FEATURE丨2010.02.24
Let The Music Do The Talking 〜テイク7「高木フトシ」インタビュー
魂のシンガー・高木フトシ。
HATEHONEY、BAD SIX BABiESといった伝説のバンドのフロントマンとしてファンからの熱い支持を得、現在はソロやAKUH、gonvutといったユニット、バンド形態のvezなど、多岐に渡り精力的に活動している。愛と平和を叫び続けるこの男のミュージシャンとしての軌跡を掘り下げるべく、取材を慣行した。高木フトシの音楽や世の中に対する想いに、じっくりと耳を傾けていただきたい。
高木:ベースの敦(八田敦)とは中学の時からのツレで、あいつに誘われたのがきっかけだね。それまでは一人で弾き語りとかやってたんだけど、バンドやるのはそれが初めてで。最初はNIRVANAのカヴァーをやっていて、「横浜NIRVANA」っていうそのまんまの名前を名乗ってたんだけど(笑)、そこからHATEHONEYに発展したんだ。あのころはあんなサウンドの音楽やってたのは、日本ではHATEHONEYくらいしかいなかったんじゃないかな。なんつって(笑)。
高木:そう?ありがと(笑)。
高木:…なんだったかな…?理由は色々とあったと思うんだけど、俺が言い出したんだ。う〜ん、その後はずっとパチンコばっかやってたな(笑)。そしたらあるところから、戸城さん(戸城憲夫/The DUST’N’BONES ex.ZIGGY)が俺と会いたがってるって言われてさ…。
高木:正直、THE SLUT BANKSに加入しないかという誘いには乗る気もなかったんで、最初はシカトしてたんだよ(笑)。でもある日、パチンコで勝ったから気分がよくて、連絡したんだ(笑)。で、下北の居酒屋で戸城さんと会ったんだけど、「ZIGGYの戸城さんが好きだから、全くの別バンドとしてならやりたい!」って言ったら、「うん!全然、いいよ~!」って(笑)。うん、でも、ZIGGY時代の戸城さんは本当にNIKKI SIXXやANDY MACCOYといった人たちのような危うさを日本で唯一持つ、ミュージシャンだと思ってたからさ。「そんな戸城さんに戻るなら、やります!」と伝えたら、「うん、全然戻るよ~!」って(笑)。その後は最近聞いている音楽の話や、THE SLUT BANKS時代にプロデューサーとして携わったスティーブ・アルビニの話とか聞いて、すごく盛り上がって。ああ、戸城さんの感覚っていい意味で若いんだな…すごく一緒にやりたいなって思ってさ。今思うと戸城さん、あの時、The Smashing PumpkinsのTシャツ着てたんだよな。俺の気を惹こうと思ってたのかな(笑)。でも、後々、「あのときはVoが誰だろうがなんだろが、バンドやれんなら誰でも良かっただけだよ」と言ってたけどね(笑)。かっこいい人だよ。
高木:うん、ありがと。音源に関しては今でも戸城さんから声がかかれば、いつでも録りたいとも思ってるよ。
高木:敦がBAD SIX BABiESのライブに来た時があってね。「メチャメチャかっこいい!」って言ってくれたんだけど、その時はテキトーに流してたんだよね。でも脱退後に敦と飲んだ時にすごく楽しくて、後日HATEHONEYの元スタッフたちに召集かけて「もう一度やろうと思うんだけど、どう?」って聞いたら、みんな「やろう!」って返事で、そこから再スタートを切ったのよ。今思えば俺と敦の個人的な感覚で、音楽的なジャンルはなんでもよくてさ。でも、俺らがガキのころに出会ったKISSやチープ・トリック、エアロスミスやAC/DCみたいな感覚を今まで素直に出せてなかったなあと。だったら俺らが出会ったころに夢中になって聴いてたようなアルバム作ろうぜ!って話になって。冒頭にはパイロット曲的なものがあって、最後はロッカバラードで締める!ような、王道のね。
高木:それは出ていると思うよ。実際、戸城さんにもあのアルバムは送ったし。「まぼろしの羽根」って曲は何気に戸城さんに向けて書いたつもりだしね。その辺は聴く人が聴けばわかる!でも、実際には森重さん(森重樹一/The DUST’N’BONES ,ZIGGY)の方が、誉めてくれたんだけど(笑)。
高木:なんか、やっちゃいけない嘘ってのが、俺らの中であってさ。「これ以上はダセーだろ」と思ったら解散するというのは、俺と敦の中で守った部分なんだよね。二人で飲み行った時、決めたんだ。
高木:うん、アルバム出して、一年かけて解散までやり切るということに、ベストを尽くした。
高木:…う〜ん、悲壮感が仮にあったとしても、それをあまり出すとダサいと言うか…。かと言って出さなきゃカッコいいわけでもないと思うんだけど、人としておかしな話だと思うんだよね…。悲しい部分も、何気に心ではわかっているっつーかさ…。打ち上げの時間も長くなってたのも、その表われかもしれないし(笑)。あと、悲壮感とは真逆の、初めて仲間と大きなことをやり遂げている感…。これって、美しい生き方だと思うんだ。きれいごとかもしれないけど、金では買えない自分たちにしかできないこと。…うん、美しかったと思う。これぞ正にHATEHONEYだったよ。自分の人生の中での一番の誇り。解散ツアーに携わってくれたスタッフ、ファンとの共有した時間は一生忘れないな。…その後の打ち上げで、俺んちまで来て、泥酔して伝説残したやつらのことも、忘れられねーけど(笑)。
高木:今思うとね、やっぱり単純に音楽で生活したかったんだと思う。だから何かやらなきゃって。最初はソロの弾き語りをメインでやるって のは考えてなくて、FUTOSHI TAKAGIプロジェクトみたいな感じでvezの前身となったようなバンド形態でやってみたり。
高木:全部ノリだよ(笑)。飲んでる席だったり、誰かとたまたま何かしら話してる時だったりね。何ひとつ契約も結んでなければ、ライブの 動員も増えてほしいけど、増えなければいけない状況でもないしね。だからこそ本気でできるし、少なからず求めてくれている人たちには提供できる。それが自分たちの力でできる時代だとも思うしね。うん、だから、ストレスはないよ!
高木:まず、ソロはメンバーがいない分、責任は全部自分にあるわけで。覚悟もそこにあってさ。だから、そういう歌を歌いたい。周囲の人間にと言うより、世界的な尺で誰かに向けて歌いたいんだ。AKUHはソロの延長であり、YANA(ex ZEPPET STORE)はね、世界一のドラマーだと思っているから、二人でやれる可能性を模索中なんだよね。バンド形態でやっているvezはそれこそノリで始まったんだけど、2010年は遊びじゃなく、ちゃんとやりたい。曲も詩も色々と書いててさ、遊びでやるにはもったいないと。俺らバカだからイマイチ気付かなかったんだけど(笑)。去年3回しかライブやってないんだけど、逆にいつでもできるじゃんって感覚もあって。…う〜ん、なんだろ、真剣にやっちゃうと客も巻き込んじゃうじゃん?どうでもいいっちゃいいけど、考え出しちゃう瞬間があってさ…。他のメンバーも巻き込んでいるわけだからね。でも、ちゃんとやっていきたいなと。…急にマジメな話になってゴメン(笑)!
高木:HATEHONEYに関してはさっきも言ったとおり、やりきったからそういう意識はないかな。だから躊躇もしないし、vezに関してはできれば、海外でもやりたいと思っているんだ。というのも、他の活動に比べてメッセージ性とか特に言いたいことが強いわけではなく、ただ音楽をクリエイトしたい。そこに集中できるバンドだからさ。
高木:タケシ(ゴンダタケシ/GRiP)とでしかありえない純粋な音!…あれが創れるのは、奇跡だよ。そこがブレることなくストレスもなく、長く続けられたらなあと。そしたら、すごいことになるのかなあと思うんだ…!詩も曲もブレていない、奇跡的なユニットだよ。
高木:やってよかったし、あれからソロで演る時の気持ちが全然違うね。3ヶ月連続でリリースした3部作シングルの集大成としてやったわけだけど、俺なりにやりきれたと思うし。…なんて言うか、世の中の間違っていると思うことを俺に言う権利はないし、逆にそれを言葉で言うだけは簡単なことでさ。でも、それも全部含め、正直に悩みきったことを形にできればと思ったんだ。それがアーティストだと思うし、俺にとっての結果があのワンマンだったわけ。強くなれたよ。決して楽になれたわけじゃないけど。失うことが怖くなくなったし、俺は俺を貫けるなと。かと言って、言いたいやつは言え、聴きたいやつは聴け!という気持ちにもならないんだ。俺、みんなに愛されたいし(笑)。いや、愛される生き方をしたいんだよ。こういうのって、そういことを一番毛嫌いしていたような人間が言わなきゃダメなんだ。俺は弱い側の人間だし、強いやつだけ永遠に強いって世の中じゃダメだと思ってるからさ。だから言うしかなかった。
高木:うん。初の試みだったんだけど、ひとつの詩をそこから三つに分けたんだ。「dancer」ってのは、俺のように色んな意味でアンダーグラウンドで“踊らされて”いるという、音楽業界や世の中の格差について、俺なりに歌いたかった。で、そこに“噛み付いた”時に何かが起こると言いたかったのが、「Bite」。そして最後に、宇宙や地球や俺の心の中にある“核”を表現したかった「CORE」に行き着いたんだ。…うん、3部作以前から散々色んなことを経験し、勉強して色んな正義を加味してずっと重いテーマを歌ってきてさ。それで“CORE”に辿り着いた時には、「来たな!」って思ったよ。俺の中にある“CORE”や、なんか一番孤独だなって思えたこの星の中の“CORE”を思い描いた時に、一番わかりやすくて自信を持って歌えるなって思えたんだ。なんかとりとめのない話かもしれないけど、政治や宗教や平和についてもさ、みんな今、敏感だと思うんだよ。例えば9.11の事件にしたって、みんな今でも興味はあるし、心ではどこかで気にしてるとは思うんだ。じゃあ、どうするかって時にそのことについてみんな…いや、何人かは言いたいだろうし、言えるようになりたいはずなんじゃないかなと。俺もそうなりたいと思ったんだ。じゃあ、俺に何が言えるかってのが、「この空ブチ抜こうぜ!」ってことでさ。…ものすごく無責任な言い方かもしれないけど、それがロックの役割だとも思ってる。叫び切ることが。間違ってるかもしれないし、これからだって間違うけど、でも歌いたい。
高木:思うよ。音楽だけでなく人が世界を変えるわけだし、その人には音楽は必要だと思うし。逆に言えば、音楽が必要じゃない人には、世界を変えられないと思う。
高木:今はとりあえずチャリティーライブをやりたいかな…。もう少し俺みたいなミュージシャンが音楽を創りやすい環境ができてほしいし、その基盤を俺が作れたらおもしろいかなあと。
高木:わかりやすく言うと、この業界のシステムはピラミッド形でさ。 上にいる偉い人とか音楽に直接関わってない人たちだけが、グルグルなんか回ってるわけじゃん?もっと下にいる人たちが育てられる環境やチャンスを与えられるべきだし、そうしていきたいね。 もう、これからは自分のサクセスのために音楽を利用する時代じゃないと思うんだ。ピュアにやりたいことをその都度発表することが重要で、本当に好きなことを好きな時にやるべきだよ。それを聴きたいと思う人は必ずいるはずなんだからさ。リスナーだってバカじゃないし、もうそういう時代が来ていると思う。俺は発表の場がなければ自分で作ればいいと思って今までもやってきたし、これからもそうしていくしね。雲の上で笑っている人のために歌は歌わないよ。と、憲三(津田憲三/ex.N.E.S.)が言うように俺もそう思うし。…まあ、雲の上で笑えるなら笑っていたいという気持ちもあるんだけどさ(笑)。
取材後、筆者が「個人的にHATEHONEY初期の強面でダークなイメージの高木さんと、BAD SIX BABiES時代の弾けた高木さん、そして今のアダルトで優しげな雰囲気の高木さんが、本当に同一人物なのか!?って、たまに妙な錯覚に陥る時があるのですが」と伝えると、「そう?(笑)。根本は何も変わってないよ。俺はその時々のベストを尽くしてるだけだよ」と、微笑みながら語ってくれた。この人の強さと優しさに満ち溢れた音楽は、これからも私たちの耳に、その時々のベストな形で聴こえてくることでしょう。みなさんも魂の叫びを、ぜひ肌で感じてみてはいかがだろうか。
2010年2月22日(月)【下北沢】CLUB Que“gonvut”
2010年2月27日(土)【 柏 】Thumb Up“SOLO”
2010年3月02日(火)【本八幡】Route14“SOLO”
2010年3月19日(金)【新 宿】Naked Loft“SOLO”
2010年3月21日(日)【池 袋】BlackHole“gonvut”
2010年3月28日(日)【池 袋】CHOP“AKUH”
2010年4月24日(土)【川 崎】CLUB CITTA’“SOLO/gonvut”
※問い合わせは会場まで