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TEXT & PHOTO:鈴木亮介
第4回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~
東日本大震災から一年以上が経過した。原発事故や瓦礫など日常生活に関わるようなニュースは今でも放送されているが、以前のように「芸能人の誰がどこで炊き出しをした」「こんなチャリティライブが行われた」といった報道はすっかり影をひそめてしまった。しかし、震災から一年を経過した今だからこそ、と行動するミュージシャンもいる。 「ロックと生きる…ライフスタイル応援マガジン」というコンセプトに基づき、BEEAST目線で3.11震災等による現地の生声や、被災地関連のロックイベントを紹介していく連載「脱・無関心」。4回目となる今回は、被災地・福島出身であり自ら先陣を切って復興支援プロジェクトを立ち上げたミュージシャンを紹介したい。伝説のロックバンドBOφWYのドラマーであり、「がんばっぺ!福島。」を立ち上げた高橋まことだ。まずは、プロジェクトの趣旨を紹介する。 ![]() この度の震災に関しまして、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。私も福島出身の一人として地震、津波、そして原発の事故と三重苦のふるさと福島の大変さに何とも言えぬ気持ちでいっぱいです。 一度、福島相馬に友人と応援物資を届けて被災地をこの目で見てきました。復興までは、まだまだ時間がかかると思いますが、少しでも支援をいたしたいと思います。どうぞ気持ちを強くもって一歩づずまいりましょう。 僕はドラムをたたく一ミュージシャンにすぎませんが、音楽を通じて皆様に力を与えられればいいなと思っています。 この度、全国の皆様からの義援金を募集する事となりました。”がんばっぺ!福島。”義援金募集です。集まりました義援金は福島県に送りたいと思います。是非ともよろしくお願いします。 発起人 高橋まこと 本プロジェクトが立ち上がったのは昨年8月だ。地元・福島など各地でのライブを通じて高橋まことは義援金を募り、支援を呼びかけてきた。このほど、東日本大震災から1年を経て、全国へ継続的に復興の輪を拡げるために、ライブを決行。「福島復興支援チャリティーLIVE TOUR」5公演が決定した。 今回、BEEASTでは全国行脚を目前に控えた4月上旬、高橋まこと本人を直撃。プロジェクト立ち上げの経緯や現在の心境、高橋まことが見た福島の今について、語ってもらった。本誌独占インタビューを以下お届けしたい。 ![]() 高橋まこと プロフィール 1954年福島県福島市生まれ。アマチュア時代に数多くのバンドに参加した後、上京。新宿ロフトで出会った暴威(のちのBOφWY)がドラマーを募集していることを知り、オーディションに参加。後に加入し、1982年デビュー。 1987年末、BOφWYが解散を発表するとほぼ同時期に、宙也を中心に結成されメジャー・デビューを控えていたDe-LAXへの参画という話が舞い込む。LAST GIGSを前に加入を決意。 De-LAX解散後、1994年にソロ・アルバム『楽しき人生』を発表。同時期に、榊原秀樹と共にGEENAを結成。 GEENA解散後は、DAMNDOG、ドラマーズ、和太鼓ユニット・COHANなどに参加。 「ミスター・エイトビート」「原子のドラム」の異名を持つ日本屈指のロック・ドラマーは、De+LAXの復活と共にさらに進化を続ける。 ―――まずは高橋さんが今回のプロジェクトを立ち上げるまでの経緯を教えてください。 高橋:元々僕は福島の出身なので、自分の田舎がどうなったかと心配したのが最初ですね。地震が起きてから3日間、地元・福島に住む家族と連絡が取れず、ようやく連絡が取れたら、現地では「食べ物がない」「店が開いてない」「電気が止まっている」という話だったので、とにかく支援物資を持って家族の安否を確かめに行かなきゃと現地に直行しました。
高橋:13日にラジオの仕事で前橋に行ったのですが、そこまでは関越自動車道で移動できました。東北自動車道は不通になっていたので、前橋からは一般道を利用して福島入りしました。震災発生から3日後です。群馬はスーパーが開いていいたし棚から商品がなくなるなんてこともなかったので、そこで食料などを購入しました。 ―――現地入りして、地元・福島市はどのような状況でしたか? 高橋:親戚や友人は幸い皆無事でした。僕の地元は山の中なので津波の影響はほとんどなく、塀が倒れている程度で、思ったよりも被害はありませんでした。ただ原発が爆発したというニュースはその時既に流れていたので、心配する人はたくさんいましたね。 ―――その中で、何かできることをしよう、と考えて行ったわけですね。何か具体的に、きっかけとなる出来事があったのでしょうか。 高橋:僕の持っているドラムのうち、東京に置けなくなったものを福島・相馬に住む友人に預けていたのですが、「うちは高台でまこっちゃんのドラムは大丈夫だよ」って連絡をもらって。でも土地の低い地域は津波で大変だということで、その友人は青年会議所のOBなので、炊き出しをしていたんですね。それで大変な状況を聞いて、何か自分にもできることがないかと考えるようになりました。その頃、ちょうど去年の今頃(4月上旬)でしたが、同郷の友人が経営するお茶の水のハンバーグ屋で「高橋まことを囲む食事会」を開催しました。BOφWYの「LAST GIGS」を見て俺が語って、一緒にお酒を飲んで募金を集めましょう…という企画だったのですが、結構な金額が集まりました。 ―――集まった義援金はどのように使ったのですか? 高橋:集まった義援金は地元・福島の青年会議所に持って行って渡しました。先ほどの友人いわく、青年会議所は立場上、例えば食料をもらったとしても100人いるところには100食ないと配れないんだそうです。50食だと不公平になるので配れない、と。それならば、まずはとにかく炊き出しをするのに必要な肉や野菜を買うための「足し」にしてくれといって、現金をそのまま渡してきました。さらにその後は、全国のボランティアをしている友人達と連絡をとって、支援物資を自分の所にまとめて送ってもらい、現地に持って行く、ということを何度か行いました。 ―――1回きりで終わらず、継続していったのですね。 高橋:お茶の水のハンバーグ屋でのチャリティイベントは月1回ペースで行って、もう8、9回はやっていますね。自分なりのやり方で少しずつでもやっていると、ちゃんと周りの人達は見てくれます。福島のために、もう少しこのライブイベントを大きくできないかと思っていた頃、テレビ局のディレクターが興味を持ってくれて、僕のチャリティイベントを特集してくれました。それがまた大きな反響を呼び、全国から「チャリティライブをやってほしい」という声が寄せられるようになり、今回の全国チャリティツアーが実現しました。
高橋:昨年布袋さんのライブに見に行ったあたりに「久しぶりだね」と食事をして、「今は福島のためにこういうことをやっている」と近況を話したところ、興味を持ってくれて出演が決まりました。(※2012年2月1日にさいたまスーパーアリーナで行われた布袋寅泰の50歳誕生日ライブに高橋まことが友情出演した。)もちろんヒムロック(氷室京介)も布袋もCOMPLEXとか自分達で東京ドームでライブやって大きなチャリティライブもきちんとやってくれているし、その中で俺は俺のやり方でちびちびとやってきてやっと「イベントを大きくしたい」と話ができるようになって…そこで「福島はまだまだだから力を貸してくれないか」と話して、それで今年3月24日に郡山で開催した「つながろう ふくしま~絆~スペシャルライブwith高橋まこと」に布袋さんが出演してくれることになりました。 ―――今回の全国ツアーを企画していく中で、苦労したことはありますか? 高橋:苦労ということは特にないですね。当初、名古屋や大阪など、西の方は当事者意識が薄れているのかなと思ったんです。余震があっても関西は揺れないから、現実的には考えにくいのかな、と。でもそんなことはなく、こちらから関西地区での開催を企画するよりも前に、広島や大阪、名古屋の人達から自主的に「俺達も手伝うからいっしょにやりませんか」と声をかけてくれたので、嬉しかったですね。 ―――震災復興への道のりを、高橋さんはどう見ていますか? 高橋:震災復興をどのようにしていくのかなというのは長い目で見ないと分かりません。僕は今でもちょくちょく福島に帰るのですが、その度に、「以前あった船は片付けられている」とか「瓦礫の集積所がビルの3~4階の高さくらいまでに積み上げられている」と、ちょっとした変化は見て取ることができます。しかし、結局はまだ家も建っていないし港もそのままだし、放射能の影響で漁に出られないので、大きくは変わっていないのだなと感じます。地元の人やボランティアをしている人にも色々話を聞きますが、皆一様に放射能のことは口にしないですね。皆そこにあるのはわかっているから、「言っても仕方がない」という思いがあるのでしょうね。外から見ていると「子どもだけでも逃がすべき」という意見も出ますが、親が福島を離れられない限り、子どもだけ話すわけにはいかないですし…皆押し黙って我慢している、というのはありますね。
高橋:東京の人は「瓦礫、瓦礫」と一口に言うけど、津波で流される前は立派な家だったわけですから。実際に宮城の業者さんに聞くと、家の床柱など立派な木は楽器の材料になるんだそうです。そういう良い木を拾ってきて楽器製造者に売って、それを削って太鼓を作ったりといった取り組みも行われています。ただ砕いて燃やせばいいというものではない。もう少し活かすような工夫が必要ですよね。 ―――「がんばっぺ!福島。」プロジェクトを通して一番訴えたいことは何ですか? 高橋:やっぱり「元気になってほしい」ということですね。震災から1年を経過して衣食などの不足はほとんど解消されましたし、表向きには不自由ない生活が送れています。しかし、今「押し黙って我慢している」と言ったように、皆心の中では大きなストレスを抱えています。音楽で何か建物がぼーんと建つわけじゃないけど、気持ちの面で明るくして、元気になってもらえればと思いますね。ミュージシャンがやれることなんてそれくらいしかないですから(笑) ―――それが「がんばっぺ」というタイトルにも象徴されているわけですね。 高橋:「がんばっペ」というのは福島の人に「頑張ってください」ということではなくて、周りにいる人達が頑張らなければいけないよね、という意味を込めて名付けました。頑張って福島を盛り上げていきましょうよ、と。福島の人達は既にもう頑張ってるわけですから、そこに頑張ってと言っても仕方ないわけだし、俺達が頑張って少しでも福島の復興に役立つようにしなければと思います。
確かに、音楽をはじめ創作活動をしていく上で「ホッとできる場所」は大切だ。そして、それは創作活動に限らず、子どもの情操を養うという点でも非常に重要だ。インタビューの中で高橋まことは、このプロジェクトを通じて集まった義援金は子どもたちのために使いたい、と語った。例えば相馬市では、原発事故の影響で子どもの外出が制限されているが、家の中にこもっているとどうしてもストレスがたまり、便秘など体調にも影響を及ぼすのだという。そこで、子どもたちがのびのびと動き回れるように、放射能の影響のない雪山などへ遊びに行かせるなどの取り組みを地元のNPO団体が行っている。 こうした事業には行政からの支援が行われにくいため、高橋まことの「がんばっぺ!福島。」プロジェクトが金銭的に支援をしていきたいのだという。さらに高橋まことは、相馬野馬追などの伝統行事についても支援を表明。子ども用の甲冑を作ってあげたりと、しっかりと次の世代に残していけるようバックアップしたいと話した。 「一年経っても、まだ終わってない。むしろこれからだよ」と熱弁する高橋まことの熱い思いに触れ、元気をもらえた取材となった。どうしても行政は日々の生活やマジョリティの支援に目が行くのが必然だ。だからこそ、こうしてマイノリティ、それも子どもたちの情操教育のための支援を行うという高橋まことの取り組みは大変意義深い。一流のミュージシャンとしての矜持(プライド)が、そこにある。
高橋まこと 福島復興支援チャリティーLIVE
◆2012年4月15日(日) ◆2012年4月21日(土) ◆2012年4月22日(日) ◆2012年5月12日(土) ◆2012年6月9日(土) ◆2012年6月16日(土)
◆義援金の受付先
高橋まことプロダクション:ハイブリッジ株式会社 銀行名 : 三井住友銀行 支店名 : 調布駅前支店 口座番号:普通口座 1145755 口座名義:ハイブリッジ株式会社 ※集まった義援金は、福島県の自治体を通しまして被災者の方達に寄付させて頂きます。 ◆がんばっペ!福島。東日本大震災・東北地方太平洋沖地震 福島復興支援プロジェクト http://takahashimakoto.com/fukushima/ ◆高橋まこと 公式サイト http://takahashimakoto.com/ |