いろ鳥どり
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連載
少年は音楽と恋に同時に目覚める
嘉門達夫
83年デビュー。「小市民/鼻から牛乳/替え唄メドレー」などヒット連発。第6回日本ゴールドディスク大賞受賞。大阪城ホール/日本武道館公演やNHK紅白歌合戦にも出場。『時代の観察者/言葉の魔術師』の異名をとる。2010年1/20「さくら咲く」3/24 「“笑い”のさくら咲く~ギャグセレクション~」4/21「“恋”のさくら咲く~恋愛セレクション~」をリリース。

第7回「なんでも歌いたい!」

中学2年で初めてオリジナル曲を作りはじめて、高校を卒業するまで、約60曲が生まれた。僕ひとりではこうはいかなかっただろう。親友の中澤テルユキの存在なくして、思春期の歌作りは語れない。当初は現在東大で遺跡を発掘する松山聡も一緒に歌作りをやっていたが、高校に入ると中澤と2人で部屋にこもった。90分のカセットテープの片面45分ずつお互いが録音し、一方が歌っている時、もうひとりもその場に立ち会う形式だ。西岡たかしさんと泉谷しげるさんのコラボレーションアルバムに「ともだち始め」というのがあって、あきらかにこの作品に影響を受けて僕達は「ともだち続き」というタイトルのカセットを作った。僕も中澤もほぼ同量の歌をせっせと作った。お互い批評したり感心したり大笑いしたりしていた。2人の関係はとても楽しかった時期の3篇。

File NO.19「挽歌?親愛なるSに捧ぐー」

俺が大嫌いだった 奴が死んだ

俺がちょっとよそ見を しているうちに死んでしまった

何をしても俺の気にさわる 奴だった

奴の行動ひとつひとつが 俺を腹立たせた

俺にひと言も残さずに あの世へ行ってしまった

俺はもっとあいつと いがみ合いたかった

なんともいえないむなしさが 俺の心の中に残った

俺はもちょっと 奴に生きてほしかった

くやんでみてももうどうにもなりゃしない

奴は奴なりに考えていたんだ 俺が俺なりに考えていたように

いつも何かをうちに ひめてる奴だった

でも奴の目はいつも やさしかった

そのやさしさを俺に 伝えずに奴は死んでしまった

俺も奴のやさしさを わかろうとしなかった

くやんでみてももうどうにもなりゃしない

ただもう少し時間がほしかった でももう奴は灰になってしまった

考察:とにかくなんでも歌いたかった。と同時に身辺の事や、考えを歌うにも限界があった。そんな高2の秋、修学旅行に行っているあいだに、病気療養中だったS君が亡くなった。その事を歌った。友人の死を悲しむと同時に「歌のテーマ見つけた!」と喜ぶ自分もいた。サブタイトルの「親愛なるSに捧ぐ」は、加川良さんの歌「親愛なるQに捧ぐ」からいただいている。

File NO.20「石段」

「この頃ふと 思うんやけど みんなが寝静まった夜中なんかに 昔のアルバムを見たりしながら あの頃はアホやったなぁと 思たりして こないして人間は 成長して行くんやと 思たりして なんやこの 人生ちゅうもんは 山の上にある神社の石段みたいに 一つ一つ確かに登っていくもんやと ひとりで思っています そんな夜中に ふとメロディーが浮かび それを歌にしました」

あの頃の僕を思い出して ひとり思わず苦笑い

若すぎた 子供だった 世間を知らなすぎた

精一杯背のびして みたつもりだったけど

今思ってみると 思わず笑いたくなるような

人はこうして 長い人生を 高く連なる 石段のように生きてゆくのでしょう

ひとり夜の闇にたたずんで 胸は遠い昔へさかのぼる

バカだった 幼すぎた 軽薄すぎた

一生懸命がんばって みたつもりだったけど

今思ってみると 思わず顔が赤くなるような

人はこうして 長い人生を 高く連なる 石段のように生きてゆくのでしょう

今の暮らしを考えを いつか思い出す時がくるでしょう

きっとその時も 僕はまた苦笑い

だけど今は今 その時はその時

今さえくいのない 後悔の残らぬものならば

人はこれから 長い人生を 高く連なる 石段のように生きてゆくのでしょう

人はこれから 長い人生を 高く連なる 石段のように生きてゆくのでしょう

考察:イントロでゆっくりと語る形式は豊田勇造さんのパクリだ。まだ17くらいなのに人生について語っているのがもっともらしくも青い。

File NO.21「すっぽん人生」

とにもかくにも人生は この世に生まれりゃ一度きり

波乱万丈人生を 七転八起のダルマのように

いつでも胸にでっかい夢を

生きてみせますこの道を

線路しかれたかたぎの道を 生きてゆく奴ぁ多いけど

時の流れにさからって 大滝のぼりの鯉のように

夢と希望を心に秘めて

生きて行きます どこまでも

短い人生でっかいことを あとでくいの残らぬように

とことんくいつきぶらさがり スッポン人生歩きます

しくじりつまずきよろめいて

明日に向かって歩きます

考察:これは演歌だ。ぴんからトリオぴんから兄弟の影響。この歌で僕は、朝日放送のABCヤングリクエストのキダ・タローさんがやっておられたコーナー「ミキサー完備スタジオ貸します」に出演した。後年キダさんに言うと「そーゆーたら、高校生で演歌を歌うケッタイなヤツがおったのを覚えてるわ」とおっしゃった。なんかこんなんもアリ!やったなぁ。自分中では。落語家に弟子入りしていたので、そこいらの気持ちを歌っているのだと思う。

続く。

第6回「高校生なりの違和感」

高校生活はパラダイスだった。地域では3番目くらいの偏差値のオリコウなみんなが集う大阪府立春日丘高校。ぼくらが入学した年から制服が廃止になり私服になった。先輩達が学園紛争の真似事で勝ち取った権利だ。当の僕らに問題意識はなく、私服で校門を自由に行き来出来る特権をフルに活用していた。そんな、楽しいけれどぬるま湯みたいな平和な学園生活に、僕なりの違和感も感じていた。そんな歌を3篇。

File NO.16「ディスコティックに花が咲く」

俺達は力をもて余してる 若い力を

俺達にゃ力が余っている 若い力が

俺達は明日の事など考えない 明日の事など

俺達は今を楽しく過ごすんだ 精一杯に

むずかしい事は大嫌いさ 考える事なんかもう忘れた

ディスコティック ディスコティック 汗ばむ背中

水割りを飲んでラークをふかし 髪ふり乱して踊り明けよう

こうして体を動かしていると すべて忘れられる

自分にこれといった 目的のない事も 毎日のむなしい日々も

ディスコティック ディスコティック 夢中さ今は

女の子とキャーキャーさわいでる時が 一番幸せ

金の心配なんてまるでない 親のすねかじり

文句のある奴は言ってみろ いつでも相手になってやる

ディスコティック ディスコティック もう夜が明ける

考察:ディスコブームだった。阪急東通り商店街の「ボトムライン」によく行った。ディスコに居ても違和感があった。「何がオモロイねん?」と思いながらも、タバコをくゆらし、チークタイムに女子を誘ってはアッサリと断られて、クソー!と思ってはまたフロアに出て、楽しいわけでもなく体でリズムを取る真似事をしていた。好きでもないディスコという空間に身を置くという事が、大人への入口であると思い込んでいたのかもしれない。

File NO.17「哀しみの愚連隊」

いつも授業を抜け出して みんな集まりソーダ水

俺たちゃ勉強が大嫌い こうしている時一番幸せ

遊んでいてもなんとかなるだろう 甘い考えぶらさげて

幼稚な頭で将来の話を 薄っぺらにもっともらしく

何の苦労も感じない 悩みと言えば恋の悩みだけ

今日はあの娘を紹介してくれ 明日はこの娘と踊りに行こう

授業をさぼる充実感に 今日も一日たむろする

先生は誰でも大キライ 集団生活まっぴらごめん

仲間と居ると強く感じる ひとりじゃ何も出来ないくせに

白い眼で見る奴ァ見るがいい 注意する奴ァすればいい

おかしな自信のその裏の 事など考えりゃ俺の負け

流行追って着飾って 千円札などはした金さ

俺たちゃ大人さ親もいらない さからう事はカッコいい事

女を従えバカ笑いして 慣れたもんだねライターさばき

いつも楽しければいいのさ いつもカッコよけりゃいいのさ

目的のない事はすばらしい事 どにかなるさがシブイのさ

世間知らずの愚連隊 世間を知ったらずべてがわかる

考察:春日丘高校の近くにあった「ピアジェ」というサテンの風景だ。なんやしらんが、こういう不良っぽい立ち振る舞いをカッコいいと思っていた。歌としてはやはり泉谷さんの影響が大きい。偉大なのだが偉ぶらず、みんなにたいして「泉谷しげる」を演じてくれる泉谷さんはカッコいい。

File NO.18「一方通行立入禁止」

あの娘を思ってもう2年 口に出さずに耐えしのんでた日

トンビが油あげかっさらうように あいつはあの娘に I love you

チクショウあいつと思ったが よく見てみれば勝てない相手

背は高いし男前 あの娘もあいつに首ったけ

別れろ別れろ 早く別れろ 中途半端はもうやめて

別れろ別れろ 早く別れろ 俺の身にもなってみろ

あの娘とあいつはお似合いのカップル 俺は入りようもなかったし

あの娘さえ幸せになればいいんだと 顔で笑って心で泣いて

だけど最近二人の仲が うまくゆかぬという噂

やった俺にも光が見えてきた もう少しのシンボウだ

別れろ別れろ 早く別れろ 中途半端はもうやめて

別れろ別れろ 早く別れろ 俺の身にもなってみろ

別れる別れると言いながら あれからかれこれ1ヵ月

だんだん光も薄くなってきた もうすぐ目の前真っ暗さ

いまじゃ二人は手をとり合って 幸せマンタンの顔してる

それを横目で見る俺は 涙にくれる悲しさよ

別れろ別れろ 早く別れろ 中途半端はもうやめて

別れろ別れろ 早く別れろ 俺の身にもなってみろ

考察:当然のことながら高校の時、好きな娘がいた。ところが歌詞のとおり彼女はサッカー部の男前のM君に恋をして、僕は越えられない壁にぶち当たった。そんな悔しさをちょいとしたバネにして、今を生きているのかもしれない。

つづく。

第5回「社会派気取り」

今もレパートリーに「その時代の中で歌うリアリティー」というジャンルがある。時代を背負って時代を嘆けば大衆が拍手をしてくれるという構造、風潮は今も昔も変わらない。高校に入学した僕は、吉田拓郎泉谷しげる井上陽水西岡たかし加川良金森幸介などの歌を聞き、その世界の中に流れる社会風刺性に影響を受けてその真似事を始める。今回は16歳くらいの僕が、とても背負いきれない時代を、ちょこっと背負ってみた歌達。

File NO.13「おいらは気楽なおとこです」

世間じゃインフレだとか 内閣改造だとか 会社がつぶれただとか

毎日毎日偉い人達が あわてふためいている

やれ金脈だ やれ赤軍派だ やれ連続女性暴行事件だ

だけどだけどおいらにとって あんなものは馬の耳に念仏

そうさ おいらは気楽な男なのさ ギターさえあれば

そうさ おいらは気楽な男なのさ 歌っていれたらそれでいい

その日その日をなんとか 暮らしていけたら満足だし

べつにイイカッコしなくても ジーンズとズックで充分だし

友達見ればいつも 横に女の子連れて

にやけて歩いているけれど いいのさ恋なんていつでも出来る

そうさ おいらは気楽な男なのさ ギターさえあれば

そうさ おいらは気楽な男なのさ 歌っていれたらそれでいい

考察:田中角栄さんの時代だ。社会派を気取って歌っているけれど、「ギターさえあれば」なんて吟遊詩人を気取っていたりもする。だいたい大阪の人間が「おいら」なんて不自然だし。多分長渕さんの「おいらの家まで」のパクリだと考えられる。ツメは甘々だが、やりたい事がわからんでもない。

File NO.14「都会の汽車ポッポ」

今日はなんと大阪ー京都間を 蒸気機関車が走るという

汽車が姿を消したので ファンへのサービスだという

高層ビルと排気ガスに囲まれた大阪駅を

昔北海道で活躍していたという汽車はファンを乗せて

隣のホームではブルーやオレンジの電車が忙しそうに行き来している

汽車の煙と汽笛に 忙しい都会の人達も

ふと目を見張り そして昔汽車が走っていたころの

懐かしい想い出に酔いしれるのだった

電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を

汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は

汽車が走る線路ぎわでは汽車というものを見た事がない

小さな子供が目を見張り 驚きの声をあげるのだった

その横では写真ファンが 汽車をカメラで写そうと

三脚を立てレンズを磨き シャッター押す音高らかに

そのまた横では大人たちが 久しぶりに走る汽車を見て

昔 あの頃を思い出すのだった

電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を

汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は

汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る

汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る

汽車はやがて京都駅に着き 降りてきたお客は満足そうで

嬉しそうにはしゃぎまわる 子供の姿もチラホラと

みんな口々に あーよかたと やっぱり汽車はよかったと言うのだけれど

あしたからは毎日毎日電車に揺られ 通勤し

汽車の事なんか忘れてしまうのだ

電線の網の下を コンクリートの枕木の上を 高層ビルの横を

汚染空気の中を 急行列車に追い抜かれながら 走るよ汽車は

汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る

汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る 汽車は走る

考察:今でこそ全国のあちこちで観光用の蒸気機関車が運行されるようになっているが、1975年当時は、SLがこの世からまったく姿を消すと思っていた。実際にこの時、大阪―京都間をSLが走り、僕も見に行った。デジタルに移行しつつある時代の中をのどかに走る汽車を見て、ちょっと「高田渡」的に歌いたかったのだろう。

File NO.15「今昔物語」

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって

春になるとよくちょうちょが 遊びに来たものです

菜の花のカーペットの上を行き来する

ちょうちょを見ながら 走り回ったものです

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって

隣のおばあちゃんが よく花を植えてました

はる、なつ、あき、ふゆ いつ見ても

おばあちゃんは満足そうでした

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には畑があって

その上を踏んだり 花を折ったり

いちごを盗ったりしては 叱られたものです

今では叱る人さえも いないのです

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には田んぼがあって

夏の夕暮れになると カエルが騒いだものです

やっとみつけた 卵を持って帰っては

おたまじゃくしに孵し

そしてカエルになったら田んぼに返してやったものです

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には田んぼがあって

干し藁の上に乗っては はちまき姿のおじさんに

怒鳴られては逃げ また乗っては怒鳴られ ただそれだけの事に

スリルを感じたものです

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には木が立っていて

セミが鳴き比べを していたものです

むしかご、むしあみ、むぎわらぼうし

ビーチサンダルで 走り回ったものです

そう今からちょっと昔の話 僕の家に前には緑があって

走り回るだけで 日が暮れたものです

そう今からちょっと昔には

泥んこになれる最高の遊園地があったのです

今はもう畑も田んぼも木も土も あとかたもなく壊されて

灰色の世界に 自動車がいっぱい並んでます

春のちょうちょ、夏のセミ、カエルの声、秋の干し藁ごっこ

みんなみんな遠い遠い 昔のように思えるのです

考察:開発→自然破壊=悪。と思っていて、それを風刺した歌だ。実際に僕の家の前には畑や田んぼがあったし、わりと無理せずありのままを表現している。まだまだバランスも悪いが、少しずつ自我を表す芽が出始めている。

つづく

第4回「ナンセンスのめばえ」

振り返ってみると70年代はオモシロソングが多かった。「帰って来たヨッパライ/フォーク・クルセダース」「走れ!コウタロー!/ソルティー・シュガー」「黒いカバン/泉谷しげる」「悲惨な戦い/なぎらけんいち」などなど。

そして決定打があのねのね!「魚屋のオッサンの唄」「赤とんぼの唄」なんじゃこりゃー!と思ったね。まじめにラブソングより、むしろこっちのラインの方が自分には向いてるんじゃないか?と中学生ながら思い、最初に作ったのが「ババが出ない」という歌だった。最終的にジャイアント馬場がプロレスに出ない、という稚拙な歌だった。そんなナンセンス路線、言わば現在の根幹を占める初期3曲を並べてみよう。

File NO.10「たまらないわたし」

いじわるねあなた はやく入れてよ

わたしはもう ガマンできない

はやくいれてよ はやくいれてよ

あなたはさすのが すきなくせに

どうしてわたしは いれてくれないの

ほんとうにいじわるね もういや

あーーーぬれてきたわ はやくいれてよ

もうたまらない

あなたはさすのが すきなくせに

どうしてわたしは いれてくれないの

からだが雨でぬれて かぜひくわ

はやくいれてよ あなたのかさに

考察:甘い!ツメが甘い!オチが途中で読める!そして、行為を「さす」というのも無理がある。でも、中学生ながらなんとか「あのねのね」みたいにならないか?と考えて作ったのだろう。

File NO.11「たつお革命」

世の中の道理に 従ってしまったら

その時君は かごの鳥 金魚鉢の金魚 動物園のキリン

世の中の方向に 歩いてしまったら

その時君は 池の鯉 くさりの犬 どれい召使い

さあ 世の中の道理をこわそう

世の中の方向を変えよう 人のやらない事をやろう

たとえば人が葬式で泣くと ヘラヘラ笑い

人がパンツをはくと それを頭からかぶり

人がうどんを口から食べると それを鼻から食べ

人がトイレで用を足すと トイレで顔を洗い

人がまじめでいると キャッキャととびまわり

さあ はじめよう たつお革命

あっとおどろく たつお革命

だけど だけど その時僕は 病院送り!

考察:ひとつひとつの例は他愛もなく幼稚だが、反骨精神をコミカルに表現しようとしているのは泉谷さんの影響だろう。一緒に歌作りをしていた中澤君が過大評価をしてくれた作品。

File NO.12「お客様」

学校から疲れて帰ってくると 玄関にみなれないくつがある

奥の間からはにぎやかな笑い声が 誰かお客が来ているらしい

ただ今と部屋にはいると ただ今と部屋にはいるとお客は言った

まーたっちゃん大きくなったねえ

この間会ったときはあんなに小さかったのにねえ

えーーまーー大きくなったわねえ 年いくつ?16?まぁー大きい

クラスで大きいほうでしょう? ほんとに大きくなったわねえ

身長いくつ?170?あらまあ大きいわ ほんとに大きくなったわねえ

いいかげんムカついてきたぼくは

心の中で こいつアホちゃうかと思い

大きくなるに決まってるわい 大きくならへんだらどないなるねんや

えーかげんにせーよ このガキはと思いながらも

笑顔を作って適当に 言葉を交わしながら 部屋にもどるのでした

考察:カーターファミリー奏法モドキでギターを弾きながら歌っていた。これも思春期の反骨精神か。実際にそう思っていた事だけにリアリティーはあるな。同級生からも珍しく支持された作品。

さあ、まだまだあるでー!諦めて来月を待て!
つづく。

第3回「未経験のラブソング」

中学時代の恋の歌は、すべて想像の範疇。淡い恋心はあるが、具体的に「恋愛」というものを経験していない。でもラブソングを歌いたい。結果「どんなシチュエーションやねん?」という歌が生まれる。

File NO.7「きみのまち となりまち」

きみの大好きな メロンとリンゴを持って

バスに乗り込むよ きみのいる町へ

月に一度しか きみに会えないので

ぼくはイソイソ きみのいる町へ

きのうかったばかりのシャツを着て よそいきの靴をはいて

きみといるときのことが 頭に浮かんでくるよ

きみの住んでる町の 停留所まであと3つ

むかえにきてくれる きみの姿が目に浮かぶよ

きみの大好きな ミッシェル・ポルナレフの

レコードをかかえて きみのいる町へ

月の最後の 日曜日にしか

きみに会えないのが とても寂しいよ

きのうかったばかりのシャツを着て よそいきの靴をはいて

きみといるときのことが 頭に浮かんでくるよ

きみが住んでいる となりのまちまで

きみは笑顔で むかえてくれるかな

考察:誰かが「彼女、入院してんのか?」と聞いた。たしかに何故にメロンとリンゴを持って行く必要があったのか?仮に手みやげを持って行くとしても、メロンかリンゴ、どっちかでよかったんじゃないの?「月の最後の月曜日にしか会えない」というのも、隔離病棟の面会を想像させる。「よそいきの靴」というのも、いかにも親の管理下の置かれている中学生らしい。何を理想として、何を夢見ていたのだろう?思春期男子はワカラン!

File NO.8「そんな朝」

ひかりのなか 草原で小犬とたわむれる

そんな夢からさめた朝 窓には朝の太陽

部屋にはコーヒーのにおい それから君の歌声

僕はベランダに出て深呼吸

はいた白い息を見て もうすぐ長い冬だ

なんて考えながら 小鳥さんおはよう

部屋に入った僕は テーブルに座る

僕の前に君が座る

君は焼きたてのパンにバターをつける

そして君の白い手が それを差し出す

そんな朝を僕はいつか

むかえるのだろうか そんな朝を

僕は待ってるよ まだ会わぬ君と一緒に

考察:こんな朝はイヤやぁ~。どこやねん?この場所は?「君の白い手」が不気味だ。パンにバターをつけて食べる朝は平和の象徴か?イメージが漠然としすぎていて、伝わらない。高校の先輩、作詞家の喜多條忠さんは、伊勢正三さんに「詩はなるべく具体的に!」とアドバイスしいて「なごり雪」と「22才の別れ」が生まれたと聞いた。汽車を待つ君が時計を気にしたり、22本のローソクを立てるのはドラマチックだが、単に「メロン」や「リンゴ」や「バター」を出すだけじゃあ「絵」も浮かばんわなぁ~。

File NO.9「夏の追憶」

窓を開けて真っ暗な 夏の夜にとびだしたい夜です

僕はひとりベッドに座って ギターを弾いてます

夏の空を見ていると 心はあの頃へとんでゆくのです

あの時あの頃もうずいぶん 昔のように思います

あなたも今頃僕と同じ 夏の空を見ているでしょうか

もしあなたが この空を見ていたなら僕は星に伝えます

楽しい想い出を いっぱいありがとうと

昼間の暑さとうってかわって さわやかな風が僕をなでます

こうしてギターを弾いてると いろいろ思い出すのです

あの頃はまだあなたも僕も 子供だったように思えます

幼心に抱いた 可愛い想い出です

あなたも今頃僕と同じ 夏の空を見ているでしょうか

もしあなたが この空を見ていたなら僕は星に伝えます

楽しい想い出を いっぱいありがとうと

考察:何か、過去の恋愛を思い出して、思いを馳せて、せつなくなって、ギターを弾いて(ギター弾かんでもええのに)、感謝してるなぁ。「子供だった」とか「幼心」とか中学の僕が過去を振り返り「星」に伝えたりする。アホやー。まぁ、でも「恋」を具現化すると、こんなレベルか。なんせ中学生やもん。

などと今現在の僕が思春期の僕が書いた詩にダメだしをするこの企画。だんだん乗って来たぞ!え?勝手にやっとけ?おー!まだまだ続くでー!!

つづく。

第2回「プロテストソングに憧れて」

まだまだ中学時代の作品が続く。

File NO.4「ロボット化する愚かな人間の詩」

歩けといえば歩く 座れといえば座る

寝ろといえば寝る 走れといえば走る

勉強しろといえば ためらいながらもやはりする

仕事をしろといえば いやだけれどするだろう

今の人間 ロボットと同じ ご主人様の 言いなりになって

命令に 率直に 服従して

ロボット化する奴ほど 愚かな奴で

愚かな奴ほど ロボットとかわりないんだ

人間は ロボットじゃない 人間は ロボットじゃない

盗めといえば盗む 殺せといえば殺す

壊せといえば壊す 殴れといえば殴る

先公殺せといえば ためらいながらも殺す

親を殺せといえば 喜んでするだろう

今の人間 ロボットと同じ ご主人様の 言いなりになって

命令に 率直に 服従して

ロボット化する奴ほど 愚かな奴で

愚かな奴ほど ロボットとかわりないんだ

人間は ロボットじゃない 人間は ロボットじゃない

考察:泉谷しげるさんの影響をモロに受けた作品。月世界旅行と同様、70年の大阪万博でもその最先端テクノロジーを披露した「ロボット」もタイムリーな存在だった。2番の歌詞になるとハードなメッセージも出てくる。「勉強しろ」とか「先公」とかは学生ならではやな。よく凶悪犯罪を犯した犯人の昔の作文が出て来て、訳知り顔のコメンテーターが「当時から犯行を思わせる部分がありますねえ」などと言っているが、今僕が凶悪犯となったら、こういう詩を引っ張り出されるに違いない。

僕自身にそういった「思想」があったか?と言えばない(なんせまだ14歳)。「体制に反発する事」自体がかっこ良かったあの時代。こんな事を言いたい年頃だった。そんな作品をもう少し。

File NO.5「軽薄のススメ」

誰かが君を ほめたたえても

それはうわべだけのそれで 深い意味はない

誰かが君に 親しげにしても

それはうわべだけのそれで 深い意味はない

だから人とは軽薄に軽薄に付き合おう

本気に本気になるとあとで 泣きを見るだけ

だから人とは軽薄に軽薄に付き合おう

誰も君のことなんか かまっちゃいないよ

誰かが君に 優しい言葉を

かけたとしてもそれは 心から言ってるんじゃない

ともだちのようななれなれしい

そぶりで話かけてきても 明日は忘れてしまっている

だから人とは軽薄に軽薄に付き合おう

本気に本気になるとあとで 泣きを見るだけ

だから人とは軽薄に軽薄に付き合おう

誰も君のことなんか かまっちゃいないよ

考察:タイトルは寺山修司「家出のススメ」やな。これは中3の時の作品。なんかこう、こういう事を言うと大人になったような気がしたな。こういう事を歌っているオレにあこがれる女性が現れる!とか思っていたのかもな。新作が出来ると「ニューアルバム出来たでー!」とか言いながら学校に持って行く。この時の、僕の思う僕に対する友達の正しいリアクションは「えーーーっ!新作ー?聞きたかってーん!聞かせて聞かせて!」「何言うてんねん!オレの方が先じゃ!」「イヤー!私が先に聞きたーい!」クラス騒然、パニック寸前!なのだが、クラス全員不正解の体たらく!みんなたいして聞きたそうにもないので、百歩譲った僕が歩み寄り「・・・これ、聞いといて・・・」と遠慮がちに信頼のおける友人に手渡す。友は「ええよー」と「忙しいけど聞いてやる」的な雰囲気をまといカセットを持って帰る。

さあ翌日。僕の心の中は「アイツ、きっと感動したに違いない!全身から喜び発散させながら『よかったよ!』と僕の手を握りしめ褒め讃えるに違いない!」だったが、ここでも彼の出した答えは不正解だった。「カセット、聞いてくれた?」「え?あ、、まだ、、」・・・ま、まだ?「ほんなら明日までには聞いといてなー」「おう」

で、翌日。「聞いたー?」「聞いた」「でやった」「まあまあやった」・・・・まあまあってなんやねん!ホンマに感受性乏しいやっちゃ!もっとこう、「あの歌のあのフレーズがよかった!」とか具体的な感想を言えや!そんな事にもメゲず、せっせと「猜疑心」あふれるハードなヤツを作る僕だった。もういっちょ行ってみよう!

File NO.6「一時(いっとき)の英雄」

一時の英雄になりたいが為に おどけてみせ

一時の英雄になりたくて 人の目をひこうとする

一時の英雄になりたいが為に 猫をかぶり

一時の英雄になりたくて 自分をさらけ出せない

一時の英雄 かりそめのヒーロー

つかのまの英雄 瞬間のヒーロー

俺の目から見たら まるでピエロだよ

一時の安らぎを探し求める ピエロだよ

一時の英雄になりたいが為に いばってみせ

一時の英雄になりたくて かっこをつける

一時の英雄になりたいが為に ウソをつき

一時の英雄になりたくて いい子になってみせる

一時の英雄 かりそめのヒーロー

つかのまの英雄 瞬間のヒーロー

俺の目から見たら まるでピエロだよ

一時の安らぎを探し求める ピエロだよ

考察:「ピエロ」という言葉が流行っていた。道化モノの哀しさにペーソスを感じていた。同級生にカセットを聞かせても、思ったようなリアクションはなかった。僕自身が義務教育機関最年長のピエロだった。同胞の中澤君のみが、最高の観客であり、彼にとっての心の支えも、目の前の僕だったに違いない。しかし少年よ!高校に入ると春がやってくるぞ!精進して待て!

つづく。

第1回「ポエムを書いて笑われて」

今回から毎月の連載だ。中学の頃から作り始めたオリジナル曲の歌詞を順次紹介してゆく。そんなん見たくもないわ!と言われても、強制的にアップしてゆく。覚悟してね!

そもそも中2でギターを弾き始め、最初の頃は「吉田拓郎」「井上陽水」「泉谷しげる」「アリス」「ガロ」などの曲をコピーしていたのだが(一番最初に曲らしきモノを弾いたのは『瀬戸の花嫁』の主旋律だった)、「新譜ジャーナル」や「Gut’s」などという音楽誌に載っているギターコードが難しかったため、「ほんなら自分で弾けるコードで歌を作ったらええやん!」という事で作詞作曲が始まった。

中学高校で約60曲のオリジナルソングを作り、友人の中澤君と90分テープの片面ずつにせっせと「アルバム」を録音していった(最初は松山君と3人で『GIV(ギブ)』というユニットを組んでいた。あきらかに『GARO』の影響)。そんな稚拙な初期作品にスポットを当てて、思春期の自分を再確認させてもらう機会にしたい。さらに時代を追って「没」になった曲の数々の紹介とその解説に発展させてゆきたい。まずは中学時代の作品からどーぞー!

File NO.1「空とぶロッキーくん」

僕の背中にはねがあったら どんなにしあわせだろう

大空を自由に飛び交い 狭い町を上から見下ろし

電車も自動車も家も人も みんな小さくなって

広い広い夢の大パノラマ

どんなに すばらしいだろう

どんなに すてきだろう

どんなに しあわせだろう

僕の背中にはねがあったら

考察:いちばん最初に作った歌だ。中2だった。少年が発想する、いわゆる「歌」の世界とは「背中に羽根」的なものだったのだろう。って言うか明らかに「赤い鳥」の「翼を下さい」や、「五つの赤い風船」の「もしも僕の背中に羽根がはえていたら」そのままやん(この2曲もどっちが先?)。ま、すべての創作は模倣から始まるので、13歳としてはこんなものか。まだ「歌は2コーラスなければ」などという概念すら持っていなかった。タイトルも思いつかなくて、アメリカのアニメからいただいている。

File NO.2「月の世界」

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

公害なんかない 自動車なんかない 受験なんかない

静かな静かな ひとりぼっちの世界

寂しくてもいいんです せまい地球よりましだもの

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

考察:どうも少年は空を飛びたがってしょうがねえ。地球を飛び出し宇宙に行っちゃった。アポロが月に行った数年後だからね。月世界旅行はタイムリーだったのだ。昭和40年代後半は巷にポエムが流行っており、そんな線を狙ってみた。ラジオ大阪の人気番組「ヒットでヒット バチョンといこう」の土曜日の人気コーナー「ポエムのコーナー」で採用された作品だ。パーソナリティーは「コメディーNo.1」さん。自宅に電話がかかって来て「生」の前田五郎さん、坂田利夫さんとドキドキしながら話をして、僕が「月の世界」を電話口でひざをガクガクさせて緊張しながら朗読。ノベルティーの「バチョンバッグ」をもらった。

翌日学校へ行くとみんな聞いていて、他のクラスのやつらまでが休み時間に「昨日聞いたでー!」などと声を掛けにきてくれたり、ちょっとした人気者になれた。そこいらあたりから、「ラジオで喋ったり、歌ったり出来たらいいな」と思い始めた。「公害」や「受験」に反発する姿勢を見せた方が、採用されやすいという計算もあった。

File NO.3「かとりせんこう」

ひょろひょろ けむり 夏になれば かとりせんこう

ずっと見ていると 目がまわりそうになる かとりせんこう

いつだって 丸くて みどり色 かとりせんこう

うちわと ゆかたに とってもよく似合う かとりせんこう

夏になれば いつだって かとりせんこう かとりせんこう

そう かとりせんこう

考察:僕としては「夏の情景」を見事に表したつもりだった。あきらかに吉田拓郎さんの名曲「線香花火」に影響を受けて作った作品だ。名古屋の親戚のおばちゃんが遊びに来ていた。母が「最近達夫、歌作ってるの」と言うと、おばちゃんが「聞きたい」と言うので、カセットの録音してあったこの曲を流した。「上手く夏の風物詩を表現しているね!」という答えが返って来ると思っていた。ところがおばちゃんの反応は想像と違っていた。

「ギャハハハハハー!かとりせんこうが丸くてみどりって、当たり前やーん!ギャハハハハハー!」と畳をパシパシ叩きながら、のたうち回って大笑い!・ ・・大受けやん・・。受けようと思って作ったのではない。実際その時の僕は大いに傷ついた。おばちゃんのデリカシーのない感性に憤りを感じた。

でも、今思う。この時に現在に続く道の第一歩を踏み出したのだ。「受ける歌を歌え!」と神が僕に指令を出したのだ。おばちゃんに感謝だ。

以下、次回につづく。

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