連載

TEXT:鈴木亮介 PHOTO:吾妻仁果
第24回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

「俺の原発メルトダウン 脳みそが核分裂 訳のわからない事を口走る」
――遠藤ミチロウが歌う「原発ブルース」の一節だ。
 
Photo福島第一原子力発電所の事故による被害は依然として福島県民を苦しめ続けているが、発生から6年を経た今、”故郷(ふるさと)”について様々な議論が巻き起こっている。福島県から県外へ避難した人の数は、2017年3月現在で3万9千人を超える。ピーク時のおよそ6万3千人に比べて約60%に減少したものの、今なお故郷に帰りたくても帰れないという人、或いは故郷に帰ることを断念した人が数多く存在する。
 
福島・二本松の出身で、3.11を機に故郷と向き合い、福島県民に寄り添う「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げた、遠藤ミチロウ。2015年4月には自身10年ぶりのソロアルバム『FUKUSHIMA』をリリースし、翌2016年1月には自身がメガホンをとった映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を公開するなど、還暦を過ぎた今なお精力的に活動を続けている。そして2017年5月、自身2作目の監督作品『SHIDAMYOJIN』の公開が決定した。
 
映画の中では福島のホットスポット・志田名(しだみょう)の人々との出会いをきっかけに、民謡パンクバンド羊歯明神(しだみょうじん)を石塚俊明(Percussions)、山本久土(Guitar)とともに結成し、地元の盆踊り復活に努める遠藤ミチロウの姿が描かれており、原発事故と揺れ動く政治情勢の中、福島のリアルな表情を切り取ったドキュメンタリー作品になっている。
 
今回、本誌BEEASTでは遠藤ミチロウ監督の単独インタビューを敢行。映画の背景や故郷・福島に向けた思い、「音楽にできること」まで、多岐にわたり話を聞いた。
 

 ◆遠藤ミチロウ
1950年福島県生まれ。1980年、パンクバンドTHE STALINを結成。過激なパフォーマンス、型にはまらない表現が話題を呼び、1982年、石井聰互(現・石井岳龍)監督『爆裂都市』に出演。同年メジャーデビュー。1985年、THE STALIN解散後、様々なバンド活動を経て1993年からはアコースティック・ソロ活動を開始。21世紀に入り多彩なライブ活動を展開、さらに詩集、写真集、エッセイ集なども多数出版。また、中村達也LOSALIOS)とのTOUCH-ME石塚俊明頭脳警察)と坂本弘道パスカルズ)とのNOTALIN’SクハラカズユキThe Birthday)と山本久土MOST久土‘N’茶谷)とのM.J.Qとしても活動。2011年、東日本大震災の復興支援として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足し、数々の活動を展開する。同年の還暦ソロツアーを中心に撮影を行い、初監督映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を製作。2013年に突如膠原病を患い、入院。その時期に書いた詩集『膠原病院』を出版、同時にアルバム『FUKUSHIMA』を発表。2015年、自身の楽曲を盆踊りバージョンにアレンジし、民謡に特化したパフォーマンスを行う新バンド「羊歯明神」、自身最後のバンドとして「THE END」と2つのバンドを結成。さらに精力的な活動を始動している。
画像:(c)2017 SHIDAMYOJIN
◆映画『SHIDAMYOJIN』
2017年05月27日(土)~東京・新宿 K’s CINEMAにて公開開始

なぜ遠藤ミチロウが盆踊りを?

—2本目の映画を作ることになったのはどのようなきっかけがあったのですか?
 
ミチロウ:前の映画(=『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』)は2011年のドキュメントですが、その映画を観た人から、2011年の後、2012年から今まで何をしていたのか知りたいという声が結構あって、”そうか”と思って撮り出したのがきっかけです。
 
Photo—その間には病気(=2013年に膠原病で入院)もされていましたが…
 
ミチロウ:そうです。快復して再びライブをやりだして、それで羊歯明神(しだみょうじん)を結成したときに「これを撮っておこう」と思って撮り始めたら面白くなって。
 
—今回の映画では冒頭、2014年3月に志田名をミチロウさんが訪れる場面から始まります。志田名という土地や、映画に出てきた木村真三先生(放射線衛生学者、獨協医科大准教授)とは元々どのような出会いだったのですか?
 
ミチロウ:2014年に木村先生が「福島の今を知るツアー」というのをやって、それに参加したのが志田名との関わりの始まりです。木村先生は2011年から志田名の除染とそこに残されたお年寄りの人達の生活での放射能対策をずっとやってきました。ツアーに参加してそれを知ってから僕に何かできないかなと。家族がバラバラにされ、取り残された志田名の人達に盆踊りを提供できたらなぁ、と木村先生と企画しました。
 
—その後、映画の中では木村先生と一緒に盆踊りをするシーンが出てきました。
 
ミチロウ:木村先生たちの志田名音楽祭で盆踊りをやってくれないかと現地の人たちから言われたのがきっかけです。これは面白いなと思って、2013年の「プロジェクトFUKUSHIMA!」で盆踊りをやろうぜと。
 
—THE STALIN時代のイメージからも、ソロアコギ弾き語りライブのイメージからも、櫓の上に法被姿で立つミチロウさんは想像がつきませんでした。
 
ミチロウ:ええ(笑)。
 
—「盆踊りをやろうぜ」となって、最初違和感はなかったですか?
 
ミチロウ:いや、ありましたよ。ありましたけど、僕の音楽の原点は子どもの頃の盆踊りとか、民謡というか、三橋美智也のような歌謡曲なんです。それからだんだん成長していってグループサウンズとかを聴くようになって、DOORSをきっかけにロックにのめり込んでいきましたが、子どもの頃の音楽体験が民謡的なものというのは僕に限らず田舎の同世代の人たちにとってはみんなそうだと思うんです。
 
Photo—そうですね。
 
ミチロウ:そこからどんどん遠くなっていって、最後はパンクまで行って、パンクからさらに一人で歌うようにってなり、盆踊りをやったときにとうとう自分の音楽のルーツに出会ったんです。そのとき(※盆踊りを行った「浪江音楽祭 in 二本松」の会場周辺に住む)浪江の人たちが、仮設暮らしという状況ながらも盆踊りを黙々と楽しんでいる…楽しんでいるという感じでもないですよね。故郷のことを思い出しながら「ああ帰りたいなー」って踊っているんですよね。それが僕にとってはとても切なく、感動させられて。そこに住んでいる人にとって民謡は大切な、生きていく中で重要な部分を占めていたんだなと思ったんです。
 
—改めてミチロウさんのここまで歩んできた道のりを伺いたいのですが、THE STALINを結成したのが1980年、30歳のときで、メジャーデビューはその2年後です。一般的な表現で言うとだいぶ遅咲きと言いますか…
 
ミチロウ:遅いですよね。
 
—どのような経緯でパンクロックに行き着いたのでしょうか。
 
ミチロウ:最初はアコースティックで歌おうと思って27、28歳の頃に東京に出てきたんです。でもその当時東京はパンクで盛り上がっていて。元々バンドはやりたいと思っていたこともあり「じゃあもうパンクやろう!」と思ったんです。
 
—学生時代はグループサウンズが全盛で…
 
ミチロウ:中学、高校の頃ですよ。20代の頃はウッドストックで盛り上がっていて、でも自分でバンドをやるのではなく専ら聴く側でした。そのあと東南アジアに放浪の旅に出て、帰ってきて何をやろうかなと思ったときに、歌を歌いたいと思って。当初、流行りのパンクについて自分は何も知らないですから、「パンクってなんだよ」って思いましたが、Sex PistolsとかPatti Smithとかを聴いているうちに「自分でバンドやろう」と決めました。
 
—そこで「自分には合わないな、違うな」とはならなかったんですか?
 
ミチロウ:違うなっていうよりも、うわぁ面白いって思いましたね。「パンクは下手でもいいんだよ、とりあえず」みたいな雰囲気もありましたし。だったらおれもやれるんじゃないかなって(笑)
 
Photo—映画の中で「STOP JAP音頭」など、THE STALIN時代の名曲までも民謡になっていて驚きました。
 
ミチロウ:最初は民謡をカバーするところから始めて、自分で作った民謡もやったんですけど、レパートリーが足りなくてどうしようかなと思ったのが理由なんですが、今までTHE STALINでやった曲の、それも民謡に一番ふさわしくないような曲を音頭のリズムに変えたら面白いんじゃないかなと思って作ってみたんです。
 
—それがパンク民謡ですね。
 
ミチロウ:一番対極にある2つの音楽をくっつけたら、それが成立してしまったという。そうすると、パンクなんて絶対に受け入れられない(と思っている)お年寄りも踊ってくれるんですよね。逆に「えー?民謡?」とネガティブに思っている若い人たちも楽しんでくれるし。世代によって存在する音楽の垣根を取り払えたのは面白かったですね。
 
—確かに、映画の中でもミチロウさんのパンク民謡を様々な世代の人が聴き入っているシーンが印象的でした。
 
ミチロウ:パンク民謡の可能性を感じましたね。
 

「故郷は人格が形成されたところ」 福島と沖縄の共通点

—映画の前半で福島・志田名の舞台が描かれていて、そこから沖縄に展開していき、最後は愛知・豊田の「橋の下世界音楽祭」へと舞台を移します。一見すると福島と沖縄は全く離れた別々の土地の話のようで、映画の中では共通点が浮かび上がってきます。今回なぜ沖縄を取り上げようと思ったのでしょうか。
 
ミチロウ:沖縄の基地問題などはずっと関心がありました。福島の原発事故が起きたときに、原発を押しつけられている福島の問題は沖縄に通じるものがあると思ったんです。ただ、それは福島だけじゃなくて、たぶん日本の地方が抱えている原発の問題は沖縄と通底しているなと。
 
Photo—改めて、どういうところが同じだなと感じますか?
 
ミチロウ:いわゆる”お国”、中央に対しての経済的な意味での植民地のような扱いですよね。沖縄が政治的に植民地であるように。
 
—(インタビュー時点で)復興大臣が先日、自主避難者が故郷に戻れないことに対して「自己責任だ」と発言し、物議を醸しました。改めて「故郷に帰る」ということについてミチロウさんはどのように考えていますか。
 
ミチロウ:誰だって好きで避難しているわけじゃないですよね。自主避難している人たちだって汚染の問題への不安があるし、幼い子どもがいるなど避難せざるを得ない状況があるわけで、それを「自己責任」と言ってしまうのは違和感がありますね。責任はそっちにあるだろ!って。
 
—その言葉は冷たさというか、もう面倒をみないよという宣言に近いものが感じられます。
 
ミチロウ:切り捨てですよね。
 
—「棄民政策」ですね。
 
ミチロウ:生活保護や年金の問題にも通じますが、「地方を切り捨てる」が顕著になっているように感じます。”人間”として捉えていないですよね。それは国民主権ではない。
 
—映画の中では志田名に住む人が「われわれは死ぬまで放射脳のことが頭から離れない、忘れることはできない」と声を上げるシーンがあります。目に見えない放射能に振り回される志田名の人々と触れ合って、ミチロウさんはどのような印象を持ちましたか?
 
ミチロウ:僕が行ったときは、既に若い人たちが避難していなくなり、お年寄りばかりが残されていました。震災を機に突然限界集落になってしまい、畑も耕せない状況で、ただそこに住んでいるという…取り残された感がすごくありました。それでもそこに住むお年寄りたちは元気に明るく暮らしていて…
 
Photo—たくましいですね。
 
ミチロウ:でも本音は「孫たちがいなくなっちゃって寂しいな」なんです。それで、年に1回お盆のときだけ(避難している若い世代が)帰ってきてくれるからということで、そのときに盆踊りをやろうと思ったんです。
 
—限界集落というと普通は30~40年かけてそうなるものですが、福島の場合はある日突然限界集落になった。
 
ミチロウ:瞬間的になったんですよね。でもお年寄りたちにとっては外に避難する方がストレスが大きくて、耐えられなかったんだと思います。避難したお年寄りの仮設住宅などでの孤独死もたくさんあるようですし。福島の場合、震災が直接の原因での死者よりも震災関連死の方が多いようですね。南相馬で「みんなの足手まといになるから私はお墓に避難します」って自殺しちゃった93歳のおばあさんがいますよね。それもショックでした。実際にそうなってるんですよね。自分が60代の老人世代に入ってきたから余計にそれを感じます。
 
—東北の方、特に高齢者の方に「他の人に迷惑をかけちゃいけない」と考えて行動する方がすごく多い印象があります。それがある意味で桎梏になっていて、その土地から出られない、という思いもあるのかなと。
 
ミチロウ:その土地に骨をうずめるというか、ここで死にたいという思いは強いのでしょうね。
 
—ミチロウさんご自身、還暦を機に故郷を見つめ直したということが前回の映画ではテーマになっていましたが、帰省する回数も増えて、若いころに比べると故郷に対する愛着のようなものを感じるようになりましたか?
 
ミチロウ:愛着というよりは…自分の人格が形成されたところじゃないですか、故郷は。自分の一番の深層心理にある部分をもう一回見つめ直さなきゃな、というのが故郷を見つめなきゃという思いにつながったように思います。…いや、今でも滅多に帰らないですよ?

◆映画『SHIDAMYOJIN』
2017年05月27日(土)~東京・新宿 K’s CINEMAにて公開開始

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監督:
遠藤ミチロウ、小沢和史(映像作家)
出演:
遠藤ミチロウ、木村真三、伊藤多喜雄、
石塚俊明[羊歯明神]、山本久土[羊歯明神]、茶谷雅之[羊歯明神Jr.]、タテタカコ、永山愛樹
 
概要:
2015年8月。福島第一原発事故から4年後の終戦記念日、遠藤ミチロウは民謡パンクバンドを率いて、40年ほど途絶えていた盆踊りの復活のため、櫓の上に立つ。そこに集まるのは、事故後に発見された福島県いわき市にあるホットスポット、志田名の住人だ。若者たちが避難した後に残された高齢者たち。遠藤は「志田名は俺たちの未来の姿だ」と見る。
大震災、原発事故、揺れ動く政治情勢の中、福島で生まれた民謡パンクが祭りから祭りへと駆け抜ける。ミュージシャン・遠藤ミチロウのルーツを辿りながら、ヘリパッド建設問題に直面する沖縄・高江を経て、愛知・豊田の大衆奇祭・橋の下世界音楽祭へと登りつめていく。

 
◆映画『SHIDAMYOJIN』 オフィシャルサイト
https://shidamyojin.wixsite.com/mysite

 

◆遠藤ミチロウ 公式サイト
http://apia-net.com/michiro/


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