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Let The Music Do The Talking 〜テイク7「高木フトシ」インタビュー

TEXT:山崎光尚 PHOTO:高水秀人

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魂のシンガー・高木フトシ
HATEHONEYBAD SIX BABiESといった伝説のバンドのフロントマンとしてファンからの熱い支持を得、現在はソロやAKUHgonvutといったユニット、バンド形態のvezなど、多岐に渡り精力的に活動している。愛と平和を叫び続けるこの男のミュージシャンとしての軌跡を掘り下げるべく、取材を慣行した。高木フトシの音楽や世の中に対する想いに、じっくりと耳を傾けていただきたい。


 

—まずは高木さんのことを弊誌ビーストで初めて知る人のためにも、高木さんの“過去”をお聞きしたいと思います。HATEHONEYは、結成のきっかけはどういった経緯だったのですか?

 
高木:ベースの八田敦)とは中学の時からのツレで、あいつに誘われたのがきっかけだね。それまでは一人で弾き語りとかやってたんだけど、バンドやるのはそれが初めてで。最初はNIRVANAのカヴァーをやっていて、「横浜NIRVANA」っていうそのまんまの名前を名乗ってたんだけど(笑)、そこからHATEHONEYに発展したんだ。あのころはあんなサウンドの音楽やってたのは、日本ではHATEHONEYくらいしかいなかったんじゃないかな。なんつって(笑)。 
 

—確かに後に“ラウド系”と呼ばれるバンドたちの先駆けでしたし、でも後続のバンドたちとは高木さんの情感溢れる多面的なヴォーカルスタイルが、特に一線を画していたと思います!

 
高木:そう?ありがと(笑)。 
 

—そして一度活動休止になるわけですが、その辺の経緯は…?

 
高木:…なんだったかな…?理由は色々とあったと思うんだけど、俺が言い出したんだ。う〜ん、その後はずっとパチンコばっかやってたな(笑)。そしたらあるところから、戸城さん(戸城憲夫The DUST’N’BONES ex.ZIGGY)が俺と会いたがってるって言われてさ…。 
 

—実はそのあたりの時期を高木さんの“過去”で一番語られていなかった部分として、今回お聞きしたかったんです。当時、戸城さんがやっていたTHE SLUT BANKSからヴォーカルのTUSKさんが脱退し、この先どうなるんだろうとファンはヤキモキしている時に、高木さんの合流により、今では伝説と化した幻のバンド・BAD SIX BABiESが誕生したわけですよね!

 
Photo高木:正直、THE SLUT BANKSに加入しないかという誘いには乗る気もなかったんで、最初はシカトしてたんだよ(笑)。でもある日、パチンコで勝ったから気分がよくて、連絡したんだ(笑)。で、下北の居酒屋で戸城さんと会ったんだけど、「ZIGGY戸城さんが好きだから、全くの別バンドとしてならやりたい!」って言ったら、「うん!全然、いいよ~!」って(笑)。うん、でも、ZIGGY時代の戸城さんは本当にNIKKI SIXXANDY MACCOYといった人たちのような危うさを日本で唯一持つ、ミュージシャンだと思ってたからさ。「そんな戸城さんに戻るなら、やります!」と伝えたら、「うん、全然戻るよ~!」って(笑)。その後は最近聞いている音楽の話や、THE SLUT BANKS時代にプロデューサーとして携わったスティーブ・アルビニの話とか聞いて、すごく盛り上がって。ああ、戸城さんの感覚っていい意味で若いんだな…すごく一緒にやりたいなって思ってさ。今思うと戸城さん、あの時、The Smashing PumpkinsのTシャツ着てたんだよな。俺の気を惹こうと思ってたのかな(笑)。でも、後々、「あのときはVoが誰だろうがなんだろが、バンドやれんなら誰でも良かっただけだよ」と言ってたけどね(笑)。かっこいい人だよ。 
 

—なるほど〜(笑)。そしてわずか一年半後、高木さんの衝撃の脱退に至るわけですが、今回はあえてその辺は聞きません。それこそ過去に散々聞かれたでしょうし。でも、その後も戸城さんとは仲はいいみたいですよね?一時的に「フルスペック3連チャン」や「Jently Weeps」という名義のバンドで再び戸城さんたちとBAD SIX BABiESの曲を演ってくれた時は、ファンとしては涙腺決壊でした!…でも、音源化されていない名曲が多くて、非常にもったいないバンドだなあとも思うんです。

 
高木:うん、ありがと。音源に関しては今でも戸城さんから声がかかれば、いつでも録りたいとも思ってるよ。 
 

—そして、再びHATEHONEYの復活となるわけです。

 
高木:BAD SIX BABiESのライブに来た時があってね。「メチャメチャかっこいい!」って言ってくれたんだけど、その時はテキトーに流してたんだよね。でも脱退後にと飲んだ時にすごく楽しくて、後日HATEHONEYの元スタッフたちに召集かけて「もう一度やろうと思うんだけど、どう?」って聞いたら、みんな「やろう!」って返事で、そこから再スタートを切ったのよ。今思えば俺との個人的な感覚で、音楽的なジャンルはなんでもよくてさ。でも、俺らがガキのころに出会ったKISSチープ・トリックエアロスミスAC/DCみたいな感覚を今まで素直に出せてなかったなあと。だったら俺らが出会ったころに夢中になって聴いてたようなアルバム作ろうぜ!って話になって。冒頭にはパイロット曲的なものがあって、最後はロッカバラードで締める!ような、王道のね。 
 

—それで出来上がったのが、名盤「blow」なんですね!確かに一分の隙もないような、ロックンロールアルバムだと思いました。個人的にはBAD SIX BABiESを経た上でのポップ感もすごく感じたのですが、あの時代の経験は出ていますか?

 
Photo高木:それは出ていると思うよ。実際、戸城さんにもあのアルバムは送ったし。「まぼろしの羽根」って曲は何気に戸城さんに向けて書いたつもりだしね。その辺は聴く人が聴けばわかる!でも、実際には森重さん(森重樹一The DUST’N’BONES ,ZIGGY)の方が、誉めてくれたんだけど(笑)。 
 

—その後、活動休止前とはまた趣向は違いつつも、HATEHONEYの進化が見受けられるマキシシングル、アルバムをリリースしていったわけですが、2005年に解散宣言を…。

 
高木:なんか、やっちゃいけない嘘ってのが、俺らの中であってさ。「これ以上はダセーだろ」と思ったら解散するというのは、俺との中で守った部分なんだよね。二人で飲み行った時、決めたんだ。 
 

—その後ラストアルバムを出し、ラストツアーに望んだわけですよね。

 
高木:うん、アルバム出して、一年かけて解散までやり切るということに、ベストを尽くした。 
 

—素人考えで恐縮なのですが、終わりに向かって実に一年かけてやっていくということに、悲壮感はなかったのですか?

 
高木:…う〜ん、悲壮感が仮にあったとしても、それをあまり出すとダサいと言うか…。かと言って出さなきゃカッコいいわけでもないと思うんだけど、人としておかしな話だと思うんだよね…。悲しい部分も、何気に心ではわかっているっつーかさ…。打ち上げの時間も長くなってたのも、その表われかもしれないし(笑)。あと、悲壮感とは真逆の、初めて仲間と大きなことをやり遂げている感…。これって、美しい生き方だと思うんだ。きれいごとかもしれないけど、金では買えない自分たちにしかできないこと。…うん、美しかったと思う。これぞ正にHATEHONEYだったよ。自分の人生の中での一番の誇り。解散ツアーに携わってくれたスタッフ、ファンとの共有した時間は一生忘れないな。…その後の打ち上げで、俺んちまで来て、泥酔して伝説残したやつらのことも、忘れられねーけど(笑)。 
 

—それからHATEHONEY時代からも少しずつやっていた、ソロ活動に移るわけですが…。

 
高木:今思うとね、やっぱり単純に音楽で生活したかったんだと思う。だから何かやらなきゃって。最初はソロの弾き語りをメインでやるって のは考えてなくて、FUTOSHI TAKAGIプロジェクトみたいな感じでvezの前身となったようなバンド形態でやってみたり。 
 

—ソロ以外の活動は、どういった経緯でやることになったのでしょうか?

 
高木:全部ノリだよ(笑)。飲んでる席だったり、誰かとたまたま何かしら話してる時だったりね。何ひとつ契約も結んでなければ、ライブの 動員も増えてほしいけど、増えなければいけない状況でもないしね。だからこそ本気でできるし、少なからず求めてくれている人たちには提供できる。それが自分たちの力でできる時代だとも思うしね。うん、だから、ストレスはないよ! 
 

—では、今活動している各々の形態の、ご自身で思う“ベクトル”を、あえて言葉として語っていただけますでしょうか。

 
Photo高木:まず、ソロはメンバーがいない分、責任は全部自分にあるわけで。覚悟もそこにあってさ。だから、そういう歌を歌いたい。周囲の人間にと言うより、世界的な尺で誰かに向けて歌いたいんだ。AKUHはソロの延長であり、YANA(ex ZEPPET STORE)はね、世界一のドラマーだと思っているから、二人でやれる可能性を模索中なんだよね。バンド形態でやっているvezはそれこそノリで始まったんだけど、2010年は遊びじゃなく、ちゃんとやりたい。曲も詩も色々と書いててさ、遊びでやるにはもったいないと。俺らバカだからイマイチ気付かなかったんだけど(笑)。去年3回しかライブやってないんだけど、逆にいつでもできるじゃんって感覚もあって。…う〜ん、なんだろ、真剣にやっちゃうと客も巻き込んじゃうじゃん?どうでもいいっちゃいいけど、考え出しちゃう瞬間があってさ…。他のメンバーも巻き込んでいるわけだからね。でも、ちゃんとやっていきたいなと。…急にマジメな話になってゴメン(笑)! 
 

—いえいえ(笑)!いちリスナーとして、バンド形態というのもあるからか、音楽性も含めてHATEHONEYの延長線上にもあるのかなと思ったのですが。

 
高木:HATEHONEYに関してはさっきも言ったとおり、やりきったからそういう意識はないかな。だから躊躇もしないし、vezに関してはできれば、海外でもやりたいと思っているんだ。というのも、他の活動に比べてメッセージ性とか特に言いたいことが強いわけではなく、ただ音楽をクリエイトしたい。そこに集中できるバンドだからさ。 
 

—では、PVも好評なアコースティックユニット・gonvutは?

 
高木:タケシゴンダタケシGRiP)とでしかありえない純粋な音!…あれが創れるのは、奇跡だよ。そこがブレることなくストレスもなく、長く続けられたらなあと。そしたら、すごいことになるのかなあと思うんだ…!詩も曲もブレていない、奇跡的なユニットだよ。 
 

—なるほど。高木さんの多面性を今一度、知ることができました。ではビーストでレポートさせていただいた2009年11月に行われたソロワンマンライブ“CORE”をやり遂げてみて、その後心境の変化はありましたか?

 
高木:やってよかったし、あれからソロで演る時の気持ちが全然違うね。3ヶ月連続でリリースした3部作シングルの集大成としてやったわけだけど、俺なりにやりきれたと思うし。…なんて言うか、世の中の間違っていると思うことを俺に言う権利はないし、逆にそれを言葉で言うだけは簡単なことでさ。でも、それも全部含め、正直に悩みきったことを形にできればと思ったんだ。それがアーティストだと思うし、俺にとっての結果があのワンマンだったわけ。強くなれたよ。決して楽になれたわけじゃないけど。失うことが怖くなくなったし、俺は俺を貫けるなと。かと言って、言いたいやつは言え、聴きたいやつは聴け!という気持ちにもならないんだ。俺、みんなに愛されたいし(笑)。いや、愛される生き方をしたいんだよ。こういうのって、そういことを一番毛嫌いしていたような人間が言わなきゃダメなんだ。俺は弱い側の人間だし、強いやつだけ永遠に強いって世の中じゃダメだと思ってるからさ。だから言うしかなかった。 
 

—3部作の曲たちは最初から3部作という構想を練った上で、作られたのですか?

 
Photo高木:うん。初の試みだったんだけど、ひとつの詩をそこから三つに分けたんだ。「dancer」ってのは、俺のように色んな意味でアンダーグラウンドで“踊らされて”いるという、音楽業界や世の中の格差について、俺なりに歌いたかった。で、そこに“噛み付いた”時に何かが起こると言いたかったのが、「Bite」。そして最後に、宇宙や地球や俺の心の中にある“核”を表現したかった「CORE」に行き着いたんだ。…うん、3部作以前から散々色んなことを経験し、勉強して色んな正義を加味してずっと重いテーマを歌ってきてさ。それで“CORE”に辿り着いた時には、「来たな!」って思ったよ。俺の中にある“CORE”や、なんか一番孤独だなって思えたこの星の中の“CORE”を思い描いた時に、一番わかりやすくて自信を持って歌えるなって思えたんだ。なんかとりとめのない話かもしれないけど、政治や宗教や平和についてもさ、みんな今、敏感だと思うんだよ。例えば9.11の事件にしたって、みんな今でも興味はあるし、心ではどこかで気にしてるとは思うんだ。じゃあ、どうするかって時にそのことについてみんな…いや、何人かは言いたいだろうし、言えるようになりたいはずなんじゃないかなと。俺もそうなりたいと思ったんだ。じゃあ、俺に何が言えるかってのが、「この空ブチ抜こうぜ!」ってことでさ。…ものすごく無責任な言い方かもしれないけど、それがロックの役割だとも思ってる。叫び切ることが。間違ってるかもしれないし、これからだって間違うけど、でも歌いたい。 
 

—その言葉をお聞きした上で、根本的な質問をしたいのですが、音楽で世界は変わると思いますか?

 
高木:思うよ。音楽だけでなく人が世界を変えるわけだし、その人には音楽は必要だと思うし。逆に言えば、音楽が必要じゃない人には、世界を変えられないと思う。 
 

—では、高木さんのこれからの未来について、思い描いていることをお聞かせください。

 
高木:今はとりあえずチャリティーライブをやりたいかな…。もう少し俺みたいなミュージシャンが音楽を創りやすい環境ができてほしいし、その基盤を俺が作れたらおもしろいかなあと。 
 

—最後にアンダーグラウンドシーンの人間として、今の日本の“音楽業界”については、どう思いますか?

 
高木:わかりやすく言うと、この業界のシステムはピラミッド形でさ。 上にいる偉い人とか音楽に直接関わってない人たちだけが、グルグルなんか回ってるわけじゃん?もっと下にいる人たちが育てられる環境やチャンスを与えられるべきだし、そうしていきたいね。 もう、これからは自分のサクセスのために音楽を利用する時代じゃないと思うんだ。ピュアにやりたいことをその都度発表することが重要で、本当に好きなことを好きな時にやるべきだよ。それを聴きたいと思う人は必ずいるはずなんだからさ。リスナーだってバカじゃないし、もうそういう時代が来ていると思う。俺は発表の場がなければ自分で作ればいいと思って今までもやってきたし、これからもそうしていくしね。雲の上で笑っている人のために歌は歌わないよ。と、憲三津田憲三/ex.N.E.S.)が言うように俺もそう思うし。…まあ、雲の上で笑えるなら笑っていたいという気持ちもあるんだけどさ(笑)。 
 

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取材後、筆者が「個人的にHATEHONEY初期の強面でダークなイメージの高木さんと、BAD SIX BABiES時代の弾けた高木さん、そして今のアダルトで優しげな雰囲気の高木さんが、本当に同一人物なのか!?って、たまに妙な錯覚に陥る時があるのですが」と伝えると、「そう?(笑)。根本は何も変わってないよ。俺はその時々のベストを尽くしてるだけだよ」と、微笑みながら語ってくれた。この人の強さと優しさに満ち溢れた音楽は、これからも私たちの耳に、その時々のベストな形で聴こえてくることでしょう。みなさんも魂の叫びを、ぜひ肌で感じてみてはいかがだろうか。


 

【高木フトシ 公式サイト】 
http://akuh.seesaa.net/
【インフォメーション】 
2010年2月22日(月)【下北沢】CLUB Que“gonvut” 
2010年2月27日(土)【 柏 】Thumb Up“SOLO” 
2010年3月02日(火)【本八幡】Route14“SOLO” 
2010年3月19日(金)【新 宿】Naked Loft“SOLO” 
2010年3月21日(日)【池 袋】BlackHole“gonvut” 
2010年3月28日(日)【池 袋】CHOP“AKUH” 
2010年4月24日(土)【川 崎】CLUB CITTA’“SOLO/gonvut” 
※問い合わせは会場まで