コラム
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)
「人間椅子」のギター&ヴォーカルとしてデビュー以来、唯一無二の世界観を貫き、多くのアーティストに影響を与えてきた。そのサウンドの要となるのは、確かな技術に裏づけされた独創的なギタースタイル。2013年8月7日に、通算21枚目(含ベスト盤)のオリジナルアルバム『萬燈籠』をリリースした。

第十三回 自然児


 日常の足に、楽器の搬出入のちょっとした助っ人にと、長年愛用してきたスクーターがこの春壊れた。昨年あたりから末期症状は呈し出していて、あちらを直せばこちらが壊れる、タイヤ交換にブレーキ修理、足回りをばっちり直したかと思えばキャブレターがオーバーフローを起こす。キャブのオーバーホールをするが早いか、さて今度はワイヤー類が切れる。
 まるで年を取って、一箇所の手術をしてもまた別の箇所に病気が見つかる、あるいは生活習慣病を放っておくとやがては深刻な病気につながるといったような、つまりは物質で形造られたものにはいずれも寿命があり、そのある一点の寿命が時を同じくして全体に波及していく様をありありと見せつけられているようだった。
 
 乗り物の修理のスパイラルにはまり込んだ人なら分かると思うが、せっかくここまで手をかけたんだからと、往生際悪く乗り続けてしまう。──だいぶん直して、もう大丈夫だろうと思った矢先だ、マフラーに穴が開いて、今や絶滅危惧種の暴走族のように爆音を出しながら幹線道路を疾走する羽目になってしまった──。そんなに一台のバイクにこだわらなくてもよさそうなものであるが、僕のバイクはスクーターとはいえ今後製造されることのない2サイクルで、あの独特の爽快な乗り味は捨て難い。どうも中古のスクーター一台は買えるぐらいの金額が修理費にかかっている気もするが、そのことは考えないようにし、これを最後と、半ばヤケクソでマフラー交換をしシートを張替え、何度目かのキャブ修理をした。

 その三日後くらいだったか、もうバイクはここ数年で感じたことがないくらいに調子が良く、新車時はこうだったかと思えるほどで、ブレーキはカチッと効くしエンジンの吹け上がりも絶好調、その日は天気も素晴らしく、秋葉原までアクセル全開で電子部品の買出しに出掛けた。
 帰り道。駐車場のごく小さな段差で、ガクッとエンジンに違和感。最高速が伸びなくなり、クラッチが滑っているような、明らかに駆動系に故障を抱えた様子。いやーな気持ちになりながら、帰宅。
 次の日。エンジンは掛かるも、さっぱり前に進まない。ついにこの日が来たかと、近所のバイク屋に押して持って行く。(今更だが、この段階でようやく別のバイク屋に行く決心がついた)

 結論からいうと、ミッション部分の故障。修理代を聞いたらまたけっこうな金額で、今後を考えるともはや買い換えた方が金銭的にも精神衛生的にも楽と判断、当該バイクは廃車にすることにした。我ながらいったん決心するとその後の行動は素早く、その日のうちに次なるバイクを新車で注文していた。

 現在の僕が乗り物に求めるのは、まず楽器が積めること、軽快に移動できること、維持費が安いことであって、そうすると自然スクータータイプになる。貧乏人の乗り物というありがたくない称号をいただいている原付二種(排気量50cc超125cc以下のバイク)であるが、前回僕が乗っていたのも90ccのスクーターであるし、その利便性は骨身に沁みている。今回も迷うことなく、原付二種のスクーターを購入することにした。

 実のところ、バイクを新車で買うのは初めてである。今までミッション付のオートバイを乗り継いできたこともあったけれど、皆中古か知り合いから安く譲ってもらったものばかりだった。荷物の普通に積めるごく地味なスクーターを僕は注文したのだったが‥‥あれ、なんだろう‥‥納車待ちの間、今まで感じたことのないワクワク感に僕は浸っているのだった。このバイクはけっこう積載能力があるし、エンジンも4サイクルで燃費、耐久性とも良さそうだから、ツーリングができるな‥‥ここにシュラフをつけてここにテントを積んで、コンロや雨具類はここいらに‥‥いつの間にか楽器の運搬という本来の購入動機から外れて、僕はツーリングメインの使用法をこのスクーターに模索し出しており、気がつくと、だいぶくたびれの出てきたシュラフを買い換えるのを筆頭に、様々のキャンプ用品をアマゾンにて注文しているのだった。

 とこう書くと、いかにも僕は旅行好きのようであるが、いわゆる名勝の地に足を運んだり名物料理に舌鼓を打ったり‥‥などといった一般的イメージの「旅」にはあまり興味がない。ただ自分で乗り物を運転して、どこか遠くに行くのが好きなだけであって、泊まるところも、設備の整ったホテル、旅館ではなく、野宿、キャンプ場、なるたけ日常から乖離した野外が望ましい。
 30代の一時期、まだ車を所有していた頃、実家(青森)への行き来は車で行なっていたのだったが、高速道路の単調さにだんだんと嫌気が差し出して、いくら時間が掛かったっていいやと、結局一般道で道草をくいながら車中泊で帰るようになった。

 実家への往復といえば、20代前半の頃は野宿をしてのオートバイによる帰省を常としていた。ある時愛車を盗まれ、見かねた友人からスーパーカブ(50cc)を譲ってもらった。「よし、俺は原付で田舎に帰ってやる!」と、何度かカブで東京、青森間を往復した。調子に乗って、真冬の厳寒期にチェーン持参で青森に向かったことがあったが‥‥岩手県の山奥でとっぷりと日が暮れてしまい、車が一台も通らない中しんしんと雪は降りしきる、時速は20km/hも出せない、何度も滑って転倒し、正直あの時は遭難するかと思った。辛くも日付が変わってから実家に辿り着けたものの、東京への上りの道のりは自らの敗北を認め、運送屋さんにバイクを運んでもらった‥‥。

 つまり自分は旅に快適さ、慰安を求めるというより、ちょっとした冒険、放浪、困難、孤独──確かに一人旅には自分探しの趣きがある──そういったものを求めているのだろう。さらには自然、アウトドアだ。
 とはいえ、僕は筋金入りのキャンパーというのでもない。日本一周したこともないし、野宿ライダーの聖地北海道には、旅行としては高校生の頃自転車で一度行ったっきりだ。放浪者になりきるには、バイタリティ、底抜けの人懐っこさ、楽天性、何か決定的なものが自分には欠けている気がしてならない。若い時から僕は、他人と会話しなくてはならないユースホステルなどは極力避け、キャンプ場の隅っこや、無人のドライブインのベンチ、変哲のない山あいの道端などに、ひっそりと泊まっていたものだ。

 そうして、ある時期僕が精神的苦境のただ中にあったとは、このコラムにしつこく書いてある通りだが、あの頃自分は一般に感動を与えるとされているものに近づくことができなかった。近づいても虚しさを覚えるだけだろうと思えたし、その資格すらないと思えた。(当時の心の脈絡については、ほかの頁を参照してください)個人的に旅行をすることも、もうないだろうと思った。実際、30代の終わり頃から長距離の旅は何年もしていないのだった──。

 それが、バイクを買い換えると決めた途端に、半ば忘れかけていた旅への憧憬がむらむらと湧き起こってきた感じだ。何だろう、ようやく準備が整ったかのような──あの時、一つの精神的転回を果たした時から、確かに自分は世界に心を開けるようになったのだ。相変わらずよそよそしいと感じることも多かったけれど、とにかく否定はしない、愚直に面と向かう。そうしたら、少しずつ少しずつ、本当に気がつかないぐらいに、世界が近付いてきた。親しげになった。──自分は、もう旅に出ても楽しむことができるだろう。バイクが壊れたのも、吉兆とさえ思えるぐらいだ。

 
 スクーターが納車されるや否やあっという間に慣らし運転を済ませ、まず長距離ツーリングのリハーサルをすべく、奥多摩にキャンプに行った。
 なんだかんだいって少し先にはライブの予定もあり、キャンプをしつつギターの練習もしたい。いい方法はないかと思っていたところが、僕がお世話になっている神田商会で、その名も TRAVELER GUITAR という商品を扱っていることを知る。旅行カバンに入る大きさなのに、ネックはギブソンと同じミディアムスケールというのが有り難い、早速 Speedster(スピードスター)というモデルの赤色を入手した。

 TRAVELER GUITAR をバイクにくくりつけ、意気揚々と奥多摩に向かった。素晴らしかった。ただ自然の景色の中を走ること、ただ山に泊まることがこんなに素晴らしいものだったとは。
 渓流沿いにテントを張り、ギターを爪弾く。川の水音がうるさくてギターの音色がさっぱり聴こえないが、気分は自然とのセッション、上々だ。飯ごうで玄米を炊き、缶詰と生野菜をおかずに喰う。うまい。星明かりの下、渓流を眺めながら酒を飲む。テレビなんかを見ながら食事するのとは比較にならないぐらいに(今もう僕はテレビを持っていないが)、幸せな気持ちになる。時の経つのも忘れて、あぁ酔ったなーと思ったら、ワインを2本空けていた。

 そうだ、自然だ。自然は乱暴でもあり優しくもあるが、僕は自然の中にいることによって幸福感を覚えるのには違いない。

 
 話はだいぶ横道にそれるが、昨年、アルバム「此岸礼讃」の曲作りをしていた頃、それはまさに震災直後のことだったが、アパートの隣人が常に部屋にいるようになった。震災の影響で職でも失ったのだろうか、とにかく四六時中在宅している。隣人は花粉症らしく、ひっきりなしにするクシャミの物音で、それと知れた。安普請のアパート住まい経験者なら分かってもらえるだろう、壁などあってないようなものだ、隣人のクシャミなどすぐそこでしているように聞こえ、それはつまりこちらの物音も先様に筒抜けということだ。
 困った。今までは向こうのいない頃を見計らってギターの練習なり曲作りなりをしていたものだが、こう部屋に居座られては何もできない。気にせず弾いてみようか──試しに軽くギターソロなんかを練習してみるが、やっぱり壁をトントンとやられる。僕も神経質なところがあるが、先様もかなりのものだ、いや、そもそも賃貸の部屋で、麻雀、楽器演奏、酒盛り、その他騒々しいことをしてはいけないというのは、昭和のレトロアパートに住む者の常識だ。僕としても無用な争いは避けたい。
 が、黙っていてもさっぱり曲作りは進まないわけで、なにより、震災直後の今だからこそ、死力を尽くしてでもアルバムは完成させたい。さてどうするか──。

 苦肉の策として、自室内に即席のブースを作ることにした。
 まず第一案として、押入れ。ちょうどいい塩梅に収納が上下二段に別れていたこともあり、下側の押入れの中身を取り出し、吸音材と称して内側に毛布を張り巡らせ、そのままでは真っ暗なので裸電球を中に引いた。早速MTRとギターを持ち込んでみる。天井が低くて頭がつっかえるが、ギターが弾けないこともない。がそれより10分も籠もっていると、酸素不足なのかだんだんと息苦しくなってくる。自分は閉所恐怖症との自覚はなかったが、気持ち的にも息が詰まりそうで、全然リラックスできない。おまけに押入れの向こうの空間から、「クシュン、クシュン、ブゥーッ」と鼻をかむ音が聞こえる。このブースは失敗だ、撤収──。

 やはりある程度の広さを持ちつつ、できるだけ隣室からは離れていて、願うことなら独立した空間で扉があって‥‥そんな都合のいい物件があるものかと思ったが、あった。トイレだ。
 もう後がないと思ったから、入念にブース化の作業を進めた。何層にも毛布を壁に這わせ、ドアの隙間にはスポンジを貼り付け、ホームセンターで買ってきた板を和式便器の上に敷いた。楽器は板に座って弾き、用を足す場合はその板を外す算段だ。ブース作りに丸一日を費やしてしまい、その日は軽く楽器を弾くといった程度。おのれの臭気とはいいながらややアンモニア臭く、また予想より横幅がないため琵琶法師のような体勢でしかギターが弾けないが、致し方ない。ついでにいうなら、便所でギターを弾いているというその構図が、何か後ろめたいことでもしているような、大変に惨めな気持ちを誘うけれども、これもやむを得まい。

 次の日、それでも楽器が弾けるだけ有り難いと、神妙な面持ちでトイレに籠もる。ようやく興が乗ってきたと思った矢先──「ハックション!」作為的とさえ受け取れるほどのハッキリした発音で、廊下に面したトイレの窓の向こうから、クシャミの音が二度ほど聞こえた。‥‥万事休す‥‥上京してからこの方、物音がうるさいと苦情をいったこと、いわれたこと、逆に説教されてしまったこと、アパートの前のオートバイが邪魔だと隣のご主人にこっそり倒されてしまったこと、談判しに行くとしらばっくれられてしまったこと‥‥今までに経験した隣人とのトラブルの数々が、走馬灯のように頭を駆け巡った。
 勿論窓の外からの隣人のクシャミは故意ではなく、偶然かもしれない。僕が被害妄想的なだけかもしれないが、いずれにしろこんな遠慮しいしいの気持ちでは曲作りに臨めない。雪隠ブースはたった二日で臨終を迎えた。

 万策尽きた。しばらくの間、茫然としていた。‥‥お前は何をしたいのだ。一刻も早く、創作だ。だったらなりふりを構っている場合ではないだろう‥‥万策が尽きたと思えたその瞬間に、実は無限の可能性が秘められていることに気がついた。そうだ、誠実なやり方から、姑息狡猾な方法まで、いくらでも方策はある、可能性は無限じゃないか!だったら俺は俺のやり方で進むのみだ、インドアが駄目ならアウトドアだ!
 思い立ったが吉日、僕はギターを背負い、簡易テレコをポケットに入れ、颯爽と外へ足を踏み出した。

 それからはしばし流浪の民となった。無人のコインランドリーでギターを弾いたりもした。やがて自然の中が一番心が落ち着くということに気が付き、とある公園がお気に入りの場所となった。人気のなくなる深夜と早朝に、好んで出掛けた。あの頃は本当に日参したものだ、そこに生えている木々のどれもが素敵だった、そしていつしか複雑で味わいのある枝ぶりをした一本の木が顔馴染みのようになり、いつもその木の下に座ってギターを弾くようになった。

 月に照らされて、猫が踊っている。遠くの池で、パチャンと魚の跳ねる音。
 夜がしらじらと明けるとともに、鳥が鳴き、獣が鳴き、順々に生き物が声を上げていく。その美しい情景の中に自分もいるという幸福、その場面の中で、精神から発露したイメージをつかまえ、肉体を使って創作を行なえているという喜び──飽きることなく、何時間でも座り続けた。「胡蝶蘭」「今昔聖」の基本となる部分は、その木の下で作った。

 ──自分は、何も貧乏話、苦労話をしたくてこれを書いたわけではない。いや、人によっては、いい年をしてまだそんな生活をしているのか、と嘲笑される向きもあるかもしれない。それで結構。ただ僕としては、幸福に不可欠とされる金銭、物質的に豊かな暮らし、そうしたものは実は不可欠ではなくて、多少足りなくとも、本人如何でまったく幸福になれるということをいいたかったのである。困難、苦労、それさえも、自分がどこに行きたいのかを気付かせてくれるまたとない機会だろう。選択肢は無限にある。

 ところで隣人の「クシャミ」君だが、ちょうどアルバムの録音を終えたあたりに、田舎から母親が迎えに来て、まるで連れ去られるかのように引っ越していった。実家は西の方と聞いた。
 もう気がねしなくてもよくなったわけだが、アウトドアでギターを弾く楽しさ忘れがたく、その後も公園通いは続けている。(今では行動範囲が広がって、あちこちの森に神出鬼没だが)あの木には、折々感謝の言葉を述べている。アルバムが完成した直後だったか、大酒を飲んで酔っ払い、ふと気付いたら件の木を抱擁し接吻していた──。

 
 本題に戻る。何が本題なのか、だいぶあやふやだが、自然への郷愁、ツーリング趣味の復活、そういったあたりだろう。

 奥多摩の一泊で野宿の勘はほぼ戻ったと見なし、今年のお盆の帰省はキャンプをしながらのツーリングで確定。実家は青森県弘前市、東京から新潟に出て、日本海周りで帰ることにした。
このルートは車でも何度か通っているとはいえ、今回は車中泊でなし、前もってキャンプ場の下調べをしてから臨んだ。

・一泊目:新潟県魚沼市のキャンプ場

 新潟には和島村というところがあり、どうも特別の郷愁を感ずる。景色も、高低さのダイナミズム、新緑の濃淡、すべてが生命力に溢れていて、個人的には新潟の田園風景は日本一だと思っている。(全国を旅していないのにいうのもなんですが)その田園も田園、コシヒカリの故郷魚沼です、もう日本の原風景というのか、涙が出そうになるくらい美しい景色、右を見ても左を見ても絵になる、うっとりとしながらキャンプ場に入る。先客は家族連れが一組、ほぼ貸し切り。興奮のあまり、管理人さんの「ブヨが出るから防虫スプレーはした方がいいよー」の一言を聞き流す。テント設営中、腕がチクチクするなあと思っていたら、手から足から大量のブヨに喰われる。以後ひと月以上痒みに苦しめられる。(今でも痕が残っている)自然をなめてはいけません。

・二泊目:秋田県鳥海山五合目のキャンプ場

 最初泊まろうとしたキャンプ場は、熊が出るのでお勧めできません、と管理者(自治体)に断られる。鳥海山五合目のキャンプ場は、予約不要とのことなので、行ってみることに。ちなみに宿泊費も無料、かなりの野趣を期待させる。
 下界で買い物を済ませ、山に登る。原付二種だけれど、モリモリ登る。そこは登山道入り口のキャンプ場、目と同じ高さに雲がある。
 斜面の際にテントを張る。手を伸ばせば鳥海山、絶景かな──。ほかにはお年寄りのグループが一組、またもほぼ貸し切り。そうして夜になると満天の星空だ、天の川が壮大に夜空を流れている。ワインが進んだ。勿論 TRAVELER GUITAR も弾いた。

 弘前市から東京への戻りは、次の予定が入っていたりしたので、最短距離の太平洋側を選んだ。途中一泊の野宿はするつもりでいたのだが、だましだまし道の駅などで休憩を取り、結局一睡もせずに28時間かけて東京へ着いた。なんだか以前より無茶をしている気がしなくもない。これは自分がタフになったというより、ミッション付きのオートバイに較べて、スクーターの方が格段に疲労度が少ないということの証明だろう。

 
 ──どうやら今回は自身のツーリング解禁にはしゃいでしまっているせいか、いつになく話が長い。いい加減終わろう。最後に、つい先日キャンプに行った、木曾の御嶽山の話を。

・二泊連泊:長野県木曾御嶽山四合目のキャンプ場

 先月「木曾鼓動」という野外フェスに出させていただいた。イベントの場所自体がキャンプ場であるし、周辺にも幾つかキャンプ地がある。これはツーリングにいかいでか!

 東京から国道20号線を延々と走るのは、今回が初めて。大垂水峠を過ぎ、いよいよ甲州路といった山並を走る。新潟あたりのダイナミズムとはまた違った、均整のとれた稜線の連なるとても美しい景観だ。途中、独り酒盛り用にと、勝沼でワインを買う。
 長野県塩尻市に入る。どうやらここもブドウの名産らしく、やたらとワインの看板が。たまらず、またもや独り酒盛り用にワインを購入する。
 イベント会場を通り過ぎること小一時間、御嶽山のキャンプ場は、山奥にもかかわらずかなりの充実度。利用客も多い。皆楽しそうにバーベキューなどしているが──こちらは明日本番なので、酒は控え、ギターの練習をして眠る。

 フェス当日。山の中で、大音量で音楽を演奏して、こんな楽しいことをさせてもらっていいんだろうかというぐらい、素晴らしい体験だった。山と自然に向かって、自己を解放したかのよう。ちょうど陽が暮れ、ライトアップされた木曾の山あいが、いっそう幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 メンバーともお客さんたちとも、仲良く時間を過ごした。そうして僕は再び山へ──。
 
 夜更けの静まり返ったキャンプ地の中で、独り酒盛りの開始だ。今日の演奏を振り返り、ここまで辿ってきた甲州路、中山道を反芻する。時おり白樺の森を夜風が吹き抜け、その木立のゴオッという音が自分のぐるりを回転する。空には満天の星、ひっきりなしの流星だ。こんなに満ち足りた、幸せな瞬間があろうか‥‥。勝沼ワインを飲み、信州ワインも飲み、どうにも幸せな気分が止まないので、さらに自然に溶け込んでみようと坐禅を組んだ‥‥。

 ‥‥と、もうお昼近い太陽に照らされ、蒸し暑くなったテントの中で目が覚めた。昨夜どうやってテントに潜り込んだものか、まるで記憶がない。不意に体に痛みを感じた。見れば、これまた覚えのない擦り傷や生傷が、あっちこっちに出来ていた。
 

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和嶋慎治(人間椅子)

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