連載

ロックライフソリューション

TEXT & PHOTO:桜坂秋太郎

ロックな生き様を紹介する「ロックライフソリューション」。第5回は“玉寿司”の中村英次大将にお話をうかがいたいと思います。やはり日本人にとって、寿司はとても意味のある食べ物です。80年代くらいから、機械で作る大衆的な寿司が広まり、庶民の食べ物として定着していますが、それ以前の寿司は、本当に高級で特別な食べ物でした。しかし職人さんが握る寿司の美味しさが特別なことを、今でも日本人ならば誰もが知っているはずです。

今回の「ロックライフソリューション」は、若くして大将と呼ばれる中村英次さんの光と影を聞いてみたいと思います。職人の世界で、どのような生き様を刻んできたのでしょうか。ギターもプレイしてくれるとのことで、まずはその様子を寿司屋の中で撮影しましょう。正統派の寿司屋店内に、ストラトキャスターやマーシャルがあるアンマッチが最高です。※普段は店内に置いてありません。


中村 英次 プロフィール

1969年東京都生まれ。ストラトキャスターを自在に操り、テレビ取材が来るほどのギターテクニックを持つ寿司屋の大将。高校・大学とギターに青春のすべてを捧げ、卒業後もギタリスト生活を3年続ける。実家の寿司屋を継ぐため、26歳から修行の道へ。30歳で寿司屋を継ぎ、大将となって現在に至る。活きの良いトークにファンも多い。小学生3人の子を持つアットホームパパの一面もある。

— 素晴らしいテクニックの披露、ありがとうございます。ギターを始めたのは、いつ頃ですか?

中村:小学6年生の時に、近所のオジサンがクリスマスパーティーをやったのですが、その時ですね。初めてギターに触ったのは。確か「四季の歌」とか「きよしこの夜」を弾いたと思います。そこからギターが面白くなって、中学に入ってからSimon & Garfunkel。そのうちロックって物があるのを知って、RCサクセションに。その後は高中正義に結構ハマりました。

— フュージョンは良いですね。

中村:ウチは寿司屋なので板前さんが居るのですが、たまたま高中正義のレコードを持っている板前さんが居まして。聴かせてもらったら、こんなインストの音楽があるんだ!って衝撃を受けました。

— 最初のエレキギターは…

中村:ヤマハのSGを買いました(笑)。中学3年生くらいかな。まだその頃は、ディストーション(エレキギターのサウンドを歪ませるエフェクター)とかチョーキング(ギターの弦を弾いた後、弦を押したり引いたりして、音の高さを変えるギターの演奏)なども、まったく知らない状態でしたね。

— そこからまたロックに戻ってくるのでしょうか。

中村:実は女友達から「兄貴が間違えて買っちゃったレコードがあるから、あげるよ!」ってことで、もらったのがSAXON(笑)でした。そこからグッと入っちゃいましたね(笑)。要らないからってもらってきたレコードから、ガツンときちゃいまして。これは凄い!って。

— SAXONの次を知りたいです。

中村:その後は高校生になりまして、高校の頃はLAメタルの全盛期でした。それにドップリ浸かりましたね。ギターは、Fender Japanのストラトキャスターを買いました。当時Fender Japanが出た頃ですね。それまでFenderと言えばUSAしか無かったので、高くて手が出ませんでした。

— 高校生活はロック三昧だったということですね。

中村:高校の3年間はハードロックだけをやりましたけど、高校には音楽のクラブがなかったので、大学入ってサークル活動に燃えました。ロックだけじゃなく、色々やりたかったので、結局フュージョン系のサークルに入って、そこで先輩にみっちり鍛え上げられました。ハードロックには無いカッティング(歯切れの良いサウンドを出す演奏)みたいなテクニックも覚えましたし。大学の時は本当にギターしか弾いていませんでした。

— 朝から晩までギターばかり…

中村:本当そうですね(笑)。朝9時から夜6時まで、ずっと部室でギター弾いているとか、そんな感じです。途中で授業に出たり戻って来たりする人もいたけど、行ってらっしゃい!お帰り!みたいな。僕だけは、ひたすらずっとギターを弾いているような(笑)。でもこの頃に思い切りギターを弾いたことで、今の基礎が出来たと思います。

— 卒業後はすぐに家業を継いだのですか?

中村:いえ、卒業してからはバンド活動をやっていました。大学を出て3年間。どうしても音楽をやりたかったので、3年だけ親にやらせてもらいました。バンド以外にも、ヴォーカルスクールの発表会とかでギターを弾いてみたり、手広く活動していました。その後もやりたかったけど、最初から3年間って決めていたから、音楽の道はそこで止めました。

— 思い残すことは無かったと。

中村:ダラダラやっても仕方ないと思っていたし、それに何て言うか、才能ある人って本当に凄いから。それを知ったので、悔いは無かったですね。今考えてみると、音楽を続けなくて良かった(笑)。僕レベルだと貧乏するだけだから(笑)

— 凄い才能のエピソードを、何か教えてください。

中村:上手い人とは色々やってみたけど、僕みたいな小手先だけのテクニックの世界じゃないからね(笑)。一番凄かったのは、劇団四季でキーボードをやっている人と一緒になった時かな。譜面を渡されて、一週間後にそれを合わせましょうってなったのだけど、その人は忙しいから今やるよ!って(笑)

— いわゆる“初見”というやつですね。

中村:僕は一週間練習してくるつもりだったのに、その人はその場で曲を聴きながら、どんどん打ち込みを始めてしまって。まだパソコンが無い時代なので、当時は打ち込みの専用機でしたが、瞬時にやってしまうってことに驚きました(笑)。この瞬時にやってしまうセンスって、生まれ持った物とか、幼少から音楽をやってきた人なのだろうなって。

— そこに才能を見たと。

中村:僕もギターを速く弾くだけなら、いくらでも速く弾けるんだけど、そういう問題じゃないなって(笑)。自分の才能がどの程度なのかを知る機会になりました。

— 3年間のギタリスト生活にピリオドを打ち、その後はどうされたのですか?

中村:それからは魚屋へ修行に行きました。もともとウチは、戦前から魚屋をやっていたのです。爺さんが魚屋を始めて、親父も魚屋。でもその当時から、魚屋と寿司屋を半々でやっていまして、魚屋が経営する寿司屋みたいな感じでしょうか。今は結構ありますけど、当時は珍しかったみたいですね。

— お店自体はかなり古くからあるのですね。

中村:店自体はこの場所(広尾)で、昭和28年からあります。その頃は「原爆マグロ※」騒動があって大変だったと聞いています。
※1954年に危険水域外で漁をしていたマグロ漁船が、南太平洋ビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験により放射性投下物を浴び、全船員が被ばくし、マグロ価格が暴落した。

— お店が寿司屋一本になったのは、いつ頃ですか?

中村:確か平成に入るくらいの頃ですね。親父が寿司屋だけにしました。時代の流れで、魚屋が流行らなくなってしまいましたから。内装をぶち抜いて、すべて寿司屋に改装しました。僕自身は大学生の頃でしたね。

— そのような経緯から、魚屋へ修行に出たのですね。

中村:やはり爺さんや親父の“魚屋精神”を大事にしたいと思って、寿司屋ではなく魚屋に行きました。そこで魚の勉強をしたのですが、その魚屋は東京の経堂で割と手広くやっていまして、居酒屋みたいな店もやっていたのです。そこで丸4年修行させてもらいました。

— 修行中の話で、一番印象的な事を教えてください。

中村:僕はスタートが遅かったから、死ぬ気で修行に出ました。本当に寝ないで仕事しましたね。魚屋も寿司屋も、こういう世界って、若いのが基本なので(笑)。普通で高卒、早い人なら中卒で修行に入るわけです。僕はもう26歳くらいになっていて、しかも大学も出ている(笑)。もの凄くいじめられました。いびられましたね。

— 具体的には?

中村:まず話をしてくれない。完全に無視です。これは一番辛いですね。どうしようもない。上の人はそんなことはしませんけど(笑)。中途半端な先輩、兄さんレベルだと凄かったですね。まぁ僕は家業を継ぐ目標があったから、関係ないと思って頑張りました。僕もバカじゃないから、ぶん殴りたい衝動や何クソ!って思いは、仕事で返そうと考えました。

— どのように仕事で返したのですか?

中村:先輩より早く店に出て、やることを全部やっちゃうとか(笑)。先輩が来ると仕事が無い状況を作って(笑)。そうこうするうちに、そのうち話しかけてくるようになりました。あとは築地の仲買で顔を覚えてもらって、そこに買いに来る人の横の繋がりとかもできましたし、意味のある修行期間でしたね。

— 修行時代を経て、いよいよ玉寿司ですか?

中村:そうです。30歳で継いだので、もう12年やっています。やってみてわかったのは、技術的な部分よりも、経営面が難しいですね(笑)。板前さんも二人いるので、普段は寿司を握ることよりも、店の経営的なところに注力しています。

— 一日の過ごし方を教えてください。

中村:朝は仕入れがあるので、毎日6時起きで築地へ行きます。仕事が終わるのは24時頃です。休みは火曜日なので、月曜日の夜だけは朝4時くらいまで飲んでいます(笑)。

— 休みの日は何をされていますか?

中村:普通に家庭のお父さんをしています(笑)。子供が3人いまして、小学5年生と2年生、それから年中さん。それだけ居れば、まず自分のことはできないですね。

— お子さん達の楽器は?

中村:長女がピアノを弾いいていますが、あとはダメ。だいたいね、親が薦める物はやらないのですよ、子供は(笑)

— ギターはいつ弾いているのですか?バンドなどは?

中村:普段は弾いていませんね。時間も無いから、今はバンドもセッションも何もやっていません。普通の方が遊んでいる時も仕事なので(笑)。せいぜい家でちょっと弾くとか、飲みに行って弾くとか。あ、一番弾いているのは、ギターが弾ける飲み屋ですね(笑)

デモ演奏後のインタビューが終わっても、ギターを手放さない姿を見て、どれだけギターが好きなのかが痛いほど伝わってきます。一番好きなギタリストを聞いてみると、「Scott Henderson」との回答。想定外のギタリストの名前に驚きながら、幅広い音楽性を消化された証拠なのでしょう。最近の音楽について聞いてみると「新しい物はほとんど聞いていません。音楽に使える時間が限られているので、寝る前にyoutubeを観たりする程度です」

取材の帰り支度をしている最中に、テレビにも時々出演している話を聞きました。何でも音楽仲間に関係者の方がいて、話が来るのだとか。確かに時間の無い職人が、ギターを弾くことはとても珍しいことです。声がかかるのもうなずけます。とは言え…常に寿司屋のユニフォームでギターを弾かなければならないので、ちょっと微妙な気持ちもあるそうです。

最近はネットを通じて音楽仲間も増え、第二の音楽人生が始まったかのように、楽しくコミュニケーションしているとも言われています。しかし笑いの絶えないインタビューの中で時折見せる表情に、食の世界の厳しさを垣間見ることができます。人に歴史あり。実は私も若かりし頃、料理を作っていた時期があり、調理師免許も持っています。食の世界の厳しさを、今後も中村英次大将は、ロックパワーで打破することは間違いなし!私も負けないようBEEASTでシャリっとしたネタをガリっとお届けしたいと思います!!

<取材協力> 玉寿司
所在地:東京都渋谷区東4-8-2
営業時間:11:30~15:00(昼)/17:00~22:30(夜)
電話:03-3400-2496
定休日:毎火曜日(第四水曜)

公式サイト:http://tamasushi.japan-web.jp/
東京都渋谷区東4丁目8−2




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