連載

TEXT:鈴木亮介
第27回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

東日本大震災の発生から間もなく9年。阪神淡路大震災の発生からは四半世紀を迎えた。先日、坂本龍一の言葉として「『音楽の力』は恥ずべき言葉」「『癒やしてやろう』の姿勢、おこがましい」といったフレーズが新聞紙面上で伝えられ、議論を呼んだ。また、平松愛理が神戸での復興支援ライブを25年目となる今年(2020年)を最後にすると発表するなど、オリンピックイヤーの2020年は「節目」「区切り」といった言葉が目立つ。震災の話題が上らないことは平和であることの証、とも言えなくもないが、現場にはもう少し色々な動き、思いがあるので、弊誌では2020年も変わらず「脱・無関心」を掲げたい。
 
「音楽の力」を掲げた取り組みについて、今回は”ロック”という垣根を取り払ってオーケストラ界隈の動きをお伝えする。シンポジウム「音楽の力による心の復興とその支援体制の構築 ~兵庫 仙台 熊本からの報告をもとに~」が2020年2月10日(月)午後2時から東京・赤坂の日本財団会議室にて行われ、前仙台市長の奥山恵美子氏、東日本大震災時に文化庁文化部長を務めた小松弥生氏らが登壇した。
 

会の冒頭は、奥山前仙台市長による「音楽と心の復興を語る」と題した基調講演が行われた。震災当時の市長として驚異的なスピードで復興を実現させたと評される奥山氏。音楽が復興にとってどのような意味を持つのか、仙台フィルを中心としたオーケストラが果たした役割について紹介した。
 
仙台の復興における一番の基幹は「暮らしの再建としての住宅再建」だったという。阪神・淡路大震災時には国の救済制度が確立されておらず、神戸市など自治体負担により住宅再建が進められた。これにより今なお借金の返済が地元自治体に重くのしかかっている。これをふまえて東日本大震災時には特別復興税として国費100%で住宅再建が進められた。
 
道路、宅地は国費の充当により復興が進み、2019年で一段落したといわれている。一方、「心の復興についてははっきりとわからない」と奥山氏は指摘する。そもそもどういう暮らしを再建したいか、どこに家を建てたいかは人により異なる。そうした中で心の復興も進めなければならないが、カウンセラーを派遣することなのか、近隣のコミュニティを作ることなのか、趣味サークルなのか…どれが良くてどれが悪いわけではないが、決定的なものがなく手探りの中で取り組んでいるのが現状だという。
 
そうした中で仙台市では「音楽の力による復興センター東北」という被災地と音楽家、音楽を結ぶ組織ができて、900回にのぼるコンサート活動の実績を誇るなど大きな力を持ってきた。その第1回目となる復興コンサート開催の提案があったのは、震災直後のことだったという。奥山氏は当時を振り返り、「沿岸のタンクが被災し、ガソリンが全くない時期。頭の中は正直復興コンサートどころではなかった」と語る。震災から4~5日目に当時仙台フィルの専務理事を務める大澤隆夫氏から「小さな鎮魂のコンサートをやりたい」と提案があったという。市長の考えを問われ、「やること自体、いいとは言わないが悪くはない、ただそのために仙台市として手伝いの人員や予算を出すことはできない」と返答。これを「了解」と受け取った大澤氏の熱意により、震災からわずか半月後の2011年3月26日に仙台・見瑞寺で第1回復興コンサートが催された。
 
もっとも、「了解」に至った背景として、仙台市がクラシックを中心とした音楽の街、「楽都」としての街づくりを文化政策の柱にしていたことが挙げられる。街に音楽が出て行って市民と音楽が触れ合う活動を震災前からずっとしてきたことで、賛否両論があるであろう復興コンサートが市民に受け入れられたのだろう。これを踏まえ奥山氏は、「そういう背景がなければ『心のケアに音楽を利用』とやってもうまくいかなかったのでは」と指摘。音楽が何かの力になりたいと考えたときに、比較的早い段階、震災が起こる前から準備しておく必要があり、一定のマニュアル・ルールを話し合っておくことも大切では、と問題提起した。
 
仮設住宅は2年で姿を消し、環境が変わると普通は「風化」の一言で消えてしまうものもたくさんある。その中で仙台の復興コンサートが900回続いてきたことのもう一つの要因として、奥山氏は「被災した方の環境が変化したことに敏感にアンテナを立てて、どういう風にコンサートのあり方を変えたら必要とされるか、常に試行錯誤されていたから今に至っているのではないか」と話した。「押し付け」ではなく、被災者の心を推し量り、今何が求められているか、音楽家がプロとしての感度を高く持ち続けることが大切だ。「街として誇りを失わずに、もう一度顔を上げることが心の復興では大切」と奥山氏が講演をまとめると、会場は大きな拍手に包まれた。
 

続いて後半は東日本大震災発生時に文化庁文化部長を務め、仙台市でも勤務歴のある小松弥生氏をモデレーターとして、パネルディスカッションが行われた。小松氏は冒頭、「3.11発生時、みんな『自分に何ができるか』を考えたのでは?」と前置きした上で、有形の文化財を救い出して修復・保存するネットワークである「文化財レスキュー」について紹介。半面、無形の文化へのネットワークが何もないことを指摘し、「何らかの被災地に寄り添っていけるネットワーク作る必要があるのでは」と問題提起。さらに演奏家とイベント主催者とを結ぶ「中間支援組織」が脚光を浴びつつあるとして、登壇者を紹介した。
 
登壇者は神戸、仙台、熊本のそれぞれの被災地で文化復興に貢献してきたスペシャリストだ。まず1人目は兵庫県立芸術文化センター副館長を務める藤村順一氏。1995年の阪神・淡路大震災発生時には県庁職員として災害対策に従事。その後「創造的復興」を掲げ、復興のシンボルとして2005年10月に西宮に開館した兵庫県立芸術文化センターの立ち上げに大きく寄与した。
 
阪神・淡路大震災による被害額を兵庫県が最初に発表した際、その「8兆5518億円」という金額を弾き出したのが藤村氏だ。「とても悲しい経験。その思いを基本に置きながら仕事をしていきたい」と当時を振り返った。もっとも、1995年当時はまだ復興のための国による救済制度が確立されておらず、地元自治体は建物やインフラの復旧のために大きな借金を背負う羽目となった。藤村氏は「当時、中央からは焼け太りを許すなという風潮を感じ取った」という。それでも「一人ひとりの生活の再建が立ち上がらなければ復興にならない」という信念のもと、復興のために芸術文化の力が必要だと訴え続けた。
 
そして震災から5年後の2000年、県立芸術文化センターの必要性を問う県民アンケートが行われた。税金を使うことも明記した中で、74%という圧倒的な賛同を得られ、これを後押しに県議会でも全会一致で賛成。劇場の新設が決定した。運営の仕組みとして藤村氏らは「現場主義、独立運営、説明責任」にこだわった。現場に責任の権限も置くこと、そして税金を使うことへの説明責任をきちんと果たすことで、県民から愛される芸術施設の持続運営ができているという。
 
さらに藤村氏らは「将来性への投資」にもこだわった。その一つが劇場開設に先立ち2003年よりスタートした佐渡裕氏とスーパーキッズ・オーケストラだ。小学生から高校生までの弦楽器によるオーケストラは、2001年に明石市で起きた花火大会の歩道橋事故の追悼公演や、東北や熊本への訪問も行っている。その中で「支援」という言葉を使わず「一緒に祈る」というスタンスで公演を行うことで、活動の継続が果たせているのだろう。「音楽に力があるかどうかは受け取る側の問題」と藤村氏はまとめた。
 
続いて公益財団法人「音楽の力による復興センター・東北」代表理事を務める大澤隆夫氏がスピーチを行った。大澤氏はいわゆる”中間組織”として仙台フィルと地元自治体との連携をスムーズにした「音楽の力による復興センター・東北」の中心的存在だ。大澤氏は冒頭、「とりまとめ窓口の機能」として中間組織の意義を話した。
 
冒頭の奥山前仙台市長の講演でも紹介された震災復興コンサート。「被災者のために出かける活動には公共性、価値がある。一方で慎重さも必要だった」と当時を振り返る。いきなりド派手なステージで大々的に行うのではなく、最初は寺院、都市部から始めて、その後沿岸部に活動拠点を拡大。お盆など開催時期にも慎重に目配りをしたという。
 
自身も被災者である仙台フィルのメンバーは、活動の意義を十二分に理解しながらも、やはり当初は相当なバッシングに遭うのではないかと危惧したといい、あるメンバーは「賭けだと思った。1曲目が終わったら謝らなければならないと思っていた」と語ったそうだ。また、最初の復興コンサートの会場となった見瑞寺の住職も、「やるのはいいけど、誰もこないと思った」と当時を振り返って話しているという。
 
それでも震災直後の開催にこだわった理由として、大澤氏は「スピード感こそが大事。心が折れる前に支えになりたいという感覚があった」と話す。葛藤の中行われたコンサートは、多方面への気配りを欠かさなかったことで、大きな支持を集めた。
 
「心の復興」について役所に明確なノウハウがない中で、中間組織の意義には「人をつなぐ」だけでなく「成功体験が豊富にあること」もあるだろう。「音楽に魔法の力があるのではなく、引き出す力が必要だ」と語る大澤氏。仮設住宅での高齢者のコミュニティづくりとして始まった「花は咲く合唱団」、石巻・雄勝での若い世代が参加できるための「オーリンクオーケストラ」など、「音楽の力による復興センター・東北」の活動は年々拡大を図っている。「立ち上がるための技術支援」という視点は、継続的な活動には必須と言えるだろう。
 
そして3人目にスピーチしたのはくまもと音楽復興支援100人委員会の代表を務める坂本一生氏だ。2016年の熊本大地震発生からわずか1カ月後に同組織を発足させた坂本氏。そのきっかけは、大澤氏が奮闘した仙台の復興コンサートをNHKの生中継で観たことだという。放送では観覧客へのインタビューも行われたが、その中で「震災発生以来、あまりのことにどうしていかわからなかったが、音楽を聴くことでやっと泣くことができた」と話す人がいたという。坂本氏はそれを思い出し、「熊本でもきっと同じ孤独があるのでは」と感じ、「音楽の力」の必要性を感じたという。
 
一方、炊き出しなどを身近に見ていて「ここで音楽をやっていいのかという躊躇もあった」と、その葛藤を話した坂本氏。「『音楽の力』などというのは傲慢ではないか」とインタビューで語った坂本龍一の言葉を引き合いに、「『皆さんに元気になってもらいたい』、『私たちの音楽力を与える』というのは何か違う気がする。あくまで『良かったら聴いてください』というスタンス。どう思うかは聞いてくださる側だ」と話した。
 
坂本氏らにより実現した『熊本地震復興祈念コンサート』の第1回目は、震災発生からちょうど1年にあたる日だった。そのため、開演時間を少し遅くして、震災発生時刻の21時25分にコンサートが終わるようにしたという。最後は拍手なしで黙祷。「まだ地震の生々しい爪痕が残っている時期。気持ちが音に乗って伝わることが音楽の素晴らしさ」「気持ちが共有できる…このときほどそれを強く感じたことはなかった」と坂本氏は当時を振り返った。

シンポジウムはこの後、公益財団法人日本オーケストラ連盟専務理事を務める吉井實行氏も加わり、中間組織として必要な「社会的信用」という点でオーケストラはその役割を果たしうることや、逆に敷居が高いと誤解されており、一般市民に広く親しまれるようなアウトリーチ活動が必要であることなどが指摘された。確かに非常時の社会貢献活動をいっそう可視化していくことが大切で、そこには本誌をはじめメディアの果たす役割も少なくないだろう。
 
さらに、非常時の手引きになるものを各オーケストラが共有し、自治体とも共有すること、震災が起こる前からの準備が必要であるという指摘も上がった。阪神・淡路大震災が起きた1995年は「ボランティア元年」と言われたが、当時はまだ「自治体と手を組む」という発想自体がなく、民間の力に頼らざるを得ない側面が大きかったようだ。そうなると、継続して支援するために「活動資金をどうやって捻出するか」という問題も生じる。
 
文化復興への公的資金投入には、市民県民全体の理解が必要となる。大澤氏は「オーケストラが平時にも非常時にも活躍することで、最終的には公的な資金支援の理解が得られるのではないか」と話す。確かに仙台フィルの成功は、震災発生前からオケが市民生活に溶け込み、音楽の存在が地域にとって欠かせないものとなっていたことが成功要因としては大きい。
 
兵庫・仙台・熊本の中でもっとも直近に震災が発生した熊本でも、既に”風化”は始まっているようだ。坂本氏は「震災発生当初、3.11や新潟地震のこともあって寄付は集まりやすかった。しかし今はゼロに近い状態」とその実態を話す。
 
やはり「震災が起きる前の組織化」が大切と言えよう。コーディネーターの小松氏は終盤、「平時からの市民への理解と、震災発生時に最低限何が必要か、マニュアルが必要では」と指摘。「マニュアルがあると頼ってしまうが、非常時はそうも言っていられない。最低限の部分だけ決めておき、そこから先は各自治体の個性があって良いのでは」と組織化の必要性を唱えた。吉井氏もこれに同調。「オーケストラがコミュニティの中でいかに親しみを持たれているかが大事。音楽が役に立てる社会をいかに作るか、地方地方でやり方はそれぞれ違う。それぞれを皆がうまく手引き化、マニュアル化していくと良いのでは」と話した。

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今回の取材を通して、ロックマガジンの記者としてオーケストラ界隈の取り組みを知れたことは大きな気づきとなった。「ロック」「ポップス」と比べてもオーケストラの「組織力」の強さや、自治体との親和性の高さは有事に大きな力となるだろう。翻って、巷のロックバンド、ライブハウスにはどんなことができるのか。規模が大きいからエライ、小さいからダメ、ということではなく、と言って雀の涙程度の「復興チャリティ」でお茶を濁す段階からは、次のステップに進まないといけないようにも思う。ロックにできることはまだあるのではないか。すぐに答えが出せなくても、考え続けることを放棄してはいけないと強く感じた。


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【連載】脱・無関心 バックナンバーはこちら
http://www.beeast69.com/category/serial/mukanshin


 
 
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