第一回 地獄巡り
今年の春先、十数年ぶりに九州へツアーに行った。いつもなら、着いてすぐにライブハウスへ直行、リハーサル~演奏、そして次の現場へ、という流れなのだが、その時はなぜか時間に余裕が出来、だったら皆で別府温泉へでも地獄巡りに繰り出そう、ということになった。メンバー同士で観光地に行くなんてめったにないことなので、大いに盛り上がり、海地獄だ、次は鬼石坊主地獄?おっ、秘宝館もあるよ、(しかし秘宝館って、なんであんなに見た後で、空しい、寂しい気持ちになるんだろう)と、おじさんたちは年甲斐もなく、交歓の一時を過ごしたのだった。
さて、別府は観光地だから、当然地獄巡りのパンフレットもある。何の気なしにパラパラとめくっていたものだが、今東光さんの書いた短い紹介文に、思わず目が吸い寄せられた。だいたい以下のような主旨だったか。「人は人生の地獄を一度は見なくてはならない。その地獄の中で己れを空しうし、反省し、経巡ることによって、初めて人は人間になれる」戦慄を覚えた。まさに僕自身、そのような心的経験を経てきた後だったからだ。硫黄の煙る荒涼とした風景の中、感慨はいっそう深く、僕は目頭を熱くするばかりだった。
もろもろの心労が重なって、三十代の後半から、世間の表層的な部分を正視するに耐えられなくなった。それは主にテレビとか雑誌とか新聞とか、“現代”を切り取って羅列する類いのものだが、圧倒されもするし、また品がなくて不愉快にもなったりする。とにかく自分の置かれているこの心の苦しい状態に対する答えは、そこには何ら見つけられないと思い、意図的にそれらから離れることにした。生活も汲々としていたので、昼間は馬車馬のごとく働き、夜は安酒を飲みながら自分の心と対話するという毎日を始めた。
するうち、テーマが遠大になってきて、なぜ自分はこんなに惨めなのか、なぜ自分は報われないのか、といった身近なところから、なぜ人間は、と主語が自分から人間に発展し出した。自分の度量を越えた思索の気もするし、あまり一人でこういう考えに没頭しても、行き着く先は狂気だろうとの思いから、時折は道標を確認するように、哲学の本を読んだ。(病院に行けばよかったのだろうか?でも出されるのは、頭の働きを鈍くする薬でしかない。他人に相談したなら?おそらく気休めの言葉はかけてくれたろうが──でもそれはやっぱり気休めなんだ)冬場になる。どういった心の働きなのか、ストーブに火が点けられない。自分には苦痛こそふさわしいと思ったのだろう、凍てついた部屋の中、かじかんだ手で本を繰り、白い息を吐きながら、まるで冬眠する虫のように縮こまって考えごとをした。
そんな生活を三年ほど続け、ようやく一つの答えが見つかった。まことに牛か亀のようにのろい思考回路であるが、しかし他人から教わったのでもなければ、本の受け売りでもない、自分でつかみとった考えなので、どんなに単純で素朴であろうとも、僕の中では宝石のように輝いている。「せめて美しく生きたい」と思った。お金のためでも名誉のためでもなく、人を蹂躙せず‥‥漠とはしているが、美しく生きて、死んでいけたならいい。
さて「美しく生きる」とは決めたものの、どこから手をつけていいか、最初は途方にくれた。まずは自分のできる範囲からやるしかないだろう。──駐輪場に、自転車がずらっと並んでいる。誰かが一台を倒し、将棋倒しになってしまう。倒した人がお年寄りだとしても、たいがい皆知らんぷりで通り過ぎていってしまう。そういう時、黙々と一緒になって自転車を直すのを手伝う。道端でホームレスが煙草の吸い殻を拾っている。どす黒く景色に溶け込んで、ほとんどの人はその存在すら気付かない。が、彼だって煙草が吸いたいのだ、僕は手持ちの中から、数本新しい煙草を彼に渡す──。少しトンチンカンな親切な気がしないでもないけれども、そんなところから、僕は行動を起こし始めた。
それが、およそ一年以上前の話である。その後も自分の心との対話は続けていたものだが、次に湧いてきたのは、「美しく生きる」という考えを提示したのは果たして誰なのか、という疑問である。もちろん自分には違いないが、かなり下らない人間であるところの自分の、いったいいかなる部分がそのような明確な指針を打ち出したのであろうか。自分の内面と語るうち、やがて僕は魂と呼ぶほかないものの存在を確信するに至った。
※これはロックミュージックのコラムなのに、まったく音楽の話が出て来なくて、すみません。次回は新譜「未来浪漫派」について書きます。ただ、この心の流れについて述べておかないと、新譜に関しても何もいえないと思ったゆえです。堅苦しいでしょうが、以後もお付き合い下さい。