連載

TEXT:鈴木亮介 PHOTO:吾妻仁果
第18回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」というBEEASTのコンセプトに基づき、3.11震災等による現地の声や、被災地関連のロックイベントを紹介している当連載。前回に引き続き、「ウクレレ大使」として精力的に活動を続けるミュージシャン・ハンサム判治・判治大介へのロングインタビューの後篇をお届けする。
 
インタビュー前篇では、愛知・豊橋市出身の判治大介が被災地へ赴き、ウクレレ大使として活動を始めるまでの経緯や、ウクレレという楽器に詰まった可能性を聞くことができた。後篇では、ミュージシャン・ハンサム判治として、そして判治大介という一人の人間としての人生観・哲学、そして今後の活動について伺った。
 

※インタビュー前篇(ACTION 17)はこちら
http://www.beeast69.com/serial/mukanshin/99675

Photoハンサム判治 プロフィール
 
“バンドで唄ったり、芝居したり、ロングテールバイクにギターやウクレレを積んでライブしながら日本中を旅したりする人。”
 
2000年、アングラの帝王「ハンサム兄弟」のボーカルとしてデビュー。椎名林檎との歌舞伎町タイマン対決やグリコカフェオーレのCMソングや雪印WAVEのCMソングを手がける。
 
2006年「smiles davis」のボーカル、トランペットとしてデビュー。「女魂」のテーマ曲「サクラ」を手がける。NYに進出しCBGB等に出演。
 
メンバー全員100キロ以上の「デブパレード」のボーカルとしてSonyMusic(DefSTAR)より2008年メジャーデビュー。ビートたけし出演、ヴェネチア国際映画祭招待作品「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発」のメインテーマや「NARUTO~疾風伝」のテーマ曲「バッチコイ!!!」で世界進出!オリコン5位をゲット。
 
ドラマ「おせん」「スクラップ・ティーチャー」、映画「お墓に泊まろう!」等で俳優としても活動中。
 
東日本大震災後はウクレレ大使として被災地にデッカい唄とちっちゃいウクレレで元気を届け続ける。

—この3年間通い続けてきた判治さんの目線で、被災地は今どういう状況になっていますか?
 
Photo判治:今が一番難しい局面だと思います。避難所からまず仮設に移って…この次がないですよね。元々は2年間という期日があって、本当は今年でもうおしまいだけど、次の行き先がないから延長をする。とりあえずは生活できるけど、今後パーマネントに住める場所は全く決まっていないし、元々住んでいた場所はもう住めないと言われてしまっているし…次の一歩、という動きが全くないですよね。とりあえず食い物と仕事はあるけど、一生やっていける所がない、ずっと先が見えない状態です。3年も経てばだんだん意識も薄れてくるし支援金も集まらなくなってくるし。それなのに巨大なコンクリート防潮堤を作るとか…順番が違いますよね。漁業はできなくなるし、海の景観も損なわれるし。
 
—「仮設」であれ住まいがあることで、とりあえずよしとされてしまっていますよね。
 
判治:正解がないからこうなっちゃうんですけどね。それは政治レベルの話に限らず、地元の復興イベントも色んな壁にぶち当たり、みんな悩んでいます。最初は「震災後初」、2年目は「もっとちゃんとやろう」、3年目は「羽ばたこう」…じゃあ4年後どうするか。地元の人たちの中でも「そろそろいいのかな」という声が挙がってきているのも事実です。それでもやっぱりやるんですよ。「まだやめられないでしょ」って。そうすると、「おし、俺も行くぞ!」って。僕らは何千万、何億と動かせるわけじゃないし、自分らにできることなんか何もない。…けど、何もないからやめる、とか無視する、とかじゃなくて、自分にやれることを見つけて。僕はたまたまウクレレを届けるというわかりやすい手段があるので、続けていけたらなと思うだけですよね。
 
—そのお話は政治や社会に対する無関心にも通じることかもしれません。
 
Photo判治:そうですね。どうせ変わらないんだったら…僕もそう思う時はありますけど、まだやることは全然いっぱいあるので。向こうに行ってお金を落とすだけでも意味があることじゃないですか。(被災地は)元々人が少ない所がさらに少なくなっているので、行くだけでもいいと思いますよ。ご飯もおいしいし。夏に行けば草原があってきれいだなと思うけど、そこに一歩踏み込んでみたら、家の基礎が残っていて「実はここら一帯は住宅が連なっていて」と…そうしたことも、実際に現地に行けば気づくことができます。
 
—「一歩踏み出さないと変わらない」。頭でわかっていても、それでも踏み出せないという声も聞きます。どうすれば一歩踏み出せますか?
 
判治:確かに早い時期から動いていればいろいろわかることもありますが…でも、今まで行ったことがないからこそ感じることもあると思いますし、そこでできることもある。「今さら行ってももうできることはないでしょ」という意識が何とか変わればいいなと思いますよね。自分のために被災地に行く、でもいいと思うんですよ。僕自身も誤解を恐れずに言えば自分のために今歌っているようなものなので。こういう形で自分が歌を歌える機会をもらえるとは思っていなかったし、そこに喜んでくれる人がいっぱいいれば、自分が行きたくなって続くと思うし、「向こうで何を楽しくできるか」は、行かないと見つからないですよね。
 
—「もう今さら」ではなく、むしろこれからこそ大事になってきますよね。
 
判治:「チャリティまだやってるの?」と言われることもあります。でも、景色は変わったとしてもまだ何も変わっていないこともあるし、あとあまりに悲惨だったシーンを見てしまったのでね。震災発生当初は、絶望的な景色だったじゃないですか。テレビで見たあの景色、そこにポツンと立ってしまうと。僕も陸前高田の町を最初に車で通った時には、カーナビで表示される所に橋が架かっていないし、ずっと同じ所を走っているようで、泣きそうになってくるんですよね。人がたくさん亡くなった所にも立ち会ったし…。たくさんの町に行って、色んな人に会いましたが、大体みんな2回目に会うと本音というか心の内を話してくれるんですよね。
 
Photo—そうですね。
 
判治:「GAREKI(我歴)stock in 女川」というイベントをやっている、女川福幸丸という20代の若者が中心になった団体があるのですが、その女川福幸丸のリーダーがものすごく元気な子なんですよ。お調子者で、「イベント最高だったね!ところで家は大丈夫だったの?」「うちは全然大丈夫っすよ~」ってことを笑顔で言ってたんですよ。でも何が大丈夫かというと、家は全壊。家の裏が海に面しているから、すぐ逃げたので大丈夫でしたよ、というだけの話なんです。家も車も全部流されているのにそれで「大丈夫」なんて…そういう人がいっぱいいるんですよ。そういうことを思うとね…
 
—何もできないながらに私たちはそれを受け止めて、伝えていかないといけないですね。
 
判治:そうですね。「大丈夫」っていう言葉がみんな重たいんですよね。だから僕は敢えて「人生大丈夫ンブンブン」を全力で歌うんですよ。「大丈夫って言わないで」という風潮もありましたけど、でもそれを超えればいいんだろ、って。全開で血を吐くくらいのデカい声で歌えば、そこまでいけば歌に意味があると思って。それにしても出会う人たちみんな明るいんですよね。みんなが大丈夫という言葉で、全て抱え過ぎていて…親が亡くなったとか。
 
—震災後に作った曲もあると思いますが、震災のことを歌ったという曲はありますか?
 
判治:僕の「ヒカルイシコロ」という曲は震災後にやっとできた…「やっと」と言ったらおかしいですが、おこがましくて曲にできないというか、納得がいく曲がなかなか作れなくて。8月にようやくできて、みんなの前で披露したんです。その時、岩手で出会った若者がいて…彼と初めて出会ったのは2011年の4月頭で、避難所にお母さんと奥さんと子ども2人と犬がいたんですよ。すごく幸せそうな家族で。「ペットもここの避難所は大丈夫なので、うちはラッキーですよ」って。で、8月の終わりにその曲を聴いてもらった後、メールが来て。「今朝、父が見つかったんです。明日合同の葬儀をやって、ここから一歩進めます」って。4月に出会ってから何ヶ月も、「大丈夫な家族」として「良かったじゃん!」なんて一緒に酒を飲んで馬鹿をやっていたのですが、(父が津波で行方不明だとは)全然知らなくて。しかも、津波から逃げていた時に、目の前で手が離れてしまったそうなんですね。8月になってやっと(遺体が)みつかって。…そういう思いを、一人ひとりみんな抱えているんですよね。そういうのを、一個でも大変なのに、そんなことがいっぱいありすぎて…喋っていると色んなことを思い出しますね。…なぜ(活動を)続けられるかって、それがあるからですよね。そんなことってないじゃないですか。仲間が一人亡くなっただけでもダメージがあるのに…
 
Photo—抱えきれないですよね。
 
判治:だからこっちはただ元気を出して、祭り番長としてやるしかないというか。悲惨な状況を目の当たりにした人とそうでない人、それぞれ感じ方は皆違うと思うし、毎回毎回ライブでそれを訴えても嫌になってしまうだろうし、そこは悩む所ですね。「ウクレレ贈るからCD買えー!」とか、そんなような態度しかできないというか。東北の皆も落ち着いたと思うし、でも間違いなく全員家族なり仲間なり、誰か大切な人を亡くしていますよね。こう言葉にしちゃうと嘘っぽくなっちゃうので嫌なんですが、これに懸けてもいいかなと思ったんですよね。自分のミュージシャンとしての…
 
—ウクレレ大使としての活動をミュージシャン・ハンサム判治のライフワークにしていくという…
 
判治:バンドで芸能界や大きなステージを経験させてもらって、何をやっても喜んでくれるお客さん…ファンがいるからこのビジネスは成り立つし。そこに自分はそこまで才能はないと思うし、「キャー」って言われる存在にはなれない。でもバンドマンの中には強烈に好いてくれる人がいて。それと同じように、向こうの家族が強烈に、待っていてくれるんですよね。そこに全て懸けるのも…もちろんバンドマンとしての活動も続けますが、今の僕にとってはウクレレ大使の方が大事に思えて。歌手として、自分の人生を懸けてやっていこうと思っちゃったんですよね。ずっと歌をやってきたのが、そこに行き着いたのかな、と。
 
Photo—一度メジャーの舞台を踏んだ判治さんだからこそ、バンドへの思いとの葛藤もあるのではないでしょうか。それでもなお「人生を懸けて」というその言葉には重みを感じます。
 
判治:それまではコワモテのバンドマンと一緒にステージに立っていたのが、今東京でやっているレレチャリも、子どもたちや、レレチャリで初めてウクレレを持ったという人たちと一緒にやっていて、丸くなったと思う人もいるかもしれないけど、そんな小さなことじゃなくて。一生かけても足りないと思うし、これがあるからきっと歌はやめないだろうなって。こんな強烈な経験はないじゃないですか。震災前は毎年150~200本ステージをやっていて、10年間で2~3千本やって、その中にはハウステンボスで5万人を前に歌うといった大きなステージも含めて色々な経験をしたけど、避難所で初めて歌った時のあのガクガクの緊張感は…こんな究極な場所は歌手として一生ないだろうし、というかそんな被害は二度とあってほしくないし。
 
—判治さんご自身も、そして聴く人たちも、あの震災を経験して音楽の聴き方がきっと変わりましたよね。
 
判治:そうですね。僕が37歳の時に起きた東日本大震災で、そこから音楽への関わり方は変わりました。これからもっと変わってくると思います。
 
Photo—震災前にやっていた音楽については、今振り返ってどのような印象を持っていますか?
 
判治:それはそれで、もちろんいいですよね。しかも僕は幸せなことにハンサム兄弟でアンダーグラウンドシーンで一定の評価をもらった上で、デブパレードでちょっとふざけながらもドメジャーで勝負しよう、オリコン1位取るぞ!って始めたらデビューが決まって、有名なアニメソングを1曲だけだけど残せて…それはそれでいいこともあって。それがあったから、最初のきっかけがあったじゃないですか。「あなたが歌ってるの?バッチコイ?」って。
 
—確かに、原点はそこでしたね。
 
判治:そんな機会をもらえたのはデブパレードのお陰だし、そのデブパレードがなぜメジャーデビューできたかというと、ハンサム兄弟がずっとバンド界の良心みたいな感じで君臨していたので、全てつながってますよね。そういう意味でもハンサム兄弟は今後もガッツりやっていきたいし、バンドシーンにまた時代を作りたいとも思っとります。でもバンドでは難しい環境も多いので、そんな場所ならウクレレ1本でも唄えるだけ唄おうと。
 
—今後の活動についてはどのように考えていますか?
 
判治:ハンサム兄弟ウクレレ大使の活動を軸にしていくのはもちろんですが、ソロ活動から派生したセッションバンドで…フルバンドじゃないんですが、楽器はウクレレとかカホンなどを使って「最小限のデバイスで最大限の声を届ける」というバンドも始めました。自転車バンドです(笑)
 
Photo—自転車バンド、ですか?
 
判治:ウクレレ大使としての仕事でフェスにいっぱい呼んでもらえるんですよ。そこに自転車で行くという楽しみを付加させたいなと。ソロ活動やハンサム兄弟とは別に、自転車が趣味の仲間と一緒に、車は使わず自転車に楽器を積んで、基本は自転車で運べる機材でフェスを回るというプランを考えています。
 
—エコロジーだし楽しそうです!
 
判治:夏フェスに向けて準備していこうかなと。FUJI ROCKとかそういうの合いそうだし、出たいですね。僕らは元々自転車で荷物を運ぶのが趣味なので、苗場まで自転車で行って、キャンプして。フェスと自転車で、「festibicycles」!フェスを自転車で回るっていうコンセプトの、趣味丸出しで純粋に楽しいだけのバンドもやってみたいなあと思っとります。
 

Photoインタビューの中ではプロミュージシャンとしてバンド活動との葛藤についても、その胸の内を語ったハンサム判治・判治大介。後日、自身のFacebookで次のようなコメントを発信している。
 
「バンドは唄い手にとってノリモノみたいなもんなんよ
 自分自身が動力って意味でも自転車と似とる
 夢のノリモノを乗りこなして
 誰も見たことがない高みに辿り着きたい」

 
ハンサム判治という大きなノリモノは、多くの人を惹き付ける。そして、集まってきた人々の存在が大きな動力となって、そのノリモノと乗組員は未来へ進んでいく。ギブ&テイクとか、支援する&されるとかではない、新たな形がそこにある。
 


 バンドと自転車は似とる
どっちも走り続けんと倒れちゃうような不安定なノリモノ
たとえ絶好調で突っ走っとったとしても、
ほんの小さな小石につまづくだけで吹っ飛ぶような儚い夢のノリモノ
だでオモロイ
バンドマンなんかみんな自転車操業みたいな毎日だ
だで、ワシら“自転車操業ズ”は“明後日”に向かって走り続ける
なんてね(笑)
自転車で野外フェスを回るために結成したセッションバンドの名前を
一般ウケを狙ってfestibicyclesとかシャレたバンド名にしようとしたんけど、、、
自転車操業ズ”の方が好評(笑)
 by ハンサム判治

 
レレチャリvol.33@西麻布 味音azito ~被災地にウクレレを!
日時:2014年3月25日(火)18時00分~
チャージ:2000円(飲食代はキャッシュオン)
会場:西麻布 味音azito
 東京メトロ日比谷線「広尾駅」徒歩6分
(東京都港区西麻布4-4-12)
http://ameblo.jp/azito2012/
 
ざっくりとしたタイムテーブルです。
1900~1930 ワークショップ
1930~2100オープンマイク
2100~2200 ゲストライブ
2200~2300 フリータイム
 
東京都港区西麻布4-4-12


◆ハンサム判治 公式ブログ
http://ameblo.jp/hanzi/


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