コラム
中国ロックと中国社会
ファンキー末吉
1985年爆風スランプでデビュー後、日本の音楽シーンに大きな影響を与えるドラマーとして君臨。1990年からは中国での音楽活動もスタート。 ドラマー以外にも、ソングライティングやアレンジ・プロデュースを多く手掛け、その多大な功績により数々の賞を受賞。現在も頻繁に日中を行き来し、音楽的な掛け橋として唯一無二の存在となっている。

第8次 中国ロックの空洞化/中国ロックの未来


◆中国ロックの空洞化

どんな高尚な人間であろうと霞を食って生きてゆくことが出来ないのと同じように、音楽だロックだと声高に叫んだとしても、その産物が商業的に売れないと生活も出来なければ、そもそもその作品を発売して人の耳に届けることさえままならない。

ある者は零点に続けとばかり、音楽性を捨てて売れることに邁進し、ある者はそれについてゆけずにアンダーグランドに埋没した。ここに中国ロック界は大きな空洞化現象が定着し、その空洞は現在でも埋められていない。若くて元気のよいポジティブパンクバンドとしてデビューした花儿(ホアー)は、今ではMTVやメディアでも楽器は弾かず、メンバー全員が踊りを踊って歌うアイドルバンドに成り下がっている。

この空洞化が続く大きな原因は中国の音楽市場にある。

中国でレコードを買う大部分の人間はその人口の80%を占めると言われている「農民」である。当然ながら新しいリズムやアレンジを聞きわける耳を持っていない。彼らにとって大事なことは、「1、歌がうまくて」、「2、歌詞が泣けて」、「3、テレビにもよく出てみんなが知る有名歌手であること」だけである。ロックを支持する層と言うのはその大部分が学生を中心とした知識階級の若者なのであるから当然ながらその市場は非常に小さいと言える。

その昔、崔健黑豹を聞いて拳を振り上げた人民達は、今では自分が人に続いてもっと金持ちになることに忙しく、今ではそんなメッセージには耳も傾けない。当時は革命の歌か甘ったるいラブバラードか、もしくは新しく登場したロックと言う変わった音楽かしかなかった音楽市場も、今となってはあらゆる音楽が氾濫し、その大部分の人民はその溢れる情報の波に乗り切れず、結局は肌になじむ古いタイプの音楽を好んで聴いている。

例えばレコードの値段が世界一高い日本などでは、アンダーグランドと言ってもそこにれっきとした市場が存在する。それがそんなに大きなマーケットではなくても、それほど自分を曲げなくてもある程度のビジネスとしてその音楽をやり続けることが出来る。ところがここ中国ではそのマーケットがあまりにも小さいのである。金を稼ぐためには歌謡曲に徹するしかなく、純粋なロックをつらぬくには相当な貧乏生活を覚悟するしかない。一時の「ロックの青田刈り現象」はここに来てロック界に大きなダメージを与えているのである。質の悪い商品を量産してしまえば、その商品はその後決して売れることはないものとなってしまうからである。

◆中国ロックの未来

中国ロックが衰退してから既に10数年の歳月が流れ、その状況に大きな変化は現れていない。一部の熱狂的なロックファンが話題にする誰も知らないアンダーグランドバンドが生まれて消えてゆき、ロックを捨てて金儲けに走る数少ない成功したバンドがいくつか現れては消えてゆく。それだけである。私自身あまり中国ロックに大きな希望的観測を持ち合わせたりはしないが、もし大きな変化があるとしたら、それはこの大きな経済発展の中で生まれた新世代の金持ち達によるものではないかと考えている。

カースト制度にも似たこの中国の貧富の差は既に大きな社会問題になって人民の上に大きくのしかかっている。

貧乏人は永遠に貧乏、儲けるのは金持ちばかり。しかしその金持ち達にも大きな悩みがある。貧乏から抜け出すために死ぬ思いでそのカースト制度をようやくの思いで一段上ってみれば、そこには今の自分よりももっと金持ちばかりがいて、結局は自分は一番貧乏なんだと思い知らされる。上を見れば限りなく金持ちがいて、下を見ればもう二度と落ちたくない貧乏な世界が広がっている。人生とは一体なんなんだろう・・・

そんなある種の金持ち達の中に、昔ロックを聞いて育った人間も少なくない。今政治や経済を動かしている若い世代はまさにその世代なのである。終わってしまった黑豹たちを何とかするのも無理だし、政治的に問題が多いので崔健を再びメインストリームに引っ張り上げることは到底無理だとしても、自分が再び心を動かされる若いバンドにその富の一部を投げ出してあげることは簡単なことである。

このような人たちが自分たちの小遣い程度を投資してデビュー出来た若いバンドも珍しくない。青田刈りによる質の低下を払拭する高レベルの制作も可能である。有名歌手のように大きなプロモーションは無理でも、質のいいものをコンスタントに出してゆくことぐらいは出来る。そして地方にもそんなロックを愛する金持ち達が金にもならないライブハウスを開いたりしている。アンダーグランドなりにロックをやる土壌は整ってきているのだ。

これは決してメインストリームな現象ではない。しかしロックの底上げと言う点では大きな流れだと思う。現在の空洞化を埋めメジャーとアンダーグランドのギャップを埋める役割を果たしてくれる動きだろうと私は思う。

ロックとは何か、それは決して反体制だからロックだと言うのではないと私は述べた。ロックも含め、全ての音楽はその時代を映し出している鏡のようなものだと私は思う。

中国社会が解放され、抑圧された人民達が崔健の音楽を聞いて拳を振り上げた。そして人民はそんな昔を忘れ去って富を得ることに邁進している。しかし誰しもその頭で描いた「幸せ」を享受していない。この社会は永遠に矛盾に満ちていると誰もが感じている。

その全ての人民の気持ちを代弁する若いアーティストが現れて、また人民達が熱く拳を振り上げる時が来るのかどうか、私はここ北京でそれを見届けてゆきたいと思う。