特集

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TEXT:桂伸也 PHOTO:ヨコマキミヨ

新たな時代の風雲児となるべく奮闘を続けているロック男子たち。その姿を追う新しい特集「ROCK SAMURAI STORY」。記念すべき第1弾は、「江戸前四重奏」というキャッチフレーズからも本特集にふさわしいサムライ4人組、快進のICHIGEKIを、4回(Part1~4)のシリーズでお送りする。
 
バンドとしての存在にスポットを当てたSide Aに対し、本Side Bでは、個々のメンバーに対してのパーソナルインタビューより、快進のICHIGEKIという独自の存在がいかに構成されているかを深く探ってみたい。今回登場するのは、ヴォーカリストのコータだ。
 
快進のICHIGEKIのフロントマンであるコータは、バンドの強力なライブパフォーマンスを行う上でのキーマンであるが、同時にバンドの世界観をつかさどる重要な役割を果たしている。彼の考えやセンスこそが快進のICHIGEKIのもつ世界観に直結しているのだ。彼の視点、感覚の源とはいったい何なのか?コータの過去から未来、そしてその時々の思いや経験などをたずね、その秘密に迫ってみた。
 
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1) 小さなころからなんとなく行動はおかしかったんですよね(笑)

 

—コータさんは快進のICHIGEKIの中でもフロントマン、ヴォーカリストの立場からサウンド面より詞やパフォーマンスの部分で一番大きく存在感を表されていると思いますが、その点を掘り下げて聞いてみたいと思います。曲の詞はコータさんが書いているのでしょうか?

 
コータ:そうです、全部俺が書いていますね。
 

—みんなのアイデアを合わせるようなことはないのでしょうか?

 
コータ:それはないです。全部テーマから何から俺が。
 

—詞の中にある表現を見ると、とても文学的な印象がありますね。たとえば「華々しくパラリパッパ」というナンバーにある「べからずゆえに」という表現とか。あまりロックで使わない表現と思えるものが時々見られますね。漢字の四文字熟語を多く使うことも。ご自身に文学的な趣向があるのでしょうか?

 
コータ:いや、そんなものは全くないと思いますが(笑)。でも確かに、完全に文系人間でしたね、ガキの頃から。国語なんかはもちろん好きなほうで言葉的なところは好きでした。逆に理系は全然ダメ、完全な文系人間。
 

—英語等と比較するとどうでしょう?

 
コータ:英語ですか?もうマジで苦手です(笑)。あまり歌詞でもメチャクチャ取り入れようとは思わないし。だから、逆にあえてやることがあるんだけど、たとえば日本語化している英語ってあるじゃないですか?「I have a book.」という文章を、そのまま詞にしてみたり、そういう簡単な英語をわざと使ったりしますね。他にもたとえばしっかりと英詞で歌われているバンドにとって見ればそれほどカッコよくない詞をわざと使ったり、もろに日本語っぽく言ってみたりすることもあります。「I love you」は発音すれば「アイラヴュー」というものを、わざと「アイ ラブ ユー」という表現にするとか。俺が日本人なので、日本人ならではの歌詞、ロックという部分にはこだわっていきたいんです。
 

—それはロックや音楽という世界に入ってきてそう感じたのでしょうか?それともその以前から和的な感覚や日本語に対するこだわりを何か持っていたのでしょうか?たとえば親等の影響とか…

 
コータ:いや、親からそういう影響は、特に受けてはいないですね。たとえば音楽的な話では、親はそこまで日本のロックを聴いていなかったし、どちらかというと洋楽のほうが好きでしたし。ガキの頃には家でかかっていたのはTHE ROLLING STONESとかLed Zeppelin、ベタなところで言えばThe BeatlesBilly Joelとか。
 
日本でいえば忌野清志郎くらいですかね。そういうものをガキの頃から聴いていたといえば聴いていたけど、俺は実際のところそのあたりの音楽は、あまり聴いていなかったんです。だからガキの頃も聴いていてあまりいいとは思えなかった。今思えばそんなロックの神的存在は、現在の自分の感覚でいえばカッコイイと思えるけど。でも別に親が聴いていたものに対してカッコイイとは思えなかったですね。
 

—親とケンカしていたわけでは?(笑)

 
コータ:いや~全くないです!(笑)
 

—どちらかというと、わりと平穏に育ってきたほうでしょうか?

 
コータ:そうですね。特にガキの頃に何かあったり、トラウマや心の闇的なものがあったりなんてことは無かったです。快進のICHIGEKIの歌詞内容等は基本的に実体験に基づいたものなんかを形にしていますが、それらの体験や思想といったものは大体が18才以降に自分が受けたことなので。音楽に触れたことで、俺の人生は良くも悪くも波乱万丈になり、色々と壮絶な方向に進んで行った感じです。
 
ただ、今とガキの頃に共通していたのは、わりと目立ちたがり屋だったというところじゃないかと思います。小学生の頃は、それこそクラスの中で「盛り上げ役」みたいな感じでした。今の俺の人間性じゃ到底考えられない。実際に音楽を始めた高校の頃から性格は擦(す)れていった気がするので(笑)。でもガキの頃の行動を今振り返ってみると、「あっ、もしかしたらこの頃からステージに立ちたかったんじゃないのかな?」と思うこともあります。
 
今は友達関係を広く浅く、というのは自分としては無理なので、どちらかといえば交友関係は陰にこもって深い関係を求めるタイプ。そういう意味では友達がそれほどいない(笑)。自分で音楽を奏でて皆に見せる、いわゆるバンドを行おうと思ったのは高校一年の頃、それまでは音楽はもちろん好きだったし、学校の音楽の授業も好きだったけど、それを自分で作曲して自分の表現として見せたいと思ったことはありませんでした。高校は野球部に入るために行こうと思っていたし(笑)
 

—体育会系ですね(笑)

 
コータ:まあそうですね(笑)。野球が好きだったというのが、今思えばとてもばく然とした思いでしたが。だからそれまで音楽はそれほどではありませんでした。ただ、それまでを思うとなんとなく行動はおかしかったんですよね(笑)。
 
これは未だに親のほうが恥ずかしがっている話ですけど、中学校か小学校6年くらいに、親の部屋にあった8ミリビデオカメラを持ってきて自分の部屋にあった棚の上に置いて、ベッドの上に立って親からパクってきたサングラスを掛けて、さらに誰かの適当な歌を流しながらそれを撮影していたという(笑)。そんな変態的な行動を昔からとっていたことがあるんです(笑)
 

—スゴイ過去ですね(笑)。でも考えてみると、最近よくありますよね、YouTubeやニコ動等で。そのさきがけというようにも見えますね?

 
コータ:あっ、そうですね!「歌ってみた」のさきがけかも。でも当時の状況を考えると…(笑)。そんなことをやっていたのを今考えると、ステージに立ったり、テレビに出たり、人前で歌ったりしたいという気持ちはもともとあったのかもしれない。そのときは全く意識していなかったけど…いや、でも本当に変態で気持ち悪いことをしていました(笑)。カメラの前で、「俺の人生はこれこれこういうことがあるけど…」とか語りながら(笑)
 

—でも快進のICHIGEKIでは演出などの部分をコータさんが担当されているという話をうかがったことがありますが、そういう面では今につながる部分もあったのではないでしょうか?

 
コータ:そうですね。バンドの世界観的な部分でSEや転換中に流れているBGM等は俺が作っているし。もともと昔から履いている羽織袴も俺のアイデア。バンドの雰囲気って、ヴォーカルが大きな影響を及ぼす部分があるじゃないですか?世界観も俺が歌詞を書いて歌う以上は、俺の世界を強く出す傾向にあるし、それを演出として表現しています。SEも和テイストのものを出すことがありますが、初期の頃は和太鼓の音を入れたり、和音階を入れたりして、本当に和テイストを強く出していましたね。何も考えずに作ったらそんな感じになっていた、ということもありますが。
 

2) 「ムキになって努力して打ち込んだものが初めて自分に返ってきた」、それが音楽だったんです。

 

—その和的なテイストというのは、快進のICHIGEKIのメンバーが集まってきた段階からそういうものがイメージにあった、ということでしょうか?

 
コータ:いや、そういうわけでもないです。もともと僕らのバンドって、コンテストに出るためだけのバンドだったんですけど、それが終わって「もうちょっとやってみよう」と、久雄佑一が意気投合し、その後が合流したのが、今の快進のICHIGEKIになったんです。
 

—潤さんの入る前の5人というのは、どんな出会いがあったのでしょうか?

 
コータ:もともと久雄と俺は小学校の低学年からの幼馴染みだったんです。実家も近かったし、ずっと一緒にいる中で高校は別々に行ったけど、お互いの高校の友達と遊ぶよりは2人で曲作りをしていました。曲作りは高校に入ってすぐ。まあさすがに今やっている音楽の面影もないようなものが殆どでしたが(笑)
 

—逆にその頃の面影を残している部分は何かありますか?

 
コータ:そうですね…オリジナルをやる前に厳密にはコピーをやっていて、それは聖飢魔IIをやっていたんですよ。久雄が聖飢魔IIが中学の頃から大好きで、俺もその影響で教えてもらってよく聴いていました。まあ聖飢魔IIといえば「蝋人形の館」のイメージくらいしかなくて、最初は「コミックバンドか?」という認識しかなかったけど(笑)、聴いたらすごくカッコよくて、高校に入って久雄たちと聖飢魔IIのコピーバンドを始めたんです。俺はやっぱりデーモン閣下の世界観や歌詞に憧れて、えらく感動していました。今でも俺が日本のアーティストの中で唯一「神」とあがめられるのはデーモン閣下、と悪魔に対して思うのも変ですが(笑)
 

—和的な影響をそこからも受けたものがあるのでしょうか?

 
コータ:少なからずあるかもしれません。聖飢魔IIも日本語だし。ただ、俺は単純にその歌と歌詞にはとても感動したし、それは今自分が歌詞を書くときにも影響を受けていることを強く感じます。
 

—デーモン閣下の裏にある久雄さんの影響というのも強くあるのでしょうか?

 
コータ:もちろんありますね!やっぱり久雄は中学生時代から音楽に長(た)けていたということもあるし。中学の頃からいろんな音楽を聴いていて、もう既にギターがメチャクチャうまかったんです。だから彼の影響で音楽や曲の作り方、ギターの弾き方とか、基本的なノウハウというものはすべて彼から教わったし、彼から勧められたCDをよく聴いていたので、彼の影響は大きかったですね。
 

 

—ステージに立とう、というモチベーション自体の影響も強かったのでしょうか?「あいつがカッコイイから俺も」というような?

 
コータ:いや、それはちょっと違うかな。俺はどちらかというとバンドを始めた後からやる気が出てきたというタイプなんです。先ほどお話したとおり、もともと音楽をやる気はなくて、ひょんなきっかけでバンドを組むことになったので。音楽に方向が向いたきっかけは、実は中学の卒業式の前日にあったんですよ(笑)
 

—それは突然ですね。

 
コータ:そう、卒業式の前日に「卒業生を送る会」ってあるじゃないですか?体育館なんかで。その当ときにバンドやっていた子は結構ヤンキー系の子が多かったけど、そのときも同学年のヤンキーくんたちがX JAPANやらLUNA SEAなんかのコピーをステージでやっていたんです。それを久雄と、俺の2人で見ていたんですけど、その演奏が終わった後に同じクラスのとある2人が俺たちのところに来たんです。で、彼らは俺と久雄が結構音楽が得意、ということを知っていたので、「あのさ、ドラムの譜面の読み方って知っている?」とか聞いてきて(笑)。話を適当に流そうとしていたら、「2人一緒にバンドやらない?」って誘ってきた(笑)
 

—微妙な流れですね(笑)

 
コータ:まあ久雄はギターだったけど、俺は何もできなくて「歌うくらいしかできないけど…」と言ったら「じゃあヴォーカルね」って(笑)。一人はドラムだったけど、もう一人の奴は何をやるか決まっていなくて、「じゃあ俺ベースにするわ」とあっさり(笑)。そのときにバンドをやることが決まったんですよ。そのとき久雄が「やるんだったら聖飢魔IIのコピーがいい!」って言ったので、聖飢魔IIのコピーバンドで始まって。そのバンドを組むと決まったときから、「高校に入ったら野球部」という思いは一切なくなっちゃいましたね(笑)
 

—それはそれは…とてもスムーズな切り替えでしたね(笑)。それにしても、「ドラム譜の読み方を教えてくれ」というレベルの人と、バンドをやろうという決意を固めたのもすごい(笑)

 
コータ:まあ、いくら久雄はギターがうまかったといっても、バンドを組むということに関してはまだ無知でガキだったので。感覚だけで楽しそうって思ったんじゃないでしょうか。結局やり始めたとたんに俺と久雄のほうが熱中してしまい、誘ってくれた2人のほうがついてこられなくなって「クビ!」となっちゃいました(笑)
 

—でも何か音楽に対して思い当たる節はあったのではないでしょうか?「高校で野球をやる」という志は、結構高い志ですよね?それほどパッと切り替わるものではないのではと思いましたが(笑)

 
コータ:確かに。野球はオヤジの影響でやっていたんです。でも、結局自分には野球は向いてなかったと思うんです(笑)。オヤジは一生懸命野球を教えてくれたし、俺は野球は大好きだったけど、その好きになったきっかけというのは野球マンガを読んだ次の日とか(笑)。サッカーのマンガを読んだり、Jリーグの試合を見たら、次の日は夜遅くまでサッカーの練習をするとか。俺は結構カッコだけで何でも始めちゃうところがあるみたい。
 
中学校の3年間は野球をやっていたから、ばく然と「高校に入っても野球部かな」って思っていたんです。受験する学校も、野球部のユニホームがカッコよくて、学力的にもピッタリなところがあったので、「このユニホームを着たい」という考えで決めたし(笑)。だから、今考えると野球自体への信念なんて実は全くなかったですね。
 

—結構よこしまな感じでしたね(笑)

 
コータ:ただ振り返ってみると、「ムキになって努力し打ち込んだものが初めて自分に返ってきた」、それが音楽でした。やればやるだけ伸びたし、失敗してもまたやろうと思えたのが歌。成長も手にとるようにわかったのが歌だったんです。今考えると野球はどれだけ個人練習をしても全くうまくならなかったんですよ(笑)。そうことのはセンスによるものもあるから、音楽のほうがよっぽどセンスがあったんじゃないか、などと思っていますけどね。だからその切り替え自体に全くためらいはありませんでした。
 

—ということは、客観的に見ると大きな切り替えに見えるかもしれないけど、主観的には「よくあること」という認識なのでしょうか?

 
コータ:そうです(笑)。もちろんいろんなことに対して大きな切り替えを行うことは、今は当然音楽をやっているし、今後それほどはないでしょう。切り替わるとすれば、音楽から役者に替わるとか(笑)。多分そんなことはないでしょうし。本当に「特別な経験をもって、天才肌として成長し、満を持してその道に」というよりは、本当にどこにでもいるような普通の子だったんですよ。だから音楽に出会わなかったら普通に大学に入ってサークルに入って、という感じの普通の人生を歩んでいたと思います。だから厳密には自分の言葉や思いを素直に表現できるツールというのがこの音楽、それを偶然見つけたという。
 

佑一さんとはどのようなきっかけで出会われたのでしょうか?

 
コータ:友達の紹介をもらったんです、「うまいドラマーがいる」って。それからその友達に連れられて彼の家に行ったのが初めてでした。
 

—ではやはりドラムのうまさという部分に印象が強かったのでしょうか?

 
コータ:いや、確かにドラムはうまかったし合わせたらバッチリだったけど、どちらかというと…そのファーストコンタクトで、彼はなぜかドラムセットに座って、何かの缶を持っていたんです。実際、彼は今でも酒が飲めない奴なんですけど、その姿が酒を持ったかっこいいドラマーに見えて、やけにどっしりして「重鎮!」という雰囲気をかもし出していました。その印象がとても強い(笑)
 

—「重鎮」ですか…(笑)そのどっしりした感じは、今でも感じられていますか?

 
コータ:まあ、そうですね。やっぱり体形的にもガッチリしているし、立ち振る舞いとか。彼のそんなどっしりした感じはやっぱり今でも、彼の性質的には一番強く感じるところですね。
 

—なるほど、そうでしたか。ではその後ギタリストとベーシストが脱退しベースの潤さんがバンドに合流したという流れですね。潤さんについてはどんな印象をもたれていたのでしょうか?

 
コータ:とはその前から対バンを何度かやったことがあったので、彼のプレイはよく見ていたんです。で、彼を見た印象はとにかくよく動いて目立つベーシストだな、という感じでした、暴れる感じで。さらに当時は頭を金髪にしていたし(笑)
 

—ステージ栄えをよく知っていた感じだったのでしょうか。ステージ以外で交流することもあったのでしょうか?

 
コータ:ありました。何回か対バンをした中で、彼は特に俺たちに興味を持ってくれ、よく声を掛けてくれたんです。まあ俺たちは当時バンド友達がいなかったので(笑)、余計に印象を強く感じています。そんなこともあってか、いいベーシストだなとずっと思っていました。
 

—そして、メンバーとして合流する機会が来たということですね。

 
コータ:そうです。実はちょうどのバンドも解散することが決まっていて、俺たちのバンドメンバーが抜けた頃とちょうど時期が重なっていたんです。タイミングが良かったですね。
 

—実際に一緒にプレイした印象はいかがでしたでしょうか?

 
コータ:それはもうバッチリ!というか、一発あわせただけで「これだよな!」って思いましたね。逆に予想外の点がないくらい。それからバンドを続けていくうちに、やっぱり俺たちの知らなかった世界や、「こういうときにはこうあるべき」ということを教えてくれて。もう彼が入る前のバンド自体がとにかく運営等がひどかったから(笑)、彼が入ってやっとうまく進むようになったと思っています。
 

—なるほど。では今の4人がそろった段階で一番しっくりするメンバーが快進のICHIGEKIとなった、という印象ですか?

 
コータ:そうですね。この4人は本当に集まるべくして集まったメンバーだと思っています。その思いはとても強いですね。
 

3)「コータの歌詞」というジャンルを確立したい。

 

—昨年BEEASTで取材を行った際にお聞きした話で、「ライブとは何か」という問いに対して「戦いの場」というイメージをおっしゃっていただきましたが、何と戦っているイメージなのでしょうか?詞には「退廃的な現状から泥臭く立ち上がれ!」というようなストーリーが感じられますが、ご自身の内面で何かと戦いたいという意志があるのでしょうか?

 
コータ:あると思います。それはある面、子供の頃に見ていた親の様子に起因している部分があるんじゃないかと思っているのですが…俺の幼少期は普通の生活をしていたけど、一方で親が割と政治的な問題や時事問題に敏感な気質で、ニュース等に敏感に反応してよくそんな話をしていたのを聞いていた記憶があります。
 
そんな影響から俺もその時期の政治的な問題や時事問題のニュース等に反応して、一人で勝手に考え込んだりするような子供になっていました。あくまで子供心としてですが、今の世の中の流れに対して掘り下げれば掘り下げるほど恐怖感を覚えることもあり、この先この国はどうなっていくのか?ということを一人で考えることも多かった気がします(笑)。
 
そんなガキの頃に抱いた感情から、人間は一人一人が踏ん張って立っていくという気持ちが無ければ、支え合う強さも持てないんじゃないか?…という考えが強く自分の中に根付いているんだと思います。自分にとって「強く生きていく為のスタンス」というか。それを掲げた上で、色々な弊害のある世の中と戦う…というイメージは常に持っています。
 

—ではそういうイメージからなる世界観は「構築しよう」とするよりは、自分の中から自然に湧いてくるものを表現しているという意識なのでしょうか?

 
コータ:そうですね。ほぼ100%、世界観は作ろうと思って作ったものはないんです。結構素直に吐き出した言葉がそのまま世界観に現れているんです。まあ、ライブでは自分が生きている、生命力がみなぎっている場所であり、来てもらったお客さんにもそういうイメージってあると思うから、それは結果的にライブの表現が「戦いの場」というイメージになっているんです。
 
「これだけ強く生きることができる!」「こんなに笑顔になれる」「今こんな世の中だけど、こんなパワーがあれば絶対にこの世の中で生きていける」って。絶望もいっぱいあるかもしれないけど、この拳と、声を張り上げる勢いがあれば、絶対にどんなことにも負けないんじゃないのか!?というのが、自分の信念。だから大げさかもしれないけど、あえてライブを「戦いの場」という表現にして自分を奮い立たせているんです。
 

—それは快進のICHIGEKIとしてライブやリリースをし始めた頃からそういうスタンスだったのでしょうか?

 
コータ:そうですね、本当にそういうスタイルだったと思います。そのときはあえて口にしたり、思ったり自分で感じたりするようなことはなかったけど、今振り返ってみればライブや曲作りに関しては攻撃的な雰囲気もありましたし。
 

—では、そのスタンスで今後、快進のICHIGEKIを続けていく上では大きく方向性を変えてくような意向はないのでしょうか?

 
コータ:どうでしょう?今年10年目を迎えるにあたって、快進のICHIGEKI自体がもはや方向性を変えるということであれば、バンド名から何から変えるしかないですし、逆にバンドとして芯になってブレないものが確実にあるはずなので、それを曲げることはこのバンドでは絶対にないと思います。ただそうはいっても、それだけじゃ多分ダメだとも思っています。
 
今後俺たちのメッセージを一人でも多くのお客さんにどういう風に伝えていくか?一人でも多くの人の胸を熱くする方法は、どんな手を使ってでも掴(つか)んでいきたいと思っていますので、「これしかやらない」とか、「俺たちのスタイルはこれだから」という一点張りで活動していくということは絶対ないです。表現方法として、必要であれば「えっ?こんなこともやっちゃうの?」みたいなことは今までもやっているし、これからもやっていきたい。それがバンドマン、アーティストとしての挑戦だと思っていますし。
 

—最後にアーティスト、ヴォーカリストとしてどう成長していきたいと思うか、その思いをうかがえればと思います。

 
コータ:やっぱり、俺の最大の武器は歌唱力や歌の部分というよりも、詞で作り上げる世界観だと思っているんです。もちろん歌唱力等を上げていくというところにも積極的に取り組んでいきたいと思うけど。たとえば言葉じりを聴いただけで、「これはコータじゃないか?」「殿コータの愛称)じゃないか?」といわれるほどに言葉をつき詰めたいと思っています。
 
本や論文を書くようなことは俺には絶対に向いていないけど、自分の最大の武器である歌詞については、それを人が見ただけで「コイツが書いた」ということがわかる、というくらいに自分の世界観を確立したい、「コータの歌詞」というジャンルを。今までもファンの人や仲間などに評価してもらった機会はあるけど、まだ全然足りない。
 
自分じゃないと吐き出せない言葉って、もっと掘り出せばいっぱいあるし、それには日々自分の人生と経験に向き合っていくしかない。それは本当に何でもいい、経験って。経験を重ねるというよりは、どれだけ人生と経験に向き合えるかであって、それができれば言葉は増えてし、そこをフル活用すれば自分のジャンルはできると思うんです。
 
ただ、なかなかみんなそれはできないですよね?やっぱり当たり障りのないこと、人が書いているようなことを書く方向に行ってしまう。それが万人に受けるのでそういう方向にみんな行ってしまうのだろうけど、俺はできればそういう方向には行きたくない。独特な「この人にしか書けない」という歌詞を貫いた偉大なアーティストも沢山いるので、その頂点を目指していきたいです。
 
hana
 
快進のICHIGEKI独自の世界観を作り上げるコータは、非常に興味深い存在だ。バンドの曲に存在するシリアスな歌詞の世界観からは、彼に対して特別なイメージを持つものもいるかもしれない。しかし、インタビュー中の彼にはごく自然でそのとき語った言葉を言い直すような躊躇は一切感じられなかった。
 
勢いだけで語られるコメントは、話す中身には何らか不自然な要素が組み込まれる懸念があるが、ステージの中で彼から吐き出される歌とMCには、一辺の迷いも見えない上に、道筋のはっきりした思いや真理がしっかりと埋め込まれている。快進のICHIGEKI、そしてコータの魅力の根源は、ごく自然な生活と価値観の元にあるといえよう。己(おのれ)の思いのまま突き進む彼のステージは、まさに言葉どおり必見だ。
 

予告

次回のPart2、Side Bのパーソナルインタビューではベーシストのが登場します。お楽しみに!
 

◆ライブ情報
 
2013年05月10日(金) 【東 京】 新宿LOFT
快進のICHIGEKI 東京/名古屋/大阪 ワンマンツアー
2013年05月17日(金) 【大 阪】 心斎橋CLAPPER
2013年05月25日(土) 【愛 知】 名古屋ell.SIZE
2013年05月31日(金) 【東 京】 渋谷Star Lounge

ザ☆メンテナンス × 快進のICHIGEKI 2MAN SHOW
2013年06月18日(火) 【愛 知】 名古屋ell.SIZE
2013年06月20日(木) 【東 京】 渋谷Star Lounge
2013年06月21日(金) 【宮 城】 仙台HOOK
(※6月21日のスケジュールは、イベント『actsound×Deathperad presents「Subversive-ACTivity」』への出演になります。)

 
◆公式サイト
http://k-ichigeki.com/

 

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