コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第四回 Alcoholism


 充実した生活の中にも苦しみはあった。
 あれは曲作りが始まって間もなくの、五月の頭頃だったか。風呂から上がって、春の暖かい風に吹かれていると、突然右手が震えだした。寒いわけでもないのにと不思議に思い、左手で押さえてみる。もういい頃合いかと思って手を離してみるが、やっぱりまだ震えている。なんだか合点のいかぬまま部屋に戻り、いつものように酒を飲んだ。右手の震えが止まった。

 数年間苦悶の日々が続いたというのは、再三書いた。どのようなことで苦しんだかについては、ここに書きたくはないし、また書くべきでないとも思っている。とにかく、法律的なことからごく個人的なことまで、後から後から問題がやって来た。僕は自分の年齢にしては白髪が多い方だが、これはやはりその時期に一気に増えたもののようだ。問題を解決するべく奔走し、あるいはじっと耐え忍んでなんとか得心のいく形に持って行きはしたが、その都度僕の中にはいうにいわれぬ傷のようなものが残った。いや、というより、大げさでなく心に空洞が拡がっていく感じだった。そしてまるでその埋め合わせでもするかのように、その頃から僕の過度の飲酒が始まった。

 人は、寂しいから酒に耽溺するのだろうか。ポーが、幼な妻ヴァージニアを失った後、それまで断っていた酒をまたぞろ飲み始め、やがて酩酊状態のまま群集の中に頓死してしまう──僕にはポーほどの才能は毫もないけれども、しかし彼のとった行動は分からなくもないのだ。僕の身の周りにしても、酒に溺れ、零落していく人たちをそれなりに見聞きしてきたものだが、孤独やら不遇な境涯やら(自ら選び取ったとはいえ)、心に何かしらの屈託のない人はいないのだった。勿論彼らだって分かってはいただろう、飲酒癖が緩慢な自殺であるということを。それでも飲むのをやめられない──。

 酒を飲むと、愉快な気分になった。束の間、憂鬱を忘れられた。孤独な時間には酒が手離せなくなり、本を読む時も、考え事をする時も、酒、酒、酒だ。興が乗ってくるとまるで一人でいるような気がしなくなり、大勢と談笑している錯覚に陥った。中国の詩人がいうところの「酒が友人」とは、ああこのことかと思った。

 新奇な曲の着想や、我ながら卓抜と思える思想の断片が面白いようにクルクルと頭の中に浮かんできて、誰に見せるわけでもなく、なぜかここだけは勤勉に、のたくった字でノートに書きつけたりなどした。(次の日読み返すと、ほとんどが使い物にならなかったが)

 外に出ると、またさらにメートルが上がった。僕は暴力は嫌いなので、そういう手段に訴えることはなかったが、普段人見知りする分、時折やたらと人なつっこくなってしまうのだった。

 大阪でのライブが終わった後のことだ。打ち上がったものの、まだ飲み足りないと思った僕は、一人おでん屋に入っていった。ふと気が付くと、神戸の雑貨商だという中国人の黄(コウ)ちゃん相手に、熱弁をふるっている。黄ちゃんも大陸の人だから、また圧倒的な迫力でもってよく食らいよく飲み、気炎をあげている。初対面どころかおよそ共通点のない二人だったが、なぜだか意気投合し(このなぜだかというところが酒の魔力だ)、結局黄ちゃんとは場所を替えて、朝まで飲み明かしてしまった。

 しかしこれなどは失敗談ともいえない、罪のない話だ。自分でもいけないと思ったのは、泥酔するとその辺の公園や草むらで、眠りこけてしまうことなのだった。

 もともと土の上で寝ることに抵抗はない。若い頃にオートバイで、行き当たりばったりにツーリングしていたことがあり、野宿の味はその時に覚えた。最初のうちは几帳面にキャンプ場に行ってテントを張ったりしていたものだが、そのうち段々と面倒臭くなり、寝袋一丁で、山の中の木陰とか、ひと気のない砂浜とか、畠の隅っことか、自然が手近にない時はドライブインのベンチとかで眠るようになった。虫の声に包まれて満天の星空を眺めたり、いつ果てるともしれない潮騒の音に耳を傾けているだけで、幸せな気分になれたものだった。

 さて、誰かとにぎやかに酒を飲んでいたとする。楽しい時間というのはいつまでも続くものではなく、やがては解散の声が上がる。必然、僕は一人とぼとぼと家路を辿らねばならない。そうした時だ、途方もない寂寥感が僕を襲い出す。いったい自分はどこに帰ろうというのか、自分に帰るべきところなどあるのか──置きどころのない気持ちを抱えて歩くうち、寝心地のよさそうな、こんもりとした草地があったりすると‥‥もうたまらない、まるでそこが昔からの自分の居場所だといわんばかりに、どうとくたばってしまう──ような気がする。この辺の消息は、頭が混濁した状態にあるので、よく覚えていないのだ。

 ある八月の暑い日には、お花畑の中で目が覚めた。一面草花に囲まれていて、最初自分は死んだのかと思った。さんさんと照りつける陽光の下、見事に咲いた花や健やかに伸びた草が僕に覆いかぶさるように──いや、自分にはまるで覗き込んでいるように感じられたことだ──生えていて、キラキラと光を反射するそれらがあんまり美しくて、やっぱり僕はお花畑の中で泣いているのだった。

 まったく見も知らぬ公園で目が覚めて、膝っこぞうにはこれまた記憶にない裂傷を負っていて、途方に暮れたこともある。またある時には、「救急車呼びましょうか」との声で起きてみると、朝の散歩途中と覚しき若いご夫婦が、心配そうに僕を見下ろしている。恐縮しいしい起き上がってみると、僕は砂利石の転がる殺伐とした空地に、埃まみれでいるのだった。多分ぼろ雑巾のような状態だったのだろう。

 治安が悪いと風評のある一帯の、とある公園で目覚めた時には、財布がなくなっていた。(この顛末については、あまりに情けない話なのでこれ以上は書かない)

 とにかく、こんなことを続けていては、いずれとんでもない目に遭うということぐらいは、察しがついた。財布をすられるだけならまだいい、きっとそのうち、取り返しのつかない災厄に見舞われるだろう。どうすればいいんだ。酒をやめるか──。

 話は五月の頭に戻る。手の震えといったら、これは典型的なアル中の初期症状だ。しかも酒を飲んで治まったのだから、自分では認めたくないけれども、やはりそうなのだろう。震えの止まった右手を見つめつつ、僕は盃を重ねながら(ここがアル中たるゆえんだ)、自身が本当にアル中であるかどうかを吟味することにした。

 そういえばと、思い当たるふしはあるのである。もうその頃には、何度かスタジオに入って曲を煮詰め出していたものだが、例えば5分の曲を演奏したとする。そうすると4分半過ぎ、エンディングの辺りで頭がブラックアウトしたようになり、必ずギターを間違ってしまうのだ。ひどい時には指が動かなくなって、攣ったようになる。たった5分の曲を集中して演奏できないなんて、昔はこんなことはなかった。曲作りのために毎日ギターは触っていたから、けっして練習不足ではない。

 そもそも戸外でくたばってしまうこと自体が日常を逸脱した行動であり、僕に家族がいたならば「あんたアル中よ」と、とっくに言われていたことだろう。自分の身軽な境遇にかこつけて、そのことに気が付かないふりをしていただけだ。

 思えばこの数年間、ほとんど毎日のように酒を飲んでいた。初めは晩酌程度のつもりが、どんどん歯止めが利かなくなり、二十代の頃は一升飲むなんて絵空事だと思っていたものが、場合によってはそのぐらいは飲んでいる自分がいるのだった。そうしてアル中の人は皆そうだろうが、自分より酒に溺れている人間を見ると、ああ、おれはアル中ではない、などと思ったりするのだ。僕にしてからが、お日様の出ているうちは酒に手をつけないという矜持のもと、昼日中から飲んでいる人間を半ば軽蔑の眼差しで見つめていたものだが、すでに毎日欠かさず飲酒している時点で依存症なのだ。

 一つの破滅ということなら、もはや目前に迫っている。このままいったら、おそらく僕はまともにレコーディングを終えることができないだろう。切り張りのような録音しかできず、ソロだってろくなものは弾けないに違いない。皆に迷惑をかけるのは必至だ。いったい自分は何のために、いろんなものを犠牲にして、ここまで好きなことを続けてきたのか──。ともかく、もう酒はやめだ。やめるといったらやめる。どこまで健全な状態に戻れるか分からないが、少なくとも今よりはマシになるはずだ。

 次の日はまだ体内にアルコールが残っていたのでよく分からなかったが、翌々日ぐらいから、いわゆる離脱症状がどっとやって来た。

 目が覚めると同時に、間断のない吐き気と頭痛。日中は手の震えに、四肢の痙攣。日が沈めば、つまりいつも酒を飲もうかという刻限からは、手の平や足の裏などにベットリと嫌な汗をかいた。そうして、夜がまったく眠れない。明け方にはこむら返り。まるで体中が、「酒をくれ!」と叛乱を起こしているようだった。

 終日の吐き気には悩まされた。とにかく何を食べてもうまくなく、食欲もまったく出ない。特に午前中がひどく、仕様がないので、最初のうちは病人のように毎日ゼリーばかり食っていた。(実際病人なのだが)

 何より耐え難かったのは頭痛で、もともと僕は滅多に頭など痛くならないのだが、あれはまるで一生分の頭痛が押し寄せてきたかのような、怒涛の激痛だった。何度、酒に手を伸ばしかけたか分からない。この頭痛も、吐き気も、身体の不快感も、一杯の酒があれば救われる。それはもうはっきりしている。その一杯が四合五合にはなるだろうが。だが、それをやっちまったら、また4分半でブラックアウトだ。それもあまりにもはっきりしている。お前はこのまま廃人になってもいいのか──その都度僕を押し留めたものは、数ヶ月先に迫っているレコーディング、これを成功させたいという、ただその一点のみなのだった。

 数週間が経った。いつしか手の震えと発汗が消えていた。夜も眠れるようになってきた。吐き気と頭痛は相変わらずだったが、曲作りそのものはむしろはかどり始めていた。夜に冷静に物事を考えたり、作業を進められるようになったということもあるし(そうだ、何と今まで夜の時間を無駄にしていたことか!)、何より、作曲や詞のテーマに没頭している間だけは、肉体の苦痛を忘れられたからである。

 作業は着々と進み、ふた月も経つ頃には、吐き気を含めほとんどの症状が治まった。酒もあんまり飲みたいとは思わなくなった。ただ頭痛だけは間歇的に襲ってきて、やぶから棒に現れるそれは、やっぱり失神しそうになるほど激しい痛みなのだった。

 レコーディングの当日。もはやブラックアウトすることもなければ、指が攣ることもない。しかも自分の中には、何か強烈な意志のようなものが生まれている。エンジニアが、また今回も酒を飲みながら詞を書くんですか、と訊いてくる。──いや、もうずいぶん前から酒はやめてるんだよ。え?怪訝そうにしたエンジニアの顔が、印象的だった。

 都合四ヶ月間、僕は酒を断った。(短いなどというなかれ)その間幻聴幻覚の類いはなかったし、一人で我慢できたわけだから、アル中としては軽度の方だったのだろう。実際重症になると、自分の見ている限りにおいても、まず本人の意志では絶対に断酒できない。ひどく体を壊すか、あるいは何らかのカタストロフィーが襲ってきて、ようやく酒と縁が切れる。そうなる前に、僕がこの段階でひとまず酒をやめられたのは、自分に全精力を傾注すべき目標があったということに尽きる。そのことには、本当に感謝している。

 しかし楽観はできないのであって、アル中は一度なったら二度と治らない病気だ。どんなに間を空けていようと、まるで再生途中でほったらかしにしておいたカセットテープのように、一口飲んだが最後、そこから再生ボタンが押されてしまう。巻き戻しはない。

 自分が禁酒できたのは仕事のお陰であるのは間違いないが、しかし困ったことに、酒とは切っても切れない関係にあるのもこの業界だ。打ち上げの席で重要なことが決定されるのはしばしばだし、畢竟浮き草稼業ゆえ、人間関係がことのほか大事である。明日のための親睦、とりあえず乾杯、ということに相成る。勿論飲めない人間も少なからずいるのだが、僕のように一度酒飲みのラベリングをされてしまうと、固辞することはかなり難しい。何といっても、長年ミュージシャンを続けている人たちというのは一種独特の人の好さを持っていて、そうした人間と交わす会話は格別だ。

 人は誰でもが皆、刻一刻と確実に死に近づいてゆく。アル中も不治の病と諦めて、せめて一息に重篤にならないように騙し騙しそれと付き合っていくか、それとも限りある命をいま少しだけ伸ばすべく、本当にきっぱりと酒をやめるか──それが僕の今後の課題である。

 断酒して四ヶ月、レコーディングも一段落したというので、恐る恐る酒の口を開けてみた。久しぶりに飲むそれは、驚くほどおいしくないのだった。あの、毎日欠かさず飲んでいた頃の、待ってましたというような、恋焦がれるような、この世にこれほど美味いものがあろうかという味ではない。確かに酒ではあるのだが、何か決定的なものが、いってみれば魔法が消え失せたような味なのだった。その変に舌を刺激する液体を口に運びながら、ああ、どうやらオレは地獄の入り口から戻ってきたのだな、と思った。

※今回は酒の話ということで、えらく長くなってしまいました。いかに僕が酒を好きか(だったか)が、窺い知れようというものです。一口に酒といっていますが、主に飲んでいたのは日本酒です。夏場は焼酎。しかしいちいち種類を挙げていたのではきりがないと思い、“酒”で括りました。
正直まだまだ書き足りないぐらいで、僕がドブロクを作った話、ご主人を父のように慕って通ったお店の話と‥‥きりがありません。
現在は、ケとハレでいうならば、ハレの日にしかお酒を飲んでいません。普段はまったく飲まないので、アル中が進行してなければいいがと思いつつ、断酒四ヶ月目にして飲んだ味よりは、最近はまたおいしく感じるようになっており‥‥頭痛もたまにします。やはり to be continued のようです。
続くといえば、レコーディングに関しての話は、今回でひとまず終わりにしようと思っています。本来は共同作業であるはずのレコーディングが、結局は僕の日記風になってしまいそうですし、気持ちの上でも、もう次回作を見つめていきたいということがあります。(年内に制作できるかどうかは別として)
とはいえ、編集部の方のご厚意により、「浪漫派宣言」はまだまだ続きます。
次回からは、肩の凝らない話も交えつつ、気の向くままにやっていけたらと思っています。

浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)

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