コラム
新橋より愛を込めて〜新サブカルの勧め
ダディ竹千代
超絶テクによるコミックロックを炸裂していた「ダディ竹千代&東京おとぼけCATS」のリーダー。 解散後は裏方ワークをこなし、現在はライヴハウス「新橋ZZ」を経営。旧世代から新世代まで、ロック継承の活動をおこなっている。

おとぼけ3


アルバム売り上げがジリジリ、本当にジリジリもうすぐ蝉が泣くんではないだろうかという頃、グランドファンクレイルードのフロントアクトの話が転がりこんできた。

当時外国のバンドに日本のバンドが前座をやるというのは考えもつかない事だった。イベントならまだしもワンマンコンサートに前座をつけるというのは演歌ならともかく日本のロックではありえない事だった。

しかも当時の洋楽ファンは日本のバンドに対してあまりいい感情はもっていなかったように思う。要は下手でよく判らないアンダーグランドのイメージを持っていたんだろう。彼らは日本のロックを知らなかったのだ。確かにたいしたバンドいなかったし。

面倒な話になるがこの際言っておこう、若い時に洗礼をうけた物ってどうしても絶対主義になる。ビートルズローリングストーンズで幕開けしたいわゆるRockは、聞いた時が20代ではなかなかついていけなかったのではなかろうか。

同じようにレッドツエッペリンディープパープルが出てきた時代、GSを演っていた世代には好きなんだけれどなかなか演奏するにはしんどい世代だったのではなかろうか?ニューロックの夜明けは上の世代を切り捨てたとも言えるのだ。

たった2〜3歳でもこの差はでかい。最後のつくられたヤードバーズレッドツェペリンジェフベックグループの最初のさの字の違いは大きい。世の中の価値観を再度変えたに等しい。あの偉大なビートルズさえも過去の人にする勢いだった。

「21世紀の精神異常者」達はビートルズのアビーロードさえもひっくり返したのだ。(いっとくがオイラはビートルズ大好きだよ。)ニューロックはアイドル的要素、完成されたポップス感覚をはるか彼方に蹴飛ばしてしまったのだ。こいつがやっかいな人種を生む事になる。

そう我々だ。新人種登場!グランドファンクレイルードが初めて日本に来た日、何もかもが従来とは違っていた。後楽園球場でのグランドファンクレイルードは全てが型破りだった。豪雨の中でのライブ、おぁやるのかよ。客は異様な感覚に包まれた。かつてない興奮だったんだと思う。びしょ濡れでコンサートを聞いたのは日本人初めてだったんではなかろうか?ここで井上陽水さんの「傘がない」が生まれたのは間違いないと思う。

100%請け負う、ハートブレーカー。絶対その場にいたんだろう、聞いたことないけどね。(たはっ)そのグランドファンクレイルード2回目の来日だった。武道館2daysだったかな?これまたショウアップされたそれまでのロックコンサートではないロックショーだった。どうしてアメリカのバンドはあんなに派手なんだろう、当時使える最先端の技術を持って来たんではなかろうか。PAに豊富な照明、極めつけは巨大オーロラビジョンに電飾だ。

レッドツェッペリンの初来日からなんというエンターテイメントの進歩、なるほどレッドツエッペリンが一緒にやるのをいやがるわけだ。「We are the American Band」 おいらはあんなにでかい電飾板も見たことなかったしそれが描くあんなにでかい星条旗も見たことがなかった。ありゃりゃ日本は戦争に負けたんだな、なんて関係無い事をば思う。

さてフロントアクトだ、しょうがないからマキ&OZは武道館の天井に飾っている日章旗を照らし出した。みんな武道館の天井に日の丸飾ってあるって知ってた?なかなか真上をみないからわからないよね。まぁそれでも30分くらいもらったんだろうか?最初ざわめいた客が静かになりやがて歓声に変わった。彼等には初めて見るに近い日本のバンドだったんだろう。そりゃグランドファンクレイルードと過去のカルメンマキでは客層が違いすぎるわ。

初めて大観衆の前でマキ&OZが認められた日だった。アメリカではフロントアクトのないコンサートは考えられないくらい常識らしい、絶えず新しいスターを育成するシステムをもっているんだそうな。マキ&OZが最初だったんだと思う、その後外タレの前座に日本のロックバンドが演奏するようになったのは。その時のカルメンマキは圧巻ではありました。初めての武道館であなた、、、さすがスター。なかなかできないよね。グランドファンクレイルードのメンバーからも大絶賛だった。ジャニスジョプリンよりかわいいな、と言ったとか言わなかったとか。

マークファーナー曰く「日本ではどのくらい売れているの?」今2万枚くらいかな?「それは全米のラジオ局に配る枚数だな」???????えっ?アメリカは広いな大きいな〜、行ってみたいなよその国。

公演が終わって2枚目のアルバムに着手した。デモテープをなんべんも何遍もとるようになった。だいぶ刺激になったんだろう、日本人のハードロックってのをより意識するようになった。だいぶ2枚目のコンセプトとかサウンドが固まってきた頃、またまたKITTY RECORD の総帥がおっしゃった。「どうだ、アメリカ行って録音して来い!」?????以下省略。さてと、どーーーーーーするの、かな?