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TEXT & PHOTO:鈴木亮介
第26回 Stand Up And Shout ~脱★無関心~
2018年9月6日(木)午前3時過ぎ、北海道胆振地方で最大震度7を観測する地震が発生した。北海道で震度7を記録する地震は初めてのことで、札幌市内でも北区で震度5強を観測。土砂災害など多数の被害が出たほか、震源地に近い新千歳空港が一時閉鎖するといった影響も出た。 震源地付近の状況
震度6を記録、安平町では
![]() 震災発生当初は小学校の近くに避難所がありましたが、その付近の坂にも危険があることがわかり青葉会館に移動、その2週間後避難所が統合されて今の追分公民館に来ました。 避難所生活で一番大変なのはトイレです。小学校で避難していたときは、バケツに水を入れて流すような簡易式のものでした。食事は、良いですね。これだけ毎日タダで食べさせてくれるのだから贅沢は言えないですよ。音楽を聴くような時間はなく、ご飯を食べたらベッドの上で過ごすしかないです。人と話すことくらいかな。寝床ではテレビも見られないし、退屈はしますね。 「自宅に帰ったらまず何をしたいか?」と尋ねたが、「見当もつかない。何より、早く家に帰りたい」と話してくれた。他に話を聞いた人々も、「仮設住宅だとしても家に帰りたい」と早期の帰宅を望んでいた。 厚真町
札幌・清田区
![]() — 震災発生直後の状況を教えてください。 三浦:仕事を終えて帰宅したのが26時だったので、地震が発生した時刻はかなり深い眠りに入っていました。でも揺れが長かったので「これはいつものやつじゃないな」と。それからすぐに電気が消えました。ススキノなどの中心街はみな真っ暗。 — 停電はしばらく続いたのでしょうか。 三浦:ススキノは丸一日停電が続きました。区画によってつくところつかないところがあり、うちのライブハウスの区画は翌日に復旧しましたが、その隣の区画はまだ停電が続いていました。市のはずれの方では3日間くらい電気がつかなかったそうです。 — 特にどんなことに苦労しましたか。 三浦:やはり電気ですね。防災グッズなんて用意してなかったし、電気がつかないからやることがない。しかもマンション内の水道がポンプでのくみ上げ式だったので、停電の影響で水も出なくなりました。食べ物も、コンビニに行ったら商品はみな売り切れてました。水は給水所でくんできて。火山灰に入れて処理する簡易トイレを持っていたので何とかなりましたが、便意を催さないようにと、なるべく水を飲まないようにしました。携帯電話も8時間くらいは圏外。(つながった後)あちこちから「大丈夫?」と連絡が来ましたが、情報が入らないのでわからない。それに充電が切れそうなので「大丈夫メールが来るのはありがたいんだけど、返事しようにもあと数%しか充電がないし…」という状況でした。 — ライブハウスの方の被害状況はいかがですか? 三浦:ライブハウスは夜が明けてから状況を確認しに行ったんですが、スピーカーなど何も倒れてなく無事でした。当日はたまたまうちの自主企画だったので、すぐに中止を決めました。翌日もメインアクトが停電の続く地域で動けなかったことと、東京から2組呼んでいたバンドも飛行機が飛ばないということで中止になりました。震災の影響で、企画していたライブやイベントは8本くらい飛びました。その中には苫小牧の大規模な野外イベントも含まれます。 — その後、DUCE SAPPORO(経営するライブハウス)では翌日から電源スポットとして開放したそうですね。 三浦:電源とお水と、休む場所を提供しました。電源スポットとしてライブハウスの開放を決めたのは、公演が中止になったこともありますし、ライブハウスの仲間内で「みんなでやりましょう」という呼びかけもありました。また、うちは被害の大きい厚真町に持っていく救援物資を集めるスポットにもなっていました。電源スポットの利用者はバンド界隈の人や、地元の人が多かったです。ただ、本当は僕自身は予定通り公演をしたかったんですよ。でもTwitterでは「(これまでの震災の事例から)3日後にもっと大きな本震が来る」とか、デマまがいの情報が飛び交っていて、まして計画停電を行うかもしれないという情報もあったので、中止にせざるを得ませんでした。でも僕らはライブをやるのが仕事なので、「こんな時に電気をたくさん使って何事だ、不謹慎だ」と言われても、これが仕事だからなぁ、と。 — 実際に「自粛モード」を感じる場面はありましたか? 三浦:苫小牧の野外フェスなんかも、震源に近くて火力発電所も復旧していない中、そこで公演を強行したら批判を浴びるだろうなという暗黙の空気がありましたね。もっとも、震災発生から3週間がたった今は自粛モードを感じることはほとんどないですね。むしろ今回の震災後には「ノー自粛キャンペーン」のような投稿をSNS上でよく見かけます。震災チャリティをやる人も多いですが、普通に営業すれば良いのではとも思います。 — 冬が(雪で)客足の鈍る北海道にとって、9月の公演は生命線とも言えると思います。 三浦:確かに8月の夏フェスが終わってから9月のこの時期はちょうど書き入れ時です。全国ツアーを行うバンドの来札も多い時期なんですよ。でも被害者面をしていても仕方がないので、助け合っていくしかないですね。僕らに限らず、観光客が警戒して来なくなったことでホテル業界や飲食業界はもっと大打撃です。 北海道はこれから長い冬を迎える。どうか余震が早く収まってほしいと切に願う。そして、つらい日常から例え僅かであっても解放させられるのであれば、音楽はそこに必要だということ、平穏な日常を送れる者がその延長線上で被災地を観光で訪れて現地にお金を落とすことは、皆が希望を取り戻すために必要な行為だということを、今回の取材を通して改めて感じた。
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