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スタッフヴォイス

鈴木亮介 Vol.9

2009年12月11日

拙連載「ロック1年生」ではこれまで10組以上のバンドを取材し、今月までに7バンドを紹介させていただいていますが、最近あることに気付きました。

それは『高校生の子達の多くが、自分の親の年齢を知らない』ということです。

男女問わず、「○○歳」と即答できるのはごく一部。大抵は「えっと…幾つだっけ」「40代…前半、ってことで!」となります。

かつて小生の同級生で「親の名前?知らねぇ」と声高に言っている者はいましたが、その彼の場合は家庭に複雑な事情を抱えていて、知らねぇと言うよりは言いたくないという思いが言葉の裏にありました。

しかし、今回の一件に関しては皆が皆そういったわけではありません。とり立てて親と仲が悪いということもなく、単純に「知らない」ということなのです。

ある子は、「小学生の頃まではお祝いしてたから覚えてたけど…」と罪悪感に苛まれるような声で返答してくれました。

次第に親への関心が薄れていくということなのでしょうか。しかし、関心が薄れるという次元で片づけられない何かがある気がします。

小生は今でも親の年齢は即答できますが、それが親への関心の高さ低さに関係があるかと言われると、首を傾げてしまいます。特に意識せずとも、当たり前のように覚えていたからなのかもしれません。でも、関心があるかないかと言われると、関心があるということになるのでしょうね。

実際、同世代では親の年齢が分からないという人にあまり出会いません。(…それは偶然?) 先日も、塾の同僚先生と明け方3時過ぎまで飲んでいたのですが、「俺の親は今の俺の年に結婚して俺を産んでいた」なんていう話になったり。

親の年齢が分かると、親が自分と同い年の時に何をしていたとか、親が生まれた19XX年はどんな時代で…とか、話題が他の事にも展開できたりします。歴史とか地理とかって、別に受験のためにあるわけではなくて、自分が何処から来て今何処にいてこれから何処に行くのか…という自分の「位置とサイズ」を知るためにあるのではないかと思うのです。そうすると、一番身近にある歴史というのは、自分の親の生きた歴史ではないかと思って、関心を持たずにはいられません。

いや、親が嫌いでも鬱陶しくてもいいんですよ。小生も塾の先生をやっていますから、阿呆な親はごまんと見てきてます。中3生の進路を親の代わりに真剣に考えて夜寝られなくなったこともあります。だからこそ、思うのですよ。関心を持て、と。

阿呆な親は大抵、子どもに関心がない。無関心という場合もありますし、あれこれ口出しはするけど自分の物差しでしか考えられないという意味で子どもを全然見てない、という場合もあります。そういう類の悩みを生徒から相談された場合、決まってこう答えるようにしています。「親が阿呆なら、子どもが親を教育しろ。賢い子は失敗を周囲のせいにせず、周囲の環境を変えられる」と。

…ということで今これをご高覧頂いている高校生諸君、今年は親の誕生日に何かお祝いしましょうよ。親とギクシャクしてるのなら、なおさらチャンスですよ。んで、それまでに親の年齢はこっそり調べておきましょう。

そして、これをご高覧頂いているお父さん、お母さん。自分の子どもに「親の歳、知らない」なんて言わせちゃだめですよ。それは子の無関心ではなく、親の無関心。会話不足。17の頃の自分を、ロックしている自分を、語れない親は親じゃない!!