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FEATURE2025.10.05

【特集】音のチカラ story5「女性ミュージシャンが音楽を続けること」~前編~

結婚、出産、育児、ジェンダーロールを超えて

TEXT:鈴木亮介

「ガールズバンドは短命だ」――記者がガールズバンドの最前線を日夜取材していた2010年代によく耳にした言葉だ。そこには「女性同士のグループは男性に比べて仲違いしてしまうと関係修復が困難だ」といったジェンダーバイアスから「結婚、出産といったライフイベントが引退のきっかけになる」というものまで、様々な理由が付随していた。

ステージに立ったり楽曲制作を行ったりするプロミュージシャンにとって、結婚や育児などのライフステージの変化がどのようなものなのか、加えて女性ということでそこにどのような困難、壁、やりがいがあるのか。一般的に女性にとって「出産・育児で仕事のキャリアが途絶える」「仕事か家庭かの選択を迫られる、両立が困難」といった問題が指摘されるが、ミュージシャンにとっても同様の、あるいは異なった懸念があるかもしれない。

長く続けることが絶対的正解ではないし、各々の選択が尊重されるべきではあるが、もし女性ゆえにということだけで長く続けたいのに続けられない理由があるとすれば、そこにどのような課題があり、解決法があるのだろう。


日本武道館にも立つメジャーアーティストはシングルマザー
魚住有希が語る結婚、出産、育児、音楽活動

2010年代に、「けいおん」ブームも相まって高校の軽音楽部を中心に女性のバンド人口が増え、ロック・ポップス分野でも女性ミュージシャンの活躍を目にする機会は増えた。ライブハウスの第一線で活躍していたバンドを本誌でも数多く取り上げてきたが、あれから十数年の時を経て、その中には結婚・出産を経て今なお現役で活躍するミュージシャンも存在する。その一人が、LoVendoЯのギタリストだった魚住有希だ。

現在は数多くのアーティストのライブサポートやレコーディング、テレビ出演など精力的に活動する一方、7歳の男の子を育てるシングルマザーでもある。自身のインスタには日本武道館をバックに写るアーティストとしての姿と、息子とディズニーシーを満喫している写真が並ぶ。学生時代からLoVendoЯ加入前後の活動、結婚・出産・育児とコロナ禍、そして現在に至るまでの心境など話を聞いた。

■ギタリスト・魚住有希


――音楽を始めたきっかけはGLAYのHISASHIさんだと伺いました。
魚住:中1の夏、「GLAY EXPO 2004 in UNIVERSAL STUDIOS JAPAN」をテレビで観て、ギターかっこいい!って思ったのがきっかけです。こんなに大勢のお客さんの前でライブができるってどういう感じなんだろう?と思って、さっそくギターを習い始めました。

――他のパートもある中で、特にギターに惹かれたのですね。
魚住:そうですね。なんででしょうね(笑)。そこから本当にギター一筋です。父がクラシック好きなので、幼い頃からピアノやバイオリンを習わせてもらったのですが、自分に向いてないと思ってやめちゃったんです。それもあって、ギターを始めるにあたって「すぐにやめない」っていう誓約書を書かされたのは今でも覚えてます。最初は母の勧めでアコースティックギターのコードを押さえる練習から始めて、その後念願のエレキギターを始めました。

――そして高校時代にバンドを組み、卒業後は音楽専門学校に進学されています。高校時代からガールズバンドだったのですよね。
魚住:中高と女子校に通っていて、軽音楽部のメンバーでバンドを組みました。女子校だからか、周りに楽器をやっている人も全然いなくて…。クラスにたまたま同じバンドが好きだっていう子がいて、その子と一緒にギターを練習したことはありました。

――高校時代や専門学校時代を振り返って「女性のギタリストだから」とか、「ガールズバンドだから」といったことで特別に感じたことはありましたか?
魚住:ありましたねぇ…高校時代は切磋琢磨みたいなのがないんですよね。共学だったらギターがうまい子もいたんだろうなぁって…偏見かもしれませんが。でも実際に熱量は違って、例えば校内ライブをやることが決まっていて、何回か練習もしたはずなんですけど、前日になって突然、メンバー5人のうち3人から「明日出れない」って言われて。理由を聞くと「彼氏とのデートがある」っていう(笑)

――そんなことがあったのですね…。そして専門学校ではギターコースに女性がほとんどいなかったということですが。
魚住:そうですね。私を含めて2、3人しかいませんでした。で、やっぱり女子の方が課題をしっかりやってくるんですよね。さらに女性のギターの先生がいたこともあって、同じ女子ギターということで目をかけていただきました。そうするとえこひいきだって言われるんですよ。まぁでもちゃんとやることやってるしなぁって…

――専門学校では、数の多い男性に対するマイノリティ、みたいに感じることはありましたか?
魚住:そこは私の性格上なかったかもです。絶対に負けないって思いながらやってました。まずはこの中で一番うまくならないと絶対にその業界には行けないからって思って。

――魚住さんが音楽を仕事に、そしてギタリストとして生きていこうと気持ちが固まったのはいつ頃ですか?
魚住:高校生の頃から音楽に関わる仕事をしたいと思っていましたが、アーティストの道に進むことを決断したのは専門学校在学中にバンドオーディションを受けたことがきっかけです。事務所に半所属のような形になり、こうやってライブを一生懸命頑張っていけば、アーティストの道で、音楽で食べていくことができるんだって思って、決断しました。ちなみにそのとき組んだのもガールズバンドでした。

――その後2012年にLoVendoЯを結成し4年間活動されましたが、メジャーシーンでとりわけ「女性アーティストであること」で感じたことなどを教えてください。
魚住:ライブになると「女子だと弱いのかな」と思う瞬間はありました。サウンドの厚さや男性が出すフィジカルなパワーみたいなものが女性には出せないのかなって。でもお客さんがそれを求めているかって言ったらそうじゃないのかもしれませんが…求められる見せ方と自分が出したい音との違いに悩んでいる時期はありました。

――LoVendoЯはボーカル・田中れいなという圧倒的な個性があって、いわゆる「ガールズバンド」ともまた違った状況でもありましたね。
魚住:客席のサイリウムも、今はもう慣れましたが、自分が思い描いていたバンドといえばGLAYだったので、結成当時は「知ってる景色と違うなぁ」って思ってましたね。あとは田中さんに自分たちを寄せた方がいいのか、メンバーそれぞれの個性というかバンド感を出していった方がいいのか、見せ方も悩みました。

――仮に男女混合のバンドだったらこうならないんだろうな、みたいなことを感じる場面もありましたか?
魚住:例えば取材やライブパフォーマンスもそうですけど、「女性アーティスト」らしさを求められる場面はあったと思います。グッズでブロマイドを売ることになったり、写真を撮る機会もたくさんありました。元々写真を撮られるのが苦手だったので、「かわいい」を出せなくて、むしろ「かっこいい」にあこがれていたのでそこは悩みましたね。お客さんもハロプロのクオリティが高いアイドルさんばかり見ていた方が多い中で、バンドしか経験していない自分はどういう見せ方をしたら良いのか、常に悩んでいました。

――そこは葛藤の中で自分なりの答えを見出せたのでしょうか?あるいはよくわからないままにそのまま進んでいったという感じなのか…
魚住:自分の作った曲が採用され始めてからは自信が少し持てたので、自分らしくロックな感じで良いのかなと振り切ることができましたね。活動の後半に、ギタリスト2人でYouTubeの演奏動画を公開したところ結構ヒットして「こういうのも支持してもらえるんだ」って思えたのでそれは良かったです。当時を振り返ると、男女混合とか男性バンドの中に女性一人とかと違って、全員女性のメンバーだからこそこういうことができたのかなとも思います。そもそもメンバー編成がツインボーカル・ツインギターと特殊ですからね。主張が強い人しか集まってない、みたいな(笑)。

――確かにそうでした(笑)
魚住:数多くの人気女性アイドルを輩出しているハロー!プロジェクトがいる事務所に所属できたことも感謝しています。いい影響を受けたというか「こういう見せ方もあるんだ!」っていうのを勉強させてもらったし、ガールズバンドだったから出られたイベントもたくさんありましたし、当時出会えた女性ミュージシャンとは今も現場で会って「続けてて良かったね、あの頃大変だったよね」なんて言いながら…そういうつながりができたのも良かったかな。

――その後魚住さんは2016年にLoVendoЯを脱退し、個人としての活動が始まります。改めて当時のことを教えてください。
魚住:2016年の9月に辞めて、で、そこから仕事もないのでバイトを始めるんですよ。事務所も辞めてフリーなんですけど、まだ所属していると思われていたのか、すぐにサポートで呼ばれるということもなく…。

――何か次が決まっていたというわけではなく、まず環境を変えて自分の道をシフトチェンジしよう、という感じだったのですか?
魚住:サポートはやりたかったんですけど、1回休憩したいなっていう気持ちでした。メジャーデビュー(結成から約2年半後の2015年7月)がきっかけというわけでもないのですが、セットリストを話し合って決めたりしたかったけど最後の方はそういう感じでもなく、あとは田中さんが舞台に出る期間、残った3人と同じ事務所にいたBitter & Sweetという2人組と一緒にツアーを回ることになって…やらせて頂けるのは今思えばありがたいんですけど、当時は「これは何だろう」とすごく思っていて…そこからもやもやし始めちゃった感じですね。今振り返ると、そこで学んだこともたくさんあったし、もっと楽しみなさい!と当時の自分に喝を入れたいですね。

――なるほど。ちなみにアルバイトは何をしていたのですか?
魚住:ミュージックバーで働いていました。バンドでライブをやっていた最後の方は辛いなぁとかそういう感情しかなかったんですけど、辞めて3カ月ぐらい経ってくると、ありがたい環境だったなって振り返って思うわけですよ。そこにちょうど良いタイミングでサポートのお仕事がたまに来るようになって、そこから徐々に徐々に復活していった感じです。その後、妊娠がわかって結婚することになり、その時点では音楽はもうやめないと難しいかなという気持ちもありました。それから、出産して6カ月ぐらいのときにアイバニーズさんの楽器フェアのブースで演奏してくれないかと依頼があって…それが今後も続けていきたいと思うきっかけになりました。仕事何か来ないかなーって思うとポツンって来たりとか、そういう運はめちゃくちゃ持っている気がします。周りに感謝ですね。

――そして、子育てをしながら音楽への気持ちがさらに復活していきます。出産直後は育児が8割、9割の時間を占めていくと思いますが…
魚住:もうそれどころじゃなかったです!最初の3カ月くらいは音楽の「お」の字すら出てこなかったですね。「早く寝てくれ!」みたいな。そこから少し落ち着いたぐらいから、音楽をちょっと聴き始めたり、気になる曲を練習し始めたり…そうしているうちにお仕事が来始めて、と思っていたら、そこで”シングル”になるわけですよ。

――それはまた急展開ですね…お子さんがまだ1歳くらい?
魚住:2019年の大みそかに、実家に帰りました。その後離婚するのですが、息子は1歳半。ちょうどコロナが始まるくらいの時期で、ライブもないし、息子も保育園に入れなきゃいけないし、自分も働いて稼がないと…役所に行ったり、求人誌も片っ端から見ました。それで最初の数カ月は昼間事務職をやって、その後夜の時間にギター講師の仕事も始めました。ただ、レッスン場所が生徒さんに合わせて色んなスタジオに移動するので、その移動も大変でした。

――昼も夜も働いて、移動もあって、かなりしんどかったのではないですか?
魚住:そうですね。ちょっときついなと思い始めたのと、たまにライブのお誘いを頂いても、事務職やレッスンの仕事があるからお断りをする、ということが続いて、それって自分が本来やりたかったことと違うなという思いが生まれてきました。そのタイミングでサポートの依頼をいただき、思いきって昼の仕事はやめることを決断しました。2021年の11月頃です。ライブのための機材もほとんど売っちゃってたので、また買い直しです(笑)。

――とても勇気がいる決断ですね。
魚住:仕事をやめてからまた復帰するのは簡単ではありませんでした。今の自分の技量では音楽で食べていけないと思い、またギターの勉強をし直そうと思って師匠のもとで2022年ごろから修行しています。師匠の現場で学ばせて頂いたり、家での学習時間も作れたのは家族の支えがあったからです。今も息子が学校に行っている時間だけでは足りないので、息子を寝かせてからも練習しています。

――結婚当初、子育てと仕事についてはどのようなプランを描いていたのですか?
魚住:そのときは、もうちょっと子どもが大きくなってから働けばいいかな、音楽の仕事は来なかったら音楽はもうやめようって思っていました。でも今考えてみたら音楽やりながら結婚して、音楽やりながら子育てしてって、めちゃめちゃ難しいと思います。

――ライブが夜や休日に多いということもあって、生活を合わせるのが大変ですよね。
魚住:そうですね。周りのミュージシャンでは、ライブの日は旦那さんに有給をとってもらったり、両親に来てもらったりするという話も聞きます。私も実際、ライブ以外にレッスンや家での作業があったので、保育園をけっこう延長していたんです。お迎えに行くとだいたい息子が最後まで残っていて…なんかその姿を見るのが辛くて、かわいそうなことをしているなって。実家にはいましたが、お迎えを頼めない日はどうしても遅くなってしまうので心苦しかったです。

――そのお迎えのエピソードを一つとってもそうですが、出産当初から離婚とコロナ禍…激動の数年間だったかと思います。音楽活動を続けることに対しての不安も大きかったのではないでしょうか?
魚住:うーん…どうだったかな?昼の事務職をやめる不安感はあったと思いますが、たぶん私が辛い顔をしているのが子どもにとって一番ダメだと思ったんです。自分が元気でないとたぶんこの子は元気に過ごせないと思ったから。(2020年頃)当時の写真を見返すと私だけではなく子どももちょっと不安そうな顔をしてたりするんですよ。これはまずいと思って、好きな仕事で頑張りたいと決めました。一方で仕事が忙しくなると息子と会う時間も減っていき…今年の夏、息子の夏休み期間に私もめちゃめちゃ忙しくて、家にほとんどいなかったんです。息子にはキャンプに行ってもらったりしていたんですけど、「なんでママこんなに仕事してるの!帰ってきて家にママがいないことが嫌だ!」って言って泣いちゃったんです。働いていると男性脳になっていて、母を忘れる瞬間が…。せめて食事は一緒にしないと距離が生まれるなって思いました。

――視点を変えると、ステージに立ち続けているモチベーションは息子さんでもあるということになるわけですね。
魚住:そうですね。息子がいるから頑張れているということもあります。たまにテレビに出ることがあると、それを見て「これママなの?!すごい!」って言ってくれる、そのときの一瞬の笑顔がめちゃめちゃ嬉しいので、そのために頑張っている感じです。

――確かにそれは嬉しい!息子さんもギターに興味を持ったり…
魚住:それが全くないんですよ。私が弾いてるとたまに気になってジャラ~ンって鳴らしたりはしますが、それよりも練習が終わるのを待ってます。「それまだ?」って言われたりも。ただ音楽自体には興味があるみたいで、ヒカキンのYouTubeを見ながらビートボックスの真似はしています。私がギターを弾いているとドラムを真似た感じでセッションすることはありますね。

音楽を続ける理由の一つとして「自分が元気でないと、たぶんこの子は元気に過ごせないと思ったから」という言葉がとても印象的であった。そして、やりがいがある仕事だからこそ、仕事にどっぷりつかってしまうとそれが子どもとの時間を減らすことになるというのも、悩ましい問題だなと感じた。

インタビュー内では母や姉など家族の支えに言及する場面が何度かあった。NPOひいなアクション代表で社会環境学が専門の高橋律子氏が2017年に行った「子育て中の女性アーティストに関する実態調査」によると、出産後の制作環境の変化について場所的・時間的な制約や経済的問題、仕事の減少を挙げる声が多く、一方で創作活動を継続するために具体的に必要な条件を聞いたところ、「家族の協力」が83%と圧倒的多数を占めた。またこの調査は美術系のアーティストが主対象ではあるが、半数以上の回答者が「ひとりの時間」を挙げていることも興味深い。

高橋律子(2017)「子育て中の女性アーティストに関する実態調査」まちと暮らし研究 No.29より

どのような職業であっても、仕事と子育ての両立には家族など周囲のサポートが欠かせないが、とりわけミュージシャンにとっては仕事の不規則性や「集中して曲を覚える」「曲作りに没頭する」など、一人になる時間がある程度必要になることから、活動の継続においては子どもを預けられる環境が必須と言えよう。

後編記事はこちら
https://www.beeast69.com/feature/190045/