連載

TEXT & PHOTO:鈴木亮介
第26回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

2018年9月6日(木)午前3時過ぎ、北海道胆振地方で最大震度7を観測する地震が発生した。北海道で震度7を記録する地震は初めてのことで、札幌市内でも北区で震度5強を観測。土砂災害など多数の被害が出たほか、震源地に近い新千歳空港が一時閉鎖するといった影響も出た。
 
また今回の地震では震源近くに位置する苫東厚真発電所などの発電所が緊急停止したことで、北海道内全域が一時停電した。深夜に発生した大きな揺れと停電は人々を不安に陥れた。
 
平成最後の年である平成30年(=2018年)は、大阪北部を襲った最大震度6弱の地震、西日本を中心に多数の被害者を出した平成30年7月豪雨、近畿・北陸を直撃し関西国際空港の連絡橋損傷などの爪痕を残した台風21号などを筆頭に、震災や水害が全国的に頻発。猛暑による熱中症患者も統計史上最多だという。
 
当記事では北海道胆振東部地震の発生から3週間が経過した9月26日から27日にかけて現地を取材。デマ・誤解を含めた多数の情報が出回る中で、シンプルに「今、問題になっていること」と今後の展望を、ロックマガジンの視点から報道したい。
 

震源地付近の状況

震源地付近

最大震度7を観測した厚真町をはじめ、揺れの大きかった胆振地方については「新千歳空港がある場所」というと道外の人はイメージがしやすいだろうか。この地域で大地震が起こることは非常に珍しく、半世紀以上にわたり居住する地元の人々に尋ねても「こんなに大きな地震は初めて」と口をそろえる。
 
震災発生当日、新千歳空港はターミナルビルが丸一日にわたって閉鎖され、国内外からの旅行客、ビジネスマンは足止めを喰らった。滑走路には異常がなかったものの、建物が一部損壊したことに加え物流への影響から土産物販売店は閉店に追い込まれた。あれから3週間。9月26日の新千歳空港はすっかりいつも通りの姿を取り戻しているように感じた。温泉、映画館などの一部娯楽施設を除いて、通常通りの営業を行っていた。
 
地震発生初日に北海道全域での停電=ブラックアウトという未曽有の事態が発生。二次被害の拡大が懸念されたが、数日のうちに大部分の地域で復旧。とは言えこれが真冬の時期であったら、全く違う結果になっていただろう。
 
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空港からJR千歳線で南千歳を経由し追分に向かう。駅数にするとわずか2駅だが、通常の倍を超える1時間の長旅になってしまった。節電などの理由で石勝線の普通列車が運休していたこと(特急のみ運行されていた)、震源地付近で徐行運転を行うこと、またその影響で対向車が遅れること(基本的に単線なので、複線となる信号所で対向車を待たないとならない)が原因だ。

震度6を記録、安平町では

追分駅前

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「追分」(旧追分町)はメロンの生産や工業団地の開発による企業誘致が盛んな地域で、隣接する旧早来町と2006年に合併し現在は安平町となっている。追分駅のすぐ近くにある追分公民館に、震災発生から3週間を経てなお避難所が開設されていると聞き、取材を試みる。
 
駅前の飲食店は普段通りに営業しているようだ。平日の昼前ということもあり、道端を歩く人はほとんどないが、これは全国の地方都市で同様にみられる光景だろう。路上は震災の爪痕が残るが、家屋は外見からは大きな影響は見て取れない。
 
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追分公民館の避難所に到着。取材の許可を得て中に入る。いわゆる体育館のような場所に段ボール製の寝床があり、入口付近の広間に机椅子が並べられ、食事をとる場所となっている。その広間にテレビが1台設置されているほか、携帯電話の充電コーナーも設けられている。
 
避難所で生活する人は高齢者が多い。そのうちの一組に話を聞いた。

Photo追分に55年住んでいますがこれだけ大きな地震は初めてです。寝ていたらゴーンと突き上がるような揺れでした。地震で家の中のものは散乱したし、家自体も傾きました。何より裏山が(土砂崩れの)危険があるため避難しています。
 
震災発生当初は小学校の近くに避難所がありましたが、その付近の坂にも危険があることがわかり青葉会館に移動、その2週間後避難所が統合されて今の追分公民館に来ました。
 
避難所生活で一番大変なのはトイレです。小学校で避難していたときは、バケツに水を入れて流すような簡易式のものでした。食事は、良いですね。これだけ毎日タダで食べさせてくれるのだから贅沢は言えないですよ。音楽を聴くような時間はなく、ご飯を食べたらベッドの上で過ごすしかないです。人と話すことくらいかな。寝床ではテレビも見られないし、退屈はしますね。

「自宅に帰ったらまず何をしたいか?」と尋ねたが、「見当もつかない。何より、早く家に帰りたい」と話してくれた。他に話を聞いた人々も、「仮設住宅だとしても家に帰りたい」と早期の帰宅を望んでいた。
 
段ボールで仕切られた避難所の寝床は音を立てることに気を遣い、とても気の休まる状況ではない。睡眠不足を訴える人もいた。特に高齢者にとって、いつまで続くか分からない避難所暮らしは大きなストレスであり、そこに例えば音楽のような娯楽が何もないことが、さらにそのストレスに追い打ちをかけていると言えよう。
 
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厚真町

厚真町

追分駅から普通列車に乗ってJR室蘭本線を南下、早来駅で下車すると丁度目の前に一台のバスが止まっていた。行先は厚真。迷わず飛び乗った。バスは道中何度も徐行し、アスファルトのやや隆起したところをゆっくり丁寧に乗り越える。バスの終点=厚真町の中心市街に近づくにつれて、その頻度は増えていく。
 
震度7を記録した厚真町では、山間部の土砂崩れにより多数被害が出た。町中の至るところでは震災発生から3週間を経てなお、アスファルトのひび割れや地盤沈下が震災の痕跡としてはっきり残っている。
 
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取材に入ったこの日、市内の公園で「カフェ・デ・モンク」という僧侶らによる移動傾聴喫茶が催され、地元の人々にコーヒーやお汁粉が振る舞われていた。主催者に話を聞くと、東日本大震災をきっかけにこうした取り組みを行っているという。
 
復興の道半ば、商業施設は徐々に灯りを取り戻しつつあるが、それでもなお自室にこもる時間は震災前より増えているだろうし、これから寒く雪の降る冬が訪れる。物理的にだけでなく、心理的にも”暖”は必要だ。
 
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札幌・清田区

清田区

札幌市内でも、今回の震災による被害が今なお住民を苦しめている。その顕著な事例が、清田区の一部地域にて発生した液状化現象だ。震災発生から1か月を経ても立ち入り禁止のロープを張られた公園や、傾いたままの建物、ひび割れた道路があちこちで目立った。
 
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そして、今回の震災時に最も心配されたのは「北海道全域での停電」だ。深夜3時の震災発生後すぐに順次電気が止まり、真っ暗闇の中で倒れた家具を戻したり家族の安否を確認したりといった時間は、どれだけ恐怖に満ちたものだったろう。まして、これが真冬であれば、甚大な被害をもたらしていたに違いない。
 
2011年=平成23年に発生した東日本大震災から7年。私たちの生活はあの頃からさらにいっそう、電力に依存したものになっている。情報収集からコンビニの支払いまで、スマホの充電が切れてしまうとこうも不便になるのか!という体験は日本に住む人にとって初めての体験であっただろう。
 
本連載では「震災からの復興において、音楽のできること」を探求し続けてきた。今回の震災について、札幌でライブハウスの経営やイベントブッキングなどを手掛ける株式会社XERO KREWの三浦宏一代表に話を聞いた。
 

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— 震災発生直後の状況を教えてください。
三浦:仕事を終えて帰宅したのが26時だったので、地震が発生した時刻はかなり深い眠りに入っていました。でも揺れが長かったので「これはいつものやつじゃないな」と。それからすぐに電気が消えました。ススキノなどの中心街はみな真っ暗。
 
— 停電はしばらく続いたのでしょうか。
三浦:ススキノは丸一日停電が続きました。区画によってつくところつかないところがあり、うちのライブハウスの区画は翌日に復旧しましたが、その隣の区画はまだ停電が続いていました。市のはずれの方では3日間くらい電気がつかなかったそうです。
 
— 特にどんなことに苦労しましたか。
三浦:やはり電気ですね。防災グッズなんて用意してなかったし、電気がつかないからやることがない。しかもマンション内の水道がポンプでのくみ上げ式だったので、停電の影響で水も出なくなりました。食べ物も、コンビニに行ったら商品はみな売り切れてました。水は給水所でくんできて。火山灰に入れて処理する簡易トイレを持っていたので何とかなりましたが、便意を催さないようにと、なるべく水を飲まないようにしました。携帯電話も8時間くらいは圏外。(つながった後)あちこちから「大丈夫?」と連絡が来ましたが、情報が入らないのでわからない。それに充電が切れそうなので「大丈夫メールが来るのはありがたいんだけど、返事しようにもあと数%しか充電がないし…」という状況でした。
 
— ライブハウスの方の被害状況はいかがですか?
三浦:ライブハウスは夜が明けてから状況を確認しに行ったんですが、スピーカーなど何も倒れてなく無事でした。当日はたまたまうちの自主企画だったので、すぐに中止を決めました。翌日もメインアクトが停電の続く地域で動けなかったことと、東京から2組呼んでいたバンドも飛行機が飛ばないということで中止になりました。震災の影響で、企画していたライブやイベントは8本くらい飛びました。その中には苫小牧の大規模な野外イベントも含まれます。
 
— その後、DUCE SAPPORO(経営するライブハウス)では翌日から電源スポットとして開放したそうですね。
三浦:電源とお水と、休む場所を提供しました。電源スポットとしてライブハウスの開放を決めたのは、公演が中止になったこともありますし、ライブハウスの仲間内で「みんなでやりましょう」という呼びかけもありました。また、うちは被害の大きい厚真町に持っていく救援物資を集めるスポットにもなっていました。電源スポットの利用者はバンド界隈の人や、地元の人が多かったです。ただ、本当は僕自身は予定通り公演をしたかったんですよ。でもTwitterでは「(これまでの震災の事例から)3日後にもっと大きな本震が来る」とか、デマまがいの情報が飛び交っていて、まして計画停電を行うかもしれないという情報もあったので、中止にせざるを得ませんでした。でも僕らはライブをやるのが仕事なので、「こんな時に電気をたくさん使って何事だ、不謹慎だ」と言われても、これが仕事だからなぁ、と。
 
— 実際に「自粛モード」を感じる場面はありましたか?
三浦:苫小牧の野外フェスなんかも、震源に近くて火力発電所も復旧していない中、そこで公演を強行したら批判を浴びるだろうなという暗黙の空気がありましたね。もっとも、震災発生から3週間がたった今は自粛モードを感じることはほとんどないですね。むしろ今回の震災後には「ノー自粛キャンペーン」のような投稿をSNS上でよく見かけます。震災チャリティをやる人も多いですが、普通に営業すれば良いのではとも思います。
 
— 冬が(雪で)客足の鈍る北海道にとって、9月の公演は生命線とも言えると思います。
三浦:確かに8月の夏フェスが終わってから9月のこの時期はちょうど書き入れ時です。全国ツアーを行うバンドの来札も多い時期なんですよ。でも被害者面をしていても仕方がないので、助け合っていくしかないですね。僕らに限らず、観光客が警戒して来なくなったことでホテル業界や飲食業界はもっと大打撃です。

北海道はこれから長い冬を迎える。どうか余震が早く収まってほしいと切に願う。そして、つらい日常から例え僅かであっても解放させられるのであれば、音楽はそこに必要だということ、平穏な日常を送れる者がその延長線上で被災地を観光で訪れて現地にお金を落とすことは、皆が希望を取り戻すために必要な行為だということを、今回の取材を通して改めて感じた。
 
「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」というBEEASTのコンセプトに基づき、東日本大震災からの復興に携わる人の思い、現地の声を取材する当連載。東日本大震災発生から7年を迎え、ここ1、2年は取材対象者になかなか出会えず…という状況が続いていた。が、たとえどのようなことがあっても、ジャーナリストとして「脱・無関心」を貫かねばならない。清田の歪んだアスファルトを歩きながら、そういう思いを強く持った。
 
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【連載】脱・無関心 バックナンバーはこちら
http://www.beeast69.com/category/serial/mukanshin


 
 
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