コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第十五回 青春の只中


 リンゴ・スターのコンサートを見に行った。会場がお台場方面だったので、その帰路、レインボーブリッジをスクーターで渡っていたら──ああ、僕はまったく青春の只中にいるな──不思議な感慨で全身がいっぱいになった。1960~80年代の音楽を聴いて、懐かしい気持ちになったということだろうか。確かに音楽には時間を越えさせる作用があるわけだけれども、僕の感じたものは、ノスタルジーというのでもなかった。
 二十代の頃、毎日のように都内をぐるぐるオートバイで廻っていた。今も似たようなことをやっている。思春期の頃、楽器を弾いて曲を作って演奏する、そういうことってなんてカッコいいんだろうと思い、バンドの真似ごとをして続けていたら、今やそれが仕事になっている。つまり、自分は青年から壮年に頁をめくるように変貌したわけではなくて、青春時代の延長線上にそのまま立っているということを、ありありと、ひしひしと感じたのであった。

 現在人間椅子は年内にアルバム発売を控え、いわゆる曲作り期間中である。自分にとって、曲作りからレコーディング、アルバム発売に至るまでの期間は、特別な、最も苦しいけれども最も幸せを感じる時間である。今そのとばくちにいることが、青春真っ只中の感慨を催させた一因であるには違いない。──あの時もそうだった。

 僕が学生の頃は世の中の景気もよく、当時の大学生は卒業にあたってよく海外旅行に出掛けていたものだ。(今もそうした卒業旅行の習慣はあるのだろうか)ベースの鈴木君は、ソビエト連邦に行くといった。僕としては、どこか煮え切らない、踏ん切りのつかない学生生活を送ってしまったという慙愧の念があり、卒業を記念して何かお祝いするなんて気には到底なれなかった。人間椅子としての活動をぼちぼち始め出していた頃で、鈴木君はカセット式のMTRを持っていた。せっかくMTRがあるんだからと、鈴木君がソ連に行っている間、僕は彼の部屋に泊り込んで曲作りを行なうことにした。いわばそれが、僕の卒業旅行だった。
 いろいろと浮かんでくるアイディアを、楽器を使って具体化させ、記録していくことにこの上もない喜びを感じた。三時間も眠ればすぐに目が覚めて、ギターを弾いた。「陰獣」の骨子を作り「神経症 I LOVE YOU」を出かし、ほか、鈴木君と僕で断片的に溜めていた曲の手直しをしたりなどした。一週間ほどそうした生活を続け、鈴木君の帰りを待った。

 つい先日だってそうだ、夢の中でカーラジオから流れてきた奇妙な詩と音楽にがばと跳ね起き、これを忘れてはなるまじと、慌ててノートに印象を書き付けギターを爪弾いた。やってることは、二十五年前と少しも変わらない。

 僕が勝手に命名しただけだが、「おいしいトマト理論」というのがある。なんでもおいしいトマトを作るためには、水や肥料をほとんどやらずに、あえて原産地アンデスの高地と同じ過酷な環境に置くとよいのだという。人間とトマトは違うが、しかしぬるま湯のような日常を送っていたらやはりぼんくらな人間が出来上がるだろうし、どうしたって幾つかの試練を経ないことには、共感とか自己犠牲とか勇気とか、人間らしい美徳を持ち合わすことはできないだろう。そして何事かをものそうと思ったら、まずは一にも二にも努力だ。(しかしこんなことがいえるのも、ちゃんと努力と言動が反映される、日本という国にいるお陰だとは重々承知しています)

 さて今年の冬は例年になく寒かった。北国ではまだ大荒れのようだし、東京でも雪が降った。うっかりすると、ひたすら布団の中で縮こまって際限もなく眠り続けてしまう。──ちょっと待て、これではいつまでたっても曲ができない。今お前のやるべきことはCDの制作なんじゃないのか──自分に発破を掛けるためにも、僕は普段とは違う特殊な環境下に身を置き、そしてその中で創作活動に励んでみようと思った。端的にいって、山ごもりだ。僕は腐ったミカンになるよりは、おいしいトマトになりたいのだった。

 冬場の野宿ということを鑑み、まずは一月中に-30度対応の寝袋をアマゾンにて注文。ついでにテントも雨風をしっかりしのげそうなものに新調する。
 寝袋が到着するが早いか、試しに部屋で寝てみる。驚いた。明け方にじっとりと汗ばんで、寝苦しさに目が覚めた。さすが-30度対応、本格的冬山登山とまではいかないが、これならまず大概のところで眠れるだろう。(以降、布団より暖かいこともあり寝袋が手離せなくなる。毎日がキャンプ気分だ)

 二月に入って少しまとまった時間ができたので、いよいよ野営を実行することに。何処へ行こうか。ややひよった感がしなくもないが、極寒で楽器が弾けないでは本末転倒であるし、比較的温暖であろう房総半島に向かうことにした。
 スクーターには生活必需品と楽器を満載、僕はといえば完全防寒で着脹れした状態、傍目には貧乏人の夜逃げに見えなくもない。こういうこともあろうかと購入しておいたトラベラーベースを四苦八苦してバイクに括りつけながら──ふっと、果たしてベースギターまで持って行く必要はあるのか、すでに積み過ぎで運転に支障をきたしそうじゃないか、などと批判的消極的意見が心中去来してきたが、いや待て待て、こうした無茶、無駄、一見馬鹿馬鹿しい行動こそ豊かな実りの源泉に違いないと思い直し、僕は一路房総のキャンプ場を目指すのだった。

 本当にキャンプに行ったのか、そう思われる向きもあるかもしれないので、いちおう証拠の写真を。

tent

 これは二泊目の早朝五時頃に撮ったもの。奥から、酒瓶、MTR、新書本(紀伊國屋のブックカバーがポイント)、トラベラーギター、同じくベース、などが見える。朝の冷気に目が覚めて、さあこれからギターに触ろうか、といったあたりだ。

 都合三泊した。初日、けっこうな広さのあるキャンプ場にテントを設営しながら、ああそういえば今日はバレンタインデーだったなと思い出し、無論房総とはいえこんな寒い時期に野宿しようなんて物好きな輩は僕一人で、ストイックなんだかマゾヒストのような異常性格なんだか、自分で笑い出したくなった。

 さて、肝心の作曲ははかどったのかどうか──いや、その前にとにかくもう寒くてかなわなかった。二日目に至っては午前中から雨がしとしとと降り続き、凍えそうでまったく寝袋から出られない。夜になると寒さしのぎに、焚き火をしながらやっぱり酒を飲んでしまう。しかも体があったまるまでだから、けっこうな量だ。晴れたら晴れたで、人恋しさについふらふらと里まで下りて物見遊山してしまう。
 それでも、僕はとある岬の突端にいたのだったが、そのキャンプ場にいる限り半径何百メートルだか何キロだか人間は僕一人で、であるなら僕は僕のやりたいことを自由にやるしかないのだった。かじかんだ手で、指二本でも弾けるリフを考えつき、なんとか途中まで曲を出かした。

 宇宙のどこかで衛星になった男、それがこの曲のテーマだった。もしかしてどこかの国が秘密裡に打ち上げた有人宇宙船が(たとえば旧ソ連とか)、大きく目的の軌道を外れてそのままどこかの星の人工衛星になってしまう、まあそんな話はないだろうが、あったとしたらというイメージだ。
 星の周りを廻って、そして朽ちていく男の気持ちとはどんなだろう、そんなことに思いを馳せながら東京に戻ってきたら、ロシアに隕石が落ちたというニュースだ。何とはなくシンクロニシティを感じた。
 そうして、こうした偶然の一致に意味を見いだしてワクワクしたり、徒労とも思える山ごもりに嬉々としている自分は、やはり青春の只中にいるのには違いないと思った。

 

浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)

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