだろ!」と思ったんだ。それで申請したら見事に受かって、2001年の4月に、ついにね。実はもともと俺は札幌か京都にしか行きたくなかった。俺の大学には、札幌大学、京都大学、大阪大学にもプログラムがあって、そのつながりで俺の第一、第二希望は京都と札幌。札幌は大自然で、もしかしたらいつか俺のひざも治るかもしれないっていう希望もあったし、札幌っていっぱい有名なスキー場があるじゃない?ひざが治ってスキーできたら札幌は最高じゃん!って思ったんだ。京都はもう「京都!」。日本の古い町に住めたらいいな、ってすごく興味を持っていた。
 
でも、その二つの大学は「留学生は英語でしか授業が受けられない」って言われて迷ったんだ。唯一日本語でも英語でもどちらでもOKだったのは、東京の青山学院大学。俺、日本に行けたらよかったんだけど、正直東京はあんまり興味ねえな、って思っていた。どちらかというと、大自然で育ってきた人間だからね。Seattleは東京とはもう次元が違うからさ。だから正直に言うと戸惑っていた。でも、一番の目標は日本語がもっとしゃべれるようになることだったから、まずは東京にしようと決心したんだ。
 
hana
 
自分の生まれた町を愛し、人と出会いながら、その時々にJonに遭遇した転機の裏には音楽、そしてアジア、日本があった。それこそが今の彼を形作った要因といえる。新たな出会いに強い関心を示し、積極的に新しい道への模索を続けていた彼の生きざまは、そのまま日本の音楽界で新たな道に果敢に挑もうとするfadeのスピリッツに継承されている。まさしくfadeは、彼なしには語れない。
 
今回のインタビューは大きく三つのタイミングでJonの半生を語ってもらった。この経緯が彼の物語の第一章であれば、彼が日本におとずれ、日本の文化に触れながらfadeのフロントマンとしての覚悟を決めた期間は、物語の第ニ章といえるだろう。
 
いよいよメジャーデビュー第一弾のアルバム『Crossroad ~History of fade』が発表されたfade。本当の意味で世界に向けての第一歩を踏んだ彼らにとって、このタイミングはまさしく人生の「Crossroad(分岐点)」となる。そんな中、新たな希望に燃えるJonは、ここから彼の人生の第3章を迎える。さて、物語の行く末やいかに?きっと「青い目のサムライ」Jonは、勇ましく駆け抜けていくに違いない。これから始まる彼らの群雄記に、大いに期待していきたい。

(インタビュー:U’S MUSIC Co., Ltd)

 

◆ライブ情報
 
【Crossroad Live Tour 2014 ~HISTORIA~】
2014年06月07日(土) 【大 阪】心斎橋CLUB DROP
2014年06月09日(月) 【愛 知】名古屋 ell.FITS ALL
2014年06月12日(目) 【東 京】渋谷WWW【FINAL】
※3月15,16,18,22日に予定されていたツアーは中止となりました。

 
はんなりナイト Vol.5 〜春場所〜
2014年04月18日(金) 【京 都】京都MUSE
 
COMIN’KOBE ’14
2014年04月29日(火) 【兵 庫】神戸ポートアイランド
                  (ワールド記念ホール&神戸国際展示場2号館&神戸夙川学院大学)

 

Photo
 

◆公式サイト
 
fade オフィシャルサイト
http://fadeonline.com/
UNIVERSAL INTERNATIONAL
fade アーティストページ
http://www.universal-music.co.jp/fade

fade 1st Major Album 『Crossroad ~History of fade』
発売日:2014/02/26
Deluxe Edition [SHM-CD+DVD] UICN-9018/3,600円(税込)
通常盤 [CD] UICN-1053/2,500円(税込)
【収録曲】
M01. Cross Road
(テレビ東京「音流~ONRYU~」2月度エンディングテーマ/テレビ東京系「解決!暴露ナイト」3月度エンディングテーマ)
M02. ユレノナカ
M03. One Shot Dealer
M04. Beautiful
M05. She
M06. Better Scarred
M07. Under the Sun
M08. Filter
M09. Last Man Standing
M10. So Far Gone
M11. コズミカリズム
M12. King of Dawn
M13. One Reason
M14. Ever Free
M15. Close to You
M16. Ten
M17. Livin’ on a Prayer(ボーナストラック)※Deluxe Editionにのみ収録
 
 ※Deluxe Editionのみ
M01. Cross Road MV
M02. Cross Road (English Version) MV
M03. Close to You (Japanese  Long Version) MV
M04. Close to You (Japanese – Short Version) MV
M05. Crossroad  Behind The Scenes
  (メイキングムービー)

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