第5回「社会派気取り」
今もレパートリーに「その時代の中で歌うリアリティー」というジャンルがある。時代を背負って時代を嘆けば大衆が拍手をしてくれるという構造、風潮は今も昔も変わらない。高校に入学した僕は、吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水、西岡たかし、加川良、金森幸介などの歌を聞き、その世界の中に流れる社会風刺性に影響を受けてその真似事を始める。今回は16歳くらいの僕が、とても背負いきれない時代を、ちょこっと背負ってみた歌達。
File NO.13「おいらは気楽なおとこです」
世間じゃインフレだとか 内閣改造だとか 会社がつぶれただとか
毎日毎日偉い人達が あわてふためいている
やれ金脈だ やれ赤軍派だ やれ連続女性暴行事件だ
だけどだけどおいらにとって あんなものは馬の耳に念仏
そうさ おいらは気楽な男なのさ ギターさえあれば
そうさ おいらは気楽な男なのさ 歌っていれたらそれでいい
その日その日をなんとか 暮らしていけたら満足だし
べつにイイカッコしなくても ジーンズとズックで充分だし
友達見ればいつも 横に女の子連れて
にやけて歩いているけれど いいのさ恋なんていつでも出来る
そうさ おいらは気楽な男なのさ ギターさえあれば
そうさ おいらは気楽な男なのさ 歌っていれたらそれでいい
考察:田中角栄さんの時代だ。社会派を気取って歌っているけれど、「ギターさえあれば」なんて吟遊詩人を気取っていたりもする。だいたい大阪の人間が「おいら」なんて不自然だし。多分長渕さんの「おいらの家まで」のパクリだと考えられる。ツメは甘々だが、やりたい事がわからんでもない。
File NO.14「都会の汽車ポッポ」
今日はなんと大阪ー京都間を 蒸気機関車が走るという
汽車が姿を消したので ファンへのサービスだという
高層ビルと排気ガスに囲まれた大阪駅を
昔北海道で活躍していたという汽車はファンを乗せて
隣のホームではブルーやオレンジの電車が忙しそうに行き来している
汽車の煙と汽笛に 忙しい都会の人達も
ふと目を見張り そして昔汽車が走っていたころの
懐かしい想い出に酔いしれるのだった
電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を
汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は
汽車が走る線路ぎわでは汽車というものを見た事がない
小さな子供が目を見張り 驚きの声をあげるのだった
その横では写真ファンが 汽車をカメラで写そうと
三脚を立てレンズを磨き シャッター押す音高らかに
そのまた横では大人たちが 久しぶりに走る汽車を見て
昔 あの頃を思い出すのだった
電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を
汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は
汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る
汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る
汽車はやがて京都駅に着き 降りてきたお客は満足そうで
嬉しそうにはしゃぎまわる 子供の姿もチラホラと
みんな口々に あーよかたと やっぱり汽車はよかったと言うのだけれど
あしたからは毎日毎日電車に揺られ 通勤し
汽車の事なんか忘れてしまうのだ
電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を
汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は
汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る
汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る
考察:今でこそ全国のあちこちで観光用の蒸気機関車が運行されるようになっているが、1975年当時は、SLがこの世からまったく姿を消すと思っていた。実際にこの時、大阪―京都間をSLが走り、僕も見に行った。デジタルに移行しつつある時代の中をのどかに走る汽車を見て、ちょっと「高田渡」的に歌いたかったのだろう。
File NO.15「今昔物語」
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって
春になるとよくちょうちょが 遊びに来たものです
菜の花のカーペットの上を行き来する
ちょうちょを見ながら 走り回ったものです
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって
隣のおばあちゃんが よく花を植えてました
はる、なつ、あき、ふゆ いつ見ても
おばあちゃんは満足そうでした
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって
その上を踏んだり 花を折ったり
いちごを盗ったりしては 叱られたものです
今では叱る人さえも いないのです
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には田んぼがあって
夏の夕暮れになると カエルが騒いだものです
やっとみつけた 卵を持って帰っては
おたまじゃくしに孵し
そしてカエルになったら田んぼに返してやったものです
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には田んぼがあって
干し藁の上に乗っては はちまき姿のおじさんに
怒鳴られては逃げ また乗っては怒鳴られ ただそれだけの事に
スリルを感じたものです
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には木が立っていて
セミが鳴き比べを していたものです
むしかご、むしあみ、むぎわらぼうし
ビーチサンダルで 走り回ったものです
そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には緑があって
走り回るだけで 日が暮れたものです
そう今からちょっと昔には
泥んこになれる最高の遊園地があったのです
今はもう畑も田んぼも木も土も あとかたもなく壊されて
灰色の世界に 自動車がいっぱい並んでます
春のちょうちょ、夏のセミ、カエルの声、秋の干し藁ごっこ
みんなみんな遠い遠い 昔のように思えるのです
考察:開発→自然破壊=悪。と思っていて、それを風刺した歌だ。実際に僕の家の前には畑や田んぼがあったし、わりと無理せずありのままを表現している。まだまだバランスも悪いが、少しずつ自我を表す芽が出始めている。
つづく