連載

YHMF熱血現場最前線!

熱血3
TEXT:鈴木亮介

過去にRADWIMPS藍坊主を輩出し、今年で11回目を迎える高校生バンドコンテストの草分け的存在「YHMF(ヨコハマ・ハイスクール・ミュージック・フェスティバル)」に密着する連載「YHMF熱血現場最前線!」。BEEASTではオフィシャルメディアとして、タイトル通り現場の最前線を毎月お伝えしていきます。

連載3回目となる今回は、これまでのYHMF11年間の歴史を振り返ります。11年間で2700曲を超える応募があり、高校生スタッフは延べ2000名以上が携わってきたこの大会。なぜこれほど多くの人にYHMFが愛されているのでしょうか。まずは、YHMF事務局(サンフォニックス)でスタッフを務める清水さんにお話をうかがいました。なんと第1回大会から高校生ボランティアスタッフとして参加していたそうです。

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YHMFの第1回から参加し、今なおYHMFを支え続ける株式会社サンフォニックス企画制作部 清水ひとみさん

清水:私は99年のプレイベントが開催された当時高校生で、ベースを弾いていました。ある日横浜市営のスタジオで練習していたところ、たまたま声をかけられ、審査員として参加。それが私とYHMFとの出会いでした。当時はまだプレイベントという形でイベントの大枠が固まっていなかったので、自発的なスタッフというよりは、審査員として招待されて参加したという感覚でした。審査は音源審査が量も多く大変だった記憶があります。

2年目からは本格的にイベントが始まったので、高校の友人と一緒にスタッフに参加しました。ステージ班に所属し、楽器の転換を担当しました。何と言っても横浜アリーナのステージに立った感動は今でも忘れられません。貴重な体験ができる喜びから、3年目もスタッフとして参加。それがきっかけで、こうしたイベント制作に携わる仕事に就きたいと思うようになり、専門学校へ進学しました。学校に通いながらYHMFにはOGスタッフとして週2、3日事務局に行き、手伝いをしていました。サンフォニックスに入社してからも、ずっとYHMFと関わってしまっています(笑)。

自分たちの高校時代と比べると、今の高校生は真面目で、勉強と両立している子が多いです。予備校から抜けて会議に参加してまた予備校に戻って…なんて子もいたり。自ら発言するなど積極的な子も多く、また自分たちでしっかり規律を作るなんて自分たちの頃では考えられませんでした。高校生同士で勉強を教え合う姿も印象的です。高校生スタッフのみんなには、8月まであっという間なので、できることはできる限りいっぱいしてほしいと思います!

◆~1999年
90年代後半までおよそ20年にわたり続いた、伝説の高校生バンドフェス「Yokohama High School Hot Wave Festival(ホットウェーブ)」が惜しまれながら開催中止。しかし、地元高校生たちからの強い要望で、横浜市はホットウェーブに代わるイベントの開催を模索します。そして、当時の高秀秀信市長の英断で、1999年に山下公園内の屋外ステージでプレイベントが開催されました。そして翌年からは横浜アリーナを舞台に、高校生の、高校生による、高校生のためのバンドコンテストの開催が正式に決定しました。

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◆2000年
この年より、満を持してYHMFの第1回大会が始まります。当初は20バンドが横浜アリーナの決勝ステージに立ちました。その年の準グランプリは、現在メジャーシーンで大活躍する藍坊主でした。

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◆2001年
2年目にして既にスタッフの参加者数が185名でした。この年はてるる…(現:Dichten)が出場。その他にも、現在The Birthdayのベースで活躍するメンバーも出演していました。

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◆2002年
今や高校生なら誰もが知るRADWIMPSが優勝したのがこの年。また、サッカーW杯の日韓共催にちなみ、YHMFでも予選大会として韓国大会を初開催。高校生スタッフが現地に赴いて審査を行い、グランプリの1組を日本に招待しました。また、高校生のネットワークを広げたいということで同じ志を持つ京都大会からも1組が参加しました。

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◆2003年
この年、スタッフ参加数が初めて200名を突破しました。また、初の試みとしてジャズ部やダンスユニットの参加も。さらに、当時の中田宏市長が応援に駆け付け、ねぎらいの言葉にスタッフが感激する場面もありました。

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◆2004年
スタッフ参加が223名、出場者応募が258曲でした。オープニングを飾ったのは県立金沢総合高校ダンス部。前年に続きダンスユニットが大会に華を添えました。

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◆2005年
強豪がひしめき、ハイレベルな戦いとなったこの年。グランプリに輝いたのは前年も出場したWhite Crow。また、オープニングアクトには中ノ森BANDが出演し、会場を盛り上げました。

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◆2006年
18組が決勝に進出。さらに、友情出演として韓国大会からも1組が参加しました。オープニングアクトは横浜創英高等学校バトン部らが務めました。

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◆2007年
この年の出演者は曲数単位で399曲の応募がありました。グランプリはAny。ジャグリングの出演や、ロビーに高校生の写真や絵画作品の展示を行うなど、ジャンルにこだわらず幅広い高校生たちが大会を作り上げました。

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◆2008年
スタッフの参加数が282名とパワーアップ。前年に引き続き写真や絵画の展示を行ったほか、雑技集団やダンスユニットなどの豪華パフォーマンスも行われました。グランプリに輝いたのはSugarbowl

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◆2009年
10周年という節目の年に、バンドコンテストとは別にヘアメイク部門を新設しました。また、スタッフの参加数が過去最多の300名、出演バンドの応募は曲数単位で362曲ありました。グランプリはNEONです。

さて、ここまで駆け足でYHMF10年+1年の歴史を振り返ってきましたが、こうしてみると「バンドコンテスト」という枠にとらわれることなく、年々多彩なジャンルを取り入れて高校生にとっての敷居を良い意味で下げていることが分かります。その一方で、大会の主役である高校生バンドはどの年も実力派揃い。多くのバンドがYHMFを卒業した今も精力的に音楽活動を続けています。YHMFのOBを代表して、YHMF事務局からのお墨付きを得た強力なYHMFサポーターであるampelの皆さんに、お話をうかがいました。

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2006年大会に出場、以来YHMFの決勝は毎年観戦。YHMF出身者を集めて「同窓ライブ」を開くほどYHMFを愛するampel。メンバーは、小岩井直記(Drums)さん・河原太朗(Bass & Vocal)さん・藤川俊之(Guitar)さんの3人。

—YHMFとの出会いについて教えてください。

小岩井:僕たちは2006年に、キャラメルズというバンドでYHMFの決勝大会に出場しました。今のampelの3名を含む6人組バンドでした。

河原:YHMFを知ったきっかけは、メンバーの一人が高1の頃からスタッフとして参加していたことです。2005年、僕たちが高2の時に決勝大会を見に行ったのですが、同い年の人たちでいいバンドがたくさん出ていて、とても刺激になり、出たいという気持ちが強くなりました。

藤川:僕は高2の頃からスタッフとしてもYHMFに参加し、審査員を務めました。最初の音源審査では数百曲を何日間かに分けてずっと聞き続けます。当然それまでに審査をするといった経験はなかったので、大変でしたが、観客としてではなく客観的に審査員として見るのはとても勉強になりました。同世代の人たちを見るのは刺激になるし、審査員同士でお互い「こういう曲を評価するのか」と知れたのも良い経験でした。

—決勝の舞台に立つまでには、様々なドラマがあったようですね。

河原:応募した時点から既にドラマが始まっていましたね。何曲も送ったのですが、その中からテンポのいい曲が選ばれ、そこで曲に対する思い入れも変わりましたし、バンドに対する考えも固まりました。予選はトップバッターでめちゃくちゃ緊張して、いつも通りの音が出ず…結果は敗退。(決勝進出者発表の際)名前を呼ばれず、涙をこぼすメンバーもいました。まだまだ自分たちに出来ていないことがあると気付かされました。しかし、予選最終日に、全日程の次点バンドの中から選ばれて、見事決勝へ。その時も純粋に嬉しくて、泣きましたね。

小岩井:そして横浜アリーナへ。前日のリハーサルから、感動の連続でした。ステージから見た景色は圧巻!音の反響が違うし、新鮮を超えて、「ここでやるんだ」とただただ驚き、奮えました。予選が楽しめなかった分、決勝は「結果は何も考えず、楽しもう!」とメンバー内で話して、ステージに立ちました。また、出場バンド同士はもちろん、スタッフが同じ高校生なので、かしこまることなくリラックスして臨めました。

藤川:スタッフの中でも毎年ドラマがあります。大会の最後に実行委員長がコメントするのですが、皆「やりきった」という達成感があって、感涙にむせぶスタッフも多いです!

—YHMFの魅力をアピールしてください。

小岩井:YHMFの一番の魅力は人と人とのつながりです!それまでの活動は学校内が中心で、外部のバンドと関わる機会があまりありませんでした。YHMFに出たことで他の学校のバンドと多く出会えました。住んでいる所も環境も違う人たちと知り合えたのは良い経験ですね。

藤川:他のバンドコンテストは挑戦して、結果が出て、それで終わってしまいますが、YHMFは挑戦して、結果が出て、その先に人とのつながりが広がっていきます。

河原:決勝ステージの景色全部が鮮明に残っています。楽しんでいたらあっという間に時間が終わってしまった、という感じで、その一瞬が今となっては貴重に思います。横浜アリーナという大きい目標があるから、そこへ向かっていく努力というのはすごく良いものだと思います。音楽が好きな子、バンドが好きな子は是非出場してほしいですね。そこを目指すことによって自分自身の音楽と向き合うこともできるし、挑戦して損はないです!

—今でもOBとして決勝大会を毎年見に行かれるそうですが、交流はどうですか?

小岩井:同窓会ライブを企画したり、後輩との交流もあります。僕自身、元々は2005年の出演者を見て感動して、自ら話しかけに行って仲良くなったんですよ。その縁で、2005年に優勝したWhite Crowというバンドから、後にスタッフをやってくれないかと言われたり、2Cというグループから誘われてドラムを叩いたり…YHMFに出てから世界が広がりましたね。

河原:YHMFに出た人だから意識も高いし演奏技術も高いし、とてもやりがいを感じますね。横浜アリーナで演奏した後も、他の所で一緒にライブができるのは嬉しいです。同じ目標を目指していた仲間なので、絆は強いですし、その絆は大事にしています。

藤川:交流は未だにあります。高校を卒業してからも今でも音楽をやっている人は周りにも結構いますが、尊敬できる部分もあるし同世代で仲良くもできる、そして良いライバルです。

—最後に、今年の出場者・スタッフへメッセージを!

小岩井:僕はYHMFで人生が変わったと思っています。YHMFは一生の財産です。でも、「出て良かったな」と思えるように持っていくのは自分自身。YHMFが終点ではないので、そこから自分自身で広げていき、つながりを作っていってほしいと思います!

藤川:同世代のスタッフのみんながいるから、バンドもいい雰囲気で安心して演奏できるのだと思います。その安心感がYHMFの魅力だと思うので、お互いに支え合って頑張ってほしいです!また、色んな人への感謝を忘れずに、突き進んでほしいと思います。

河原:YHMFでは他のバンドのいい所が、演奏はもちろん、演奏以外にも見習える部分が見つかると思います。スタッフ、出演者含め、本気で音楽が好きなら最高に楽しめる場所です!今の楽しい瞬間を大切にしてほしいと思います。結果じゃない、今を楽しんで!

いま、YHMFの歴史は次の1ページが刻まれつつあります。既に音源審査が終了し、6月20日よりライブ審査が4日間の日程で開催されます。ライブは無料で見ることが出来ますので、是非参加してみてはいかがでしょうか?開催場所および出演バンドの詳細はYHMFの大会公式ホームページにて発表されています。

【YHMF公式ホームページ】
http://www.sunphonix.co.jp/yhmf/

【YHMF2010の主なスケジュール】
▼6月20日
・ライブ審査
「国立音楽院(池尻大橋)にて17:00~」
▼6月26日
・ライブ審査
「東放ミュージックカレッジ(西新宿五丁目)にて17:00~」
▼7月03日
・ライブ審査
「東京ビジュアルアーツ(半蔵門)にて17:00~」
▼7月11日
・ライブ審査
「日本工学院(蒲田)にて16:15~」
▼7月29日
・スタッフ全体ミーティング
▼8月10日
・決勝大会
※横浜アリーナにて