特集

TEXT & PHOTO:鈴木亮介
被災地の音楽店は、今 ~仙台/石巻で聞く~

「ロックと生きる」BEEAST編集部員による全力特集「Editor’s Note…PASSION」。第1回目は私・鈴木がこの春東北を訪れ、「どうしても書きたい」被災地の実情について、情熱を思いっきり込めてお伝えしたい。

3.11、東日本大震災―――本誌・BEEASTもスタッフを失い、休刊を余儀なくされた。幸いにして1年を待たずに、この元旦に復刊することができた。その際に、震災にまつわる復興支援の取り組みをご紹介したり、被災地の「今」を伝えることは「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」をコンセプトに掲げるBEEASTにとっての使命であると考え、「Stand Up And Shout ! 脱★無関心」の連載を開始。これまでに「東京×福島ヘヴィメタルサミット」や「がんばっペ!福島。」、「東北ライブハウス大作戦」といった復興支援の取り組みをお伝えしている。

そして震災から1年が経過したこの春、副編集長・鈴木が自ら東北の地に赴き、現地の楽器店やCDショップといった、経済とは切っても切り離せない「音楽店」にインタビューを敢行。そのリアルな声をお届けしたいと考え、本特集を組むこととした。

まずは、東北一の大都市・仙台の事情を探るべく、仙台駅前のアーケードに立地する東北最大級のギターショップ「BIGBOSS仙台店」を訪れた。大型連休中ということもあり店内には高校生や親子連れの姿も多く見られた。たくさんのギターやエフェクターが所せましと陳列されているほか、店の奥にはフルオーダーメイドのための相談スペースがあり、材木も多数展示されていた。

非常に活気のある店内は震災の爪あとなどまったく感じさせないが、実際のところ震災の影響はなかったのだろうか。仙台生まれ仙台育ちでベーシストでもある舘野令史店長に、震災当時の話を聞いた。
 
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BIGBOSS仙台店 舘野令史店長
—こちらのお店はいつ頃からやっていますか?
舘野:仙台駅の横や国分町など3回引っ越していて、現在の住所に来てからは10年経ちます。

—この仕事に就いたきっかけを教えてください。
舘野:20歳の頃から始めて、楽器店一筋です。きっかけはやはりギターが好きだから、ということですね。自分自身も、今でもバンドを組んで音楽は続けています。

—お客さんはどのような世代が多いですか?
舘野:年齢は幅広いですね。中高生からおじいちゃんまで来てくれます。

—バンドから相談されたりすることもありますか?
舘野:よくありますね。音作りで悩んでいるお客さんや、「デビューしたいんだけどどうすればいいか…」といった相談もあります。

—震災時は大変だったと思うのですが…
舘野:大変でしたね…だいぶ。でも、震災直後はむしろお客さんは増えました。

—すぐに営業再開できたのですか?
舘野:震災後10日間はお店を閉めていました。商品がだいぶ傷ついてしまったのですが、みんな協力して買ってくれました。

—お店を辞めようとは思わなかったですか?
舘野:そうですね。やはりお客さんに助けられた、というのが大きいですね。

—震災発生から1年経ちますが、最近の状況を教えてください。
舘野:最近は「普通」に戻ってきてくれた気がします。

—今後お店をこうしていきたい、という展望はありますか?
舘野:この店の雰囲気をずっと持ち続けていきたいということと、仙台の街全体がロックな街になっていけるようなお店にしたいと思います。楽しいお店にしたいですね。

 
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◆BIGBOSS 仙台店
http://www.bigboss.jp/sendai/
〒980-0811
宮城県仙台市青葉区一番町2-3-33
営業時間:11:00~20:00(平日)
10:00~19:00(土日祝)

 

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続いて、沿岸部の石巻市を訪れた。仙台から石巻は片道およそ1時間半。震災前は「仙石線」という文字通り仙台と石巻を結ぶ路線があったが、津波で線路が流され、1年以上たった今でも一部区間はバスによる代行輸送が行われている。津波被害を伝えるニュースの中で、鉄道車両がまるごと流されている映像を観た人も多いだろう。あの青い車両が仙石線だ。

この日、小生は東北本線と石巻線を乗り継いで石巻入りした。小牛田からは非電化区間となり、ディーゼル車のエンジン音が田園地帯に響く。車窓にはとてものどかな風景が広がり、やはり震災の面影をそこに見出すことはできない。しかし、石巻の駅を降りて一歩町を歩くと、そこには3.11が強烈に爪あとを残していた。
 
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駅前の商店街は、ご覧のように多くのシャッターが下りていて、中には津波により破壊されたそのままの状態で放置されている店舗もあった。地盤沈下でひび割れた地面、倒壊の危険を指摘する貼り紙。震災前の状態を知らない小生が見ても、多くの人がこの街を去ることを余儀なくされたことが分かる。

旧北上川に向けて歩いていると、一件のレコード屋を見つけた。市内唯一の音楽店「Music Shop OBATA」だ。AKB48からジャズ、クラシックまで幅広く聴くという小幡勝己店長に話を聞いた。
 

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Music Shop OBATA 小幡勝己 店長

—こちらのお店はいつ頃始められたのですか?
小幡:音盤の時代からですね。店は開業から50年になります。先代、私の父親が始めました。

—元々、どのような客層でしたか?
小幡:圧倒的に40代以上ですね。かつての本屋さんやレコード屋さんは、買う買わないは別として学生のたまり場でしたが、今の中高大生はCDはほとんど買いに来ません。石巻でも、震災前は駅前で弾き語りをする若いミュージシャンはいましたが、「誰誰がいつ新譜を出す、楽しみだ」といった文化はなくなってしまったように思います。インディーズでやってる子たちが「自分達の作ったCDを置いてくれ」というのはありますけどね。

—元々苦しかった中で震災…ということだと思うのですが、震災時の状況を教えてください。
小幡:うちの店は水が天井まで押し寄せて、泥も私の腰ぐらいの高さまでありました。並べていたCDは全部ダメになりました。

—すぐに営業再開できたのでしょうか。
小幡:いや、震災発生から最初の1ヶ月は、音楽のことを考える余裕はなかったですね。誰が死んだ、生きた、見つかってない…という地獄のような状況。食べ物もなく、自衛隊の給水や救援物資が何時にどこに来るという、まさに生きるための情報だけが石巻の人々の関心でした。今日自分が生きるために一杯の水をどうしようか、と。その中で、「CDがどうこう」と話題がのぼる余裕はありませんでした。

—確かに、町全体がそういう状況ですよね。お店のことを考えたのはいつ頃ですか?
小幡:1ヶ月ほど経ってからですね。外観は何とか保っているものの、中は津波でボロボロ。まずヘドロを全部掃き出して、それから熱湯をかけて消毒して、さらに乾燥させて。壁紙も全て張り替えたので、費用は新築を建てるのと何ら変わらないほどです。6月2日にようやく営業再開しました。

—お店をやめようとは思いませんでしたか?
小幡:店をたたむ、たたまない、というのは考えていられなかった、というのが正直なところです。ただ、ボランティアの方々の力添えで営業を再開できたと思っています。「音楽を楽しみに待っている人がいるから、頑張りましょう」と声をかけてもらって。私たちだけでは、一歩前に進もうとか現状維持とか、考える余裕さえありませんでした。

—「6月」という数字だけを見ると、結構早い営業再開だとも思えます。
小幡:何人かのお客さんに「いつ開けるの?」「そろそろこの新譜が出るのだけど」と言われて、このままじゃいけないなと思い、全く品ぞろえがない中ではありましたが、6月に再開しました。ボランティアの方が作業をしながらの営業です。店内のテーブルとイスは、被災後に新たに設置したものです。サロンのように、避難所や仮設住宅でストレスが溜まっている人達が楽しむ場になればいいと思いました。

—営業再開後、お客さんはすぐに戻ってきたのでしょうか?
小幡:年配の方々を中心に、お客さんが戻ってきました。震災発生当初は避難所で音楽を聴くなんていう状況ではなかったのですが、数ヶ月たち、徐々にイヤホンでカセットやCDを聴く人が出てきました。最初の頃は「もうそろそろ音楽を聴いてもバチが当たらないかな」と言って買っていくんですよ。「自分がこんなにつらい時に、あの人は音楽聴いて楽しんでる」なんていう、被災者同士のやっかみひっかみもないわけではないですからね。

—なるほど…ちなみに、どのようなCDが売れましたか?
小幡:昭和30年代、40年代のヒット曲を集めたアルバムが震災発生当初は一番多く売れました。青春時代に聴いて大切に持っていたレコードが津波で流されてしまったので、もう一度CDを購入して聴いて、若い頃を懐かしむという人が多いです。あとは年配の方が客層の中心なので、演歌のCDやカセットが売れます。

—震災から1年を経て、最近のお店はどのような状況ですか?
小幡:元々売れていなかったところに震災。住民も、生き残った方も高台に移り住んだり都会に出てしまったりとして、ゴーストタウン状態です。とは言え、仮設住宅に避難し、話し相手もいないという人が来てホッとしてもらえたらと思い、採算を度外視して毎日営業しています。雇用のメドも立たない中、地元の人は衣食住プラスアルファの所にお金を落とさない、というか、落とせない。ですから、うちの店に限らず、今は生きていくために観光客の方々に買い物をしてもらうのが頼みの綱ですね。

 
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◆Music Shop OBATA

〒986-0822
宮城県石巻市中央2-12-2
営業時間:09:00~18:00

 

「一日にもらえる救援物資はおにぎり1個。それを家族何人かで分け与える。最初はそのレベルですよ」「自衛隊が設営したテントには遺体が次々と運ばれてくる。その隣でお店を営業再開しましょうなんて発想にはならないですよ」…まるで戦時中の話かと錯覚するエピソードが小幡店長の口から次々と語られ、今こうして原稿を書いていても目頭が熱くなる。これがわずか1年前、東北で起きた事実だ。

今回の取材では、わずか2つの街/町の、ごく一部の方のお話しか伺っていないので、これをもって全てを語り尽くすことはできないが、今回小生は「光と影」を2つの街/町に見出した。仙台では、元々の物理的被災が少なかったとは言え、想像以上に街が元の姿を取り戻していた。一方石巻では、これまた想像以上に、一年という時を経てもなお「爪痕」が残っていた。

そして、両者はともに、両者を思いやっている。仙台では、繁華街の店内で「あれ、暗いな」と思う瞬間が何度かあった。東京にいるとつい忘れがちだが、仙台人の節電意識は徹底されている。それは、「春は電力量が足りているから」という理屈抜きに、この震災を忘れないようにという鎮魂の意味を込めた節電なのだと小生は理解した。

そして、石巻では、鉄道・バス会社や自治体が中心となって、「被災地観光」に積極的に力を入れている。最後に、小幡店長に「是非東京の、全国の人達に伝えてほしい」と託された言葉を、そのまま以下に記しておきたい。

「震災発生当初は、石巻の人達の中にも『被災地観光なんて不謹慎だ』という考えがありましたが、それは当初3ヶ月だけで、損得抜きに支援してくれる全国の人達に心を打たれ、考え方が変わりました。現地に来てお金を落としてくれることが一番ありがたいし、この千年に一度の大災害を風化しないように、ぜひ現地に来て見てください。」
 
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