コラム
少年は音楽と恋に同時に目覚める
嘉門達夫
83年デビュー。「小市民/鼻から牛乳/替え唄メドレー」などヒット連発。第6回 日本ゴールドディスク大賞受賞。大阪城ホール/日本武道館公演やNHK紅白歌合戦にも出場。『時代の観察者/言葉の魔術師』異名をとる。テレビ東京ネットのお子様バラエティ番組「ピラメキーノ」で「アホが見るブタのケツ」シリーズがオンエアとなり、お子様人気沸騰中!!12/14にはシングル「アホが見るブタのケツ~ベスト~/鼻から牛乳~キッズバージョン~」発売。最新CDアルバムは「“青春”のさくら咲く~スクールセレクション~」。2012年1月~ツアースタート。詳しくは http://www.sakurasaku-office.co.jp/まで。

第8回「喫茶店に身を置いて」


喫茶店は僕らの社交場だった。大阪の茨木という小さな町にも、僕らにとって重要なサテンがいくつかあった。そんなサテンでどれほどの時間を過ごしただろう?今回はそんなサテンの風景を思い出しながら、、、

FILENo.22「BLUES TEAROOM UNCLE」

ブルースを聞きたくなったら もうこの店しかないね

僕らの最後の心のふるさと ブルースティールームアンクル

黒い扉を開けると もうそこはブルースの世界

ひげのマスターこんにちわ サイフォンコーヒーお願いします

マディーウォーターズもスリーピージョンエスティスも グレーのカーペットにしみこんでる

目をつぶれば思いはシカゴへ飛んでゆくこの泥くささ

黒いカウンターに腰を下ろして コーヒーカップを口に運べば

のどにコーヒーがしみわたる ブルースティールームアンクル

ひとりでいるのが むしょうに寂しくなったら

誰かを誘って行ってみようよ ブルースティールームアンクル

明るい住宅地の中には 治外法権ブルースの世界

ブルースを知らない人でも ブルースがすきになる

マディーウォーターズもスリーピージョンエスティスも グレーのカーペットにしみこんでる

目をつぶれば思いはシカゴへ 飛んでゆくこの泥くささ

せち辛いこの世のうさを パッと晴らしてくれる

あんたも一度行ってごらんよ ブルースティールームアンクル

考察:アンクルには本当にいろんな事を教えてもらった。近くの中条公民館でファーストコンサート{友人と3人「GIV(ギブ)」というユニット(明らかに「GARO」の影響)を開いた中3の時、マイクスタンドを借りに行ったのが最初だった。「喫茶店モノ」の教科書は「加川良」さんの「白い家」という歌だ。喫茶店の事を歌うのがカッコよかった。アンクルは数年前に茨木を離れ、現在は兵庫県猪名川で健在。昨年初めて訪ねたが、アンクルらしさを継承していて嬉しかった。

FILENo.23「駅から離れた喫茶店」

僕がよく行く喫茶店は 駅から離れた小さいお店

人ゴミ離れたたたずまいに 今日も光がはじけます

ねえさん 早マクで コーヒーをもう一杯

おしぼり持つ手が 笑っています

やさしい微笑みその中に 小さな幸せ感じます

僕がよく行くお店の中は グリーンの天井グリーンのイスに

小さなカウンター小さなドアにゃ 淡いロックが似合います

ねえさん 早マクで コーヒーをもう一杯

おしぼり持つ手が笑っています

交わす言葉も軽やかに 明るい笑いが流れます

考察:これは、高校からチャリで10分くらい走ったところにあった「TEA ROOM TOM」が舞台。「早マク」は、落語の中で松鶴師匠が使っていた言葉で「急いで」という意味。明るい店内、明るいおねえちゃん。よく通ったお店。なんかそんな雰囲気を歌いたかったのだろう。

FILENo.24「今、何かを…」

町はずれの小さな喫茶店 流行歌が静かに流れて

さめたコーヒーを口に運んで 俺は今思ってる

今、若い今何かをしなければ それはよくわかっているけれど

そう思うのはいつもの事だけど 自分でもよくわかってるつもりだくれど

ついつい自分に妥協してしまい 今が楽しければそれでいいなんて

その場限りの甘い考えで 自分をまるめこんでしまう

自分をまるめこんでその時は 楽しく過ごせても

時々ふとこんな喫茶店なんかで 静かなムードでコーヒーを飲んでる時なんかに

俺の心の中の何かが 俺の目をさましてくれる

今何かをしなければ 今、若い今何かを

考察:この段階で僕に「何」が出来ていたのだろう?確かに「何か」をしなければ!とは思っていた。それはねーちゃんの目を意識してのパフォーマンスだったのかもしれない。16歳だった僕たちは、20歳の「サンドイッチパーラー ペルル」のお姉ちゃんに夢中だった。僕も中澤も高倉も大森もガマもみんな、ペルルのねーちゃんに恋をしていた。年上で、何故か横浜から大阪のローカル都市、茨木に流れて来た関東弁を喋るキレイなねーちゃん。ねーちゃんは僕の中澤が作った歌に対して、真摯な感想を言ってくれた。同級生達のリアクションに物足りなさを感じていた僕たちの第一のリスナーは、ねーちゃんになった。「この歌はここの歌詞がいいわねぇー」「この気持ちわかるわぁ〜」などという感想を聞きたくて、僕らは座敷犬が客の足にしがみ付いて猛烈に腰を振るように歌を作ってはねーちゃんに届けた。

あれから30年余り。ずっと行方がわからなかったねーちゃんと僕は2006年、とある個展で再会した。ねーちゃんは結婚し、双子の女の子を産み育て、離婚してちょっとスピリチュアルな絵を描くイラストレーターになっていた。2007年年末に一緒に寿司を食った直後、2008年正月にねーちゃんのマンションが火事になり、作品のデータがすべて焼失してしまったと聞いた。ねーちゃんは、人を頼って知床半島の羅臼に移ったと言う。僕は、婚約中だった奥さんと、夏に羅臼を訪ねて、ねーちゃんの風来坊ぶりに眩しさを感じ「達夫クンをよろしくね!」と奥さんは頼まれ、その後僕らは結婚した。そんなねーちゃん、今は札幌にいるらしい。ブログから察するに、いろいろ複雑な運命を背負って、奮闘しているみたいだ。あの日ペルルのドアを開けたみたいに、札幌に行ったら連絡してみようと思う。

つづく。