FEATURE丨2013.07.17
ROCK SAMURAI STORY 快進のICHIGEKI(Part3)Side B
新たな時代の風雲児となるべく奮闘を続けているロック男子たち。その姿を追う新しい特集「ROCK SAMURAI STORY」。今回は記念すべき第1弾アーティスト快進のICHIGEKIの第三回をお送りする。
個々のメンバーに対してのパーソナルインタビューより、快進のICHIGEKIという独自の存在がいかに構成されているかを深く探るSide Bの第三回。今回登場するのは、ドラマーの佑一だ。
強力なライブパフォーマンスを繰り広げる快進のICHIGEKIの中で、文字通り縁の下の力持ちとなってバンドのリズムを堅実に支えている佑一。一方で、バンドメンバーの中では一番違う視点を持つものとして、バンドメンバーとして欠かせない存在となっていることは、『ROCK SAMURAI STORY 快進のICHIGEKI(Part1)Side A』でも語られている通りだ。
また、堅調なプレイの中でも非常に配慮の行き届いた彼のプレイは、玄人肌(くろうとはだ)のファンの耳でもその実力を認めざるを得ない。そんな彼のバンドでのステータスは、単なるスゴ腕ドラマーという位置づけとも違う独特の存在感すら感じられる。そんなドラマー佑一が誕生した経緯、内に秘めた思いなどを、今回は彼にインタビューにて語ってもらった。
佑一:そうですね、昔からかなりがたいが大きくて体重もすごくあるので、小さい頃はいじめられっ子だったんですよ。だから人前で目立つことをすると、「何か嫌なことをされるんじゃないか」という恐れを持ってしまい、できるだけ自分を表に出したくないという思いがその頃に形成されてしまったんじゃないかと。
そんな思いは自分が他人と接するときに壁になって、一回そういった壁を乗り越えてしまえば人と話もできるんだけど、乗り越えるまではやっぱり内向的というか、自分から表立って何かやろうとしないところがあるのかもしれないですね。
佑一:いや、そういうものはなかったと思います。ただ、親は結構堅い感じでした。ロックや音楽、バンドなんていうものとは全く関係ない仕事についているお父さんと、専業主婦のお母さん、という感じ。その中で「真面目に生きていけよ」「学校はしっかり卒業しなさい」みたいなことを言われて育って。それと自分の内向的なところが重なって、「親の言うことは一応聞いておけば」「親の敷いたレールに乗っかっておけば楽なんじゃないか?」という感覚はあるかもしれません。
佑一:そうですね。ドラムを始めるまでは「何かを打破しよう」という思いはなかったんです。「小学校を卒業すれば」「中学校を…」と願っていれば、この環境からは抜け出せる、と漠然とイメージしてとにかく待っていたと思います。「どうすればいいか」というよりも、自分の取り巻く環境が変わる時期が来るから、それまで待つというというのがその頃の自分の思いでした。でもそこから「何かを打破しよう」というのがドラムを始めようとしたきっかけだったんです。
佑一:当時中学校3年くらいのときだったんですけど、ちょうどバンドブームみたいなのが学校であったころのことでした。バンドをやっている奴らは華々しかった時代でしたね。それを「いいな、うらやましいな」と見ていたのですが…
中学校3年の始業式のときにたまたま隣に座っていた奴がそのイメージから、「おまえ、がたいがいいからドラムやらねえ?」って話をされたんですよ(笑)。当時LUNA SEAが流行っていて、そのドラマーの真矢さんって結構がたいがよかったこともあって、それをイメージして誘ってきたみたいで。でも俺はそのとき「チャンスだ!」と思ったんですね。今のこの環境から抜け出せるかもしれない、って。それで「やってみたい」という話をし、ドラム人生がスタートしました。15歳のときでした。
佑一:そうですね。ドラムを始めたいと思ったのは、単純に音楽が好きとかドラムが好きという思いよりも、「現状から脱却できる」というところ。逆にあのときの彼のひと言がなければ・・・元々オヤジもそうなんですけど、「エンジニアになりたいな」とか、「プログラマになりたいな」とか思ったでしょうね。だから本当に「まさかの展開」。「MASAKAレボリューション」(ニューアルバム「其の四」収録のナンバー)というか(笑)
佑一:そう、それが一番デカイ。やっぱり自分の力でどうにかしなきゃいけないと思ったけど、そのやり方がわからなくて。それに対してドラムというチャンスがあって、それを突き詰めればいいんだと。当時同じ学校のライバル達に負ける気はしなかったんです。だから「コイツらよりうまいんだから、コイツより絶対に人気者になれるだろう」って(笑)。そういう意味では、意外とネガティヴなところからスタートしているんですけどね(笑)
佑一:でも俺は、もっとそれ以前の問題という感じでしたね(笑)。友達が欲しい、って。
佑一:いや、実はその頃まだLUNA SEAを聴いていなかったんです(笑)。音楽自体は小学校5年生くらいに、給食の時間に「お昼の放送」的な校内放送番組があって、そこで流れた曲の影響のほうが強かったですね。聴いたときに、友達に「これ何?」ってたずねて教えてもらったglobeとか。そこで「そうか、みんなこの年になったら、こういう音楽を聴いているんだ」という感じで感化されていました。音楽への入りがそんなものだったので、J-POPばっかり聴いていたんです。だから中学校3年のときにLUNA SEAとか言われても、「LUNA SEA自体何が何だか?」って(笑)
佑一:全くなかったですね、本当に。だから当時俺を誘ってくれた奴は、今でも俺が音楽をやっているということが信じられないらしいんですよね(笑)。全く興味のないところから入って、その中3で俺がドラムを始めたときに「どうせ一年もしないで辞めるんだろ?」みたいなイメージがあったらしくて。でも結局学校で音楽やっていた奴で今も続けているのは俺ともう一人くらいなんですよね。当時何十人もいたバンドの奴らはみんな辞めて、普通の仕事について。
佑一:いや、やっぱり単純に「周りからちやほやされたいから」というだけだったんです(笑)。音楽をやっている人からすると「えっ?そんな理由で?」と言われるかもしれないですけど。バンドというものに友達も新鮮味を持っていたので、演奏するとやっぱり「楽器が出来るんだ、すげえ!」となったんです。それが対極にあったわけですよ、それまでの環境と。
そこから「これをやっていれば、皆からちやほやされるんじゃないか?」と(笑)。そんなところで始めていたんです。「ドラムが面白い」という気持ちもありましたけど、まずは「現状を打破できる」ところに面白みを感じて。で、若い頃はやっぱりヘタクソなんですよ、みんな。当時、バンドブームで何人かドラマーもいて、その中で「あいつうめえんだよ!」って言われていた奴がいたけど、俺はそれを見て「そう?そんなにスゲエかな?」って思って見ていました(笑)。
自分の内には「他の奴には絶対負けない」という自負もあったし、そこからドラムをちょっと頑張って見ようかという気持ちもあってやってはいましたけどね。あと本気でドラム自体をガッツリやろうと思い始めたのは、その後の両親からもらった言葉からかもしれないです。
佑一:当時ドラムを始めたときに「あんたドラムなんてすぐ辞めるんだから、そんなに本気でお金を掛けてやるもんじゃないわよ!」って(笑)。でも逆に自分が音楽をやっていてちやほやされ始めた頃に、「何で自分がいいと思ったことを否定されなければならんのだ!?」って奮起しました。そこでお年玉をためたお金もあったのでX JAPANのYOSHIKIモデルのツーバスセットを買っちゃったんです(笑)。これを買っちゃったから、「俺、ドラムやるぜ!」みたいな。ある程度形にしちゃえばもう「やるしかない!」と自分を追い込んだんです。
佑一:それもあったかもしれませんね。「何で俺、こんな生活をしないといけないの?」と思っていた時代でもあったし。学校に行くのも嫌で、不登校だったんですよ、正直。親にも「行きなさい」と言われながらやっぱり行きたくないし、そんな中でやっと自分からみんなの中に飛び込めるものを見つけたという。
佑一:今は「お前がここまで本気でやりたいって言うんだったら、俺達はお前を応援する」と言ってもらえています。それを聞いて「勝ったな!」って思いましたね(笑)。まあ散々迷惑は掛けましたけど、ライブや大きいイベントには来てもらって、「今こういう風にやっているんだよ」というところは見てもらいましたし。一番覚えているのは、自分達でワンマンをやるとなったときに両親が見に来てくれたこと。あのときはドラムを続ける中でも一番大きな転機になったかもしれないですね。「あ、本当に頑張ってやっているんだ」っていうところが見せられたので。
佑一:そうですね。ただ、当時は「それしかやることがなかった」というのが正しいかもしれませんが(笑)。学校から帰って家で何かをしようとも思えなかったし、勉強もしなかった。だから成績もすごく悪いけど塾にも行って、結局私立の高校へ行ったんです。でもやっぱり自分の楽しいことをやりたかったし、みんなからちやほやされたい、って。やっぱり最初はそこなんです。だからとにかく家に帰ったらドラムをやって。
佑一:ドラムをやる前は、小学校の頃からピアノをやっていたんです。そのおかげで音符の長さや基本的な楽譜の読み方とかは全然問題ありませんでした。教則本等を見て「ああ、こうやればいいのか」というのがすぐ分かったし。
あと姉の影響もありました。姉はクラリネット奏者なんですけど、すごくリズムに厳しくて。彼女は当時高校3年位のときにピアノとクラリネットをバリバリにやっていたんです。それで家でドラムを叩いていると、「リズムが悪すぎる!」って怒鳴られ(笑)。リズムをよくしなきゃいけないんだとか、もっとこうしたら良くなるんだから、そこを練習しなよ、みたいなことを言われましたね。それを聞いて、「なんだよ、頑張ってやっているのに…」とは思いましたが(笑)
佑一:つまらない人生になったんじゃないかな?と思いますね。今まで出会った人の数がハンパじゃなく多い。その出合った人と会話を交わした分「あっ、こういう人もいるんだ」というように、相手のことが分かるようになってきて、人と接する事がスムーズになった感覚があるんです。もともと人付き合いが得意じゃなかったのに。就職して安定した生活を送る機会を無くしてまで得た出会いというものは、人としてとてもプラスになっていると思うんです。
だから今は、これでよかったんじゃないかと思っています。ただ、まだやり始めたことという認識は変わらないし、中途半端に終わらなければいいかな、と。やれるだけやって最終的にどうしようもなくなったら、それはそのときに考えれば。別にそうなったらすぐ死んじゃうというわけでもないし。
佑一:そうですね。まあ高校に入って環境が変わったので、実際その当時にやめるタイミングはあったんですよ。ただドラムセットを買ったことで、自分を追い込んで、そのときにコータと久雄に出会ったことでそのタイミングは結局そのタイミングはなくなりました。やっぱりやっぱり久雄の存在がすごくて「これだったらいけるんじゃないか?」と思ったし。べらぼうに上手かったですから。
佑一:実際に会って話したときに思ったのは「思ったより普通の人たちだな」と(笑)。ステージでのヒラヒラと革ジャン、革パンのイメージが先入観にありましたが(笑)、実際に会ってみると意外にも、自分が生活してきた環境とは違うところにいる人だな、という印象はありましたが。学校も違うし、それまでやってきたことも違う人だったし。
ただ、やたらと久雄がYngwie Malmsteenっぽいギターフレーズをずっと弾いていたのはとにかく衝撃。当時一緒にやっていたバンドのメンバーって、もうコードストロークすらおぼつかないような奴が多かったから、ただひたすら「すっげえな!」って。まあ、コータに関しては逆に「あっ、イマドキの若い子だな」と(笑)。ちょっとイケイケな感じの、中学校でもちやほやグループのトップにいる感じのやつだな、という印象でしたね(笑)
佑一:そうですね。初めてのCDを作るにあたって、音源を録ったときのことでした。歌詞を書くのはやっぱりコータだったんですけど、そのときに録った曲のタイトル、今は「挑戦」という名前がついているけど、当時は「『イカロス』です」って言われたんです(笑)。「メッチャメタルな曲なのに、『イカロス』?」って(笑)。でも歌詞を見たら、ある程度内容はまとまっていたんですよね。
「すごいなあ。でも『イカロス』はねえだろ!?」って(笑)。そこからドンドン曲作りを進めて今日に到るけど、やっぱり彼の世界観って、独特なんですよね。それとタイトルのセンスも独特過ぎ。「コイツはもしかしたら天才なんじゃないか?」って思ったのは、やっぱりそんなとき。「こいつの頭の中は一体どうなっているんだろう!?」と、本当に不思議なイメージを持っています。
佑一:初めてライブをやったときは聖飢魔IIのコピーバンドで、ライブハウスに出たんです。その中で彼は当時ヴォーカルとして真ん中に立って人前に立ってパフォーマンスが出来たということが当時の自分からしてみると、とても衝撃だったんです。
その頃は大体が友達を集めて公民館なんかでライブをやるというのが主流で、ライブハウスでやるとなると自分たちが住んでいる土地を離れて、全然知らない人の前でライブをやらなければいけない状況なわけで、「知らない人の前で自分の思っていることを表現できるって、すげえな」と。
佑一:実は俺、最初に対バンをしたときの潤って、全く覚えていないんですよ(笑)。当時はライブをやっていたけど、対バンで接触したバンドと交流する習慣がなくて、自分達がライブをやったらそれで終わり、みたいな。だからバンドコンテストを見に来てくれたという記憶も全くない。
後から言われて「ああ、そうなんだ」という感じでした。初めてリハで音を出したときは、いい感じという感触もあったけど、やっぱり彼の第一印象は「色々物を知っているな」ということ。当時、俺達は一つのライブハウスでずっとライブをやっているだけでしたが、彼はいろんなライブハウスを知っていたから物知りだと思っていました。
佑一:彼はバンドを経験してきていたので、合わせてくれるんです。最初にプレイしたときにも僕らに合わせてしっかりプレイしてくれた。今でもそうだと思うんですけど、彼はメンバーの中で一番客観的に皆を見てくれるんです。今、いろんなライブハウスに出られたり、ツアーに出られたりしているのも、彼のそういう部分の力は大きいと思うんですよね。
当時はベースが全然いなくて、コータから呼び戻されたときも「誰かベース弾ける奴いねえ?」って聞かれて、そのころ実家の裏に住んでいたバンド仲間の弟を「やらない?」って誘ったんです(笑)。彼はギターをやっていたけど、「誰でもいいから入れようよ」と言われたので。その頃そいつは15歳、俺達は18歳で「もう、なんでもやります!」って感じで食いついてきて(笑)。
その後はそいつも辞めて、ベースがドンドン変わっていました。当時はとにかく「あるものを使っていこう」くらいの感覚だったから、みんなテクニックがなくて演奏がギリギリ、バンドとして演奏できるプレイヤーが少なかったんです。
佑一:それはありますね。ライブハウス一つで凝り固まっていても、毎回同じことの繰り返しだったけど、バンドコンテストで全国大会に出たときはいろんな地域から人が集まって来ていて、その場ではみんな「初めまして」なので、お互いイメージはフラット。そういうところから関係を作った人もいっぱいいて、「ああ、いろんなライブハウスに出られたら面白そうだな」ってずっと思っていました。
だからコンテストが終わって「さらに活動していこう」となり、「いろんなところでやっていかなければ」と思っていたときに彼がバンドに入ったことでさらに一歩先に踏み込めたんです。そういう意味で彼がいなければもうバンドをやっていなかったかもしれないです。実は一時就職しようとしていましたし(笑)。正直なところ冷めていた部分もあったんです。二十歳を過ぎてバンドをやっていても「そんなにうまくはいかないだろう」と思ったこともあったし、潤が入ってすぐくらいのころに、専門学校の資料も取り寄せていました。
でも願書を出そうとしたタイミングで関東ツアーが決まってしまって(笑)。「あ、ツアーに出ちゃうのか・・・だったら今年は諦めるか」って(笑)。で、一年待っていたら今度は全国ツアーが決まっちゃったんです(笑)。その後にO-WESTのワンマンとか。「やべ、こりゃ就職できねえ・・・安定した生活はねえな」って(笑)
佑一:完全にタイミングを逃した感じ(笑)。だから良くも悪くも潤の力は偉大だ!と思いました(笑)。でも逆にその頃のバンド活動は、バンドに対してプラスになることが多かったんです。例えばライブハウスに貼っているポスターを見て「わっ、この人たち何本ツアーで回って・・・すごいな」といつも思っていたし、ツアーなんて夢だったんです。それを一歩でも足を踏み入れることが出来たし。「あっ、夢って叶うんだ」って思いました。
その後にはワンマンライブも。20~30人の友達の前でやっていたプレイヤーが、O-WESTだったからその十倍以上、そんなお客を前にプレイするなんて考えられなかったんです。でもそれが叶った。「これは、ドンドンやっていけば、夢は叶っていくんじゃないか?」って。就職できなかったのはある意味残念でしたけど、それはそれとして(笑)
佑一:そうですね。そのワンマン後もCDの全国リリースとかドンドン夢が叶いながら進んでいるから、とても楽しい。最近ようやく「ドラムを頑張ろう」って思い始めましたし(笑)。ある程度ちやほやされて次のステップに行ったときには、やっぱり自分なんかよりスゴイ人っていっぱい見るわけですよ。それで「これじゃダメだ」って。逆に今本当に気持ちがフレッシュな感じなんです。「ドラムをもっと練習しよう」とか「うまくなりたい」っていう気持ちがあるし。
佑一:リズムセクションという立場では、シンプルな方向に進んでいて、彼もそれに合わせてシンプルになっていると思います。結構ドラムを始めてすぐの頃にやっていたのはメタルのナンバーが多くて、結構手数が多い方だったけど、ちょうど「共存」という歌メロが先行する曲が出来たとき、最初に結構手数を入れ過ぎて、聴き直してみると「歌を邪魔しているな」って思ったんです。
そこからは「コータの歌が前に出ているときには俺は後ろに引こう」って意識するようになりました。それにシンクロして、前の二人が出ないところでは俺が出よう、とか。出来るだけ曲の構成に対してシンプルにするように心がけているんです。コータの詞がかなり独特だというのもあり、バックはシンプルにしてコータの歌を聴かせるところは聴かせなければいけないというふうに思っています。
佑一:そうですね。まあ潤に関しては何をやっても付いて来てくれるので。彼は一つ年上なんですけど、落ち着きというか、何かしらやってもちゃんと綺麗に乗ってくれるんです。だから俺は自由にやってもいい。彼は俺と久雄の接着剤をやってくれるんです。
佑一:性格的にはなかなか合わないこともあるのですが(笑)。考え方が俺と潤は全く逆。例えばゴールがあってスタートがあったら、俺はスタートからゴールまで筋道を立てていくけど、彼は逆にゴールからスタートに向けて答えを出していく。そんなときがあるから、意見を出したときに「それ違わねえ?」と意見がぶつかることは多い。逆にピッタリと意見が合うと、これ以上ないくらいに結束が固まることもありますが…まあそう度々はないですね(笑)
佑一:まあそうですね。昔は反発されたら「なんだよ、俺の意見に納得がいかねえのかよ!?」って(笑)。でも最近は「こんな風に言ってくるということは、何か考えがあるんだろうな」と思うようにしているんです。それで「彼の答えにたどり着くには、俺はどういう筋道を立てればいいんだろう?」というように考えるようになりましたね。
佑一:どうでしょうかね?(笑)。いや、やっぱりそこまで行ったのは、「ちやほやされたい」という気持ちだけが、今思うと全てだったと思いますね(笑)。ドラムがうまくなればどうにかなるって。ただ、一つ覚えていることがあるのですが、高校の頃ライブの一週間前くらいに楽譜を7曲分くらい渡されたことがあるんです(笑)。渡されたときには「マジかよ!」って思ったけど、出来ちゃったんですよね、意外と。
佑一:そうですね、メッチャ無茶だと思いましたね。それも聖飢魔II(笑)。でもそれをやってからは自信がついたし、自分としては良かったと思いました。学校から帰ってきたら、音源聴いて楽譜見て、それでドラムを叩いて…と、それを毎日繰り返して、ライブに望んで。
佑一:それはあるかもしれません。俺は目標が見えているものについては、筋道を立てて「こうすればこうなるだろう」というように、構築していくのが好きだったんです。
佑一:それもあるかもしれませんね。親は昔から話をするときも、頭ごなしに「ダメ」というのではなくて、「これこれこういうことがあるからダメでしょ」という理詰めの話をしてくるんですね。そういうところは影響あるかもしれません。メンバーからも「几帳面」と言われるときもあるし。
佑一:そうですね。実はそれが原因で、一度コータと久雄と一緒にやっていたときに喧嘩別れをしたことがあったんです(笑)。高校一年くらいの頃だったかな?バンドをやっていたんだけど、当時ベースが抜けたんですよ。ベースが抜けちゃったらライブが出来ないじゃないですか?俺の考えではドラムがいてベースがいて、ギターがいてヴォーカルがいる、それでバンドとして初めてプレイできる、と思っていたんです。
でも当時コータはライブをやりたくてしょうがなくて「ベースがいなくてもライブをやる!」って言い出したんです。で、言い争った挙句にそのまま別れちゃって。それで一時バンドがつまんねーって思っていたんですけど、何となく学校で友達と軽く練習とかやっていたら、18くらいのときにまた一緒にバンドをやることになったんですけどね。
佑一:いや~それがないんです(笑)。俺はドラムをやっていても、ドラムセットが前にある分自分は隠れているわけじゃないですか。音は出ているけど、「俺、あまり目立ってないよね」っていうイメージがしっくりきていて、前に出たいと思ったことが一回もないんです。ここが実は居心地よくて(笑)
佑一:本当に緊張しますね。「早く終わってくれ!」っていつも思っているし(笑)。ドラマーとしては派手にも叩いている方だと思うけど、バンドの中で1対3になったときは、俺の中では3の方がやっぱり強いんですよ。だから3人が前に出ちゃえば、俺がどれだけ派手なことをしてもそれ程見られていないな、という意識があります。あとは何より、派手なことをやってドラムが崩れちゃうと総崩れになっちゃうし。そういう思いもあって、しっかりバンドを支えた上でドラムソロがあったら、サッと終わらせちゃう(笑)。
佑一:いや~そんな余裕は…(笑)。ステージ上で一回、コータがアンコールで出てきたときに「お前もたまには前に出て来いよ!」って言われたことがありましたが、ドラムセットのバスドラの前面ライン(ドラムセットの最前面を指す)より前に出られなかったんですよ、怖くて(笑)。前に行くとみんなの視線が集まるじゃないですか。
どうもそのプレッシャーが強くて…特にバスドラの位置を意識はしていなかけど、「ドラムより前に出てこられないんだな」とコータに言われて、ハッと「そうかもしれない」って気がついたんですよ。SEの入場のときでも前を歩きたくなくて、早くドラムの後ろに回りたいんですよね(笑)。だから自分としては、お客の中に例えばドラムが好きな人もいて、そういう人が見てくれたときに「意外とすごいこともやっているんだな」くらいに思われればいいかなと思っています。
佑一:そうですね。変な話、暴れるだけのバンドであれば何でもありだと思うけど、俺はもともとJ-POPばかりを小学校の頃から聴いていたこともあって、どちらかというと歌ありきのバックなんです。そうなったときにやっぱり歌をおろそかにしてまで叩きたいとも思わないし。
佑一:コータ、久雄、潤の3人が曲を作っているのですが、キメやブレイクの部分というのはデモの段階では極端に少ないんです。なので、そういうところで自分を出していきたいと思ったときに、ヴォーカルのメロディラインにあわせてみたり、「こういうキメを入れたい」「こういうブレイクを入れたい」という意見は出したりするようにしています。コータに「歌詞の中で一番伝えたいところは何?」と聞いて、「ここ」と言われたら、そこをやっぱりフィーチャーしたいんですよね。だからそういうところに照準を合わせるようなことはしています。
佑一:そういうこともあるかもしれませんね。でも元々J-POPやJ-ROCKでも昔は結構「ここを際立たせたい」というところで同じようなことをやっているものもあって、そういうものを昔から聴いていた影響もあるかもしれません。
佑一:バンドとしてはやっぱり「大きくなっていきたい」というところに尽きます。ちょっとずつでも、沢山の人に見てもらえるようなりたい。リアルに感じられるようなところからそれが実感できるようになりたいですね。もちろん武道館とかアリーナというのもいい目標ですが(笑)、例えばお客さんが身銭を切って自分たちを見に来てくれる、そんなふうに俺たち4人が人を動かしていくというのは例えば100人でもとてつもなくすごいことだと思うんです。だからそれがもっと大きくなって、500人とか、1000人とか。
個人的には、その快進のICHIGEKIにプラスになるように自分をドラムでより表現できるようになりたいという思いがあります。まだ「こうしたい」という頭で思い描いている形をその場で、すぐドラムで表現できるようにはなっていなくて、出来ないもどかしさというものもあるので、それを素直に、思ったときにふっと出せるようになりたいですね。
若年層がロックに染まるきっかけとしてとしてよく聞かれる理由には、やはり「カッコイイから」というひと言が多いに違いないだろう。それは自分を新たなものへ変化させたいという願望が呼び起こしたものであると考えられる。
佑一がインタビューで語った、ドラムを始めた理由「現状を打破したかった」という欲求も、例えば多かれ少なかれの違うはあれど、これと似た意志が働いたものと認識出来る。だが、「明日に希望が持てなかった」という絶望感と、「夢が叶う」という可能性、未来への希望を得た彼からは、ロックに染まり楽器を始めたことで、大きな希望を得た様子がうかがえる。
希望を得た彼は現在、ありのままの自己を受け入れてくれた仲間達と共に、彼自身の特性を生かした位置づけで快進のICHIGEKIの中でもなくてはならない存在となった。ドラムがうまいとか、セッション受けが良いという単純な理由ではない、彼だからこそ。それが最もこのポジションに存在する理由だ。
佑一が今このように大きな希望を手に入れていることは、多くの若年層が絶望している昨今の悲観的な世の実情の中で、大いに希望を感じさせる一つのカギとも見える。今、ドラマーというアーティスティックなステイタスに目覚めた彼は、今後バンドの世界観をより刺激的に変化させていくとともに、自身の技を磨き、様々な可能性に果敢に挑戦していくにちがいない。そんな彼の動向に引き続き注意しながら、改めてロックが持つ可能性を見つめていきたい。
次回、最終回のPart4、Side Bのパーソナルインタビューではギタリストの久雄が登場します。お楽しみに!
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2013年07月15日(月) 【愛 知】 HOLIDAY NEXT NAGOYA
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2013年07月21日(土) 【千 葉】 柏PALOOZA
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2013年07月26日(水) 【福 岡】 MI JAPAN 福岡校
The 7th Music Revolution TOKYO AREA ミュージックランドKEY渋谷店大会 in RUIDO K2
2013年08月06日(火) 【東 京】 渋谷RUIDO K2
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◆公式サイト
快進のICHIGEKI 公式サイト
http://k-ichigeki.com/
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