FEATURE丨2013.08.10
ROCK SAMURAI STORY 快進のICHIGEKI(Part4)Side B
新たな時代の風雲児となるべく奮闘を続けているロック男子たち。その姿を追う新しい特集「ROCK SAMURAI STORY」。今回は記念すべき第1弾アーティスト快進のICHIGEKIの第四回をお送りする。
個々のメンバーに対するパーソナルインタビューより、快進のICHIGEKIという独自の存在がいかに構成されているかを深く探るSide Bの第四回。今回登場するのは、ギタリストの久雄だ。
快進のICHIGEKIのステージの中では、しなやかさを見せるコータとは対照的に、荒々しさすら感じさせる久雄のパフォーマンス。ステージのオープニングやギターソロで刀を振り回すパフォーマンスは、すっかりおなじみの光景。そんな暴れっぷりはサウンド面でも、ワイルドなギタープレイで表現されている。ハードロックを自負する彼らの中で、彼はサウンド面で重要なカギを握る人物だ。
また、非常に卓越したギターテクニックを持ち、超絶フレーズを難なく弾きこなしてしまう流麗な技術があることは、バンド内だけでなく楽器業界の様々な方面で注目を浴びていることでも明らかだ。バンド、そしてギターという楽器に並々ならぬ情熱を傾けている久雄。今回はそんな彼のギターとバンドにかけた熱い思いをインタビューで語ってもらった。
久雄:俺はもともと小さいころから音楽が好きだったんです。あまり動機は覚えてないけど、小学1~5年生まで、エレクトーンをやっていたんですよ。ただ、そのときは俺が男子1人で女子5人、といったクラス構成で、性格の不一致にて(笑)、やめちゃったんです。でも何か楽器を弾きたい、という思いはあったんでしょうね。母親と母方の叔父さんが趣味で世代的にフォークギターを弾いていて、そのころに使っていたギターが押し入れの中に転がっていたのを、小学6年生くらいに発見したんです。それで「何だこれは?」と触り始めたのがスタートでした。
久雄:そうですね。最初はコード進行でつまずきました。C、G…と弾き始めていたのですが、Fなんかは難しいけど、俺はその前のC、Gあたりですでに弾けなくて「こんなものつまらん!」と、一度やめちゃって(笑)。でも中学生になったときに自分でCDなんかも買い始めるようになって、中学校2年くらいだったかな?先輩がX JAPANの楽曲をやっていたのを見て強く惹かれたんです。その先輩は一つ上の軽音楽部、俺はバスケ部で軽音楽部じゃなかったんだけど。
今考えるとそこが「音楽ってカッコイイ」と思ったスタートだったと思いますね。それを聴いて「何だこのカッコイイ曲は!」と。そのころまでエレキギターを特に意識したことはなかったんです。だからそのときからX JAPANを聴くようになり、エレキギターというものに興味がわくようになりました。それと同時に、うちの父方の叔父さんが昔エレキギターを弾いていたんだけど、そのギターとちっちゃなアンプが家に転がっていたのを発見して、「弾かせてくれ」と頼んで、始めるようになりました。
久雄:そうですね、中2くらい。その意味では上達も早かったような気がします。メチャクチャ練習したのもそのころだったと思うし。もちろんそのとき以前にアコギを触っていたということもあったけど、本格的にエレキギターを始めてからはとにかくメチャメチャ練習しましたから。中1のときはバスケがやりたかったけど、中2になってそのきっかけがあってからはもうバスケからギターに切り替わった感じ、学校にいない時間はもうただひたすらギター、という感じで、やっぱり一番練習したころじゃないかなと思います。
久雄:いや~大変でしたね(笑)。学校には行きたくなかったので、朝も寝ているわけですよ。そうしたら「そんなに学校に行きたくないのなら、働きなさい!」って怒られっぱなし(笑)。反抗期だったから「うるせえ!」って逆に親にも反抗して(笑)。とにかくそのころは激しく当たっていました。まあ今となっては、「そんなときもあったな」という感じでここまで続けているから、今では親から「あんたにはこれしかないね」と理解してもらっていますが。
久雄:受け入れましたね、そのタイミングですんなりと。ただ、それまでもいろんな音楽を聴いてはいて、そのころ流行していたのはGLAYとかL’Arc-en-Ciel 、THE YELLOW MONKEYとか。だからバンドサウンドみたいなところは聴きなれていたし、聴く分には好きでしたね。
久雄:そうですね。まあぶっちゃけた話としてそれほど友達がいないので(笑)。スレッスレの人間、というか人間嫌いでしたし。中学校のころはコータとは腐れ縁みたいな感じでつるんでいたけど、他の人とは本当に交流がない。さらにギターも弾くから、学校が終わったら家に帰って、真夜中までギターを弾いているだけ(笑)だからそういったことも含めて、すべての自分の感情をぶつけていたんでしょうね。エレキギターというのはアコースティックギターに比べて単純に歪んでいることでジャーッという感じで、そんなモヤモヤを発散できると感じたんです。そんなことからもハードロックを飲み込んでいったんじゃないのかと思います。
久雄:あったと思います。というかむしろそのころが一番そういう気持ちが強かったと思います(笑)。人との付き合いにしても一回打ち解けてしまえば心を開きますが、なかなかそのうち解けるまでが大変なので…多分、人見知りなほうだと思うんですよ。今はわりと器用になりましたが(笑)、10代のころはもっとダイレクトじゃないですか。中、高と友達と遊ぶことなんてほぼしなかったし。
久雄:どうでしょうか?(笑)。実は自分でもまだよくわかっていないんですが。ただ、ギターは自分にとって自分の表現ができるツールの一つなんです。そのときの感情を乗せているというか、楽器を弾くとそこに喜怒哀楽が乗り移るという気がしています。最近ギターを弾いているときには、特にそんなことを感じるようになりましたね。
久雄:いや、たとえばステージで「自分はこうやりたいけど、快進のICHIGEKIとしてはこうすべき」みたいな悩みが直接出ることは全くないですね。ただ、楽曲を作るときに、ちょっと見えるような場合はあります。そういうところは想像しながらやっているのですが、その時点で快進のICHIGEKIとして発表することを頭の中で考えているので。だから結果として迷いというものは表には出てこないと思います。
久雄:そうですね。まあ、それに関しても、やっぱり同じメンバーでキャリアを積んできて、周りの音を聴きながら演奏ができるように視野が広がっているので、多分弾きまくってはいるけど昔に比べたら「出すところは出す」「引くところは引く」という感じになってきてるんじゃないかな?アレンジでも自分の中ではそういう感じになっているんですけどね。
久雄:まあそうですね。もう10~20代の若いころは歌自体無視。俺だけじゃなくて、みんな(笑)。勢いだけでまとまっていたというところが以前はあったし、たとえばいかにも「リードギター!」という感じでドワーッと弾くような音楽は流行っていなかったから、俺たちは珍しがられていると思ったところもあったと思います。みんなHi-STANDARDなんかのAIR-JAM系が流行っていたし。「ギターヒーロー」的な存在はちょうどその前の世代だったから、その意味で自分としてはリアルタイムのものよりは昔の音楽を掘り下げてハードロック/ヘヴィメタルを中学校の終わりから高校にかけてハマっていたし。確かに練習はしましたね、「速弾き」ばっかりでしたけど(笑)
久雄:そうです、小学校3年のころ。家が近かったし、同じ小学校で3、4年でクラスが一緒。で、中学校では奇跡的に3年間クラスが一緒でした。ほぼ唯一といってもいいかな?数少ない友達の中でも心を許せる親友だったと。あいつは部活もやりつつ、友達遊びもしつつで、中学生の間はまだバンドなんて考えは頭にはなかったと思いますが。そんな中でも彼は俺の一人の友達ではありました。
久雄:そうですね、最終的には引きこもり(笑)
久雄:そうですね。特にバスケで全国制覇!とか何をしようと思ったわけではないので。バスケは好きでしたし、ちょうど漫画の『SLUM DUNK』が流行っていたころでしたから。
久雄:その通りだと思います。だからなおさら本当に彼と今もつながりがあるのは俺自身も不思議なんです。ただ、以前からの雰囲気で「昔から付き合っているから、あいつのことはよくわかっている」という感じでは付き合っていると思います。一緒にいても過ごしやすいというか、お互いプライベートまで立ち入るようなこともないし。
久雄:もちろんあります、というか歌メロと歌詞は基本的にコータが作るし。俺は作曲といっても全体のバックグラウンドのサウンドとして「こういった雰囲気」というところを作るだけで、そこに歌を載せてもらうので、自分の中で曲を作るときに「奴だったらこういう感じで歌ってくれるとカッコよさそうだな」「こうやってほしいな」というところは考えながらやっていますね。
久雄:ありますね。この快進のICHIGEKIというバンドをやり出して、4人でドンドン動いていく中で、彼の個性や存在はスゴイと年々思っています。十代のころはそんなことは思っても見ませんでしたけどね。ここまで快進のICHIGEKIが活動を続けた中で思うのは「どこにでもいるボーカリスト」だと全然もたなかっただろうということだし。そういう意味で彼は才能もセンスも唯一無二であることは間違いないです。
久雄:まあ、コータは「貫禄あるな」と思ったらしく、それは俺も同じなんだけど(笑)、ただそのころ僕はバンドをやっていたけど、俺は同級生から「バンドをやろうぜ」と誘われた身であり、中身で「あれやりたい」「これをやりたい」というところでは自分を出していたけど、それ以外では基本的に人間不信的な感じだったんですね、高校生くらいまでは。だからパーソナル的にそこまで深く見たかというと、「まあ、叩けるのなら」という感じで正直深くは見ていなかったと思います。
ただ、「高1でX JAPANが叩ける」と有名だったので、やっぱりそれを見たら「すげぇ!」って思いましたね。それなら聖飢魔IIとか、オリジナルなんかも「こういう曲もできるな」と、期待していました。すげえ上手いし。
久雄:そうですね。みんなはどうかはわからないけど、俺はバンドをやっていたいという気持ちはあれど、「じゃあ人を集めてどうこう」っていう人間じゃなかったし。やっぱり潤でしょうか、そういう気持ちを持ってきたのは。俺は、演奏や練習をしている間はふんぞり返って「ああして」「こうして」と言っているけど、運営的なことや外交的なことはあまり得意じゃないんですよ。今にも増して十代のころは、「全員クソだ!」っていう感じで全否定でしたから(笑)。やり直せるなら学生時代のあの屈折した気持ちをやり直したいというか(笑)
久雄:バカスカとドラムを叩けるけど、彼はそれだけじゃなくて歌をちゃんと聴いて全体を構築する「構築派」の人なんです。「こうだからこうなる」という、フィーリング派とは対極の理論派。
俺は基本的にギタリストなので、アイデアを持って来て、アレンジして、合わせて「あっ、カッコよくなった、これでいいんじゃない?」とすぐ納得してしまいがちな傾向があって、バスドラとタイミングがそのときにズレても、気持ち的にノレればいいタイプなんですが、彼は「今はこことここをしっかりかみ合わせないと面白くない」とか、「もっとこうしたい」とかいう意見をしてくれる。まさに支えてくれるドラムの人なんです。それを曲作りのたびに思いますね。
久雄:そうですね。もともと潤が入る前にやっていたバンドと、俺たちも対バンでやっていたので面識はあって、彼のバンドはとにかく目立つ奴だなって思ったんですよ、テクニックよりも。ミクスチャーなバンドだったけど、やたら目立つというのがとにかく印象。彼も結構俺たちに興味を持ってくれていて、そのときから交流をしていたんですよ。ただそのころは俺は心を開かない時代だったので(笑)、それ以外に深い印象はなかったと思います。
一緒になってドーンと合わせたときは、彼も快進のICHIGEKIの曲を覚えてきてくれたし、やっぱりキャリアを持った人だから、上手かったんですよね。それまでに入ったベーシストに比べても。だから、快進のICHIGEKIの曲をやっても、「いいじゃん、これで!やろう!」って。
久雄:そうですね、今思うと。それで一緒にやり始めたら、プレイ以外にも運営面とか、経験だけじゃなくて彼の性格的なところもあり、本当に進むようになってきました。快進のICHIGEKIのオリジナルメンバーって、今でこそ俺とコータ、それに佑一っていわれいているけど、彼がいなかったら今のバンドは絶対になかったと思います。実は彼もそれをわかっていてバンドに入ってくれたし(笑)、驚きの連続。「へえ!」「そうなんだ!?」って。
相変わらず演奏中や練習中は「エッヘン!」って感じで俺はえらそうにやっているけど(笑)、運営なんかは未だに彼の出してくるアイデアに頼っていますね。最初に出してきたアイデアは、「名刺代わりになる音源を作る為に、レコーディングをしよう!」。そこからチラシを作ったり、都心のライブハウスのオーディションに、片っ端から応募したり。そういう行動をし始めたのは彼が入ってからなので、彼が入ってからが本結成という感じでしたね。
久雄:そうですね。それまでは地元のライブハウス一つに活動が絞られていて、月一くらいで出てはライブハウスの人に何か言われ…という感じ。ファンをつけてどうこうなんて、他のメンバーより俺は疎くて、曲が作れて、ギターが弾けて、ライブに出られれば俺はOK!みたいな(笑)。「友達を呼べよ」とか言われても、友達はいなかったし(笑)
久雄:もちろんあります。バンド活動を続けたことでいろんなことを知ったというものが多いですね。それでようやく人間として育ち始めたような気がします(笑)。10代のころは、ギターの腕は磨きまくっていたけど、「それだけあればいい」という人間だったので。対バンをしてバンド同士の交流はできたけど、内では「負けてなるものか」という敵対心みたいなものが常にありましたし(笑)
でもバンド活動をするにはそうはいかないですよね。だからバンドをしながら人間としても成長していったんです。それは潤がバンドに入って、快進のICHIGEKIがバンドとして本当に始動したから。でないと快進のICHIGEKIは俺が22~3歳くらいで行き詰まって自然崩壊していたと思うし。彼が入ったときに彼の知っていたライブハウスのルートで、ちょうどそのころにできた代々木のlaboというライブハウスのホームバンドになることができたんです。そこで下積みを続けながらツアーにも出て、と活動を続けてきました。
久雄:ありましたね。昔は意識なんて全然ありませんでしたね。フロントが3人いるじゃないですか?だったらみんな「オレが絶対目立つ!」って(笑)。潤も今でこそちゃんと意思疎通しながらベースをプレイしていますが、彼は本当に凄かったですからね、首の動き方とか、振り方とか。映像なんか見たら「首がとれちゃうんじゃないか」っていう感じ(笑)。それに対してオレはオレ、コータはコータで「ウォッ!」って(笑)。
だから最初は本当にお互いを意識するということはなかったですね。そのころは本当にメタルというかミクスチャーバンドだったので。それから成長していく中で、今はどんな楽曲でもお客さんとのキャッチボールを重視するようになり「余裕がないとライブができない」という感じになったので、お互いを意識しながらはじけるようになりましたね。
久雄:多分ニートですね、社会人にもなれなかったと思います、ダメすぎて。人間として終わっているんじゃないか?っていうくらい。バンドをやっているということで、狭い世界だけど社会と接しなければいけないし、バンドの活動をするにはアルバイトもしなければいけない、そこだけで少なからず社会勉強をする必要があったし。この活動がすべて人間的に成長させてくれたと思います。それがなかったら本当に家から出られなくなっちゃっていたでしょうね。完全な親不孝者だったと思います。今もパッとは気さくになれないところはありますけど、人に接するのは全然問題なくなっている。本当にこの人生が送れなかったら、と考えるとゾッとしますね。
久雄:そうですね、聖飢魔II。それとX JAPAN、SEX MACHINEGUNS。この3つは俺の中で三大ジャパニーズメタルバンドと認識しています。
久雄:確かに。でも緊張しますね!ANCHANG自身は、とてもオーラのあるのにふんぞり返らない人だし。俺たちみたいなバンドと関わってくれているのはとてもありがたい。とても接しやすい、だけど緊張します(笑)
久雄:その後徐々に洋楽にも入っていきました。そのときにカッコイイと思ったのはBON JOVI。今、俺が快進のICHIGEKIやっているスタイルからは余りにもかけ離れていて、「え?」とビックリされることもありますが(笑)。それまで洋楽を全然通ってなくて、DEEP PURPLEやLed Zeppelinの存在は知ってはいたけど、ハマることはありませんでした。でも中学校のころ、テレビの音楽番組で「歴代アルバム売り上げベスト10」みたいな特集があって、そこでBON JOVIの『CROSSROAD』が紹介されたんです。そこで「LIVIN’ ON A PRAYER」のPVが流れたんです。そのとき「この曲カッコイイ!」って思いました。あのサビのコーラスなんか。それが俺の洋楽への目覚めでしたね。
久雄:いや、そういう音楽はまずランキングに出てこないし(笑)。BON JOVIはいい意味でポピュラー音楽ですよね。そのときはまずBON JOVIで洋楽に目覚めたんです。それから次に何か聴こうと思ったときにメタル指向になって、有名なメタルのタイトルを片っ端から買い漁っては聴いていました、HELLOWEENとか。
たとえば先に聴いていたX JAPANもいうなればメロディアスなメタルじゃないですか?だからまずはメロディックメタルを聴いていました。それからGUNS’N ROSESも聴いたし、洋楽のROCK’N ROLLもカッコイイってよく聴いていました。そこからもっと過激に!と思ってスラッシュメタルに移っていったわけです。その中でも俺はTESTAMENTがとても好きでした。
久雄:スラッシュ四天王(METALLICA、MEGADETH、SLAYER、ANTHRAX)よりも、俺にとってはTESTAMENTなんですよ。快進のICHIGEKIの曲で「音座芸夢」のイントロの、ちょっと和音階っぽいフレーズってあるじゃないですか?
久雄:そう、あれはTESTAMENTの影響なんですよ。テクニック的にはYngwie Malmsteenの影響も強いですが、リフは自覚できるぐらいにTESTAMENTの影響をもろに出していますね。
久雄:そうですね。アメリカは好き。実はUKロック系は苦手なほうで、OASISやThe Beatlesなんかはキライじゃないけど、もっとパワーバラード的な感じが好き。「赤色の生命」のコード進行は、Tom Waitsの影響なんですよ。BON JOVI以降は、GUNS’N ROSES、あと80年代のL.A.METAL系は大好きで、Ozzy Ozbourneが一番大きな存在ですかね。ギタリストでいえばZakk Wylde、Randy Rhoads。すべてがちょうどいい感じですね。よくプレイを見た人から「Zakk Wylde好きだろ!?」って言われますね(笑)
大体はリアルタイムな音じゃないんです。自分のリアルタイムな音って、SUM41とか、GREENDAYとか、エモパンクみたいな感じで、メタルはすでに過去の音楽でした。リアルタイムもキライじゃなかったけど、メタル以外は音楽じゃなかったですね、自分には(笑)。まあでも20代を越えるころにはいろんな音楽を聴いていて、メタルは「好きな音楽」の一つという感じになりました。ただ自分としてはいつまでもハードロックギタリストだと思っていますが。
久雄:まずは常に自分の中で「快進のICHIGEKIのギタリストはオレだ」というイメージを、テクニック的なものより「ギターを持った一人の人間像」として唯一の人間と思わせるような存在になっていきたいです。「ギターヒーロー」っていう言葉があるじゃないですか?それは音だけでカッコイイというわけじゃない、そこを超えたところに「ヒーロー」の意味があるだと思うんです。見た目だけじゃなく、立ち振る舞いがカッコイイとか、そういったもの。
時代がそれを求めるかどうかは別だけど、俺がギターに魅かれたときの衝撃を同じように放っていきたい。たとえば今の十代の子たちが俺のプレイを見て「カッコイイ」「ギターを弾きたい」って思わせられるようになれれば。インタビューの最初に言っていただいた「楽しそうに弾いている」というのは、実はそんなところにつながるんじゃないかと思っています。ずっと歳をとってもそんなことを思い続けて、永遠のギターキッズでいたい。
何を頑張ったらそうなるのか、というのはまだわからないけど、まずは常に自覚を持ち続けることだと思うんです。荒々しいライブでも、地味なライブでも、ステージで視線を移したときに「ものすごい光を放っている奴がいる」と思われることが目標。それには練習は当然必須のことで、プラス自分を客観的に見るということが必要だと思っています。普段はマイナスなところを隠しがちではあるけど、そういうところを自分の中でしっかり悔しがりながら消化し、成長していく。そしてそのときそのときに出会った人を忘れずに大事にしていく。そうやってたとえば快進のICHIGEKIの衣装を着ていなくて、普段着で誰かのセッションにギターだけ持って現れても、放つオーラみたいなものを出せるようになりたいです。
インタビュー本文中にも書いたが、久雄は本当にギターを楽しむようにプレイしている姿が印象的だ。「江戸前四重奏」を名乗る快進のICHIGEKIの中で、彼は「武士」という立ち居地を持っており、ステージの登場から刀を振り回し、荒々しく観衆をあおる立ち回りは快進ソルジャーの間ではすっかりおなじみの光景だが、反して滑らかに指板を滑らかに舞う超絶フレーズをこなすとき、そしてここぞというときにチョーキングを繰り出すときの彼には、何にも増しての喜びの表情が見える。
ステージでのコワモテな表情とは対照的に、普段はとても気さくで人懐っこさすら見せる彼は、好きなバンドの話をするときも留まることを知らないくらいに嬉しそうに影響を受けたアーティストたちの話を語っていた。自ら人見知りと語った性格が信じられないが、そんな彼が存在するのはギターとバンドがあったからこそ。彼もまた、過去には心に闇を持っていた人間だが、音楽を通した出会いや経験が今の彼を成り立たせた。彼にギターのない人生は想像できない。
また彼は、一人ひとりの人間をよく観察していることに気が付く。フロントマンの一人でありながら、自分を目いっぱい表現することに没頭する一方で、ステージではバランスに気を配り、ここぞというときは切り込み隊長のごとくステージの最前列で体を張る。その姿は「成長した結果」というよりは、本来彼の持つ性質が出るべくして表れたというようにも見える。バンドを通して大きな成長を遂げたこともあるが、本来表に見えるべき久雄の本質が見えつつあるといってもいいだろう。
快進のICHIGEKIはその意味で、バンドを形成する上で素晴らしい出会いを経た成功例の一つともみられる。彼を始めとしてバンドや彼らを取り巻く人々がさらなる良き出会いを経て、「快進」していくことを願わずにはいられない。彼らはそうなってしかるべき、それを願うファンがすでにたくさん存在することからも明らかといえるからだ。
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◆公式サイト
快進のICHIGEKI 公式サイト
http://k-ichigeki.com/
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