連載

TEXT & PHOTO:鈴木亮介
第21回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~

東日本大震災の発生からまもなく5年を迎える。福島県では原子力発電所、茨城県や岩手県では人口流出とそれぞれに問題を抱えているが、宮城県は東北最大の都市・仙台の経済活性化、沿岸部の鉄道路線の復旧など、東京にいてテレビや新聞、ネットに目をやると他県に比べても明るい話題が多く報じられているようである。
 
実際に、街の”復興”はどの程度進んでいて、どのような課題を現状抱えているのか。2016年2月17日(水)、仙台駅周辺と、津波で大きな被害を受けた沿岸部である名取市閖上(ゆりあげ)地区と仙台荒浜、そして地下鉄東西線の開通で新たな展望が見出される仙台・若林区を歩いた。
 

仙台駅周辺

仙台駅

午前7時、仙台駅から中央通りを西へ、あてもなく歩く。全国どこの街でも見られる、平日朝の出勤・通学風景が見られる。まだほとんどの店のシャッターが下りている早朝だからこそ気づける、”素の表情”を探った。
 
ほとんどのテナントが2年前に訪れた際と変わっていない。変わったことと言えば、地下鉄東西線が2015年12月に開業したことだ。MACANA、HooKといったライブハウスに出演したことのあるバンドマンならすぐにイメージしてもらえるだろうか、下の写真はそのすぐ近くにできた「青葉通一番町駅」の真上の青葉通りを撮影したものである。
 
「がんばろう東北」のようなスローガンは、以前にも増して街頭から姿を消したようだ。唯一見つけたのは、仙台中央郵便局に掲げられた横断幕だ。この後訪れる郊外の道路沿いでは何点か見つけたものの、阪神大震災を経験した神戸と単純比較すると、仙台での「がんばろう」は早々にその役目を終えたものとみられる。
 
Photo Photo

Photo Photo

名取市役所

名取市役所

仙台駅からJR東北本線を南に下る。この路線は常磐線や仙台空港アクセス線も乗り入れており、朝の通勤ラッシュで各駅は混雑している。右下の写真は仙台駅からわずか2駅、仙台市太白区の太子堂駅から徒歩数分のところで撮影したものである。ここからわずか300メートル、3~4分歩いたところに、プリンセス プリンセスによる約3億円の義援金で話題となった大型ライブハウス「仙台PIT」があり、今年・2016年3月のオープンを控えている。
 
Photo Photo

ここからさらに南下すると、名取市に入る。名取市は仙台のベッドタウンとして急速に宅地開発が進み、現在の人口は東日本大震災の発生時を上回る約7万7千人となっている。一方で、沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受け、1千人近くの命が奪われた。他地域への移転も含めて、人口が著しく減少している。
 
名取市役所内で、閖上地区の風景を油絵または水彩で描き続けているという杉崎靖夫氏に出会った。杉崎氏は宮城出身・在住で、閖上は幼少期から漁港に行くなど親しみがあったそうだ。東日本大震災の直前に母親を亡くしており、震災発生前日に閖上にほど近い名取市斎場で葬儀を行っている。火葬場の煙突と、その奥に広がる太平洋の光景…その翌日にまさかあのような惨劇が起こるとは。当初は閖上の風景を描くなど思いもよらなかったそうだが、発生から1年半が経過した2012年の秋頃から筆を執り始めた。そのきっかけの一つとなったのは、間もなく取り壊される仮設住宅に咲く向日葵とそこで遊ぶ子どもたちを見て、「これを残そう」と思ったのだという。
 
向日葵は元来、閖上に自生していた植物ではない。震災発生後に、誰かが植えたのだろう。その力強さと、元気いっぱい遊びまわる子どもたちが自らの原風景とシンクロし、同時に「新しい閖上」をそこに見出したのだろう。杉崎氏は現在も定期的に閖上を訪れ、散策し、気になった風景を油絵または水彩で表現し続けている。壊れた橋梁や、1棟だけ津波に流されずに残った建物、小雨と白波のグレートーンの光景など…2013年に名取市で展示を行った当初は、「そういう風景は見たくない」という反応もあったようだが、今回(記者が訪れた2016年2月)はそうした反応はほとんどなく、市役所にたまたま訪れた人も足を止めて見入っている人が多いとのことであった。
 
Photo Photo

Photo Photo

名取市閖上地区

日和山(閖上湊神社)

名取市役所から一路、海岸を目指す。閖上地区を、この目で見てみたかった。道中、すれ違う車の8~9割は土砂を積んだトラックだ。閖上地区では現在、海抜5メートルまでかさ上げするための盛り土を積む作業を延々行っている。閖上の漁港では朝市を再開しているものの、一帯に広がっていた住宅は一軒たりとも残らず流され、その残骸もほとんどが撤去された。東京湾の埋め立て処分場にも似た、土砂だけの空き地がどこまでも広がる異様な光景だ。
 
Photo Photo

Photo Photo

その中で3.11の記録と記憶を伝える場所がある。日和山だ。標高6.3メートルの小高い丘の頂上には富主姫神社がある。この辺りでは最も標高の高い地点だが、東日本大震災発生当日の津波にこの山も全てのみこまれ、社殿も流失した。その後社殿は再建され、同時に鎮魂のための碑が設置された。この日和山の隣にも東日本大震災の慰霊碑が設置されている。
 
日和山から海を背に、町を見下ろす。5年の時を経て、今は瓦礫一つなく、平らな地面が無機質に広がっている。ここに建物があり、人が住み、それぞれの生活があったことが、簡単には想像できない。暫くして日和山から下りると、冷たい小雨が降り始めた。
 
Photo Photo

Photo Photo

Photo Photo

仙台市荒浜

仙台荒浜海岸公園

続いて仙台市の沿岸部、荒浜を訪れた。この辺りは元々田園地帯で、人口の多い地域ではなかったという。それもあってか、閖上に比べてこの辺りはいわゆる”復興”が遅れている。震災から5年を経た今も、建物の基礎部分がむき出しになり、津波による倒木がそのままの姿で残っている。
 
Photo Photo

Photo Photo

今でもその被害の深刻さを体感できることは史料として貴重である反面、この地に生まれ育った人たちにとってこれほど悲惨なことはないだろう。地元在住の人によると、仙台市内での市中心部と沿岸部の格差は広がる一方だという。地方の町村も含め、若年層は”田舎”を去り、”都会”に集まる傾向が顕著であるといい、都市部で3.11以前の、或いはそれより豊かな生活が送れていると、復興の遅れる土地にまで思いを馳せる余裕はないのが正直なところだろう。
 
当事者意識。それを共有することは難しいが、脱・無関心でいなければ。「元の荒浜に戻りたい」――そんな悲痛な思いがあちらこちらから伝わってきた。
 
Photo Photo

Photo Photo

Photo Photo

東西線荒井駅周辺

せんだい3.11メモリアル交流館

2015年12月に仙台市営地下鉄東西線が開業した。その東の終点が荒井駅だ。東北自動車道仙台東インターチェンジに近く、付近は区画整理が進み新たな街づくりのスタートラインに立ったばかり。つまり、そのほとんどが空き地なのだが、その中に横長の巨大な駅舎がどんと構えている。いったいどんな商業施設が入っているのか…と思ってしまったが、駅舎の2階には保育園、そして東日本大震災の記憶を後世に伝える「せんだい3.11メモリアル交流館」が併設されている。
 
Photo Photo

Photo Photo

Photo Photo

「せんだい3.11メモリアル交流館」は震災の記憶や経験を市民とともに考え、将来にわたって伝えていくことを目的として仙台市が開設したもので、今年・2016年2月にオープンしたばかり。震災発生当初から5年間のあゆみを報道写真で伝えているほか、郷土の伝統文化を学べる書籍の展示、イベント開催などもあり、入場は無料。仙台市沿岸地域の魅力を伝える展示もある。
 
仙台市復興事業局によると、公営住宅や集団移転など住まいの再建に関する復興計画事業はほぼ予定どおり進捗しているという。それにしても、これからニュータウンとして開発が進み、発展するであろうこの土地に、こうした施設があることはとても意義深いことであるように思う。悲しみは忘れずに、しかし前に進んでいかなければという仙台市民の強い意志が表れており、ここに集まる人々から、希望を見出すことができる。
 
Photo Photo

Photo Photo

Photo Photo

Special thanks to:渡邊了英(ムスリムホット)
https://twitter.com/muslimhotsendai


◆関連記事
【連載】脱・無関心 バックナンバーはこちら
http://www.beeast69.com/category/serial/mukanshin