コラム
新橋より愛を込めて〜新サブカルの勧め
ダディ竹千代
超絶テクによるコミックロックを炸裂していた「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」のリーダー。 解散後は裏方ワークをこなし、現在はライヴハウス「新橋ZZ」を経営。旧世代から新世代まで、ロック継承の活動をおこなっている。

おとぼけ1


19歳の夏だったんだと思う。オイラはカルメンマキ(以下マキ)&OZを引き連れて銀座のビアホールに出演していた。オイラはマネージャーといってもいわゆる楽器運び、今で言うローディーだ。浪人なのに大学を受ける気が萎えていた。どこでそうなったのかな、元々渋谷の『ジャンジャン』(もうないライブハウス)にはよくライブを見に行っていたんだが。

お目当てはクリエーションだった。いわゆるニューロックの夜明けか、クリームばっかり聞いてた。竹田和夫のプレイがすごくて、結構通っていた。そのうちなんだかこんな事になってしまった。

OZのギターの春日博文(以下春日)とオイラは同級生で、一緒によく見ていたのだが、知らない間に春日マキとバンド組むことになっていた。ドラムが樋口マサユキ(以下樋口)でベースが鳴瀬喜博(以下鳴瀬)、このメンバーでビアホールでハードロックやっていた。

踊り子さんもいたんだが、踊れるわけないような曲やっていた。大半の客は耳塞いで聞いてたと思う。マキ目当てに来た客は、驚いてたんじゃないだろうか。一応あの『紅白歌合戦』に出た歌手だ。そりゃフォーク歌手だったのがいきなりジャニスジョップリンだもんな……。その頃ジャニスジョップリンなんぞ誰もしらない。

客の苦情を聞くのも仕事だった。ただ店長はロック好きだったんであまり怒られなかったような記憶がある。対バンドが宇崎竜童(以下宇崎)さん率いるダウンタウンブギウギバンドで、OZが客にブウブウ言われた後を本当によくのせてた。今だに宇崎さんには頭があがらない。

ビヤホールは少しくらいの雨でも営業していた、雨が降ると客はぱったりでもだ。客のいないステージをダウンタウンブギウギバンドと繰り返し繰り返しやっていた。4ステージずつくらいだったかな。宇崎さんは全然へこたれない人だった。客がいなくてもなんのそのだ。

ひと夏の営業が終わりしばらくして、ダウンタウンブギウギバンドがデビューしたと音楽誌を見て知った。バンドがデビューなんてとても考えられない時代だった。だいたいまだバンドの数が少ないや、GS(グループサウンズ)以降の日本のバンドって数えるくらいだったのではなかろうか。

洋楽ファンがまだ日本のバンドを馬鹿にしていた頃というか、日本にロックバンドが全然知られていなかった頃、お仕事探すのがたいへんだったワ。コンサートと呼べるものは学園祭ぐらい、まずイベンターという名前がなかった。PA会社もない、照明会社もない、ライブハウスもあったかなー。

ロックのマネージメントなんてどうやるんだろう?内田裕也さんが孤軍奮闘していたが何がなんだかわからなかった。『日比谷野外音楽堂(以下野音)』で100円コンサート……。どうやって経費を捻出しているんだろうとか考えたこともなかった。

一度会場押さえの為に抽選会に並ばされたことある。なーんという会場費の安さ。まだ誰でも『野音』が借りられた頃、ベトナム戦争も終わり学生運動も収束し会場を借りる人もいなかったんだろう。日本のロックの黎明期というんだろうか、ギターのケースをもって電車に乗ったら奇異の目で見られていた時代。

「馬鹿やろう俺はヒッピーじゃねー」とは言っても、当時のロックミュージッシャンは確かに派手なかっこうしていた。髪はロバートプラントみたなのばっかで、少数派が心地よかったのだろう。オイラはただ床屋に行く金が惜しくて伸ばしっぱなしにしていたら、自然とアフロみたいになっちまった。スライ&ファミリーストーンみたいなの。まだ男が美容院に入りづらかったそれこそ非国民といわれるような時代だな、だけど皆過激だったワ。

ロックが超先端だった頃、オイラは明日が見えない日々。何処にいくんだろう?仕事といえばキャバレーにディスコだがこれでいいのでしょうか!って言っても誰も怒らないよな。

よーしオリジナルやろうって思った時、マキが英語じゃないといやだ!と言ってました。お~そうか、どうすっかな~。日本語でハードロックが面白いんじゃないかな?とマキに拝み倒して日本語のハードロックやってみよう!と挑戦することになったのです。

まぁ、はっきり言えば仕事がなかなかない。コンサートがないんだから仕方ない。日本語のバンドは、はっぴーえんどとか頭脳警察など数は少なかったが、レコードは売れていた。とはいっても1万枚売れたら大成功という時代。日本のバンドが売れるなんぞ誰も思っていなかった。レコード会社の人がそう言ってたのだから間違いない。

日本語のオリジナルやりだして、客が少しづつ増えてきた頃、ようやくレコード会社なるものからお誘いがきた。「Kittyレコード」うう知らんそんなレコード会社。

四人囃子の「東宝レコード」くらい知らん。聞けば井上陽水(以下陽水)に加藤登紀子そうそうたるフォークの大御所がいらしゃるではないか。ありゃ。フォークでもなんでもいいわい、だってロックレーベルなんてその時あったかな。あるにはあったんだろうが世の中はニューミュージック全盛、ロックバンドでビジネスできるなんて誰も思ってなかった。いや、バンドのレコーディングの方法だって知っている人が少なかった。

思えば日本のスタジオに24チャンネルが初めて登場した頃なんだと思う。フィードバック奏法なんぞ何それ?録音できないかも。レコーディングは1年あまりかかってしまったのではなかろうか。

まだスタジオ代とか計上されていない頃のレコード会社、普通なら1週間くらいで録音終わるのに、今スタジオ代とか考えるとべらぼうにかかったのではないだろうか。んー、陽水さんの”氷の世界”の儲けで、レコード出たようなものかもしれない。

その間にメンバーは、ベースがcharのバンドにいた千代谷君18歳高校生。キーボードは石川清澄大学生19歳。極めつけはドラム古田たかし中学3年生に変わっていた。。。

おいおい、アイドルバンドじゃねーよ。鳴瀬さんと樋口君は、BBA(ベック・ボガート&アピス)のコンサート見に行ったきり帰ってこなかったワ、、、。

鳴瀬さんは千代谷君と交換で、スモーキーメディスンへ。樋口君はクリエーションへと戻っていった。わぉオイラは受験の時期であった。母は毎晩泣いていたにちがいない。母にはオイラは見たことのない人種に見えていたんだろう。バンドマンなんて食っていけると思っていなかった。ん~あの頃何を考えていたのか思い出せない。


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