コラム
CANDY GO!GO! “渋谷”で、培ってきたそれぞれの10年間
CANDY GO!GO!
渋谷系ガールズロックユニット『CANDY GO!GO!』は2010年より活動スタート。都内渋谷エリアを中心に月間20本以上のライブ本数をベースに、全国に活動を広げている要注目のユニット。秋葉原で活動することが軸であったアイドルシーンに一石を投じ、渋谷エリアでのアーティスト活動を軸とした”ライブアイドル”という言葉を生み出した先駆者的な存在。アイドルの可愛らしさとガールズロックの格好良さをミックスした【アイドロック】という彼女達なりの音楽スタイルを形成、メンバー全員が曲ごとにメインボーカルを担当し、コーラス&ダンサー、楽曲の作詞などの全てを手がけ、数々のシーンで話題を呼んでいる。2015年の赤坂BLITZワンマン公演を成功させ、同公演にてテイチクエンタテインメント・インペリアルレコードからのメジャーデビューを発表。メジャー第1弾シングル「overdrive / 大切なお知らせ」はオリコンデイリー4位 ウィークリー8位を記録している。その後、シングル3作、フルアルバムを1作発表。2018年4月8日にONEtoONE RECORDSより,通算14枚目のシングル「HONEY TRAP」(フジテレビ系 魔女に言われたい夜 EDテーマ)を2000枚限定でリリース、即完売。同年10月30日には最新シングル「Fake News」(フジテレビ系 音楽情報番組Tune EDテーマ)をリリースしている。

第3回「磯野未来」


どうも!みなさま、お初にお目にかかります。
第3回目を担当させていただきます、Gカップ!磯野未来です。
たまには真面目に話します。文字だからいける。

B

「今年で10周年を迎えるCANDY GO!GO!です!」

とは言いながらも実際に10年初期から在籍してるメンバーはいません。
CANDY GO!GO!は2010年6月結成。

なぎさりん2010年10月加入、菜月アイル2013年4月加入、磯野未来2013年9月加入なので私もまだ現在7年目。(当時19歳大学2年生☆)

メンバーの入れ替えがありながら今の後輩メンバーも入ってきて、やっと全員が正規メンバーになって実はまだ1年も経っていません。
お客さんの方が歴が長いなんてザラです(笑)

そうやってみんなで歴史を紡いで、意志を繋いできたCANDY GO!GO!
今回はCANDY GO!GO!に加入した当時のお話をしたいと思います。
 
 
まず、CANDY GO!GO!を知ったきっかけは当時の事務所からの紹介でした。

事務所の社長から「アイドルやってみる?」と言われ「無理です。」と初めて仕事を断りました(笑)

私は学生時代からずっとロックバンド好きのロックフェス大好きっ子だったのでアイドルは一切聴いたことがなく、世代であろう大人気グループの曲ですらサビしかわからないタイプでした。

そんな私がアイドルやるなんて不可能だと思っていましたが「CANDY GO!GO!はロックアイドルだよ」と言われ・・・。

「いやいや、アイドルがロックやったところでどうせ限度ってもんがあるだろ絶対つまらんカッコよくない!!」
と思ったのが最初の印象ですごめんなさい(笑)

という心の声を押し殺し、社長への返事に言葉が詰まっていると「とりあえず見に行けば?」と言われ、見学だけならと、足を運んだ渋谷WOMB。
そこで初めてCANDY GO!GO!を見ました。

馬鹿にしてたハズなのに、すごく感動した。
対バンの他ユニットとは全然違うものを感じた。

私は2歳からずっと音楽やってきてたので耳だけは馬鹿みたいに良いので・・・
「他ユニット口パクだったのに、生歌じゃん!超下手だけど、勢いは良い!!」
と、今でも覚えてるのが『おとなの事情』でした。

その日はプロデューサーのOKBさんだけにお会いし、見学を終えました。
気付いたら「やらせてください」って言ってました。

次にメンバーに挨拶しにリハから見に行ったのは、またもや渋谷WOMBでした。
初めて会うメンバーたち。どんな人たちなんだろう、とワクワクしながら階段を上り、いざ楽屋へ。

そこには
シャンデリアの下の大きなソファーに足を組んで背もたれに大きく腕を広げて寄りかかり、キャバクラに来てるオッサンの如くえらそうなメンバー(なぎさ菜月)がいました。

あまりにも衝撃的すぎて他メンバー何してたか覚えてません(笑)
OKBさんに紹介を受け、その状況で挨拶を済ませリハの見学へ。

その日は元リーダー関根ゆみの生誕ライブだったので、まずは関根ソロのリハ。
何が理由かは言えないんですが・・・

いきなりバタバタと倒れ、また立ち、倒れ、と暴れだすメンバー(なぎさ菜月)
打ち上げられたマグロレベルでずっとバッタバタしてました。すごい光景でした。

と、いう感じの初対面だったので
マジでヤバいやつら(なぎさ菜月)という第一印象でした。

A

それからは、スケジュールのすり合わせ。
当時の私は大学生で、個人ではグラビアと舞台の仕事をしていたので結構そこが大変でした。
加入は9月にしたものの、大学も夏休み終わるし舞台始まるし、となかなか合流できず・・・

そのせいもあってか、メンバーからは空気扱い。
どうせすぐ辞めるんでしょ?というオーラを感じてました。

同期の研修生は4人いましたが、別に仲良くもないしむしろライバル視が強い子がいたので、バチバチ。
磯野はダントツでポンコツでした!

動画を見てダンスを覚えるのがとにかく苦手で、私のミスが多く見かねた先輩方は
「連帯責任だ」
と、私がミスらずできるようになるまで同期全員一緒にやらせるという罰ゲームみたいなこともありました(笑)

楽屋にいるのも恐怖でなるべく中に居ないようにして、居ても座らず立ってたし、髪の毛セットするためにコンセント使う時も
「コンセント借りていいですか?」って確認してたし

今思い返せば厳しい体育会系の部活でしたね(笑)
 
 
東京のはじっこの資格系の大学だったので、授業数多くて5限出て急いで向かってもライブの10分前に着く、なんてことも多々ありました。
ほんとにギリギリで、電車の車両の間で着替えるなんてこともありました。

道玄坂上り隊というCANDY GO!GO!若手ユニットも出来た時だったので土日は道玄坂、ソロ、CANDYで3回し全部で9ステージみたいなこともありました。

研修生の間にCD販売レースもあったりして、研修生の私が1位取っちゃったもんだから、お客さんからのバッシングもめちゃめちゃ受けました(笑)
いろんな意味で一生忘れません(笑)

晴れて初ソロ曲披露!なんて日には電車が止まり家から会場までタクシーに乗る羽目になり、時間がギリでリハ1コーラスしかできず、何故か聴いてた音源と全然違う!本番どうしよう!いざ本番やったら私推しのお客さん以外全員後ろで腕組みして見てるマジかよこっわ!!!

っていう散々な日にサプライズで正規メンバーになりました(笑)
 
 
きっとそこら辺の子ならたしかに初手で辞めてますね(笑)
いろんなことを感じてきたから2周半くらい回って、今の磯野未来ができました。
割と壮絶な研修生時代もそうですが、普通なら辞めるだろってタイミングはきっと誰よりもありました。

骨折(5回)、喘息、扁桃肥大、肺炎(当時は半年に1回ペース)、脳挫傷(オールで練習したら風呂場で倒れた)、声帯結節、声帯ポリープ・・・。
兎にも角にも、気持ちはやれても体が追いつかないなんてことだらけでした。

「不死鳥の如くなにがあっても絶対戻ってくる」
気づけば大バッシングを受けてたお客さんも認めてくれるようになりました。

メンバーのことも親友とも家族とも思えるようになりました。

7年前、この道を選んでいなかったら
きっと私は最高に落ちこぼれていた。

「歌を歌う」

ただ、それだけのために突っ走ってきました。
ただ、それだけのためにたくさんのものを捨てた。

CANDY GO!GO!には
私だけじゃない、みんながいる。
「まだ10周年」そんな思いすら感じながら

全員で駆け抜けていきましょう!
もちろん、そこのアナタも。
 


Official Website:http://candygogo.jp