連載

ロック一年生 エントリーNo.24 ムスリムホット

TEXT & PHOTO:鈴木亮介

PhotoBEEAST創刊当初から続く連載「ロック1年生」も、お陰様で24回を重ねることができました。「同じ学生バンドとして、どんな風に活動をしているのか参考になる」「娘、息子がどんな音楽をやっているのか読めて興味深い」等、有難いご感想をいただくことも幸いにして増えてきました。既に取材済みのバンドや、これからお話を聞きに行く素晴らしいバンドも数々あり、少しでも早くお届けしたい気持ちでいっぱいです。

そんな中で「首都圏だけでなくもっと他の地域のバンドも知りたい」というご意見を頂戴することもあります。なかなか地方遠征が叶わず、実現できていなかったのですが、今回、初めて関東から飛び出して、東北・仙台のかっこいい若手バンド代表として、ムスリムホットをご紹介したいと思います。メンバーはBAM(Vocal & Guitar)、渡邊了英(Bass)、村田龍哉(Drums)、JACKASS(Guitar)の4名。仙台をはじめ、村田龍哉君の住む福島や東京でもライブ活動を精力的に行っており、JYOJI-ROCK2011年夏大会ではU-22レーンで準グランプリを獲得しています。そんな彼らの日常生活や音楽への思い、また震災発生時の心境なども聞きました。

---まずはバンド結成の経緯を教えてください。

了英:一番初めにさかのぼると、僕とJACKASS、元メンバーのボーカル、ドラムの計4名で2007年に結成しました。高校2年生・17歳の頃、僕がバンドをやりたいと思ってドラムをやってる同級生と組んで、練習スタジオなどでギターとボーカルを探していたらJACKASSたちと出会いました。

PhotoJACKAS:僕も同時期にバンドメンバーを探していて、了英も僕もTHE BLUE HEARTSが好きだということで意気投合し、一緒にバンドを組むことになりました。

BAM:一方僕は別のバンドでボーカルとして活動していて、ムスリムホットとは対バンもしてましたね。元々バンドを組む前から音楽を聴くのは好きで、太陽族のライブに連れていってもらったのがきっかけですごくハマって、中学、高校と毎日ノートに歌詞というか、自分の心境や日記のようなものを書いていました。

了英:僕ら初期のメンバーは高校卒業とともに上京するメンバーもいて一旦バラバラになるのですが、やっぱりバンドは続けたいと思って、「ボーカルにするなら絶対あの人!」と、BAMを誘いました。それから1年くらいはドラムが見つからず、3ピースで活動していました。

JACKAS:その当時は結構大変だったね。BAMにドラムを叩かせたり、ドラムレスでライブをやったり。サポートで入ってもらった人もいて、一時期は外国人のドラマーに叩いてもらっていたこともありました。でも「俺もうカナダに帰る」って脱退しちゃったり(笑)

Photo龍哉:その後、僕が彼らのメンバー募集を見て声をかけ、加入することになりました。それが2010年ですね。

---なるほど、そこでようやく4人そろう、と。BAM君が最初組んでいたバンドはムスリムホットの先輩にあたるわけですね。

BAM:いや、そういうわけでもなくて、俺らは大学に入ってからギターを持ってやり始めたので、年齢は下ですが彼ら(初期ムスリムホット)と同期みたいなものですね。Ramonesみたいな革ジャン着たバンドが仙台にいるなぁって面白いなと思ってました。ある日のライブのMCで、僕が映画『アイデン&ティティ』の話をしたところ、了英がものすごく食いついてきて、それから仲良くなったんですよ。その後、僕のバンドの方はメンバーが皆就職活動をし始めて活動停止。自分も音楽はここでやめて、就職していくんだろうなぁと、漠然とこれからの人生を模索していたところ、了英が「俺はバンドで飯食って行きたい」と言い出して。「馬鹿だなこいつ」っていう思いと「すげえなこいつ」っていう思いが交錯して、衝撃的で。その反動で、「俺もやる!」と即決しました。

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---龍哉君はどのような経緯でムスリムホットと出会ったのですか?ここまでの音楽歴もあわせて教えてください。

龍哉:僕は中学の時にテレビでL’Arc-en-Cielを観て「yukihiroさんかっこいい!あの人みたいになりたい!」と思ったのがきっかけで音楽を始めて、ずっとドラム一筋です。僕が彼らと出会ったのは24歳のときで、ちょうど前のバンドを脱退した頃でした。地元の福島でいいメンバーを集めて新しいバンドをやりたいなぁと思って、でも見つからなくて。このまま何もしないで時間が過ぎていくのはもったいないので、自分のスキルアップのためにも色んなバンドと知り合い、サポートで叩いてみようと思って、仙台まで出てきた時に、彼らに出会いました。元々スクリーモとかハードコアが好きだったのでムスリムホットは自分の好みとは違うジャンルでしたが、なぜか面白くて、サポートから正式メンバーとなって今に至ります。

---JACKAS君は、どのようなきっかけで音楽を始めたのですか?

PhotoJACKAS:僕は元々あまり音楽は聴かなかったのですが、なぜかギターはやってみたいと思い、中1の頃にギターを手に入れて、それから色んな音楽を聴くようになりました。高校生になって、バンド募集をしている所に飛び込んで、社会人らとともに初めてバンドを組んだのですが、2~3回集まっただけで自然消滅。そういうことが何度かあって苦悩していた頃、了英に出会いました。

了英:その時は何でもいいからTHE BLUE HEARTSの曲をやろうぜって言って集まったのですが、JACKASは構成とか全然覚えてなくて。「なんだこいつは?馬鹿か?」って思って、それから逆に惹かれるようになりましたね。

---なるほど(笑)何かフィーリングが合ったのでしょうね。では、ムスリムホットの屋台骨・了英君の、音楽を始めたきっかけを教えてください。

Photo了英:僕自身、中学の頃は音楽ではなくサッカーをやっていました。その時同じサッカー部にいた親友が、部内でいじめられるようになってしまったのですが、そいつは全然めげなくて。僕はどちらかというと「自分もいじめられたらどうしよう」と怖くて、堂々と彼の味方をすることができなかったんです。こんな中途半端な自分は嫌だなと思っていた頃、その友人がドラムを始めたんです。元々家が音楽一家だということもあって、「俺は音楽で成功して、いつかいじめていたやつを見返す」と言っていて、すごくかっこいいなと思ったんです。そこで僕も、「じゃあ俺もベースやるわ」って宣言して、サッカーをやめて楽器を弾き始めました。その友人が実は、ムスリムホットの初代ドラマーです。今は上京してバンドは組んでいないそうですが、東京にライブに行った時は泊めてもらったり、今でも仲良くしています。

---ムスリムホットの音楽の原点は、中学時代にあるわけですね。

了英:そうですね。その友人も僕も、そしてJACKASTHE BLUE HEARTSが好きで、そこからTHE BLUE HEARTSのルーツを探っていき、色んな音楽を聴くようになりました。

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---現在の活動について、教えてください。

BAM:龍哉が福島に住んでいて他のメンバーは全員仙台なので、練習は週1回程度、仙台で行っています。ライブは月2、3本か多くて5本くらいやっています。地元・仙台だけでなく、県外にも出ることで他のかっこいいバンドにたくさん出会って、刺激を受けています。呼ばれればどこでも行きます!

JACKAS:曲は、当初は僕と了英で作っていましたが、最近は例えばドラムから「こういうパターンあるけどどうかな?」と出してもらったり、4人みんなで練って作り上げています。

---バンドで活動していて、どのような苦労がありますか?

了英:やはり昨年、震災が起きた時は大変でした。あの時はメンバーみんなと全く連絡が取れなかったし、外に出ても信号は止まっているしスーパーやコンビニにも何も置いてなくて、何をしていいのかすら分からなくなってしまって。避難所生活が続いて、「もう全部がだめになってしまうのかな」と悲観的になりました。バンドよりも、もっと他の人を支えていけることをやった方がいいのかな、と正直思いましたし、音楽はやめようかとも思いました。

---仙台にいたメンバー同士でも、連絡が全然取れなかったんですね。

Photo了英:そうですね。数週間経って、電気とかも復旧してきた頃にやっとメンバーと連絡が取れるようになりました。

---みんな避難所生活だったのですか?

BAM:はい。家が倒壊したというわけではないので最初は自宅にいたのですが、数時間おきに余震で揺れて不安になるし、家にいたら危険かなと判断して、家族で避難所に行きました。携帯電話もつながらずメディアも何もないので、翌朝の新聞でやっと状況を知って。避難所には5日間くらいいましたが、お風呂に入れなかったのが辛かったですね。

---夜は寝られなかったのでは?

BAM:避難所では幼い子の泣き声が響いて、寝られませんでした。メンバーとも連絡が取れず、何をしているか、生きているかもわからないし。iPodだけは離さないようにして、充電が切れるまで音楽を聴き続けていました。何とか自分を励ますために、THE BLUE HEARTSTHE HIGH-LOWSを聴きながら一人校庭に出て、ひたすらジャンプしていました。「俺はここだぞ」って。この気持ちを忘れないように、音楽は絶対に続けようと決めました。

Photo龍哉:うちの家は津波が押し寄せる一歩手前というところでした。仙台のみんなと同じように電気もつかないし水も出ないし。辛うじてガスは使えたのでご飯は食べられたのですが、風呂に入れなかったりトイレも流せなかったのは辛かったですね。また、家が原発から近いということで外にも出られないとラジオで言われていて、どうしたらいいのかわからず。電気がないから音楽もかけられず、暗い中家族と会話するくらいしかすることがなくて。

---バンドの活動については、話し合ったのですか?

了英:震災から1ヶ月が経過した頃、ようやく4人集まることができました。先ほども話したように僕自身はすごく弱音を吐いていて、バンドは続けられないと思ったのですが、他の3人が励ましてくれて、自分を取り戻すことができました。みんな「それでも音楽をやりたい」という気持ちはみんな一緒だったので。

JACKAS:当初はやはりライブはできない状況でしたが、電気が復旧して、「俺達は仙台でも何とかやってるよ」と全国に伝えたかたので、Ustreamなどインターネットを使って音楽やメッセージを発信していました。

---それから1年を経て、現在の状況、そしてこれからのバンドの展望を教えてください。

Photo龍哉:福島の街はガレキもすっかり片付き、普通に活気がある感じです。生活も震災前にほぼ戻りました。でも20キロ先の警戒区域は今でも立ち入り禁止で、その辺りは1年経っても何も変わっていないみたいです。

了英:やっぱりたくさんのお客さんに囲まれてライブをやりたいですよね。お客さんから「あいつらかっこいいな」「明日も頑張らなきゃ」と思ってもらえるように、僕らは頑張っていくだけです。やるからにはでかいところでもやりたいし、フェスにも出たいですね。でも俺たちは仙台が大好きなので、仙台にはこだわってやっていきたいです。

「俺らから音楽を取ったら何も残らないので」(渡邊了英)、「音楽をやめようと思ったことは一度もないですね」(村田龍哉)…インタビューの端々で、こうした言葉が聞かれました。一度「音楽の失われた世界」を体験している彼らは人一倍、音楽の大切さを知っているのでしょう。これからもますますその「大切な音楽」を、多くの人に伝えていってほしいと思います!

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◆ムスリムホット ホームページ
http://musurimuhot89.web.fc2.com/
 
 
 

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【取材協力】
K’S studio(ケーズスタジオ)
http://www.ks-studio2009.com/