連載

TEXT:鈴木亮介 PHOTO:吾妻仁果
第17回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

Photo東日本大震災の発生から3年を迎えた。日本世論調査会が今月行った全国調査では約77%の人が東日本大震災の復興が「進んでいない」「どちらかといえば進んでいない」と回答していることがわかった。被災地支援のためにしていることを複数回答形式で尋ねたところ、「特に何もしていない」が42%と最も多く挙がった。
 
現実問題として多くの人にとって被災地へのモチベーションが下がっているのは事実であり、その要因は「個々の経済活動との兼ね合い」「解決の糸口を見いだせない原発問題への嫌悪感」など様々あるだろう。「風化が進んでいます」という定型句に逃げることなく、今改めて被災地への意識をどう持ち、どう行動につなげていくかを考えていきたい。
 
「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」というBEEASTのコンセプトに基づき、3.11震災等による現地の声や、被災地関連のロックイベントを紹介している当連載。今回は「ウクレレ大使」として精力的に活動を続けるミュージシャン・ハンサム判治・判治大介へのロングインタビューを前後篇2回に分けてお届けする。
 
判治大介は愛知・豊橋市出身の40歳。2000年にハンサム兄弟のボーカリストとしてデビューし、smiles davisデブパレードなどメジャーシーンでも活躍。中でも2009年3月11日リリースの「バッチコイ!!!」はアニメ「NARUTO -ナルト- 疾風伝」のエンディングテーマに起用され世界的にヒットした。
 
3.11東日本大震災発生以降、今なお定期的に東北の太平洋沿岸各地域をまわり、ウクレレ大使として被災地に歌を届け、子どもたちにウクレレをプレゼントする活動を行っている。ライブスケジュールを見ると自らのバンド・ハンサム兄弟よりウクレレ大使としての日程の方が多く記されているほどだ。
 
愛知・豊橋市出身の彼が被災地へ意識を持ち続け、今なお活動し続けるモチベーションはいったいどこにあるのか、尋ねた。
 

Photoハンサム判治 プロフィール
 
“バンドで唄ったり、芝居したり、ロングテールバイクにギターやウクレレを積んでライブしながら日本中を旅したりする人。”
 
2000年、アングラの帝王「ハンサム兄弟」のボーカルとしてデビュー。椎名林檎との歌舞伎町タイマン対決やグリコカフェオーレのCMソングや雪印WAVEのCMソングを手がける。
 
2006年「smiles davis」のボーカル、トランペットとしてデビュー。「女魂」のテーマ曲「サクラ」を手がける。NYに進出しCBGB等に出演。
 
メンバー全員100キロ以上の「デブパレード」のボーカルとしてSonyMusic(DefSTAR)より2008年メジャーデビュー。ビートたけし出演、ヴェネチア国際映画祭招待作品「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発」のメインテーマや「NARUTO~疾風伝」のテーマ曲「バッチコイ!!!」で世界進出!オリコン5位をゲット。
 
ドラマ「おせん」「スクラップ・ティーチャー」、映画「お墓に泊まろう!」等で俳優としても活動中。
 
東日本大震災後はウクレレ大使として被災地にデッカい唄とちっちゃいウクレレで元気を届け続ける。

—「味音」開業の経緯を伺った際にもお話しいただきましたが(参照:連載「ロック酒場探訪記 らーめん酒場 味音 azito」)、改めて判治さんが現在進行形で行っている被災地での復興支援活動について伺ってまいりたいと思います。最初に被災地に行ったのはいつ頃、どのようなきっかけがあったのですか?
 
判治:震災発生から2週間近く経った頃、3月の終わりに初めて行く機会があって、きっかけはデカい自転車、ロングテールバイクなんですが…
 
Photo—自転車がきっかけだったのですね。
 
判治:元々ロングテールバイクは災害時や発展途上国の生活向上のために生まれた特殊な自転車なんです。輸入しとるメーカーの社長さんが地元の先輩で、震災直後でガソリンが不足しとる時期でも荷物を大量に運べる自転車なので、被災した地域で必要な人が居れば提供したいと言ってくれて。そこで東北の自転車仲間に届けに行ったことがきっかけで活動が始まりました。
 
—「ウクレレ大使」としての活動の発端ですね。当時のことを、詳しく教えてください。
 
判治:最初はまだウクレレでなくアコースティックギターでした。震災発生から2週間くらいの時期だったので、やっと車が入れるようになって、でもまだ水などの物資が足りないという時期で。その先輩が「被災地で使ってくれる人がいるなら…」と自転車を100台ほど用意してくれて、それを現地に届けに行ったのです。まさか歌うとは思ってなかったですけど、何となくギターを持って行ったんですね。
 
—そこから、まず福島へ?
 
判治:最初に訪れたのは会津の高校で、そこに避難していたのは、福島の大熊町という、ほとんどの人が原発従事者という町から避難してきた人たちでした。合宿所のような厨房がボランティアの基地になっていて、そこに僕は最初自転車を届けに行っただけだったのですが、僕も一応料理人なので「何か手伝いましょうか」と。「あんた料理うまいね!」なんて言われながら地元・会津の人たちに溶け込んでいって。「ミュージシャンなんですけど、若い頃バイトしていたので」「そうなの?あなたプロでやってるの?プロじゃないよね?」「一応プロでやってるんですけど」と(笑)。そこで何となく「NARUTO」の話をしたらたまたまその曲を知っている人が何人かいて、「じゃあここで歌ってよ!」ってなるじゃないですか。
 
Photo—確かに!
 
判治:そこで、車からギターを持ってきてその場で「バッチコイ!!!」と「人生大丈夫ンブンブン」を歌ったら、ボランティアリーダーの人がワーッと泣いてしまって。その方に「これから20分後にお昼ご飯を体育館に運ぶんだけど、その間は私たちの仕切りだから、あんた歌って!」って急に言われて。それまで、外部の人が入って何かしたり、まして歌うのはだめだとその避難所の学校の先生から言われていたので、最初はそのことを伝えたのですが、「配膳中は私のしきりだから、ご飯の一部として歌ってください」と。それで、体育館に行くことに。渡り廊下を通って…初めてだから、扉を開けるまでどういう光景が広がってるかわからないわけですよ。
 
—お話を聞いているだけで緊張してきます。
 
判治:体育館の扉を開けたら、テレビで見たようなブルーシートや段ボールが一面に広がる光景。そこで「歌って」と言われたら歌うしかないなと、腹を括ってデカい声で歌ったんですよ。そうしたら、小さい子どもたちが走り寄ってきてくれて。最初は「なんだあいつは?」っていう空気だったのですが、子どもが楽しんでいる様子を見ると大人も納得するというか…沿岸部もまだぐちゃぐちゃで、ご遺体もまだ避難所の敷地内に安置されている状況で音楽をやることで、もちろん叩かれもしましたが、その場の空気がまずかったら歌えるものではないじゃないですか。その時は幸い子どもたちが盛り上がってくれて、「あ、これは正しいな」って。
 
—そうですね。
 
判治:ご飯がきっかけで、歌を歌って。結局は目の前の人がご飯を食べて「美味しい」という顔を浮かべてくれて、音楽を聴いて楽しくなったり泣いてくれた人もいて…それが全てだなって。歌った後も、配膳をしていたら「さっきの兄ちゃん!」と色んな人に声をかけられて、中には「さっきの歌を聴いて俺も音楽をやろうと思いました」って言ってくれた高校生もいました。行って、自分がいいと思うことをやって、向こうが受け入れてくれたら時期とか関係ないなって思えたので。
 
Photo—そこで「続けていこう」という思いが芽生えたわけですね。
 
判治:その時ちょうどデブパレードを辞めた直後で、言ってみればプーなんですよ。ハンサム兄弟も友人の追悼チャリティイベント以外には活動をしていなかったし。時間があったので、色んな人からの来てほしいという声に応える形で各地に行くようになりました。
 
—震災後、避難所生活が続いた人たちはしばらく音楽のない生活が続いていた、と聞きます。
 
判治:特に福島の沿岸部の人たちは、震災の少し後に放射能の問題もわかって、避難所を何回も移動させられているんですよね。もうクタクタじゃないですか。歌った後あるおばあちゃんに言われたのが、「あんたの歌のお陰で泣くことを思い出した」と。何か知らないけど東京から来たごっつい兄ちゃんがデカい声で歌っているのを聴いてふと我に返ったというか、ここに来て初めて泣いた、と。「あんたが誰だか知らんけど、ありがとうな」って言ってくれたことが忘れられんっちゅうか…僕もその当時、本気でやっていたデブパレードというバンドが解散せざるを得ない状況になって、挫折感というか、自分が歌を歌うことの意味を忘れかけていたような状況だったので、そのおばあちゃんの言葉が僕を原点に戻らせてくれた、といったらおかしいかもしれませんが…もちろんそんなどころじゃないと思うんですけど、僕にとってはそういう機会をもらえたんです。
 
—「私の音楽でみんなに元気を…」という思いで現地に赴いたミュージシャンの方もいたと思いますが、そういうわけではなかった、と。
 
判治:名のある方は「あの人が来る」というだけでも十分に意義があると思いますが、僕の場合は歌って、受け入れてもらえれば成立するけど、現地に到着してから歌うまでの間はただの兄ちゃんじゃないですか。そこを第一目標にしても何も始まらないと思って、物資を届けたりすることもセットでやらないと音楽なんておこがましい、って思ったんです。それで、最初は細々とやっていたのですが、BOND & JUSTICE(ボンドアンドジャスティス)という南相馬出身のヒップホップクルーが僕の避難所で歌っている動画をYouTubeで見てくれて、「今度、島に行くんですけど一緒に来てもらっていいですか?」と声をかけてくれて。
 
Photo—そこから活動が広がり始めたのですね。
 
判治:それで2011年の6月頃、宮城・塩竈市の桂島という所に行きました。そこにお祭りを届けに行こうということで、お酒などもいっぱい持って行って。僕の前にその島に行ったミュージシャンはまだ誰もいなかったんですよ。その当時は必要なものにしか電気を使えないという状況だったし、音響設備もない中で、じゃあ歌ってくださいと言って歌える人は少ないですよね。その瞬間だけは、声のデカいヤツが唯一歌える人。日本国内で僕よりボリュームの大きい歌手はおそらくいないと思います(笑)そこで初めて僕のデカい声が役立ったんですよね。
 
—判治さんは愛知県豊橋市のご出身ですが、震災前は東北に何かゆかりがあったのでしょうか?
 
判治:親戚がいるといったことはないですが、実は2011年はデブパレードが解散し、3月8日のハンサム兄弟のライブを最後にスケジュールが白紙だったので、本州の各地に自転車一台で出向いてアコースティックライブをしようと企画していました。以前東京から名古屋まで自転車で行ったことがあったので、今度は東北かなと思って、現地の知り合いに電話して「4月頃にチャリンコにギター積んで行くもんで、何かイベント企画してよ」って話をして。ちょうどその電話をした翌日に、震災が起こったんですよ。自転車楽しいなぁって、沿岸部を走ろう、と思い描いていたらあんなことがあって。だから、意識はちょうど東北にあったし、その後その知り合いたちに電話してもつながらないし、前々からツアーを回っていて仲間やお世話になった人もたくさんいるし…被災地に行くことは自分にとっては自然なことでしたね。
 
—それで、活動を続けていく中で、定期的にやることが決まっていった…
 
Photo判治:決まった…というか、元々「支援」っていう言葉とか、あんまりよくわからないんですよ。ボランティアもチャリティもそれほど興味がないし。「支援する」っていう気持ち、「続けよう」っていう気持ちより、「続いちゃう」んですよね。向こうに行ったら友達がいるじゃないですか。「次いつ来るんだ、ハンちゃん?」って言われるから「じゃあイベント組んでよ」って。僕の活動は途中からウクレレになりましたけど、ウクレレを欲しいっていう人にあげてるんですよ。例えば女川のフェスではワークショップみたいなブースも出して、20本くらい持って行くんですが、すぐなくなっちゃうんですよ。そうすると、もらえんかった人がいっぱいおるんですよ。
 
—楽器をプレゼントしてくれるなんてなかなかないですしね。
 
判治:そうすると、中学生だったらTwitterをやっているので、「フォローしろ、DMで連絡先送れ、そうしたらお前がリーダーな。お前の所に10本送るから、みんなに配ってくれ」って。そうすると、その資金を稼ぐためにこっち(東京)でチャリティイベントをやって、お金を作って、使って、送る…みたいな。まさに自転車操業ですよね。
 
—確かに自転車操業ですね(笑)。ウクレレ大使の活動が見えてきました。
 
判治:1回行くと、次につながるんですよ。石巻に行ったら「実は僕は東松島の方でイベントをやっていて」「あ、じゃあ今度そっち行くよ」ってどんどんやっているうちに関わる人が多くなっていく。そうすると、続けようとか考える以前に続いちゃうし、逆に会いたいなと思うし、好きな家族や好きな仲間がいっぱいいるんですよね。何かあるごとに連絡をくれるし。
 
Photo—最初はギターだったということですが、なぜウクレレになったのですか?
 
判治:始めた当初はアコースティックギターだったんですよ。仲間の車でほとんどヒッチハイクのように移動していたのですが、4月のある日、待ち合わせ場所にギターを持って行ったら車に入らなかったんですよね。どうしよう!って。
 
—いくらボーカリストとは言え、楽器なしで行くわけにはいかないですしね。
 
判治:その時は音楽はやめて炊き出しの手伝いだけにしようかと一瞬思ったのですが、「ハンさん歌ってくださいよ」と言われて、1回家に帰って、何か楽器を…と探したら壁にかかっていたウクレレが目に入って。
 
—なんという偶然!元々ウクレレはライブ等で弾いていたのですか?
 
判治:いや、全然。ただ、ハンサム兄弟の10年くらい前のアルバム(2002年2月発売『メッチャミーゴ!』)に「ハンヂとウクレレ」という曲があるんですよ。その当時、レコーディング最終日にリコーダーやカスタネットとか色んな楽器を持っていって、半分遊びで弾いていた中にたまたまウクレレがあって、CとGとFだけで弾いたのが採用されて(笑)。レコーディングでウクレレを弾いたのはその時が生涯一度きりですね。
 
—それから特に弾くこともなく…
 
判治:そうなんです。それで、移動中の車の中で「Cコードってどれだっけ…」とiPhoneで検索しながら。最初はそんな状態です(笑)。ところが、いざウクレレを弾いたら、子どもたちの反応がギターの時より良かったんですよ。「ギターちっちゃい!」みたいに。おばあちゃんとかも興味を示してくれて。
 
Photo—なぜウクレレの方が反応が良かったのでしょう?
 
判治:ギターだと「よっしゃやりまっせ!」という仰々しさがあるのだと思います。それが、ウクレレを持っていると安心するというか、見た目もちょっと滑稽だし。それに、楽器を子どもに持たせたらギターだと(大人にとっての)ウッドベース(くらいの大きさ)になっちゃいますよね。ウクレレだとみんな持てるし、弾けなくてもノリノリで弾き真似ができるんですよね。
 
—楽しそうな光景が浮かびます。
 
判治:宮城の七ヶ浜という街で出会った当時3歳坊主だったマキトが、炊き出しのために頭にタオルを巻いている僕の姿を真似してウクレレを抱えてデタラメに唄いまくる動画とか、他にも子供と一緒にウクレレで大騒ぎしとる動画をYouTubeにアップしとったらウクレレ業界の人が見てくれていつのまにか「ウクレレ大使」ということに(笑)
 
—ウクレレ大使就任の経緯を詳しく教えてください。
 
判治:ウクレレ大使に就任したのが5月です。その時にキワヤ商会という国産最古参メーカーの社長さんが僕の東北での活動を気に入ってくれて、「実は被災地にウクレレを贈りたいのだけど、ただモノだけ送っても食料のように役立つものではないし、どうしたらいいか」と相談を受けたんです。じゃあ僕が(その相談を受けた)あさって陸前高田の学校に行くから子どもたちに届けてきますよということで、そこから「ウクレレ大使」という言葉ができました。その後サザンオールスターズ関口和之さんもわざわざ僕の活動を見にきてくれたり、高木ブーさんやKONISHIKIさんも認めてくれて、ウクレレ大使としてやらせていただくことになりました。
 

 
—最初はどんな曲を演奏したのですか?
 
判治:実はウクレレって初めて触る人でも今すぐに弾くことができるんですよ。指1本でCは弾けるので、Cだけで歌える曲、例えば…(吾妻カメラマンにウクレレ演奏をレクチャーしながら、「かえるのうた」を熱唱)。僕の「人生大丈夫ンブンブン」も、CとAマイナー、F、Gの4つで弾けるんです。Aマイナーも指1本で行けるし、Gはちょっと難しい。「じゃあ次に来る時までにGを練習しておいてね」と言えば、次につながります。
 
Photo—記事で表現するのが難しいですが、今この場で伺っていてもとても楽しいです!
 
判治:かしこまって「僕の歌を聴いてください!」ってバラードを歌うより、「一緒に音楽やろう!」っていう方が楽しいじゃないですか。ウクレレも色んな種類があるし、コミュニケーションツールになりますし、プロの歌い手としての最小限のツールにもなるので…だからすっかり僕自身ウクレレにハマっちゃって。今までギター1本でやっていたことが実はウクレレでも全部できて、その上子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで一緒に演奏できるんです。「ギター20本プレゼントします!」と言ってもそもそも運ぶこと自体大変ですが、ウクレレ20本なら段ボール2箱で運べる。それに、東北にはウクレレ屋さんがないから競合しないですよね。例えばお米を持って行ったら、近所のお米屋さんの商売を邪魔してしまう。これをあげることで、誰も困る人はいない。それにウクレレは小さな音でも演奏できるので、仮設住宅のような所でも弾けるし…何も悪い所がないなあって思って。
 
—こんな小さなウクレレという楽器には、思いもしなかった利点が山ほど詰まっているのですね。
 
判治:手軽に持ち運べるし、ちゃんと音楽ができるものでも、安ければ2千円くらいから売っているので、色んな可能性がある楽器なんですよね。そういうわけで、バンド以外ではすっかりウクレレがメインになりました。でも、バンドシーンではみんなポカーンとしてますよ。「なんであの人今ウクレレなんだろう?」って。音楽仲間にはなかなか伝わらないですが、そこはしょうがないかなっていう。
 
Photo—確かに「ウクレレ=ハワイアン」みたいなイメージがありますよね。
 
判治:そう。でも僕は特殊なボーカリストなので、普通だとハワイアンとかアコースティックのイベントにしか出られないと思うのですが、この前ウクレレ1本でパンクバンドの間に出たんですよ。一番面白かったのは、GARLICBOYSMINOR LEAGUEの間に僕がやる、っていう(笑)。それもしかも徳島の野外フェスで、一応成立させるっていうのが僕の強みでもあるので。逆にウクレレ大使っていう名前が知られるようになってハワイアンのイベントに呼んでもらうこともあるんですけど、本気出して歌うとびっくりされるんですよ(笑)。
 
—そして、東京で続けている「レレチャリ」についても詳しく教えてください。
 
判治:ウクレレ大使として被災地の人たちにウクレレを贈るためには、自分だけのお金ではさすがに続かないので、今では僕の店(参照:連載「ロック酒場探訪記 らーめん酒場 味音 azito」)でやっているウクレレチャリティーイベント「レレチャリ」を2011年8月から始めました。毎月行っていて、(インタビュー実施時点で)もう32回目になります。内容はシンプルで、イベント参加者1人あたり2千円の代金をいただいて、素人もプロも含めたオープンマイクで「じゃあ今月はこの曲をやってきました、歌います」という機会の場なんですよね。ライブというよりオープンマイク。
 
—「チャリティしなきゃ」というスタンスでなく、そうした参加者として楽しめるイベントなら継続がしやすいですね。
 
判治:バンドセッションやギターだったら楽器だけであふれてしまいますが、ウクレレ20本なら店に入りますし、ビールを飲みながら人の演奏を楽しんで、自分も弾きたくなったら自由に弾いて…と楽しくできます。それでお客さんが20人なら4万円、それで5~6本のウクレレを買えるので、僕が現地に行った際にウクレレライブとワークショップを開催して「Fが弾けたらあげるよ~」なんて言って欲しい人にあげています。
 
—震災発生から3年を迎えて、復興支援を「継続することの難しさ」が大きなテーマになっています。
 
Photo判治:レレチャリの場合、ゼロからウクレレを始めて「次はこのコードを覚えよう」となれば、終わりがないですよね。次にやりたいことが見えてくるので、自然と続いちゃうというか…ウクレレは始めやすいので、裏を返すと練習しなくても挫折感みたいなものがないので、続けられるんだと思います。
 
—自分が楽しければ自然と続きますよね。
 
判治:僕自身の音楽を振り返っても、ハンサム兄弟は「おしゃれで複雑なコードで」という感じではなく、シンプルな曲構成のものが多いので、みんなと共有しやすいし、ウクレレによって音がシンプルになることでむしろ、自分の本業である歌手としての本領が発揮できるし、単純に楽しいんです。「もっと簡単な曲を作って」と言われたら作れるし、(ウクレレ大使もレレチャリも)「続けなきゃ」みたいな使命感はなくて、ただ普通にバンドを続けているのと一緒ですよね。
 
—シンプルに、楽しいという…
 
判治:飽きないですからね。こないだ3歳児だったなんていう子が…先ほど話した七ヶ浜町の子ですが、(震災から3年経って)もう6歳ぐらいになって、お母さんからメールが来るんですよ。「クリスマスになって、仮設住宅の中をウクレレ持ってサンタの格好をして走り回ってますよーうちのマキト」って。じゃあ今度はその子が小学校にあがるのか…って、まるで親戚のおっちゃんですよ(笑)この前は、2012年4月に石巻でやった僕のイベントで出会った2人が結婚したり。
 
—ウクレレ大使が運ぶ幸せの連鎖ですね。

インタビュー後篇(ACTION 18)へ続きます。

http://www.beeast69.com/serial/mukanshin/99926
 

 
レレチャリvol.33@西麻布 味音azito ~被災地にウクレレを!
日時:2014年3月25日(火)18時00分~
チャージ:2000円(飲食代はキャッシュオン)
会場:西麻布 味音azito
 東京メトロ日比谷線「広尾駅」徒歩6分
(東京都港区西麻布4-4-12)
http://ameblo.jp/azito2012/
 
ざっくりとしたタイムテーブルです。
1900~1930 ワークショップ
1930~2100オープンマイク
2100~2200 ゲストライブ
2200~2300 フリータイム
 
東京都港区西麻布4-4-12


◆ハンサム判治 公式ブログ
http://ameblo.jp/hanzi/


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