連載

TEXT:鈴木亮介 PHOTO:吾妻仁果
第25回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

前回記事(ACTION 24 脱・無関心)に引き続き、自身2作目となる監督作品映画『SHIDAMYOJIN』を2017年5月に公開する遠藤ミチロウの単独インタビューを掲載する。
 
インタビューの前半では「故郷」を切り口に、30歳でTHE STALINを結成してからメジャーデビュー、解散、ソロ弾き語り、そして石塚俊明(Percussions)、山本久土(Guitar)とともに結成した民謡パンクバンド羊歯明神と、還暦を過ぎてもなお走り続ける遠藤ミチロウのルーツをたどりながら故郷・福島についての考察を伺った。後半は「音楽」を切り口に、37年のキャリアを持つ遠藤ミチロウの視点から見る我が国の音楽シーンの変遷や感じることなどを尋ねた。震災から6年、今なお悲しみの途上にある福島で、音楽ができることは?

◆映画『SHIDAMYOJIN』
2017年05月27日(土)~東京・新宿 K’s CINEMAにて公開開始

遠藤ミチロウが考える「音楽の持つ可能性」

—今回の映画『SHIDAMYOJIN』は音楽を通して集まり、変化していく”人”が描かれたドキュメントだと感じました。音楽の持つ”可能性”について、ミチロウさんはどのように感じていますか?
 
ミチロウ:いや、それはまだわからないですよ。ただ羊歯明神の民謡パンクでは少なくとも垣根が取っ払えると思っています。ロックは60年代、70年代には抵抗文化、カウンターカルチャー的な要素があったのがそれももうなくなって、一つの消費文化になっていますよね。どれだけ売れるかっていう。そうするとすごく細分化、ジャンル分けされていくじゃないですか。実は音楽は色んな人たちを一つにするものだったのが、今やバラバラにしていくメディアになってしまっている。単に商品でしかないものになっている。歌って本来そういうものと一番縁遠いところにあったはずなのに。
 
Photo—そうですね。
 
ミチロウ:歌本来の持っている役割っていうか、面白さっていうか…それを取り戻せるんじゃないかなっていう可能性を羊歯明神に感じたんですよね。ただ、まだやり出して間もないですからわからないですけど。そもそもロックは西洋から入ってきたものだし、明治以降日本から新しい音楽が生まれたということはないんですよね。それまであった音楽はどんどん片隅に追いやられてしまって、僕らの生活の中で何の意味もないものになっちゃってるなと。
 
—「カウンターカルチャーの役目を終えた」ということに関連して、90年代に音楽産業におけるバブルがあって、それが弾けて20年近くが経って。今の音楽シーンに対してはやはり物足りなさを感じますか?
 
ミチロウ:うーん…物足りないというか、僕は業界の人間じゃないからどうでもいいんですよね。物足りないと言えば物足りないですけど、音楽シーンが盛り上がっていると言ったときに、面白い音楽がそこでボンボン生まれているというのと、CDが売れているというのとでは違うじゃないですか。CDが売れているというのはどうでもいいというか、それはコマーシャル的な”盛り上がり”なので。で、その時代が終わったら跡形もなくなっちゃった。
 
—ロックの持っていた役割がなくなってしまった理由はどこにあるのでしょうか。
 
ミチロウ:カウンターカルチャー的な「おかしいんじゃないの?」「クソ!」という気持ちを音楽で表現できていたのに、できなくなってしまったのだと思います。
 
—しなくなったというか、必要が…
 
ミチロウ:必要がなくなったんだと思います。それがどこに行っちゃったのかわからないですけど。別に音楽だけじゃなかったんですよ。漫画にしろ映画にしろ…音楽に限らず色んな文化があの頃は時代に対して色々出てきたんですが、だんだんそういうのがなくなってきて、どれだけ売れるかみたいなところに意識が行ったときに、みんな何を表現していいかわからなくなってきちゃったんじゃないですか。
 
Photo—メッセージを持たなくなってきた?
 
ミチロウ:いや、メッセージっていうのがまた難しくて、世の中に対してあーだこーだと言うのがメッセージだととらえられがちですけど、僕はそうじゃないと思っています。表現っていうのは、自分自身に対してどうなんだ?という自問自答をして、それに人の共感が集まって…たとえば「おれってこうなんだよな」っていう嘆きや、生きていく中で「クソ!おもしろくないな」っていう漠然としたものが、それが「おれもそうなんだよ」って共感されて。だから、人に対して直接「こうだよね」「こうしなさい」じゃなくても、自分事として言っているものも含めてメッセージだと僕は思っているから。
 
—世の中に対してこうだ!って歌うことだけがメッセージではない?
 
ミチロウ:60年代、70年代っていうのは文句を言う対象がはっきりしていたからカウンターカルチャーが成り立っていたけど、そういうものがわからなくなってきたんじゃないですか。だから余計にメッセージがないって感じられちゃうんじゃないかなって思いますけど。
 
—その点、民謡や盆踊りはその故郷の人たちの共通言語になっていますよね。「今年は暑くて作物が育たないね」とか「よくわからない放射能怖いね」とか、”共感”が根底にあります。
 
ミチロウ:そうですね。昔の民謡だったら「今年は豊年だよ、良かったね」で、それは民謡ができたときの気持ちだと思うんです。震災以降、(原発事故が原因で)避難している人たちは「畑耕せないよ」「ここはもう住めないよ」っていう気持ちだったり、「またみんなに会いたいな」っていう気持ちだと思うんですよね。その気持ちをそのまま民謡で歌ったらどうなんだって思って僕らが作ったのが「新・新相馬盆唄」です。そのときのそこに住んでいる人の気持ちが歌になれば民謡になる。そうすれば民謡は現在の歌になる。伝統文化じゃなくて。民謡は”民の唄”ですからね。
 
—盆踊りのような伝統的な祭りの発展形としてのロックフェスは、どのように見ていますか?
 
ミチロウ:ロック産業の中のお祭り、フェスティバルですよね。僕も去年の『FUJI ROCK FESTIVAL’16』に出たんですけど、あのとき「音楽に政治を持ち込むな」ということが話題になりましたよね。
 
—ミュージシャンからも声が上がりましたね。
 
ミチロウ:色んなものを全部受け入れて音楽で表現する、全部出せるのがお祭りだったのに、そこで「政治的なことは歌っちゃいけないんじゃないの」って。それは民謡の「和楽器以外使っちゃいけない」「歌詞を勝手に変えちゃいけない」というのと同じで、自分らでどんどん枠を作っていくんですよね。ロックフェスもロック産業の象徴になってしまった。ある意味でロック自体の持っている限界がそこに出ているんですよね。だから、それだったら1回、音楽フェスティバルをちゃんと自分たちのお祭りにしたいなと思って…
 
Photo—それが映画の後半に出てきた「橋の下世界音楽祭」ですね。
 
ミチロウ:「橋の下」はコマーシャリズムを一切排して自分たちだけで、企画者・出演者とお客さんの力だけで作るお祭りで、それはすごく良かったですよ。
 
—なるほど、なぜ「橋の下」なのかがつながりました。音楽って本来は非常に純粋なものですよね。
 
ミチロウ:そう思います。
 
—映画の中では若い女性が盆踊りで太鼓を叩くシーンや、ミチロウさんがガジュマルの木に登って「これを音頭にしたい」と話すシーンなど、音楽が誕生する瞬間が描かれていました。何かルールがあるものではないし、自然と生まれるものなのかなと思いました。羊歯明神は今後どのような活動を考えていますか?
 
ミチロウ:羊歯明神はコンサートをやるようなバンドではないので、ライブハウスでやるよりも盆踊りなどお祭りの場で演奏するのがふさわしいと思っています。あちこちの小さなお祭りで盆踊りをやりたいですね。
 
—福島・志田名に足を運びつつ、全国各地にも行きたい?
 
ミチロウ:そうですね。
 

「自分の中に抱えたマイナスがあるからこそ表現せざるを得ない」

—震災から6年が経過して、どんどん忘れていく、風化していくことを懸念する声もあります。今回の映画を観ることで、眠っていた気持ちや、見落としていたことが見られるのかなと思います。
 
Photoミチロウ:色々ですよね。忘れたいという気持ち、忘れてほしいという声もある。「悲しいことは忘れないと」という思いも理解できます。風化していくのは仕方ないですよね。ただ風化の仕方が問題で。
 
—「忘れたい」「忘れてほしい」という思いは、志田名の人たちからも感じられましたか?
 
ミチロウ:実際にまだ何万人も避難している状態で、放射能の影響がどのくらい出てくるのかわからないですから。避難している人へのいじめという問題も出てきているし…忘れてほしくない、というテーマで作ろうと思ったらこういう映画になってないですよ。発端はそこ(=忘れてほしくないという思い)なんですけどね。
 
—改めて、今回の映画の見どころ、テーマを教えてください。
 
ミチロウ:あれだけマイナスな状況、イメージになってしまった福島をどうやったらポジティブな福島にできるかなと思ったときに、福島から生まれた新しい文化ができたらポジティブな方に気持ちも行けるんじゃないかなと思っています。それは黒人から生まれた文化であるブルースのように。福島の悲惨な状況からしか生まれなかった文化として、「ただでは転ばないぞ」みたいなものができるんじゃないかなと思います。表現ってみんなそうですからね。自分の中に抱えたマイナスがあるからこそ表現せざるを得ない。マイナスがなければ表現なんかいらないですからね。
 
—そうですね。
 
ミチロウ:福島の現実とちゃんと向き合った表現者の中からしか生まれないと思います。
 
—その点が沖縄にも通じると?
 
ミチロウ:沖縄から出てきた文化も力強いですよね。そういう文化が生まれてこざるを得なかった悲惨な状況が絶対あると思います。何も生まれてこないという土地はある意味では恵まれた状況だと思うんです。
 
Photo—この国の音楽シーンにおいて「カウンターカルチャーの役目を終えた」理由もそこにある?つまり、恵まれた状況にあるということなのでしょうか。
 
ミチロウ:うーん…
 
—恵まれた状況で、敢えてマイナスを作る必要はないのかもしれませんが…
 
ミチロウ:いや、そのマイナスというのは本当はあるんですよ!あるんですけど、どんどん見えなくなってきている。60~70年代は「ベトナム戦争」とか「安保」とか、具体的に見えやすかった。でもそういうものがなくなって一見何も問題がないようになっているけど、でも実は世の中のシステムはどんどんマイナスが潜む状況にある。それに対しての表現はすごくわかりにくくなっていると思いますよ。それを表現するというのは難しいですよね。
 
—その点、福島には新たな可能性というか、ここから新しいものが出てくるなという期待が持てそうですね。
 
ミチロウ:それは悲しい期待ですけどね。

◆映画『SHIDAMYOJIN』
2017年05月27日(土)~東京・新宿 K’s CINEMAにて公開開始

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監督:
遠藤ミチロウ、小沢和史(映像作家)
出演:
遠藤ミチロウ、木村真三、伊藤多喜雄、
石塚俊明[羊歯明神]、山本久土[羊歯明神]、茶谷雅之[羊歯明神Jr.]、タテタカコ、永山愛樹
 
概要:
2015年8月。福島第一原発事故から4年後の終戦記念日、遠藤ミチロウは民謡パンクバンドを率いて、40年ほど途絶えていた盆踊りの復活のため、櫓の上に立つ。そこに集まるのは、事故後に発見された福島県いわき市にあるホットスポット、志田名の住人だ。若者たちが避難した後に残された高齢者たち。遠藤は「志田名は俺たちの未来の姿だ」と見る。
大震災、原発事故、揺れ動く政治情勢の中、福島で生まれた民謡パンクが祭りから祭りへと駆け抜ける。ミュージシャン・遠藤ミチロウのルーツを辿りながら、ヘリパッド建設問題に直面する沖縄・高江を経て、愛知・豊田の大衆奇祭・橋の下世界音楽祭へと登りつめていく。

 
◆映画『SHIDAMYOJIN』 オフィシャルサイト
https://shidamyojin.wixsite.com/mysite

 

◆遠藤ミチロウ 公式サイト
http://apia-net.com/michiro/


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