2009年7月14日 TEXT & PHOTO:岡田真理
夕方の大塚駅周辺は、仕事を終えて帰路につくサラリーマンたちや、商店街で夕食の買い物をする地元の人々で賑わっています。駅前の交差点には、雑貨やスナックを売る屋台がいくつか出ており、下町に近い土地ならではの温かい雰囲気を醸し出しています。
1980年代、【FLYING VISION】というガールズバンドでヴォーカルとして活躍していた「Shima」さんは、3年前にこの土地で『FOOD & CAFE BAR SHiMa』を開いたそうです。1980年代といえば、バンド全盛期。1970年代から人気のあった【RCサクセション】をはじめ、【ハウンドドッグ】、【BOØWY】、【THE BLUE HEARTS】や【プリンセス プリンセス】など、当時活躍したバンドの名前をあげればきりがないほど出てくる、そんな時代でした。今回は「Shima」さんに、バンド全盛期のあの頃を振り返っていただき、当時の思い出エピソードや苦労話、そして現在活動しているバンド【音女(おとな)ばんど】についてもお聞きしました。
—最初にロックに興味を持ったきっかけを教えてください。
Shima:小学校6年生くらいの時だったのですが、仲のよかったお友達のお兄ちゃんが、よく【ビートルズ】を聴いていました。
それがきっかけになって、私も洋楽を聴くようになりました。そのうち少しずつ幅が広がっていって、【KISS】とか【Bay City Rollers】、邦楽では【レイジー】なども聴くようになりました。
そのままどんどん音楽にハマっていって、中学生や高校生の時にはライブにもよく足を運ぶようになりましたね。【KISS】のライブに行ったことは、今でもよく覚えています。
—音楽に興味を持ち始めた当時から、「ロックバンドをやりたい」と思っていたのですか?
Shima:いえ、全然(笑)。その時は、まさか自分がロックバンドをやるなんて思ってもいなかったのですよ。
私が実際に音楽をやり始めたのは結構遅くて、短大1年の18歳のときでした。たまたま友達が音楽をやっていて、女性だけのロックバンドを組みたがっていたのですね。
それで私に、「歌えるなら、ぜひヴォーカルとして歌ってみてよ」と声を掛けてきてくれたのです。その時は【ラウドネス】の曲を2曲ほど試しにセッションしてみて、
そのままそのバンドに入る流れになりました。そのバンドが、後の【FLYING VISION】の原型になったというわけです。
—1980年代当時のバンド活動は、今とはかなり違うと思うのですが。
Shima:確かに、ずいぶん違いますね。あの頃は、今みたいに簡単にライブハウスのステージには出られなかったのですよ。
ライブハウスでライブを行うこと自体が大きなステイタスだったし、メジャーデビューにも直結する場所でもありましたから。だからみんな必死にデモテープを持っていったり、
オーディションを受けたりしていましたね。当時はいいバンドがたくさんいたので、ハードルは本当に高かったと思います。
それに、機材も今のようにライブハウスに最初から揃っているわけではなく、すべて自分たちで持ち込んでいたので、それも大変でした。
私たちは毎週2、3回、スタジオに入ってリハーサルしていたのですが、スタジオ代や機材代、機材車や駐車場などもすべて最初は自腹だったのです。
だからバンドの練習をして、アルバイトして、ライブやって、またアルバイトしてお金貯めて、ツアー行って…という毎日でしたね。
—アルバイトというと、例えばどのようなものを?
Shima:レコードレンタル屋さんの店員をやったりとか、音楽スタジオで働いたりとか。あとは原宿の服屋さん、スパゲティー屋さん、喫茶店・・・。
もう数えきれないくらい、いろいろやりました。ツアーに出る前には急ぎでお金がいるので、普段のバイトを休んで、日払いしてくれる製本のバイトをガッツリやりましたよ。
あの当時はバブルの全盛期なのに、私たちはバブルの恩恵をちっとも受けていなくて、ホントに貧乏でした(笑)。でもそれが、すごく楽しくて・・・。
青春そのものでしたね。病気になってもバンドのツアーに行っちゃうくらい、毎日がバンド一色でした。
—【FLYING VISION】の活動展開を教えてください。
Shima:最初は小さなライブハウスから始めて、その当時に流行っていたバンドのコピーが中心だったのですが、どんどんオリジナルの曲も増やしていきました。
ライブの規模も徐々に大きくなって、そのうちホールでも行うようになったり、「明治大学」や「大正大学」などの学園祭にも参加したりするようになりました。
当時デビューしたばかりの【レベッカ】も、同じ学園祭のライブに出演していましたよ。【FLYING VISION】がもっとも活動的だったのは、1984年から1985年にかけての2年間。
当時は全国ツアーもやっていました。1985年には念願のシングル「DREAMY NIGHT」もリリースしたのです。
—ライブなどでバンド同士の交流はありましたか?
Shima:当時は、【44マグナム】、【スナイパー】、【リアクション】、【サブラベルズ】など、いろんなバンドとの交流がありました。
1984年の年末から1985年のお正月にかけて、「鹿鳴館」で『オールナイト・メタルパーティー』というカウントダウンパーティーがあったのですけど、
その時は現在も活躍されているバンドさんともご一緒させていただきました。あの頃は、いろんなタイプのバンドが同じステージに共存するような、そんな時代でしたね。
—その後の【FLYING VISION】の活動を聞かせてください。
Shima:1985年にシングルをリリースした当時、実はメジャーデビューの話もいくつかいただいていたのです。
私たちも、「一生、音楽で食べていこう」と思い始めていました。でもそんな中、いろんな意見のすれ違いがあったりして、私は22歳の時に4年間続けた【FLYING VISION】を辞めることになったのです。
—音楽活動は、その時パッタリ辞めてしまったのですか?
Shima:いえ。その後2年ほど、音楽活動は続けていました。でもバンドではなくて、アイドルの歌う歌謡曲や、
ニューミュージックアーティストさんのバックコーラス的なことをやっていました。でも、ずっとヴォーカルでやってきた自分にとっては、バックコーラスをやることに大きな葛藤がありました。
コーラスって、楽器の一部のような存在だから、自分がそういう存在になっていることに疑問を抱いたというか・・・。自分自身の中でも、
「これはホントにやりたいことじゃない」という思いがどんどん強くなっていったのです。それで、私の場合は女だったので、今から思うと結婚に逃げちゃったのですね。
それが、26歳の時でした。
—結婚後は、しばらく会社勤めをしていたとお聞きしましたが。
Shima:はい。結婚と同時に東京を離れ、名古屋へ。そこで普通の、不動産関係の会社に入って、子供ができるまでの2年間はそこで働いていました。
ただ、それまでの人生とはまったく違うことばかりだったので、戸惑いはたくさんありましたね。バンドをやっていたときは常に、目標、目標、と前に進んでいたので、
それが無くなってしまって、いったい自分が何をやったらいいのか全然わからなくなってしまいました。東京から生まれて初めて離れてみて・・・。
名古屋は知らない土地でしたし、そこには友達もいなかったから・・・。それで、何かやろうと思って、会社でマラソンを始めたりして・・・。
きっとまだ、エネルギーが余っていたのでしょうね(笑)。
—それから16年間、会社勤めをしながら子育てをし、3年前の42歳の時に【音女ばんど】のヴォーカルとして音楽活動を再開されました。復活されたきっかけを教えてください。
Shima:単純に、「そろそろバンド、一緒にやらない?」と声を掛けてもらっただけなのですよ。
昔、同じようにギャルバン(笑)をやっていた今のバンドのメンバーに。その時には、もう子育ても一段落ついていたし、じゃあ、やってみようか、って。
「高校生」や「大学生」の子供を持つお母さんたちのママバンドなので、とってもユルくて年に2回か3回ライブをやる程度なのですが。
何も難しいことは考えずに、それでも『オリジナル』の曲にこだわって、楽しく気楽にやっています。個人的には、【音女ばんど】以外にも、他のバンドに飛び入り参加することもあります。
今年の2月には、【FLYING VISION】の一回限りの復活ライブもやりました。すごく懐かしかったですね。
—【FLYING VISION】の時と比べて、今の音楽活動に何か変化はありますか?
Shima:基本的には何も変わらないのですが、顕著に違いが見えるのは、歌詞ですかね。
あの頃は、愛とか恋とか、「あなたがいないと生きていけないワ」というような、かわいらしい歌詞だったのですけど。
今はどちらかというと「いろいろあるけど、生きていかなきゃいけないじゃん!」みたいな感じです(笑)。「一人じゃないよ!」というように人を励ますような、そんなことをシャウトしています。
—体力は、今でも十分ありそうですね(笑)。
Shima:もちろん年々落ちてきてはいるのですけど(笑)、でも若い頃と比べて、いい意味で「抜き方」がわかってきたような気がします。
ステージが終わってぜいぜいしちゃう、なんてことはないですしね。3年前に復活したときよりも、今のほうがよっぽど元気だと思いますよ。
—今後もバンド活動はずっと続けていくのですか?
Shima:続けられるうちは、ぜひ続けていきたいな、と思っています。【音女ばんど】のメンバーは4人ともみんな「アラフォー」や「アラフィフ」世代で、実は今年、メンバーの子供の中で大学受験を控えた子が3人もいるのですよ。だから、今年は多分、もうライブはできないと思いますけどね。
—音楽活動を再開されたのと同時期に、こちらのお店「SHiMa」も開店されましたね。なぜこの土地に開いたのですか?
Shima:私の地元が「大塚」なのです。偶然にも、この土地でいい物件を見つけることができました。
お店自体は、前からやってみたいなとは思っていました。お店でライブをやってみたりとかして、ここを拠点にロックに携わる人の輪が広がればいいなって。
ロック好きのお客さんで、遠方から来てくれる方も結構いるのですよ。あとは1980年当時に、同じステージに立っていたいろんなバンドの方々が遊びに来てくれたりもします。
細々とやっていますが、バンドと同じように続けられるうちは続けていきたいな、と思っていますね。
—それでは最後に、今後「Shima」さんが達成していきたい目標を教えてください。
Shima:そうですね。「発信していきたい」と思います。今でもロックをやっている若い人たちとの出会いがたくさんあるのですが、
若いミュージシャンで「あ、この子たちすごくいいな」と思うようなバンドを見つけたら、プロデュースするまではいかなくても、
「こういういいバンドがいるよ!」ということを世の中に広められる存在になりたいですね。若い世代と一緒になって、何かを発信していけたらいいな、と常に思っています。
もちろん自分自身のバンド活動や歌うことは、これからも精力的にやっていきたいですね。
ロックママと聞いて、「ちょっと怖めの、ファンキーな感じの人なのかな?」とかなり構えてお店に向かいましたが、実際の「Shima」さんはすごく気さくで、
年下の私から見てもとってもチャーミングな女性でした。ロックの話や1980年代当時の話になると、パッと一瞬にして目の輝きが変わったのがとても印象的でした。
インタビューの間はずっと、店内にはBOSEのスピーカーからハードロックが流れ続けていました。お客さんもロック好きな方やバンドマンが多いそうで、
たまにそうでないお客さんが間違って入ってきても、いつのまにかロック好きに変貌し、中には「Shima」さんのライブに足繁く通うようになった方もいるそうです。
お店の中はロックのイメージとは裏腹に、照明も非常に明るく、木のぬくもりが感じられるアットホームな雰囲気でした。会社帰りに「Shima」さんの作ってくれる晩ごはんを食べ、
ビールと音楽に癒され、そしてロックなトークを楽しんでから家路につく常連さんも多いということです。
懐かしき、ロック全盛期の1980年代。その当時ロックに焦がれた世代であるなら、ぜひ一度ここを訪れて、その頃のバンドエピソードに花を咲かせてみるのもいいかもしれません。
<取材協力>
FOOD&CAFE BAR SHiMa
住所: 東京都豊島区南大塚2丁目42-7 水野ビルB1F
Tel: 03-3946-8281
最寄駅: JR山手線 大塚駅 南口より徒歩1分
営業時間: 18:30〜24:00
定休日: 日・月(貸切・イベントの際は営業)
URL: http://nadia.way-nifty.com/shima/