コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第二回 曲作りの日々


 四月の、ある暖かい夜のことだった。ドラムのノブ君と、ほか何名かで酒を飲んでいた。ノブ君はとてもお喋りが上手なので、たいがい僕は聞き役に徹することにしているのだが、その日の話題は「ヤマさん」であった。──ヤマさんは、ノブ君が現場で働いていた頃の先輩である。若い時分はたいそう働き者だったらしいが、当時すでに初老に差しかかっており、簡単な作業ばかりやっていた。ヤマさんは少し頭の働きが弱く、「チッチッチッ」としか言葉を発音することができない。長いことヤマさんと働いてきたある同僚だけが、その言葉を翻訳できるものらしく、彼を通じてようやくヤマさんの意は皆に伝わるのだった。

 言葉は足りなくとも、ヤマさんはすこぶる他人に優しい。アルバイトの女の子などに、「アーアー、チッチッチッ」といって、半分溶けかかったアイスクリームを、ニコニコ笑いながら手渡したりするのだった。自分は家庭を築けないとでも決めていたのだろう、ヤマさんは一人の男としては、誰をも愛さなかったし誰からも愛されなかった。でもヤマさんはその無垢の笑顔でもって、周りに温かいものを振りまき、皆に好かれ続けた。

 やがてヤマさんは体を壊し、会社を辞めていった。晩年は人の好さが災いしてか、他人に持ち物を搾り取られるような形で、跡に何も残さず、消えるように亡くなっていった。──僕がヤマさんの話を聞いたのは、これで三度目である。二度目までは、ただの笑い話だった。だが今は違う、何か悲痛なものとして、僕の中で一つのヤマさん像が出来上がっていった。

 散会してからも、ヤマさんのことが頭から離れない。悲しくて悲しくて、どうにも足を前に進められない。道すがら、ビルの隙間や空地を見つける度、くずおれるようにそこに腰を下ろし、ヤマさんのことを思って、声を上げて僕は泣いた。

 部屋に戻ったものの、眠れるものではない。ヤマさんの人生とはなんだったのか。ヤマさんはまったくの無名な人間だったし、家庭も作らなかったから、子孫という痕跡すら残さずに消えていった。しかし素朴な心を持って生きたというだけで、充分ではないのか。そしてそれこそが幸せといえるのではないか。なぜなら、心に悪い感情を持たずに、純朴に生きることほど難しいものはないからだ。僕にやるべき仕事があるとすれば、世の中からかえりみられはしなかったが、無垢な心を持って生きた人間がいたということを、何らかの形で記すことだろう。その日から、僕の曲作りが始まった。

 曲作りにおいては、ほとんど悩むということがなかった。「ヤマさん」にしても、「ヤマさん」というイメージが先に明確にあるからで、後はそのイメージに近付ける作業を忍耐強く行えばよいのだった。ヤマさんの物悲しさを出すために、途中にクリシェ(半音づつ下がる進行)を挟もう、サビはヤマさんを讃える意味で、メジャーコードに転調しよう、間にディミニッシュを入れると、天上に向かうような浮遊感が出るな、といった風に。

 しばらく前からニーチェに感銘を受けていたので、ぜひともツァラトゥストラが山から下りてくる場面を描きたく思った。今時ニーチェと思われるかもしれないが、ニーチェ本人が、私の作品は二百年経たないと理解されないだろうといっていたぐらいだから、二十一世紀の今、極東のロックバンドがツァラトゥストラのことを歌ってもおかしくはないだろう。「太陽の没落」という曲を作った。

 ヘルダーリンという詩人がいた。古代ギリシャ精神に影響を受け、崇高なるもの、純粋なるものを詩の上に展開することに成功したとして、知られている。詩作が円熟した矢先、貧窮と失恋から、三十代半ばで発狂する。以後病没するまでの三十六年間を、ひとりちっぽけな塔の中で暮らす。思考は破壊されはしたが、時折は詩作をしたというし、ピアノを弾いていたともいう。彼の後半生はなるほど非生産的なものであった。しかし誰がそれを無意味だといえるだろう。やはり彼の目は精神的薄明にありながらも、どこか遠くにある、調和のとれた世界を見ていたに違いないのだ。彼を偲んで、「塔の中の男」を作った。

 ものぐさな自分にしては珍しく、それこそゴッホがいうところの「靴屋の職人」のように、日々淡々と曲を作っていった。ああ、今日はほとんど出来なかったな、という日でも、例えば違和感のあった転調部分を、ごく自然に聞こえる形にするための糸口を見つけるといった、何らかの進展があるのだった。

 夜が更けてから楽器を弾くと近所迷惑になるので、21時以降は次の日の計画を練ったり、読書をする時間に充てた。繰り返し読んだのは、ロマン・ロランの著した「ベートーヴェンの生涯」である。この本には、どれだけ勇気づけられたかしれない。最初読んだ時は、後から後から涙が溢れてきて字が見えなくなり、その度に頁を閉じねばならなかった。偉大な精神──ずいぶんと大上段だが、しかしそう呼ぶしかないものだ──は空想などではなく、確かにそれを持って生きた人間がいたのだ。僕は何者かに感謝せずにはいられなかった。

※これからツアーに出るので、今回はこれで終わらせてください。続きはごく近いうちに。話が僕だけに偏っている点については、ご容赦のほどを。

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