コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第七回 マリーズ


 今まで、ずいぶんいろんなアルバイトをしてきた。バンドだけでは喰えなかったからだが、最初のうちはまず長続きしなかった。しかしある頃から、どんな仕事でも最低一年は続けようと心に決め──それは、どんな仕事でも何かしら得るところはあるはずだとの思いからだったが──それからは、二年~三年は同じ職場に留まるようになった。

 今から何年か前、ある職場での話。
 そこでの話題の中心は、もっぱらギャンブルとゲームとアニメで、そのどれにも僕は語るべき言葉を持っていなかったから、自然輪の中には入れなかった。それでもマイノリティ同士で仲良くなるもので、僕が一番親しくしていたのは、ボクサーあがりの青年だった。けっこういいところまでいったらしいが、腰を痛めて廃業したのだという。一見すると、口が利けないのではないかというぐらい無口な青年だったが、僕とはよく喋ってくれた。抑制された表情に、とても好感が持てた。彼はロックが好きで、それで僕と馬が合ったのかもしれない。若いのに、MC5が好きだといっていた。

 繁忙期になると、短期のアルバイトがやってくる。僕が長年バンドをやっていて、同じ匂いを感じ取るからだろうが、趣味以上にバンドをやっている奴というのは、どんなに普通の格好をしていようと大概見分けがつく。一人、明らかにバンドをやっていると思われる人間が入ってきた。担当はギターだろう。たまたま僕はその時モーターヘッドのTシャツを着ていたものだから、彼の方も僕を意識している。どうやら表情からいって、僕が人間椅子のギターであることにも気付いたようだった。

 元ボクサーとロックの話はしていたものの、僕はそこでは自分がCDを出しているということを、できるだけ言わないようにしていた。自意識過剰なのかもしれなかったが、やはりそこで生ずるであろう様々の質問に答えるのが、億劫だったからだ。(今では人から何か聞かれたら、すべて応じるべきだと思っている。だがその頃は自分の内面を見つめだした時期で、そういう精神状態ではなかった)
 彼が、僕と話したそうにしているのが分かる。でも、どうすることもできなかった。

 そのうち、同じバンドのメンバーであろう若者が、もう一人入ってきた。今度はボーカルだろう。彼ら二人とも、僕と話したそうにしている。謙虚な若者たちで、僕に気を使ってくれているらしく、自分たちから話しかけるべきではないという空気が、ありありと伝わってくる。

 だんだんと、休憩時間が休憩ではなく、緊張を強いる状態になってきた。いったい僕は、何に拘っているのだろう。ただこちらから、親切に話しかければいいだけのことではないか。
「やあ、バンドやってるっぽいね。オレもギター弾いてるんだよ」たったその一言が、言えない。今日こそは言おう、明日こそは話しかけようと思っているうちに、雇用期間が終わったらしく、彼らはいなくなっていた。

 このことは、ずいぶんと長い間、僕の心の中に滓のように残った。僕がしてあげられるはずの親切をできなかったという、この不甲斐なさ。

 ところで元ボクサーは、その無口な態度が反抗的と映ったのか、社員と揉めごとを起こし、自ら職場を辞めていった。僕も実家に長期滞在しなければいけない事情ができ、そこを去ることにした。

 世の中は広いようでいて、時として急に狭くなる。あの二人のバンドマンと僕との間には、共通の知り合いがいたのだった。後になって、彼らのバンドが「毛皮のマリーズ」という名前だと知った。毛皮のマリー・・・・寺山修司じゃないか。なんだ、音楽以外にも話が合いそうだ。あの時話をしておくべきだったとの思いは、ますます募るのだった。

 彼らは精力的に活動しているらしかった。折に触れて、このメディアに無関心な僕の耳にも入ってくる。というより、若い人にしてみたら、人間椅子より毛皮のマリーズの方が断然知名度は上だろう。僕らが停滞しない限り、きっとまたいつかどこかで、彼らとは出会えるに違いないと思った。するうちメジャーデビューも果たしたらしく、これは自分のことのように、本当に嬉しかった。

 再会の日は、意外に早くやってきた。八月、つい先日のことだが、青森の野外イベントで共演することになった。実はスケジュールが決まったときから、僕は彼らと会える日を心待ちにしていたのだった。

 イベント前日、車で青森に向かう。道中も、明日彼らに会ったら何と言おう、まず先年の非を詫びるべきだな、などと考えていた。
 とある福島県の、ごくちっぽけなパーキングエリアに停まった。階段のところに、遠目にもバンドと分かる一団がたむろしている。明日出演する誰かなのかな・・・・マリーズだった。

 偶然とはいえ前日に出会えたことにまず驚き、そして嬉しさが爆発した。もちろん彼らも僕のことを覚えてくれていた。最初に謝り、握手し、語った。それはとても素晴らしい時間だった。

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 イベントとはそうしたものだろうが、普段ご無沙汰している方々と、お話する機会に恵まれる。
 PANTAさんと、久しぶりにご挨拶することができた。
 また、僕らの郷里の先輩、三上寛さんと初めて(!)お話することができた。その時楽屋に居合わせたは、僕とベースの鈴木君と、寛さんの津軽衆のみ。「おめだぢ○○先生って知ってるが?」と、話題はいきなり地域に密着した、地元の恩師の話からスタートしたのであった。

 個人的に、寛さんのレコードは高校時代から何枚も買っており、影響を受けた。あの言葉の持つ破壊力、価値観の転倒。寺山修司のことも、J・A・シーザーのことも、寛さんを通じて知ったようなものだ。(老婆心ながら一言。寺山修司の映画「田園に死す」に、寛さんは出ています。J・A・シーザーは、天井桟敷の音楽担当をしていた方。また、寛さんの詞には、寺山修司の短歌の影響がうかがえます)

 間接的なものも含め、それらの影響の幾つかを。
 学生時代に、ビデオで「田園に死す」を見た。J・A・シーザーの音楽に圧倒され、自分もあのような曲を作りたいと思い、数年後、「賽の河原」の詞を書いた。
 「相剋の家」、2番のBメロの一節──追憶とは破傷風の家出──これは、自分としては寺山修司のセンスで書いたのであった。3番は、むしろ三上寛のセンスであるかもしれない。

 自分が影響を受けた方とお話できるというのは、この上もない幸せだ。

 人間椅子の演奏としては、2ステージ行なったのであった。僕ら本来の演奏と、ローリーのバックバンドだ。長く続けていると、こういう機会も訪れる。
 ローリーと知り合ってからも長い。今から二十数年前、デビュー前のアマチュアバンドを集めるというイベントが、大阪の大きなホールであった。僕らは東京組としてそこに参加したわけだが、関西組の中に、すかんちがいた。ステージを見た瞬間に、衝撃を受けた。ほかのバンドはほとんど覚えていないから、よほど印象が強かったのだ。僕らにはないエンターテインメント性、華やかさ、すべて持っていると思った。正直、かなわないと思った。だからこそ、自分たちは違う方向を目指したわけだが・・・・。

 その後、それなりに交流はあったものの、まさか一緒のステージで演奏する日が来るとは思わなかった。すかんちの曲も数曲共演し、いっそう感慨深いものがあった。

 炎天下の中2ステージ演奏すると、驚くほど体力を消耗するものらしい。日が沈むとともに、暴力的な眠気が襲ってきた。人間椅子チーム皆、くたくたの態である。マリーズの演奏が見れないのは残念だったが、彼らとは前日話することができたし、東京での再会も誓ってある、おじさんたちは退散することにしたのだった。

 帰りがけ、一人の青年に声をかけられた。見覚えのない青年だったが、母方の苗字を名乗っている。僕は田舎の長男坊なので、親戚づきあいが異様に多い。ようようのこと思い出したが、彼はいとこの息子で、彼の祖父、つまり僕の母の兄の葬式で会って以来になるのだった。あの時はまだ中学生だったか。

 今は東京の大学に通っていて、里帰りついでに見に来たのだという。親戚の方から自発的に見に来てくれるなんて滅多にないことだから、不思議な気がした。
 会話は親戚の動向に終始してしまい、肝心なことをいい忘れてしまった。彼はこれを見てくれているだろうか。
「大学では、音楽サークルに入っているんだってね。君は利口そうだから、よもやその心配はないだろうけれども、バンドは趣味だけにしておいてね。そうして、学べるときにたくさん学んで、友だちといっぱい議論をして、青春を謳歌してください」

 僕たちの地元である弘前市に戻り、飯を食った。愉快な一日だったので、まだ話し足りないということになり、鈴木君の懇意にしているロックバーに向かった。
 ドアを開けて、目を疑った。三上寛さんがいた。寛さんの幼なじみだという地元の有名洋菓子店の社長さんと一緒に、うまそうに葉巻をくゆらせている。(そこのクリスマスケーキを食べるのが、地元の子供たちの楽しみだった)二人とも本当に仲がいいらしく、社長さんは「寛ちゃん、寛ちゃん」と呼び、寛さんはしきりと芸術論らしきものをぶっている。今でも抽象的なことを熱く語れる寛さんに、僕は頭の下がる思いがした。

 そうこうするうち、高校の同級生がやってきた。鈴木君に渡したいものがあるのだという。
大きい箱を開けてみると、ジーン・シモンズが弾いていたような、斧型のベースだった。わっと一同盛り上がる。斧ベースを愛でるように、実に嬉しそうに鈴木君が弾きだす。その邪心のない笑顔は、僕が初めて鈴木君と会った、あの中学生の時そのままの顔なのだった。

 いろんな人と出会えた、長い一日だった。
 
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)

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