最終回 人生はそれぞれの手の中に
前回の更新からずいぶんと間が空いてしまいました。このコラムを読んでくださっている方々、ビーストスタッフの皆様には、本当にご迷惑をお掛けしました。今年は人間椅子25周年にあたり、音源制作、ライブ活動と、自分なりに精いっぱい集中しました。お陰様で、大いに実りのある一年になったと思っています。やはりやるべきは作品の制作、表現だとまずそのことを優先し、後ろめたく感じながらも、本コラムにはなかなか手が付けられないままでいました。コラムを書くからには、できるだけ濃い内容を、とやや気負っていたところもあります。何卒ご理解いただければ幸いです。
あっという間の一年でした。25周年の締めくくりには、『現世は夢~25周年記念ベストアルバム~』がリリースされます。多くの取材を受け、発売日からはキャンペーンが始まります。有難いことです。数年前には考えられないことでした。もちろん忙しいとか、弱音なんて吐きません。なぜなら、クリエイティブであろう、ベストを尽くそうと心掛けていたら、ベストを尽くしている人たちと知り合うことができたからです。その人たちは、まずもって不平不満はこぼしませんし、他人の悪口も言いません。自己を限定することもしません。だから世界が広がっていくのも道理だと、大変勉強させてもらっています。そうして、自分もそうありたいと願っています。
ベスト盤の総論的なものについては取材で喋っていますし、重複することにもなるので、ここでは割愛させてください。ベスト盤には新曲が入っています。本コラムでは、いかにして新曲が作られたかを、僕の視点ではありますが少しばかり述べさせてもらいます。
──新曲について──
「地獄への招待状」
鈴木君が用意してきた曲は、モーターヘッド風の疾走感のあるものだった。詞は僕が担当することになった。人間椅子には地獄が舞台の楽曲が数多くある。ベスト盤の新曲にも入っていて然るべきだし、それにはこの曲がふさわしく思われた。
地獄とはいかなる所か。人類誕生以前にはなかっただろう。そこは神が準備したところというよりも、スウェーデンボルグがいうように、人間の地獄的想念が作り上げたものと見るのが至当ではないか。同様のことはロバート・モンローも語っている。
不潔な環境にいる人は不潔を好んでいる。享楽に耽る人は享楽が好きなのだ。いかに他人から見てそれが地獄的様相を呈していようと、人は本人が選んだところに留まっている。そのことを、笑いのめすように歌ってみたかった。だってもしかして、地獄にいる人は地獄を楽しんでいるのだろうから。
「悪徳の栄え」
退廃、がコンセプト。基本的な部分は、夏の暑い盛りに思いついた。フリーのようないなたいリフで、不謹慎なことを歌いたい‥‥レコーディング直前に、キーをC#m(指板上の)に変更、アルバート・キングの「ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン」やロビン・トロワーの一部の曲のように、沈鬱な暗さを加味することが出来た。
サドの小説をジュンク堂書店で購入し、読んでみる。たちまち具合が悪くなる。僕がいいたいのは、放縦な性の奨励ではない。産業革命が始まった頃、多くの知識人がこのまま物質文明が進めば人間性は喪失せざるを得ないと警鐘を鳴らしたわけだが、確かに現代はより巧妙に人間の隷属化が行なわれているように思える。所有することが人間の幸せなのではない。安定を求めるのが生きているということではない。そもそも安定などこれまで存在したことがないし、生きるのをやめた時からどんどん人間はつまらなくなっていく。──常識から外れたことをいえば現代では悪にあたるだろうから、以上のことをいう僕は悪人と呼ばれるだろう。常識は捨てた方がいい、それが僕のいいたい悪徳の栄えだ。
「悲しき図書館員」
アメリカの古いテレビ番組「ミステリーゾーン」に、次のような回がある。銀行員の某氏は無類の本好きである。満たされない現実の埋め合わせをするかのように、本の中に人生の素晴しさを見ようとしている。ある時地下室に閉じ込められ、これ幸いと読書に耽る。折しも核戦争が勃発、しばらくして某氏が地上に出てみると、一面の焼野原、すべては死に絶えていた。某氏は悲嘆にくれるよりも、むしろ心置きなく読書できることを喜んだ。早速本を手に取るが、誤って眼鏡を落として割ってしまう。極度の近眼である某氏は、もう二度と本を読むことが出来ないのだった。──人間の卑小さと悲しさを描いて、名作の誉れが高い回である。
鈴木君がミドルテンポの曲を準備してきた。哀愁のあるメロディーで、親しみやすさもある。この曲に、非日常的でダークな歌詞は合わないように思われた。日常に垣間見える人の寂しさを、普遍的に描けないかと思った。この寂しさは、僕がアルバイトをしていた頃、しばしば他人に抱いた感情でもあった。悲しき‥‥悲しき‥‥悲しき鉄道員でまず詞を書き出したが、すぐにショッキング・ブルーに同名曲があったことを思い出し、慌ててやめる。「ミステリーゾーン」のあの教訓のように、書を捨てよ町へ出よう、でいくことにした。
「宇宙からの色」
作曲に最も時間を費やした曲。『無頼豊饒』が出てしばらく経った、あれも夏のうだるような蒸し暑い日のことだった。散歩をしていて、とある大学に差し掛かった。学生が熱心にピアノの稽古をしているらしく、淀みのない音色が路上まで漏れ聞こえてくる。おそらく現代音楽だろう、十二音階のひと塊のフレーズが、半音ずつ上昇していく。聴いたこともない音楽だった。真夏の陽炎の中それはまるで白昼夢のようで、思わず僕は足を止めてしばし聴き入っていた。何という幻想的な音階だろう。「その曲名を教えてください」幾度となく僕は塀の向こうの学生に問いたい衝動に駆られたが、そこは門番がしっかりと見張っている、部外者立ち入り禁止の学校なのだった。何分も何分も、僕はじっと佇んで音楽に耳を傾けた。そして大急ぎで走って家に帰り、その印象をギターでなぞって、テレコに録音した。
夏の終わり。死の臭いのする曲を作りたく思った。ゾンビ物のDVDを大量に借り、空いている時間に立て続けに見た。ゾンビはただの死体ではなく、人間の究極の奴隷状態に違いない、などと妙に興奮しながら鑑賞する。最近のホラー映画にはよくヘヴィーメタルが使われており、救いのない状況を表す上での相性がいいようだ。かなりの本数を見てだいぶ脳内がゾンビに毒された頃、これはなかなかホラーだろうというリフを思いつく。
秋口。某誌の記事の取材のため、キャンプに出掛ける。野外の開放感を味わいつつも、やはり頭の中は新曲制作のことでいっぱいだ。明け方、ゾンビが夢に出て来て、汗をびっしょりかいて目が覚める。しかもBGM付きという念の入りよう。がばと跳ね起き、持参していたギターでその悪夢の挿入曲を憑りつかれたように弾き続ける。
結局、ゾンビという形では日の目を見なかったが、「宇宙からの色」の骨子は以上の経緯で出来上がった。学生のピアノはイントロに、ゾンビ映画は中間部に、キャンプの悪夢はサビのメインリフにそれぞれ使われた。
H・P・ラヴクラフトの小説をモチーフにした楽曲は、これからも作り続ける所存だ。受けようと受けまいと、それこそしつこく。喜ぶべきは、ここ最近海外からメールや問い合わせが来ていること。世界中にラヴクラフトのファンがいることを勘案すれば、地獄の歌同様、ベスト盤にラヴクラフト関連曲を入れたのは機を見るに敏だったと思う。
結論はなく具体的でもなく、恐怖のほのめかしのみに終始する──ひとまず、狙い通りのホラー・アンド・テラーな曲を作ることが出来たのだった。
──ベスト盤制作を終えて──
25周年を迎えて、自分がまだ創作を出来る環境にいさせてもらえることに、感謝の念を禁じ得ません。自分にとって、創作、表現活動に勝る喜びはありません。イメージを形にしていくことの至福。もちろん終わりのない作業ですし、一つ作ったらまた次のもの、とキリがないのですが、それこそが有難いことともいえます。喜びがずっと続くのですから。
苦しくはあります。怠けたくもなります。もともと僕は大変な怠け者で、うっかりすると際限なく眠ってしまったり、関係ない別のことを始めてしまったりします。だからそうならないように、このところは紙に一筆書いて、壁に張っています。まるで出来の悪い受験生のようですが、今張られているのは、
「悩みをつき抜けて歓喜に到れ Durch Leiden Freude」
──これはベートーヴェンの言葉。
「自分がやれることをやらずに死ぬべきではない」
──これは酔っぱらった勢いで、自分で書いたもの。
だらけそうになった時、挫けそうになった時にこれらを見て、自らを鼓舞します。そうして、志半ばで散ってしまった人、安きに流れてしまった人、不如意のままで過ごしている人たちに思いを馳せ、奮起します。
ビーストのコラムにも何度か書きましたが、自分が人生を意識的に生きるようになったのは四十を過ぎてからです。最早何事も他人のせいにはしませんし、ことさらに自分を責めたり、卑下することもありません。おそらく人生とはシンプルなもので、自分が選んできたことの経過なのです。本コラムを書くことによって、折々そのことを確認することが出来ました。感謝しています。
バンド活動も順調にいっています。一点気に掛かるのは、このままでは来年も本コラムの掲載が飛び飛びになりはしまいかということです。限られた時間の中で、もっとやりたいことが出てきていたりもします。怠け者は怠け者なりに、やりたいことに一所懸命励みたく思うのです。これ以上皆さんに迷惑は掛けたくありませんし、名残惜しくはありますが、浪漫派宣言の連載は今回をもって、終了とさせていただきたく思います。長年に渡るご愛読、どうもありがとうございました。
ビーストの継続とご発展を祈っております。これからも、骨のあるロッカーを取り上げて、応援していってください。
皆様の幸せを祈っております。けっしてルサンチマンにはならないでください。自分が放った他人への否定的な感情は、いつか必ず自分に返ってきます。そして画面の向こう側にいる人ではなく、自分の目の前にいるその人を愛してください。愛は彼方にではなく、目の前にあります。
時々は僕たちのことを思い出して、時々は僕たちの世界を訪れて、時々びっくりして、時々応援してください。あなたの人生のすべてはあなたが握っているんですから!
浪漫派宣言
和嶋慎治(人間椅子)