連載

TEXT & PHOTO:鈴木亮介
第5回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

東日本大震災から一年以上が経過した。この連休中に、被災地に赴いたという人も多いのではないか。ボランティアをした、復興イベントに参加した、という高貴な方もたくさんいらっしゃるだろうし、そうでなくとも、ただ現地の実情を見て、現地に生きる人たちの声を聞くことだけでも、大切なことではないか。

「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」というコンセプトに基づき、BEEAST目線で3.11震災等による現地の生声や、被災地関連のロックイベントを紹介していく連載「脱・無関心」。5回目となる今回は、この春宮城県で開催されたARABAKI ROCK FEST.12の当日に出会った素敵な縁をご紹介したい。
「東北LIVEHOUSE大作戦」と、その本部長を務める西片明人氏だ。


 

2011年3月11日に東北大震災が発生しました。
多くの方がお亡くなりになり、家屋が倒壊してしまいました。
私達、SPC peak performanceは被災した地域の復興に向け、自分達にできる
事は何かを模索した結果、現地の仲間の協力のもと東北三陸沖沿岸地域にライブハウス
を建設する、【東北ライブハウス大作戦】というプロジェクトを立ち上げました。
宮古、大船渡、石巻にライブハウスを建てて、バンド、ミュージシャン、お客様が
被災地に訪れることで互いに元気を与え、元気をもらい、また震災の爪痕が残る
被災地を体感することにより、復興への気持ちを広げて、少しでも繋げていく事が目的です。
このプロジェクト最大の目的は「人と人を繋げる」と言う事です。
そして、誰でも参加出来るプロジェクトです。
賛同していただいた方すべてがプロジェクトの一員です。
支援していただいた方、GOODSを買っていただいた方すべて一員です。
機材も何も無いゼロからスタートしました。
少しずつ仲間と繋がって前進しています。
皆でライブハウスを作っていきましょう!

http://www.livehouse-daisakusen.com/

SPC peak performanceとは、西片明人氏が代表を務めるライブPAチームで、現在、BRAHMANHi-STANDARDヒダカトオルなどのPAを引き受けている。今回、ARABAKIロックフェスの2日目に出演したBRAHMANの本番前に、西片明人代表に話を聞くことができた。本誌独占インタビューを以下お届けしたい。


西片明人 プロフィール
1968年新潟県生まれ。18歳からPA一筋25年。高校卒業後上京し、
学校に通いながらライブハウス勤務を経て、28歳の時に独立。
現在、SPC peak performance代表を務め、
Hi-STANDARDDOESBRAHMAN
The ピーズ磯部正文カジヒデキヒダカトオルなど
約20のバンドのPAを務める。
 
Twitterアカウント:@SPC_nishikata

―――まずは西片代表が今回のプロジェクトを立ち上げるまでの経緯を教えてください。

西片:立ち上げたきっかけは、やはり震災ですね。震災発生から2週間後に仙台の若林を訪れたのですが、何もすることができないで、ただ打ちのめされて帰ってきました。その後、昨年の4月10日に自分たちがPAを務めるBRAHMANのライブが盛岡であり、その翌日から宮古、田老、山田、大槌と、津波の被害を受けた地域を回りました。実際に自分の目で見て、どうしようもない状態だったんですけど、そこで何かしなければいけないという思いは強まりましたね。その後、6月にSLANGという札幌のバンドが主催するフリーライブが宮古であって、その場で、宮古の仲間たちに「俺が機材を集めるからライブハウスを作らないか」と打診して、このプロジェクトが始動しました。

―――プロジェクトの具体的な内容を教えてください。

西片:一言で言うと、東北の津波で被害を受けた沿岸部にライブハウスを建設しよう、というものです。具体的には、宮古、大船渡、石巻の3箇所です。グッズ販売などにより活動資金を募ったり、職業柄全国のネットワークを活かして譲ってきただける機材を全国から募集しています。去年9月から本格的に始動し、宮古と大船渡はお陰様で建設場所が決まり、着工開始しました。

―――西片さんご自身、東北と何か縁があったのですか?

西片:僕は新潟生まれなので東北の出身ではありませんが、被災地を見て回っている中で、つながりの有無とかには関係なく単純に「人としての生き方」ということを考えるようになり、行動せずにはいられなくなりました。とは言えこの地域に無縁ということはなく、元々宮古とのつながりはありました。3~4年前からイベントに呼ばれて毎年訪れていましたから、流される前の街も知っているし、仲間もたくさんいるので、スタートは宮古にしようと決めました。

―――さらに、宮古以外にも建設が決まりましたね。

西片:「つながり」を作りたかったのです。宮古だけだと、例えば盛岡にいるバンドが沿岸部でライブをしたい場合、宮古だけだと、そこに行って戻ってくる、という「点」でしかありませんが、大船渡を作れば、その「点」が「線」になります。つまり、沿岸のルートができることでバンドがツアーとして回れるので、この地域を訪れやすくなるということです。昨年6月に宮古でプロジェクトが決まった翌日に、大船渡へ打診しに行きました。

―――石巻と大船渡を選んだのはなぜですか?

西片:距離的にちょうど良いし、大船渡はKESEN ROCK FESTIVALでお世話になっていたという縁ですね。

―――ここまでの活動でどのような苦労がありましたか?

西片:大変だったことですか?全部と言えば全部だし、ないといえばないですね。こう言う活動は、出来ないことを無理しても続けられないと思うのです。だから僕が出来ることを思いついて、選択しているので、自分自身大変だと思ったりキツいと感じたことはありません。ただ、客観的に見たら大変なことだとは思います。

―――むしろ、やりがいを感じる場面の方が多かった、ということでしょうか。

西片:バンドマンやアーティストがブースまで来てくれて一緒に活動をしてくれるのはありがたいですね。例えば今春に開催されたフェスでブースを出した時には、BRAHMANTOSHI-LOWが9時間くらいずっと立ちっぱなしでお客さんと対応してくれました。昨日(=ARABAKI ROCK FEST.の1日目)もMONGOL 800のメンバーがブースに立ち寄ってくれたりと、皆自主的にやってくれています。それもすごくありがたいし、無理強いしてやるのではなく皆ができることをやってくれればと思います。それがつながれば大きな力になる。そういう力が集まる場所を作れればと思って、このプロジェクトに取り組んでいます。

―――この活動に興味を持った人達に、特に伝えたいことは何ですか?

西片:人が集まって、つながれる場所を。PAとして四半世紀この業界に携わってきた自分にできることが、ライブハウスを作ることだと思い、活動しています。それは大きなことかもしれませんが、自分の中では今できる最小限、ミニマムのことをやっているつもりです。ライブハウスを作ること自体が目的ではなく、人が集まって、街をつなぐ作業をしていきたいですね。ライブハウスが出来た後は、その3箇所のライブハウスだけでなく、その隣の街や人もつなげていきたいと思っています。

西片代表によると、3か所のライブハウスのうち、着工の始まった宮古は8月中旬、大船渡は7月中旬の開店を目指して準備中だという。現在、東北LIVEHOUSE大作戦のホームページには活動に賛同するミュージシャンや音楽関係者のコメントが続々と寄せられ、数え切れないほどのメッセージが掲載されている。

また、ホームページ上で機材の状況や、東北LIVEHOUSE大作戦の賛同者が開催し、物販および募金箱が設置されるライブ・イベントの情報も掲載されているので、まずは東北LIVEHOUSE大作戦のホームページをチェックしてみてほしい。

今回建設される3箇所のライブハウスは、全国のどのライブハウスにも勝るとも劣らない、人々の熱い思いが込められた場所となることだろう。「LIVEHOUSE」という名の通り、人々が生きるために欠かせない家のような存在として、音楽を奏で、人々の心をつなぐ希望の架け橋となることを願ってやまない。当連載では今後も東北LIVEHOUSE大作戦の活動を追い、ライブハウス誕生までの道のりを随時リポートしていきたい。

木札作戦
東北ライブハウス大作戦では、ご賛同いただける方に一口¥5,000での募金協力をお願いする【木札作戦】を開始します。

募金していただいた方のお名前を木札(幅90mm高さ180mm厚さ5~7mm)に記載し、宮古、大船渡、石巻の完成したライブハウス内の壁を皆様の木札で作っていくという作戦です。

募金していただいた方のお名前は宮古、大船渡、石巻各ホームページにて随時掲載させていただきます。

詳細はホームページにて掲載中です。みんなでライブハウスを作って行きましょう!!!ご協力よろしくお願いします。

◆東北LIVEHOUSE大作戦 ホームページ
http://www.livehouse-daisakusen.com/

◆【宮 古】 KLUB COUNTERACTION
http://counter-action-miyako.com/

◆【大船渡】 FREAKS
http://www.go-freaks.com/

◆【石 巻】 (名称未決定)
http://ishinomakilivehouse.com/