コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第五回 見えない話


 先日、何気なく古雑誌をパラパラとめくっていたら、ある女性の転生に関する記事が目に止まった。20世紀初頭にイギリスで生まれたそのドロシーさんという方、幼い頃の臨死体験をきっかけに、前世の記憶が甦る。それはかつて自分が3000年前のエジプトで巫女であったというもので、その思い出に導かれるようにして、実際にエジプトに渡る。以後、前世記憶によるものとしか思えない様々の考古学的予見をなしつつ、終生を彼の地で送ったという。──

 目に見えないこと、確証できないもの、ことに霊魂のことなんかをくどくどと考えているのは、およそ現代人としてはふさわしくない行為であろうし、ましてや大っぴらに口に出して言ったりすると、少しおかしい人、ということになる。しかし浪漫派の僕としては、やっぱり気になってしまうのだ。

 で、生まれ変わりって本当にあるのかな、と思う。魂の輪廻説はもっぱら東洋由来のものとされていて、キリスト教世界においては、人は死んだら、最後の審判の日まで魂がいったん留め置かれることになっている。しかし洋の東西を問わず、常に転生を語る人は現れる。たいがい子供の頃に記憶を取り戻すようで──僕自身は、ほとんどの人と同じく前世の記憶なんてない。ただ、前世を意識せずにはおれない出来事ならばあって、そういうことなら皆にもあるかもしれない。相変わらずの自分の身の回りの話だ。
 
 小学生の頃、首に怪我をするということが続いたのだった。普段は何もないはずのところに突如横に張られた鎖が現れ、自転車に乗っていた僕は、その鎖に首をはねられる形で昏倒。(単に遊びに夢中になっていて、鎖に気付かなかっただけかもしれないが)

 その傷口も癒えぬ、数日後の夜半。今度は電気を消そうとしたところ、電灯の紐が手も触れていないのにシュルシュルっと、まるで意思を持つ蛇か何かのように巻きついてきて、僕の首を締め出した。その時は危ういところを、祖母に助けてもらったのだが──頻発する怪異に、子供心にもこれはおかしいと思った。悪霊に痛めつけられている、かつて首を吊ったことがある、一度絞首刑にされた、いろいろ連想することはできたが、何故だかその時ふっと僕が思ったのは、ああ、昔自分は首をはねられて死んだんだな、ということだった。それも海の向こうのギロチンというよりは、切腹した後に首を介錯される、あるいは刑場にての斬首、そんなイメージが浮かぶのだった。

 しかしながら、前世の記憶はほとんどの人にとって不必要だとも思う。仮に僕が前世で首をはねられたとして、いったいどんな不始末を仕出かしたのか、どんな大それたことをやらかしてしまったのか、考えるだに恐ろしい。また、満足をもって人生を終える人もいれば、そうでない人もいる。ここに憤死した人がいたとして、その怨念の記憶を鮮明に持ったまま生まれたならば、必ずやその人の一生は復讐に捧げられたものとなるだろう。物騒だし、不毛だ。

 仏教においては、菩薩の位階にならないと前世の記憶は持てないとされている。これは至当で、生半なことでは煩悩から脱け出せないのが凡夫の凡夫たる所以だが、ああ、なんだか昔悪いことをした気がする、やり残したこともあるようだ、今生では精一杯まっとうに生きたいものだなあ──と、記憶がぼんやりしたぐらいでちょうどいいのではなかろうか。でないと、幾つもある前世の記憶、つまりは煩悩の奔流に押し潰されかねない。

 さて件のドロシーさんだが、少女時代に一匹の毒蛇を助ける。その際、たまたまそばにいた旅芸人の一人から、「あなたは今後蛇に傷つけられることはない」と予言をされる。事実、エジプトに渡った後、彼女は度々毒蛇に遭遇するのだが、噛まれたことは一度もなかったという。

──これも不思議といえば不思議で、そもそも蛇が恩義を感ずるのかという話もあるし、イギリスで助けた蛇の個体と、後年エジプトで出会った蛇の個体が同じであるはずもない。であるならば、時空を越えて蛇が根底でつながっていて、エジプトでドロシーさんを見つけた蛇に向かって、過去のイギリスの蛇が「あっ、ドロシーさんは噛んじゃだめ」と指令を発したことになるのであり・・・・なんだかややこしくなってきたが、しかし生き物は根底でつながっている、そう考えてみたくなる出来事もまた、僕にはあるのだった。

 その頃僕は配送の仕事をやっていた。乗り物の運転は苦ではなかったので、それなりに楽しくやっていた。ただ前日の夜にバンドの練習があったりすると、次の日一日猛烈な眠気に襲われはしたが。

 その日の午後も、半分ウトウトしながら僕は車の運転をしていた。と、突然頭の中に「ニッポニア・ニッポン」という言葉が浮かんだ。あれ、ニッポニア・ニッポン・・・・何だっけ?・・・・ああそうか、トキの学術名だった。そういえば日本最後のトキって、今どうしてるんだろう。まだ生きてるのかな。確か一羽だけだったよな。日本で生まれて、その国にたった一羽でいる気分って、どうなんだろう。それにしても・・・・なぜ急にトキのことなんか思い出したのかな。

 しばし僕はトキに思いを馳せ、やがて夜になるとともに、いつしかトキのことは忘れていった。

 次の次の日だったか、昼食時に新聞を読んでいた僕は、我が目を疑った。「日本産の最後のトキ、死す」!・・・・新聞記事の大要はこうである。

 ○月×日朝、日本原産の最後の一羽であるトキ(メス)が、トキ保護センターにて亡くなった。かなりの高齢であるため普段はほとんど動かなかったものであるが、×日早朝、突然飛翔し、そのまま飼育室のガラスに衝突した模様。激突死。

 老耄でガラスのことを失念していたのかもしれない。しかしとにかくも、最期の最期にトキは飛ぶことを試みたのだ。激突死するぐらいだから、それは本物の飛翔だった、最期の力を振り絞って、いずこへか飛び去るつもりだったのだろう。きっと死に場所を求めて、だ。ガラスさえなければ・・・・僕は胸の締めつけられる思いがした。

 そして同時に、つい先日自分がトキに思いを馳せていたのを思い出した。あれは何だったのか。必死で記憶の糸を手繰った。あの時カーラジオが点いていなかったかどうか──つまりその日の時点でトキは永眠しており、僕は居眠りしながらラジオのニュースを聞いていただけなのだと。でも急にニッポニア・ニッポンと頭に浮かんだあの時、これはラジオの影響かもと、電源を確認した気もする。

 トキは早朝に亡くなったので、その日の新聞には載らない。翌日記事になったとみるのが妥当であろう。したがって、車中の想起の次の日発行の新聞であれば、ラジオの影響説が濃厚、翌々日以降の発行であれば、トキ存命中に想起したことになるわけで・・・・どうもこの辺の記憶が曖昧だ。しかし、こんな推理小説のアリバイ探しみたいなことをしていても、なんだか日本最後のトキの死に対して不謹慎な気がする。いずれにしろ、僕はある日不意にトキについて思いを寄せ、数日後、そのトキが亡くなった。僕は不思議な因縁を感じ、錯覚かもしれないが、トキの死に際の感情の一端さえ垣間見たと思った──それで充分だ。生き物がすべてバラバラだと考えるのは、やっぱり寂しい。

 も少しスケールの小さい話もあるのである。
 僕の部屋には、よく鼠が出没する。(ここから先、鼠の話です。苦手な方、ご勘弁を)天井裏を徘徊しているから、クマネズミというやつだろう。このクマネズミ社会にいったいいかなるルールがあるものか、三匹、四匹とは現れずに、僕の部屋に住み着くのは常に一匹と決まっている。折々に代替わりなどしたりするが、やはり一匹だ。鼠というのは群れでいれば鼠でしかないが、一匹ずつとなると、それなりに個性のあるのが分かってくる。鼠らしく矢鱈と臆病なもの、窮鼠猫を噛むの窮鼠とはこいつかと思わせる、乱暴なもの、知恵ものもいれば、愛嬌ものもいる。

 ある時、妙に人懐っこい鼠が住み着いた。僕が身じろぎしても、申し訳程度に物陰に隠れるのみだ。クマネズミにしては警戒心がなく、少しウスノロなのではないかと思わせるところがある。つうっと部屋を横切ったりなどした際、見るとはなしに見ると、猫にからかわれでもしたのか、背中の辺りに毛の生えていない一帯がある。

 日に日に僕に馴れてくるのが分かる。ふと視線を感じて顔を上げると、ステレオのスピーカーの上にちょこんと座って、こちらを凝視していたりする。困ったことに真正面から見ると、鼠というのは実に愛嬌のある顔をしており、さすが親戚にハムスターがいると唸らせるものがある。小さな心臓が一生懸命に働いているのだろう、小刻みにフルフルと震えていて、拝むように手を心持ち前に出している様なぞは、ある種の可憐ささえ感じる。だが、あの悪魔を連想させずにはおかない、いたずらに長くて妙な節のある凶々しい尻尾を見るにつけ、ああ、やっぱりこいつは愛玩動物にはなれないな、と思ったりするのだった。

 愛玩はしなかったものの、同居人という意識が知らず知らずのうちに芽生えてしまったようで、夜半帰宅した折などに、冗談ではなく「ただいま」と口走りそうになってしまったことが、一度ならずあった。なぜだか部屋のものをほとんどかじられなかったし、別にそのまま居着いてもらってもよかったのであるが──段々と不具合が生じてきた。

 朝目が覚めて、顔が痒いなあと思って鏡を見ると、頬にみみず腫れが走っていたりする。どうやら僕が寝ている間に、顔の上で遊んでいるものらしかった。うっかりしていたが、鼠は不潔動物だ。あの爪の間に、どんな恐るべきバイ菌を隠し持っているか知れたものではない。眼球を引っ掻かれでもしたら、ことだ。遺憾ながら、この鼠を退治せねばなるまい。

 薬局でいろいろと物色した挙句、鼠の嫌いなハッカのにおい、みたいな製品が即効性がありそうで、よかろうと思った。鼠を殺傷するわけではないが、撃退はできるという代物だ。

 決行は夜だった。ハッカ剤の蓋を開ける。若干生き物としての弱さを感じさせる件の鼠である、苦しいのかたちまち部屋中を駆け回り、そのまま押入れの隙間にでも退散するのかと思いきや、畜生の浅はかさ、僕の手元にあったコンビニ袋に自ら入り込んだ。至極あっさりと、しかもまさか生け捕りにできるとは思っていなかったので、半ば途方に暮れた。

 ──さあどうするか。一息に水を張ったバケツに沈めるか。情が移っているので、とてもそんなことはできない。「ねずみホイホイ」なんかには、鼠は生ゴミとして捨ててくださいとあるが‥‥駄目だ、こいつはゴミなんかじゃない。一瞬、手頃なカゴを買ってきてペットにしようかとの考えもよぎったが、四十男がクマネズミを飼っている図を想像したら、あんまり惨めで、やめた。

 とにかく、野生のものは野生に帰してやるのが一番だろう。ここには戻って来れない、どこか遠くへ。蜘蛛の糸のカンダタも一匹の蜘蛛を助けたことだし、僕はクマネズミを放してやろう。

 その夜はしとしとと雨が降っていた。ビニール傘を差したどことなく陰気な男が、片手にコンビニ袋を提げている。その袋が、何が入っているのだか、時折ひとりでにガサガサと動いている。──立派な猟奇男の誕生だ。

 人目を避けるようにそそくさと歩くうち、ほどよい広さの庭園を見つけた。お寺の敷地だ。ここならばいいだろう、何といっても、殺生を禁ずるお釈迦様の有り難い教えが脈々と息づいているところだ、このお寺にはちょっと申し訳ないけれども、雨風だってしのげるし、見たところふんだんに食糧もありそうだ。僕は裏木戸にしゃがみ込み、袋の口を広げるのだった。

 鼠に向かって言い聞かせるように、僕は心の中で呟いた。「さあ、今からここが、お前の新しい住みかだ。自然もいっぱいで、食うには困らないだろう。猫だけには捕まらないように、せいぜい頑張れ」最後の辺りは、口に出して言ったかもしれない。

 さてここからが出来すぎなのだが──僕の意を汲んだかのように、鼠は真っ直ぐトコトコと歩き出した。十歩ばかりもいったろうか、不意に立ち止まり、僕の方を振り向いた。そうして次にコクンと、ほんの数ミリではあるが確かにコクンと肯いたのだった。つられて僕も、会釈を返した。やがて鼠は前に向き直り、雨の降りしきるお寺の闇の中に消えていった。──

 この話には、まだ続きがあるのである。それから一年ばかり経ったある日のこと。すでに鼠も何匹か、代替わりしていたように思う。僕はあぐらを崩した格好で、立て膝をついて、パソコン画面に向かって作業をしていた。と、右のくるぶしの辺りに何か生温かいものを感じた。くすぐったいような‥‥オヤと思って見ると、一匹の鼠が僕の足を舐めているのだった。感触としては、犬や猫の恭順の愛撫に近い。しかし鼠にそんなことをされたことはなかったので、僕は飛び上がるように驚き、思わず足を払った。ぽーんと1メートルばかり鼠が宙に舞った。そうして僕は見たのだ、着地するやいなや慌てて逃げていく鼠の背中に、あのお寺に放してやった鼠とおんなじような、毛の生えていない一帯のあったのを。

 毛抜けの位置は、微妙に違っていたようでもある。鼠にそれほど帰巣本能があるとも思えないし(越冬はするようだが)、一年前の鼠とその鼠が同一であるとの判断は、僕にはできない。しかしどうしても僕には、放してやった鼠、でなければその鼠の気持ちが別な鼠の形を借りて挨拶に来た、そう思えて仕方がないのである。

 僕とクマネズミの邂逅という、あまりに卑近な、卑小な話の後に出すのは大変恐縮なのだが、明恵上人を描いた有名な絵がある。(有名どころか、国宝だ)深山の樹上で座禅を組んでいる絵で、上人の周りでは小鳥やリスが戯れている。まるで山の風景の一部のように上人がいたって小さく描かれ、また色合いもすべてが似た感じで、先入観を抜きに眺めるならば、禅定の三昧境を表した図とまず受け取りたくなる。

 自然と一体になった、調和のとれたその姿は、やはり人間のひとつの理想像に違いない。

【人間椅子 公式サイト】http://ningen-isu.com/
【人間椅子 公式blog】http://ningenisu.exblog.jp/

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