連載

ママはロッカー_マザー7_あをき

※この記事は取材した2012年のアーカイブです。最新情報ではありません。
※この記事は取材した2012年のアーカイブを一部改訂(2021.2.23)しております。

TEXT & PHOTO:鈴木亮介

「親子で読めるロックマガジン」BEEASTの名物連載「ママはロッカー」。この連載は「ロック1年生」の親世代、ママになってもなおライブでステージに立ち続けるママロッカー達の生き様にスポットをあてたもので、同世代のママさんはもちろんのこと、いずれ「ママ」になるであろうけいおん女子高生たちにも(もちろんボーイズにも)是非読んでいただきたいインタビュー連載です。

連載第7回となる今回は東京都より、あをき(Bass)マザーの登場です。現在、メーカーの海外営業部に勤め、毎朝遠隔地へ新幹線通勤しつつ、1児の母としても奮闘。バンドはDream Theaterのトリビュートバンド・夢劇場IRON MAIDENのトリビュートバンド・アルプスの撃墜王ハイジを掛け持ちし活動中。

mo01m— 可愛らしい娘さんですね。今何歳ですか?

あをき:今度6歳になります。冗談で受けた私立小学校が受かってしまって、私の飲み代とバンドの活動費がますます減ってしまう(笑)

— あをきさんが音楽を始めたきっかけを教えてください。

あをき:私はいわゆる帰国子女ってやつで、小2から中2までアメリカにいたんです。当時住んでいたシアトルは、楽器の素材となるメープル、オークなどの木がたくさんあって、楽器が安いんです。それで音楽がさかんな街だったのですが、学校に音楽クラブがあって、それに所属していれば単位が一部免除になるということで、私も通うことにしました。

— そこでベースに出会ったのですか?

あをき:最初はヴァイオリンを習っていたのですが、そのうち弦の配置が同じベースに興味を持つようになりました。小5で入った音楽クラブではコントラバスをやったのですが、大きいし何か違うなぁと。その後中学に上がった時、ジャズ系のビッグバンドでエレキベースを観て、「自分も高校に入ったらあれをやろう」と決めました。

— それから日本に帰国するわけですね。

あをき:そこで自分の音楽人生にとって運命的な出会いをするんですよ。オーケストラがなかったのでブラスバンド部に入ったのですが、その顧問の先生がちょっとロックな先生で。

— どんな先生だったのですか?

あをき:帰国子女ということで例にもれずいじめに遭うわけですが(笑)そこでその顧問の先生が何と言ったかというと、「いじめられないように練習しまくれ。いじめられないように曲を作れ」と。うん、わかった、と。作曲はあまりできなかったのですが、練習は相当しましたね。ベースだけではなく、中学卒業までヴァイオリンもやっていて、その顧問の先生がヴァイオリンの個人教授を紹介してくれたりもしました。

— そこから音楽にどっぷり漬かっていくわけですね。

あをき:それで高校に入って、本格的にバンドを始めました。高校は全校生徒の3割がなぜかバンドをやり、軽音楽部の部員数が250名。帰国子女が8割という変わった学校だったので洋楽ばかりで日本の音楽はほとんど聴かなかったです。さらに大学がこれまたバンド人口も、有名人も多数輩出しているところだったので、バンドメンバーを探すのには苦労しませんでした。

— バンドではどのような曲をやっていましたか?

あをき:ずっとハードロック系です。Led ZeppelinRainbowDeep PurpleYngwie Malmsteen…その辺ですね。大学に上がってからは本格的にオリジナルをやるようになり、大学卒業少し前にDream Theaterが出てきて、これはいいなぁと思ってプログレ系にも興味を持つようになりました。その前からRushKing CrimsonELPEmerson, Lake & Palmer)、YESUKなども聴いてはいたのですが、本格的にそういういわゆる小難しい音楽をやるようになったのは大学生からですね。

mo07m— プロを目指していたのですか?

あをき:そうですね。中学のブラスバンド部の顧問に出会った中2~中3の頃から意識するようになり、高校に入ってベース一本に絞ってからは、本気で目指すようになりました。当時は女性でベーシストというのが珍しかったということもあります。「女の割にはうまいね」と言われて、その「女の割には」って形容詞どかせよ、って。それがすごく嫌で。今ではほとんど言われなくなりましたけど。

— 確かに、当時はまだ「オンナのくせに」っていうのがあった時代ですよね。

あをき:そう。あるいはアイドル的な扱いしかされなかったり。大学時代はサークルとしても活動しつつ、私個人で雑誌のオーディションに片っ端から応募したり、バイトを通じて知り合ったプロダクションから情報をもらって、音源を送ったり電話して売り込んだりしていました。まだインターネットのない頃の話です(笑)

— ちなみに、憧れていたミュージシャンはいますか?

あをき:誰か特定の個人となると、Led ZeppelinJohn Paul Jonesと、IRON MAIDENSteve Harrisですね。ベーシストだけどすごく目立っていて、こういうのいいなぁと思ってました。あとはBilly Sheehanも、MR.BIGで有名になる前は派手なことばかりやっていて、バンドでは基本ベースには徹しているけど、それでもしっかり自分を出しているのがいいですね。音で主張するベーシストに憧れを持っています。

— それで大学卒業後はどのような進路に進んだのですか?

あをき:そのまま大学院に進みました。就職する気なんてなくて、逃れたいから院に進学して、でもつまらなくてやめてしまって。つまらないというか、バンドをやるにもお金がいるし、院に通うにもお金がいるし、だからガッツリアルバイトをしなければいけない。だけどバイトばかりしていたらそっちの比重が大きくなって、と…

— 忙しくてモラトリアムではなくなる、と。

あをき:語学ができたため、大学生の頃から翻訳や通訳の仕事をしていました。普通のOLよりもお金をもらえていたのですが、その分忙しいし、だったら就職した方がいいかなと思って、ある日スパッと大学院を中退して就職することにしました。

— そこで音楽の道はどう考えたのですか?

あをき:あとは自分の中で「25歳までに芽が出なかったらだめだろう」という考えがあったので、当時まだ24歳でしたけど、もう見込みがないかなと自分の中で判断して、音楽はやめないけど、音楽で飯を食おうとすることはやめよう、と決断しました。

— プロを目指して大学卒業後も一生懸命続けてきたのに、未練はなかったのですか?

あをき:むしろ逆です。一生懸命やっていたからこそ「今日からアマチュア」と、スパッと切り替えが出来たのだと思います。これが中途半端にやっていたら、ダラダラやり続けていたと思います。中途半端に夢を見る、みたいなのは嫌だったので。

— なるほど。そこで就職した後は、どのような人生を歩んでこられたのでしょうか。

あをき:元々学生の頃から、バンドをやりつつ仕事、というスタイルは嫌いじゃなかったので、違和感はなかったですね。生活の心配をする必要がない分、むしろプロを目指していた頃よりも音楽に打ち込むことができました。ある程度余裕がないといい音楽が生まれないのかな、と思います。

— ご結婚はいつ頃ですか?

あをき:今から13年前ですね。出会いはバンドです。25~26歳の頃、バンドメンバーの同級生でお客さんとして観に来てくれたのがきっかけで付き合うようになりました。

— それからお子さんが産まれたわけですが、バンドはずっと続けていたのですか?

あをき:出産のときもバンド活動はほとんど休むことなく続けていました。妊娠4ヶ月くらいまで普通にステージに立っていて、出産した後もそんなにきつくなかったので3ヶ月くらいでセッションに出演していましたが、色々あって、旦那に逃げられました(笑)

— それからはお一人で働いて、子育てもして…ですか?

あをき:この子が2歳の時に離婚しました。私の場合、幸いにしてそれなりの収入はあったので生活には困りませんでした。

— そんな中でバンド活動も続けていた行動力というかエネルギッシュさには脱帽です。

あをき:最初のうちは、娘を預ける時に「今から仕事の打ち合わせで」って言ってスーツを来て出て行って、練習スタジオに行ったりしてましたね。どのタイミングでバレないように楽器を運び出すか…と(笑)。娘が大きくなってからは、練習やライブにもどんどん連れて行きました。子ども用の耳栓を買ってあげて、「メロイックサインはコンコンさんのサインだね~」って。

— いわばメタル版の英才教育を受けてきたわけですね。

あをき:最近はLiquid Tension Experimentが好きみたいです。別にプログレ系を無理やり聴かせたわけではなく、最近になって興味を持ちだしたようです。4歳からバレエを習っていることもあって、ピアノの音が好きなんでしょうね。

— 最近の活動について伺いたいのですが、まず、お仕事はどのような状況ですか?

あをき:5年前に転職し、海外営業の仕事を担当しています。その会社の工場が北関東の県にあって、打ち合わせでそっちに行くことがあるかも…くらいのことは聞いていたのですが、2年前にまさかの事態が。東京のオフィスが全部その県に移転することになり、「ちょっと待て!」と。現地には保育園がないので、なぜか新幹線通勤することになりました。今は毎朝6時半に家を出て、片道2時間以上かけて通勤しています。音楽をやめようかなと思った時期もあるのですが、今やめてしまったらもう再開することはないかなと思いますし、還暦超えてステージに立つっていうのも、見た目が(笑)。とすると、今しかできないので、続けて行こうと思っています。

— そして、今活動しているバンドについて教えてください。

あをき:Dream Theaterのトリビュートバンド・夢劇場と、IRON MAIDENのトリビュートバンド・アルプスの撃墜王ハイジで、それぞれベースを弾いています。夢劇場は13年前から、メンバーを変えつつ続いています。年代構成は20代から40代までバランスよく(笑)。IRON MAIDENの方は最近私が加入しました。私が最年長で、親御さんが私と同年代という若いメンバーもいます。

— 練習の頻度はどのくらいですか?

あをき:Dream Theaterの方は、楽典が楽典だけに、ステージが60分とか90分とかになるわけですよね。ですので家で覚えてくる時間が必要なので、メンバー全員が集まってのスタジオ練習は月1回。ライブ2か月前になったら月2回に増やして、直前はさらに増やします。ライブが終わったら3ヶ月ほど休止します。IRON MAIDENの方は、前の日にちょろっとやればできちゃうので(笑)まぁ適当に。Dream Theaterの方は私がバンマスなのでスケジュール調整もしますが、IRON MAIDENでは若いメンバーに任せています。

— 若いメンバーと関わることが多いと、ジェネレーションギャップを感じることもあるのでしょうか。叱咤激励することもあるのですか?

あをき:今は携帯電話の普及で便利になったこともあって、ドタキャンがしやすくなったというか、平気で「今日来れません」ってメールが来るんですよね。そんな時はとても残念だなあと思います。プロを目指している子達もいるので、アドバイスなんて偉そうなことを言うつもりはないですが、強いて言うなら…仕事でもそうですが、自己管理は大切ですよね。曲作りも自己完結できる方がいいし。海外は演奏税というものがありますが日本には演奏家に対するロイヤリティが存在しないので、ミュージシャンとして食っていくことを考えたら、作曲は出来た方がいいですよね。

— 最後に、あをきさんにとって「音楽」とは?

あをき:プロ志向だった頃は、できあがった曲がマーケティング的に売れることを常に考えねばなりませんでしたが、今はある意味自由になりました。売れるだけではない、本当に自分のやりたい音楽を追究できるようになり、そして皮肉なものでプロ志向をやめてからオリジナルバンドへの誘いがたくさん来て、CD制作やレコーディングにも参加できたりしました。今はPCで簡単にCDくらい制作できますが、当時はまだそこまで生音を簡単にデジタル化できる時代じゃなかったので。自分にとって音楽とは、それがないと生きていけないというわけではないですが、自分のアイデンティティの一つですね。

「これまでの人生を振り返って後悔していることは?」という質問に対し、「プロになることを断念するのがもう少し後でも良かったかな」と答えたあをきさん。ただしその理由は「未練」といった感情的なことではなく、「女性は見た目で評価されることが多いけど、最近は化粧品などの技術も発達しているし、25と決めずに30歳くらいまで粘っていたら、一流にはなれなくてもスタジオミュージシャンくらいにはなれていたかなぁ」とのこと。非常に現実的な視点です。

お話を聴いていると、闇雲に理想論を語るのではなく、ご自身の夢の実現に対して非常に具体的に、現実的に考えていて、だからこそスパッと切り替えてアマチュアミュージシャンとなった今も音楽を通じてキラキラと輝いているのだなと思いました。これからもますますのご活躍を期待します!

◆夢劇場 ホームページ
http://www.yumegeki.jp/
◆アルプスの撃墜王ハイジ ホームページ
http://www.acesheidi.com/