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スタッフヴォイス

鈴木亮介 Vol.26

2011年01月25日

「書けない」学生が増えているようです。内田樹先生も先日ブログで「コピペの罪」についてボヤいていましたが、小生の感覚からすると「なんでわざわざ面倒なことするの」って思います。「」人の考えた文章でどれか使えるのないかなぁ…って探す手間があったら、自分で考えた方がよっぽど早いし楽だと思ってしまうのですが、やはり内側に”貯め”がないと、文を書くことは苦行になるわけです。

思うに”貯め”とは、問題意識なのだと思います。三崎亜記も著作を通じて語っていますが、「見ているはずなのに、見落としているものがある」ということです。

先日、小6の授業でこんな話をしました。「意見とは問題意識である」と。自力で考えるという習慣なく、学校や塾やで「答案を作る」訓練ばかりさせられている小学生は、「~~と思う」「~~と考える」と書けばそれが意見になると思っています。しかしそれは大きな誤解。

例えば「目の前にゴミが落ちている。という状況からあなたの意見を作りなさい」といった場合、「汚い」「嫌だと思う」…これは意見でなくただの感想。意見を作るには、まず「?」を見つけること。「なぜこんなにも多くのゴミが落ちているのだろう。それは、日本人のモラルが低下しているからだ。ではどうすれば人々のモラルを向上できるのだろう?」そして、「私はこの状況を見て、人々のモラル低下をそこに読み取った。このままでは日本は世界の笑いものになってしまうと思うので、この状況を改善しなければいけないと私は考える。」これが意見だ。”これはまずい、どうにかしなければ”という問題意識が起点になるわけです。

そしてもう一つ、「?」を見つけることも、考える上で重要。3日前の中2の授業では、伊達直人問題(タイガーマスクの名で全国の児童養護施設に寄付が相次いでいるという時事ネタ)を俎上に「善意はどこまでが善意か」というテーマで作文。
ともすると「心温まる」とか何とか、美談の一言で片づけられるこの問題を、敢えて問い直すことで、そこから新たな思考の展開を図ろうというもの。結構皆分かって書いていました。自ら「ありがた迷惑」という言葉を引き出し、他の事例と比較して探究した生徒。鼠小僧の事例を出しつつ「平等」について考えた生徒。そして、震災時に炊き出しを待つ被害者がボランティアへ「早くしろ」と暴言を吐いたという事例を出した生徒…。
「どっちがいい・悪い」と答えが出せるテーマではないゆえに、普段作文は答えを書くものだと思っている多くの中学生は苦戦していたようです。安易な正解論を語っていれば…では思考停止。「日常の気づきと問題意識」がいかに重要か。良い触発が出来たかなと思います。

一方では大学1年「日本語」必修というニュースが報じられていました。言葉は生き物だから常に新しいものが生み出されていくのが必然なので、「正しい日本語を使いましょう」「きちんとした表記で」という発想自体馬鹿馬鹿しいのですが、しかし「話し言葉と書き言葉の境界線が揺らいでいる」という現象については、言語学的見地にとどまらず、社会学的見地からも興味深いテーマだと思います。確かに最近は小中学生で文の書き出しに「なので」を使う子が非常に増えています。(2011年現在「なので」は接続詞にはなっていないので、これを入試の作文で書くと減点されます!!) これも、単純に言葉の使い間違えというレベルでなく、そういう表現になっていく10代の表現環境、意識が背景にあるわけですね。

…また長くなりそうなので、この辺にしておきます。

追伸:2月3日、公立中高一貫入試です。我が教え子達の成功を後押しすべく、暫く他の仕事を全て投げ打って集中します。未だ2桁の締め切りが山積していた気がしますが…今日から見て見ぬふりをする予定です。関係各位、原稿が(多分、いや確実に)遅れるかもしれませんが、ごめんなさい。

2011.01 鈴木亮介拝
http://www.geocities.jp/ryosuke_bellwood/