コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第十七回 夢の続き


 今年は公私ともに、大きな広がりを見せた一年になった。そのかわり滅多矢鱈に忙しくなったけれども、存分に表現をしていくことが僕の仕事だと思っているので、格別苦痛を感じたりすることもない。売れている人は、僕なんかよりもっともっと殺人的に忙しいだろう。
 忘れないようにしたのは、感謝の気持ちだ。新たな仕事が舞い込む度に、結局のところ自分一人ではやりおおせないということに気がつかされ、大いに周りに感謝しながら事に当たった。そうすると、次の仕事がまたやって来る。有り難い有り難いと呟きながら、毎日を暮らしている。本当に皆さんに感謝しています。

 自分の生活が変わりだしたのは、やはり心の中に美しさを持つことができてからだ。(それは感情というのとも違う、もっと堅牢なものだ。せめて美しくありたい──とっさに浮かんだ言葉が、まずそれだった)今にして思えば、あの時僕は、人生は報われない、救われないという考え方を捨てた。なぜ自分だけが、とくよくよ思い悩むことも止めた。自然と怒りの感情が湧くこともなくなって──実際、もう何年も怒ったことがない──以前だったら怒りを覚えるであろう状況にあっても、今では悲しさ、寂しさに襲われるようになった。

 皆さんと同じように、僕も何度か失恋のようなものを経験している。ある時、悲しさの淵に沈んでいる時に、思った。なんだ、僕にはもう失うものは何もないじゃないか、僕にあるものといったら、自由だけだ。そうか、僕は自由なんだ!人はそもそも何も持っていないということに気がつきさえすれば、自由な存在になれるんだ‥‥失恋の悲しさではなく、自由であることの喜びの涙が、僕の頬を伝った。

 自由であるから、人にはまず優しく接しようと思う。優しくとはいっても、見返りを期待してではない。自分がこれこれこうしたんだから相手も何かしてくれるだろうなんて了見を抱いた瞬間に、優しさははるか遠くに消し飛んでしまって、そこに残るのはできるだけ他人を利用しようという小賢しさだけだ。だから、知人、見知らぬ人間問わずに、優しくしようと思う。
 道を聞かれたら、その人が迷わず着けるだろうと確信できるところまで、一緒に歩いて案内する。無人のATMで暖を取っているホームレスのおじさんがいると、誰かに追い出される前に、これで何か食べてよと、震える手にいくばくかのお金を握らせる。
 ある時、ずいぶん前の話になるが、大学時代のサークル仏教青年会のOB会があった。皆で、先の震災で亡くなった方への法要を行なった。何らニュースに上るわけでもない、その無私の、慈悲の心にいたく僕は感動して、このまま帰るのは勿体ないとばかりに、一人で新宿のゴールデン街に飲みに行った。
 余韻が醒めやらぬので、まだ電車の動いている時間だったけれど、歩いて帰宅することにした。寒空の新宿のガード下に、一人の路上生活者がいた。僕も孤独だしおじさんも孤独だし、何か話でもすればお互い優しい気持ちになれるかなと思って、おじさんの横に座った。「おじさん、寒いね」「ああ寒いね」「もうどのくらいこうした生活続けてるの」「んん、八年ぐらいになるかな」「大変でしょう」ここで、おじさんの生活態度をどうこういうつもりは毛頭ない。どのみち、自分の人生を選んでいるのは自分だし、自分の人生を変えられるのも自分しかいないのだ。聞けば、時々心ない人がいて、おじさんのダンボールハウスを蹴っ飛ばしていくんだという。「ひどい奴がいるもんですね」さあ、僕はトルストイ的精神を発揮するのはここだとばかりに、財布から小額紙幣とありったけの小銭を取り出した。「おじさん、何かこれであったかいもんでも食べてよ」「ええ、いいの。悪いね~。ああ、お礼にこれあげるよ」おじさんは、きっと大事に取っておいたであろう日本酒のワンカップを、お返しにと差し出すのだった。何だか大変に申し訳ない気がしたけれど、せっかくの優しさなんだから受け入れるべきだと思い、有り難くそのワンカップを頂戴することにした。それでも気持ちが治まらぬので、帰りの道中に吸う数本を抜き、煙草を一箱おじさんに渡した。「ありがとう、おじさん。おやすみ」
 優しさで人に接すれば、やっぱり優しさが返ってくる。

onecup
【路上生活者のおじさんからもらったワンカップ。どうにも飲むのが勿体なくって、いまだに何年も手元に置いてある】

 別に僕は美談をいいたいわけでも、いい人自慢をしたいわけでもない。(今だって僕は、ほめられたもんじゃないことをいっぱいする。時々は飲んだくれるし、煙草もまた吸い出した)ただ、自分の選んだことが、すぐにではなくても何らかの形となって現れてくるのが世界ではないのか──だから、現実は仮象といってもいい──ということをいいたくて、これを書いている。

 今年は早くからオズフェストに出ること、レコーディングすることなどが決まっていたので、より意識的に現実を生きようと臨んだ。そうしたら、シンクロニシティのようなものが頻々と起こる。例えば突然けっこうな金額の支払いがあったとして、「あれっ、幾らでしたっけ」と財布を見ると、きっちりその金額だけ入っている。またある時は、愉快な気持ちになって部屋飲みをしていて、もう少しツマミがほしいなとコンビニに買い出しに行く。501円だったか。帰り道、ふとポケットに手を突っ込むと、小銭が入っている。僕はポケットに裸でお金を入れるのは好きではないので、どんなに酔っても財布に入れるようにしているのだが‥‥おかしいと思い、手に取ってみると、今さっき払ったばかりの501円だった。
 もちろん仕事の上でもどんどんシンクロが重なり、面白いのでその頃はシンクロニシティ日記を付けていた。が、書いても追いつかなくなってきたのと忙しくなってきたのとで、結局シンクロ日記は半年と持たずに止してしまった‥‥。

 毎回のようにレコーディングでは不思議な経験をするのだが──あらかじめメンバーのその日着てくる服が分かったりとか、前日に夢で見た機材が、予期せぬところから次の日借りれたりとか──今回のアルバム『萬燈籠』でも、奇跡的なことは起こった。
 オズフェスト出演に有頂天になってしまい、準備がやや遅れた。徹夜で歌詞を書き、フラフラになりながらスタジオに行ってギターソロを弾き、それでも間に合わない。徹夜明けのある日は、トイレに行ったら自分の体からオーラが立ち昇っているのが見えた。どう考えても今のスケジュールでは完成しない、あと一日あったらこの行程が終えられるのに‥‥などと思っていると、不意に別室でキャンセルが出て、それっとそこに滑り込む。
 そんなことが二、三度続き、恥ずかしい話だがマスタリングの前日の夜中までレコーディングをしていた。ぶっ続けでTDに入り、すべての作業を終えたのがマスタリングの二時間前。そのまま飯も喰わずにマスタリングスタジオに直行した。あれは奇跡としかいいようがなかった。スタジオの空きがなかったら、全曲録音することは叶わなかった。ちゃん、ノブ君、エンジニアのテル君にはずいぶん迷惑をかけヤキモキさせてしまったけれど(それはギターソロ、ダビングなどの都合上、僕が一番スタジオ時間を使ってしまうから)、本当に完成してよかった。感謝しています。正直、あきらめたらおしまいだと思った。無理だと決めた瞬間に無理になると思ったので、けっしてあきらめることはしなかった。ようやく完成して──ものを作るって、なんて素晴らしいことなんだとしみじみ思う。

 ももいろクローバーZさんの仕事に関われたことも、僕にとって素晴らしい経験だった。昨年「黒い週末」のレコーディングでギターソロを弾いてから、何度か仕事をいただくようになった。僕のギターが人の役に立って、大勢の方の耳に届くんだから、いったい何を躊躇する必要があるだろう。それは、今までの僕が知らない世界だった。何より、彼女たちに感動した。初めて彼女たちとお話した時──何万人もを前にしてステージに立つゆえか、もう普通の男子女子とは桁違いに根性が座っているし、圧倒的なオーラと天使のような輝きを放っていて、驚いた。えもいわれぬ幸せな気持ちになった。
 ももクロ「GOUNNツアー」では、僕の提供した楽曲が使われるというので、最終日の仙台公演まで馳せ参じた。席を準備していただいたことに恐縮しながら着席し、隣を見ると、作詞家の只野菜摘先生です。(只野先生とは今年の青森ロックフェス、夏の魔物でご挨拶していたので、面識はありました)僕の提供した曲が役立っているかドキドキしながら、只野先生の隣でももクロのコンサートを見守っている──夢じゃないかと思った。そして、Facebookにも書いたように、素晴らしい演出だった。メンバー紹介のMCでは、少女たちの懸命さと可愛らしさに、溢れ出てくる涙を抑えることができなかった。

 今年の十一月、ラウドネスさんとご一緒できたこと、これも素晴らしかった。僕たちの大先輩であるし、何より、本当の意味で海外で最初に認められた日本のHR/HMバンドである。僕たちが同じステージに立っていいのかとすら思った。とにかく、イベントを盛り上げるべく心を込めてパフォーマンスをした。(このイベントに出られるきっかけとなってくれたのが、僕が以前お世話になっていた元雑誌編集者──現カメラマン──の方。物事は人の協力なくしては始まらないし、機が熟せば確実に動き出すとつくづく思った次第)
 出演者の皆さんとお話できた打ち上げも最高だった。二次会では、高崎晃さんご推薦のカラオケ店へ。気がついたら僕、タッカンの隣で一緒に洋楽をデュエットしてるよ!夢じゃなかろうか。

 思えば、夢のような一年だった。夢の始まりは、オズフェストからだった。来年も夢を見られるだろうか。大丈夫だろう。だって僕は自由だし、誰の持ち物でもないし、世界を、他人を否定することを止めたから。どんな辛いこと、楽しいことがあっても、僕は自分の夢を生きているんだと実感できるだろう。来年も、再来年も、夢の続きが見られますように。

 

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和嶋慎治(人間椅子)

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