特集

TEXT:桂伸也 PHOTO:曲香

国内のロックシーンの最先端を駆け抜け、輝き続けるフロンティアたちの横顔に迫るインタビュー特集「ROCK ATTENTION」。通算28回目は今年デビュー40周年を迎えた日本ロック界の重鎮、外道の登場だ。
 
BEEASTのライブレポートでも再三紹介してきた外道は、70年代の日本のロックシーンで世界的にもその存在感をアピールしてきた、いわば日本ロック界では伝説的ともいえるバンドだ。ロックレジェンドが多く輩出された70年代のロックシーンの中、ロック発展途上と呼ばれた日本で敢えて日本語によるロックを称え続け、「日本のバンド」というステータスがまったくハンディキャップにならない程の強力な魅力を放ち、海外のロックファンを唸らせ、日本のロックシーンに大きな希望を与えた。
 
現在バンドのオリジナルメンバーは、リーダーでありギタリスト、ボーカリストの加納秀人(以下、加納)のみ。結成当時からその奇抜なスタイルと卓越したギターテクニック、そして刺々(とげとげ)しさと情感を併せ持ったボーカルで日本のロックシーンを牽引してきたカリスマの1人だ。今回はそんな加納にインタビューを実施、彼自身の音楽の生い立ちから外道結成に到った経緯、そこに込めた思いと、これからの外道を、2013年11月6日にリリースされた外道デビュー40周年記念アルバム『魂の叫び』の内容と共に語ってもらった。

外道 加納秀人 コメント映像
最新PV 「心の叫び」
外道
メンバーは加納秀人(Vocal &Guitar)、そうる透(Drums &Vocal)、松本慎二(Bass &Vocal)。
1973年に加納を中心に、青木正行(Vocal &Bass)、中野良一(Vocal &Drums)のラインナップにて、白樺高原音楽祭にてデビュー。1975年 – アメリカ・ハワイの『サンシャインヘッド・ロックフェスティバル』に出演し、日本初のアメリカでのロックフェス出演バンドとなった。そしてアルバムやシングルをリリースしながらも1976年に解散。
 
1979年ころからライブ活動等を再開したが1981年に青木正行が脱退し、再び活動は停止。その後「加納秀人with外道」などのテンポラリな活動を続けながら、2002年にベーシストとして松本慎二を迎え、オリジナル名義の外道としての活動を再開させた。しかし新録のアルバムと複数の音源集をリリースした後に、再び活動を停止。
そして2010年に、サポートとして活躍していたドラマーのそうる透を正式メンバーとし、再び外道の活動を再開。2013年でデビュー40周年となり、記念アルバム『魂の叫び』をリリースした。

 
hana
 

1.「誰かのマネはしなくて、自分のスタイルを作らなければいけない」最初からそう考えていました。

 

外道、そして加納さんのステージを拝見している中で以前から興味深く思っていたのですが、その白いズラと、外道のイメージである鳥居は、とてもユニークなイメージですよね。

 
加納:もともとハワイ公演から帰ってきたころだったかな?そのときがたしか最初だったんですよ、1973年くらいから。外人のプレイヤーは大きいですよね、ガタイが。だから同じようなスーツを着ても日本人の俺は全然かなうはずがないと思ったので、「自分なりの発想でスタイルを決めよう」ということになったんです。
 
それで「俺だったらきっと着物みたいなものが似合うだろう」「それだったら、歌舞伎みたいなものや、日本人独特なものを取り入れていこう」「それなら、日本全国どこに行ってもある鳥居を…これはいいな」っていう具合に(笑)、ドンドンイメージが膨らんだんですよ。でさらに、「じゃあどうせなら」って、日本語のロックを始めたんですよ。
 

—そのころのハワイ公演等、そのころから「世界に飛び出していこう!」みたいな心構えみたいなものもあったのでしょうか?

 
加納:ありましたね。俺がギターを始めたときにデビューしたのがJimi Hendrixだったり、バンドを組んだときにデビューしたのがLed Zeppelinだったりと、何か節目節目で有名なバンドが出てきていたんですよ。だから「俺たちはもっと違う自分たちのスタイルでやってやるぜ!」みたいな。どちらかというとファン意識じゃなくて、同じ土俵に乗ってやるぞ、みたいな、同業のライバルという風にしか見ていなかったんです。だから憧れなんてまったく感じなかったですね。
 

—そうすると、そのときすでに外道は彼らと同等と考えていたのでしょうか?

 
加納:そうですね、あの当時世間で言われていたことは覚えていますよ、「日本の音楽は海外に比べると50年遅れている」って。でも俺は「50年遅れているの?じゃあその遅れを半年で取り戻せばいいじゃん?」って(笑)。そんな考え方なんです。
 
もちろん憧れでやっている人もいっぱいいたんですよ。でも俺たちは普通にライバルとしか考えていなかった。俺が目標としていたのは、「誰かのマネではない、自分のスタイルを作らなければいけない」とか、「自分のギターの音色を持った、自分のスタイル、自分の考え方、自分の言葉」って。それを目指していたら、この外道になったという。
 

—逆にそれは「世界と同等」という命題に対して、その舞台に立てるという自信があったということでしょうか?

 
加納:もちろん!全然負けないと思ったんですよ。むしろ、「(俺たちのほうが)もっといいんじゃない?」くらいに思っていました。結局自分が意図していたわけじゃないけど、自分独自の武器もあったし、俺たちは彼らが真似できない「日本人」だったし(笑)。
 

—ギターを始められたときは、どのような練習をされていたのでしょうか?

 
加納:俺はもともとマラソンでオリンピックに出たいと思っていたアスリートだったんですよ。でも、あるときギターもやりたいと思ったんです。でもどう考えていてもそこに割く時間は一日に3~4時間しかなかったわけですよ。そうしたら「2時間走って、2時間ギターを弾いて」というより、「両方いっぺんにやれば、3時間でも4時間でもできる!」って思ったんですよ(笑)。だから両方いっぺんに、つまりはマラソンしながらギターを弾いていたんです(笑)。
 

—走りながらギターですか?周りから見るとかなり奇抜な感じもすると思いましたが…

 
加納:だから時間帯を夜、暗くなってからにしていたんですよ(笑)。横浜に住んでいたんですが、町から離れたところに走るコースがあって、一本道がずっと続いていて、周りは畑でかつ米軍キャンプがあるようなところがあったんです。そこは夜になると走っていてもほとんど人に会わなかったし、星が光って見えただけ。直線にして大体4~5kmだったかな?
 

—すごい経験ですね。でも、それが現在のスタイルに生かされているということでしょうか?

 
加納:そうですね。気が付いたら歌っているときは俺、マイクで歌うときには立っているけど、ほかのときは走っているんです。なぜなら、走って練習していたから(笑)。走っている方が普通っていうか、俺は走って弾いていたからそれが一番慣れていたんですよ。まだ2メートルか3メートルのシールドしかない時代に、俺は50メートルのシールドを作ったんです。そうしないと走れないからね、ワイアレスシステムなんかない時代だったし(笑)。
 
でもその後、THE ROLLING STONESをイギリスで見たっていうやつと会ったときに、そいつに「Mick Jaggerは3メートルしか動いていなかった。あんたすごいね」って言われて(笑)。それで「あっ、世界にはまだ俺みたいなやつはいないんだ」っていうのがわかったんですよ。だから俺は自分のこのスタイルで行こう、そして自分の思ったことをドンドン生かして、鳥居だの走ることだのって全部、そして自分のギターのスタイルを作っていったんです。
 

—ギターは、どのようないきさつで手に入れられたのでしょうか?

 
加納:もともと自分の持っていたギターっていうのが、当時質屋でオフクロに買ってもらったエレキギターとアンプ、合わせて6,000円くらいのもの。ネックもメチャメチャ太くて、弦高も非常識なくらい高くて(笑)、弦も「これでもか!?」っていうくらい太くて(笑)。そんなやつを普通のギターだと思っていたんですよ。半年ぐらい弾いていたら、指先が割れて血だらけになったけど、「こんなもんなんだ」とか思いながらかまわず弾き続けて(笑)。そんなガキだったんです。だからものすごく太い音が出る。海外のミュージシャンが俺のギターを弾いたら、コードを押さえられなかったんですよ、みんな弦が細いものを使っていたから。
 
俺は弦は「太いのが普通なんだ」って思っていたんです。まるっきりアコースティックギターと同じような感じ。あれでチョーキングとかしていましたからね(笑)。腰を入れないと音が出ないんです。そうしないとまず押さえられないし。外道が解散するまでの15~6年はずっとそれで弾いていたんです。それが当たり前だったし。でもすぐギター(のネック)が反っちゃってどうしよう?と思いましたが(笑)。
 

—「弾けない」と挫折したことはなかったのでしょうか?

 
加納:いや、そういう面で俺はものすごく前向きなんですよ。まったくそんな風に考えたことがなかったんです。だから落ち込んだこともない。押さえられない、っていうギターを持ったときにも、「あっ、こういうものなんだ」って。
 

—「不可能はない」というくらいの勢いですね。

 
加納:そう、名前も「加納(可能)」だし(笑)。「信じればできる」、全部そんな方向に動いたんです。だからあの当時世界の有名なアーティストがいても、全部対等な立場だと思っていました。「いい音が出せる方が先輩だ」くらいに思っていましたし。
 

—逆にそういった経験の数々は、外道をやり始めたときに自分のスタイルに対する自信となったのでしょうか?

 
加納:まったくその通りですね。なぜなら自分と似ている人がどこにもいなかったから。俺が考えていた「こんな風にしたい」というスタイルを持っている人なんてどこにもいなかったんですよ。ブルースだったらブルース、ロックだったらロック、Pink Floydのようなプログレだったらプログレと、それだけをやっている人間はいたけど、俺は全部をやっていたんですよ。何をやってもOKで、外道っていう枠に全部入っちゃう。
 
ジャンル分けなんて不可能で、外道スタイルっていうしかない。実際にジャズもフラメンコギターみたいなのも全部いっしょにやったこともあるし。さらに歌も歌えば、曲も作るし。ましてや走るのも大好きだし(笑)。その当時みんな普通に頑張っていたのに、俺は走り回ったり、万歳三唱をやったり、「外道ダンス」とか。いろんなことを1970年代の最初からやっていたんです。
 

外道を始める前に、ギターで影響を受けられたアーティストはいますか?

 
加納:ギターを始めたころには、テレビでB.B. KingとかAlbert KingFreddie Kingなんかが夜中に出ていて、それを見て「こういうギターってあるんだ、いいなあ」って思いましたね。で、それで影響を受けたんですよ。それからは一日テレビを流して、真面目に学校を休んで(笑)、テレビに合わせてギターを弾いたんです。ニュースが流れたらそれに合わせて音楽をつけてみたり、そうやってテレビに語りかけたり。何かの機会で絶対に誰かの影響を受けてはいると思いますね。
 

—ご自身にとってのヒーローはいなかったのでしょうか?

 
加納:いや~ジャイアンツの長嶋さんとか(笑)。憧れて「あんな風になりたい」みたいな人はいませんでしたね。Jimi Hendrixが出たときも「そのうちいっしょにやる機会があるかもな」っていうくらいの感じだったし。あくまで自分のスタイルを作るのが基本、オリジナルから始まったんですよ。音源が残ってないのでどんなボロボロの曲を作っていたかは覚えていないけど、最初からそうでした。
 
その代わり、たとえばどこかのドサ周りをしなければいけないときもあったけど、そのときは誰かの曲をやらなきゃいけない、そういうときは曲をガッと聴かされて、一回でそれが弾けるようにならなきゃいけない。そういうことをやっていたので、耳がかなり良くなりましたね。
 

—それが加納さんのバックグラウンドになったということですね。

 
加納:そう。そんな仕事をずっとやっていたので、好きとか嫌いじゃなくていろんなものを肥やしにしてきたんです。またあるときは、音楽だけじゃなくて、たとえば車でドライブに行って富士山とかをパッと見たときに、それを見たときに「いいなあ」「気持ちいい」と感じたら、それがギターを10時間練習するよりはるかに良いこともある。誰かの曲をコピーなんてしてきていないんですよ。だから知らない曲は多くて、仕事で弾いたときに周りの人はみんな知っているけど、俺だけ知らないということもたまにあるんです(笑)。日本ってモノマネってはやるじゃないですか?あれは見てる分にはいいけど、自分はやりたいと思わないんですよ。モノマネなんてしたくないし、自分は自分でいたいと思う。そんな風に昔から思っていました。
 

2.ただ「世界で一番すごい音を出したい」、「世界のどのバンドとぶつかっても負けないライブバンドを作りたい」その二点だけに興味があったんです。

 

—ではそういういきさつから音楽に進んだというときにも、海外と日本のシーンの差は、ご自身には感じられなかったということでしょうか?

 
加納:そうですね、当時俺が始めたころはまだ日本のロックってなかったんですよ。今でいうロックっていうのは、海の向こうの音楽を英語で歌うことを言っていたので、日本語でロックなんて「そんなのは無理!」って言われていたんですよ。ましてやロック自体が「そんな音楽は不良だ!」って言われて、それこそギターを持って電車に乗れば、サラリーマンに止められてぶっ飛ばされそうになるくらいの時代でしたから。まるで悪いことしているみたいに思われたんですよ(笑)。
 
そんな時代に、「そのうち若い連中は歌謡曲だなんだというのを辞めて、みんなロックだ!って言うようになる」と俺は言っていたけど、そんなのは誰も信じてくれなかった。でも結局時代はそうなりましたね。いろんなロックが出てきたから、自分が思っていたものとはまた別の方向に時代は進んでいますが、まあそれはそれということで。ただ俺はそんなことを言いながら我が道を進む、という姿勢を崩さなかったんです。
 

外道という名前をつけた理由とは、そこにあったのでしょうか?

 
加納:そうですね。別に「みんなから外れよう」というのではなく、周りが何と言おうが、自分の信じた道を進む、ということを表すがゆえに「外道」という名前をつけたんです。「間違っていると思われていること、それは本当に間違っているのか?」「正しいということは、実は正しくないのではないか?」そんなことに対して、実は人間って何も知らないのに知ったかぶりしているだけなんですよ。だって死んだ後に人間はどこに行きますか?って聞かれたって誰も答えられないですよね?
 
唯一何か感じられるのは、神様がいろんなことを発している、それを自分の魂か何かで、「もしかしたら、これはいいことかもしれない」「これはだめかもしれない」とか、いろんなことを「何かを直感で感じた」って。そういう感覚をもっと鋭くすれば、もっといろんなことを知ることができるかもしれないけど、たまたま人間がそういう風になっちゃったんで。だから俺は感性とか直感っていうのをすごく大事にしたいと思っているんです。だから人が進む道と違う道かもしれない、っていうところを敢えて進もうとすることでその名前にしたんです、実際にはね。
 

外道の始動のきっかけとは、どのようなものだったのでしょうか?

 
加納:あるときにアメリカ人のブルースミュージシャンが日本に来ていたんですよ。それでバックミュージシャンをやってくれって頼まれたことがあったんです。キーボードが近田春夫、ベースが岡沢章、ギターが俺、といったメンバーでやったときに、お客が黒人ばっかり入っていたんです。そこでブルースをやったときに弾き終わって楽屋で待っていたら、お客がみんな泣いていたんですよ。
 
「へぇ~歌の人、相当上手いんだな」とか思っていたら、マネージャーの人が慌てて楽屋に入ってきて、「ギターが最高だったぞ!みんな感動して泣いていた。俺、全部の仕事を辞めて、お前(加納)と仕事をやりたい」って言ってきたんですよ。それで、「お前の好きなことをやってくれ」って言われて作ったのが外道だったんです。だから外道ってもともと俺のやりたいことをやるために作ったっていうのが発端で、ドラムとベースは「俺の好きなことをやるから、それに合わせてね」っていう感じだったんですよ。
 

—では外道という存在は、あくまで加納さんの思いという部分が中心ということですね。

 
加納:もちろん。それプラスでみんなの思いも入ってくるから、トリオ構成で1人と2人、イコール3ではなく、5にも6にもなるようになっているということです。それで外道という世界をみんなで作り上げて、いっしょに楽しんで、という感じ。それに加えて作り上げるという喜びというものもありますし。
 

—そのイメージが最初に外道の中でどんな形としてできていたのでしょうか?

 
加納:最初に俺が一番表現したかったのは、まず俺の中で言いたいことを詞にしていきたいということ。「レコードを出す」ことなんて興味なかったんですよ。テレビなんかにも興味がなかった。ただ「世界で一番すごい音を出したい」、「世界のどのバンドとぶつかっても負けないライブバンドを作りたい」その二点だけに興味があったんです。まずはその核となるものを形成する。そのためにメンバーをチョイスして、「俺の思ったとおりにやってくれ」って頼みました。それを母体として作り出したんです。
 

—そのスタイルを、どのように具現化していこうと考えたのでしょうか?

 
加納:そのときにちょうど運のいい仕事があったんです。全国の市民会館という市民会館を全部回る仕事で、ホールクラスで全国を回る、外道と湯川れい子さん、福田一郎さん、その他にも何人かいたんですけど、その回ったときに、俺たちの音楽初体験のお客に対して毎日詞を変えてみたり、演奏スタイルを変えてみたり、1,500~2,000人規模のホールの中で、「自分が何をしたいのか」っていうのを試すことができたんです。PAもなければ、あのときは楽器も普通の生音。ボーカルはあのエコーがついているマイクだけ、そこで回っているときにいろいろ試すことができたんですよ。
 

—「曲を作ってライブに臨む」のではなく、「ライブで曲を作っていた」ような状況ですか?

 
加納:そうです。そういうことがいくらでもできたのですが、演奏を始めた途端にみんな口を開けてポカーンとしていた。それで最後までですからね(笑)。みんな、見たことも聴いたこともなかった音楽だし、ましてや俺、走り回っていたわけじゃないですか(笑)。そういうときに、ある地方のステージで山本恭司が前座になったとか、そういう時代だったんです。あれを見てミュージシャンになった人がものすごく多いんですよ。
 

—「こういうサウンドにしよう」という理想像があったというわけではないのでしょうか?

 
加納:いや、ある程度やりたいサウンドというものはありましたね、俺の頭の中には。だからその音に合わせてそういうタイプのミュージシャンを育てながら、って考えていました。
 

—今にいたるまでにさらにそれは徐々にスタイルを変えていったということでしょうか?

 
加納:いや、たとえばギターでいうとJimi Hendrixとでもやれるようなレベルは持っておかなければいけない。フロントマンとしてはMick Jaggarが3メートルしか動かないのに対して俺は50メートル動ける。ロックンロールでもバリバリいける。でもファンキーなのも、重たいPink Floydみたいなものもできる、誰と何をやっても全部いける、そんなものになりたかったんです。それを誰もやっていなかったから。その意味で誰とやっても負けないバンドにしたかった、というのがやりたいところ。
 

—そういう意味でいろんなスタイルが外道としてはそれぞれの時代にあったけど、それはスタイルを変えたというよりは、「すべてのスタイルを包括する」という目標の一端である、ということでしょうか?

 
加納:そのとおりですね。だから新しいスタイルを出すたびに、人には「変わった」とよく言われましたが、実は全然変わっていないんですよ。「ハイビスカスレディー」っていうまるっきりポップスのナンバーを作ったり、ロックンロールもやったり、あとドラムのやつに演歌を歌わせたりしていましたからね、平気で(笑)。だから「音楽であればいい」。その中で自分たちができる感じをやっていくという。本当に全部やっちゃうとえらい時間になってしまうのでやらないだけなんですが(笑)、その時代に合わせてあるものをやっていたりするだけなんですが、実際は全部できる中の一部をそのときそのときに出しているだけなんですよね。それが最初に出したコンセプト。
 

3.「やり切った」なんて思いは微塵もないですよ。

 

外道というバンドが途中で解散の局面を迎えたことが現在まで何度かありましたが、それは40年の中で外道でやりたいと思っていた流れが途切れたという意識もないということでしょうか?

 
加納:そうですね。たとえば途切れた時があると思われている人もいるようですが、俺の中ではその途切れた時間も全部つながっていたと感じているんです。その時代それぞれに「今外道が必要なのか?」と問われたときに、必要だとなったときにはがーっ!と出てくるし、逆にそれほどでも、っていうときには違うことをやって違うエネルギーを貯めているんです。だから、解散しているときすら外道の歴史の一端という認識なんです。
 
たとえば人間だって結婚したり離婚したりっていうことがあるじゃないですか?(笑)。でもそれはたまたまそうなったというだけのことであって、自分の人生はずっと続く。別にそこでものすごく大きな変化ってないと思うんですよね。そんなに人間って変われるものじゃないと思うし、実際変わっていないと思うんですよ。その中でいろんなことがある。そういうことだと思うんです。
 

—ゆるぎない信念ですね。

 
加納:ただ、必ずいくつかある選択肢の一つを選んではいると思うんです。それで自分のスタイルや生き方、人生やいろんなものを出していくんだと思うんですけど、こうやって考えると俺は一貫して自分のやりたいことをやってきている、結局はね。そしてそれはこれからも続けていかなければと思います。で、二十代のときとそんなに気持ちが変わらないんですよ、燃えていて。ただ気が付くと、一歩距離が短くなったかな、っていう。体の距離がね。走るスピードがちょっと鈍くなったとかね(笑)。気持ちとしては全然。
 
だから「あのときに今のこの感じがあればよかったな」とか、もっとわかってきた。その繰り返し。十代のときに聴こえていた音楽が、二十代の後半で弾けるようになったし、二十代で「もっとこんな音を出さなきゃ」って思った音が三十代後半になると出るようになった。今やっているのは四十代、五十代に出したかった音なんですね。で、今聴こえてくる音は、あと100年生きていれば。外道150周年?(笑)。でもそれくらいの気持ちなんですよ。今気持ち的にはやっと青年になれたかな?っていう感じなんですよ、六十代になって。これからノッていくなって。
 

—今年デビュー40周年という節目という時期ではありますが、当初外道でやりたいと思われたことは、ご自身に何らかの達成感はありますか?

 
加納:いや、ないですね。達成なんて一生できないでしょうし。そんな感覚を味わうのなら達成したいつもりでやっていかなければいけないし、もし俺のやりたいことが達成できたとすれば、世界は平和になっていると思うんですよ。金で人をだます人間もいなくなるだろうし、天国みたいな世界になっているといいなって思っているんですけど(笑)。あと100年くらい生きられればもうちょっとパワーが出てくるかなって思っているんですけどね。そういうことをやりたいと思っているんです。ただ音や曲がどうのこうのっていうレベルじゃないんですよ、最初から。
 
それに対して俺のやりたいと思う気持ちはドンドン膨らんでいく。だからやり切ったなんて思いは微塵もないですよ。「やり切った」じゃなくて、「もっとやんなきゃ」なんですよ。今はまだ日本をちょこちょこ動いているだけだし、世界中もいっぱいあるし、本当に大変。あと1,000年くらい生きなければね(笑)。ただ、40周年という節目で自分的に思うのは、気持ちが変わっていない中で、「オレは結構歳をとったな?」と感じること。早いな、こんなに早かったか?って。十代のときの感覚より歳をとると、時間の経過が早く感じられるんですよね。でも世の中は相変わらず悪いことばっかりでやらなきゃいけないこともいっぱいあるから、死んでいられない。死んでもすぐ生き返ってまたやっていたいくらい(笑)。
 

—アルバムのお話をお伺いできればと思いますが、今回のアルバムに収録された新曲は今回のために書き下ろしたものですか?

 
加納:そうです。実はアルバムレコーディングの一週間前にできた曲なんです。一週間前にはできてなくて心配になったのですが、それが一週間前でバタバタっと降りてきて、「さあやろう!」となった曲なんです(笑)。
 

—今まではライブアルバムでのリリースがほとんどだったということですが、これが今回スタジオ録音ということにこだわった理由は何かあるのでしょうか?

 
加納:いや、スタジオ盤っていうのはなかなかやる機会がなくて、面白いしやりたかったけど、今回はたまたまできるので、みんなも聴きたがっているだろうし。「ビュン・ビュン」と「香り」っていうナンバーは、外道名義ではスタジオ盤では初めてなんです。ライブでしか出ていない。だから記念すべき作品なんです。今まで50枚くらいリリースしたのに、そういうものがなかった。代表曲なのに(笑)。
 
外道にとっても歴史的だけど、日本のロックと言われているジャンルの音楽の中でもこのアルバムは貴重品だと思いますね。ある意味このアルバムは日本のロックが動いていくべき方向を示していると思うんです。それと俺のギターももともとブルースから始まっているし、夜中にB.B. KingとかAlbert KingFreddie Kingがいいなと思ってやっていたんですよ。それが今回はキングレコードからのリリースですからね(笑)。まさに俺の「叫び」が届いたというか(笑)。
 

—『魂の叫び』というタイトルには、どのような思いが込められているのでしょうか?

 
加納:いや、それも俺の思いというよりは、おそらく宇宙から来たんじゃないかと思っています(笑)。まず曲が何をやるかもまったく決まっていないのにアルバム制作が決まった時に、タイトルは?と聞かれたら、『魂の叫び』っていうのがスッと出てきたんです。それがどんな「叫び」なのか、どんな音楽なのかはまったくわからなかったのに。それで待っていたんです、『魂の叫び』の曲ってどんな曲なのかって。で、レコーディングの一週間前に時間ギリギリでやっと来たという(笑)。そのエピソードからも、『魂の叫び』ってそういうものなのかな、って。
 

—今回、改めてスタジオレコーディングにこだわった意図は何でしょう?

 
加納:まずスタジオで何かちゃんと録りたいっていう思いがあったと思います。ライブでコーラスがいっぱいあるようなものをちゃんと録ったことが一度もない。確かハワイでコンサートをやった後のパーティーで、ミッキーカーチスが何か音を録っていて、それが気が付いたらそのままリリースされていた、みたいなのがよくありましたけど(笑)。だから「ちゃんと録りたいな」とは以前から思っていたんですよ。
 

—「YELLOW MONKEY」「ビュン・ビュン」「香り」と、外道の歴史を語る上では外せないナンバーをそろえましたね。楽曲としては新曲が8曲ということですが、以前の楽曲を意識したところは強いのでしょうか?

 
加納:「YELLOW MONKEY」って、ところどころの節目で出しているので、現在の「YELLOW MONKEY」を出したいなって思っていたんです。何か「こういうのをやれ」という思いが湧いて出てくるんですよね。
 
それと「ビュン・ビュン」と「香り」は初めてのスタジオ録音だったし。全部ほとんどこんな感じなので、俺自身が古い曲に対してつながりを感じて、「これに対して新曲はこれ」なんて選べないんですよ(笑)。降りてきた曲をそのままやっていくだけという感じ。だから無理やり作った曲なんてないし、聴こえてくる曲をそのまま表現しているだけという感じなんです。
 

—たとえば「この世界に」っていう楽曲の「危ないぜ 危険なのさ」などという詞の表現を見ると、とても表現しようとしている内容が、若く尖(とが)った印象も受けました。ある程度経験を経ると、詞の調子も内容も変わってくる方も多いと思うのですが…

 
加納:そうですか?うれしいですね(笑)。体が歳をとって見えるだけで、実際には若いんですよ。ものすごくドンドン若くなっているんですよ。やりたいこともドンドン増えているし、ものすごいパワーを持っている。体がついてくるかどうかなんですよね。だから鍛えなきゃいけない。そう思っているくらいで、今を大事に生きているし、今を一生懸命、生きたいと思っているんです。それがドンドン詞になっていると思うんです。
 

—そういう意味では先程言われたように、このアルバムを出したことも「やりたいことをやっている、その一部」という位置づけなのでしょうか?

 
加納:そうですね。今日できること、今できるということ、というのを続けてきているんです。明日になればまた明日やりたいことっていうのが出てくるし。
 

—では最後に、直近ではリリースライブツアーなども控えていますが、今回のリリースを含め今後の意気込み的なところをメッセージとしていただければと思います。

 
加納:そのときにできる最高のものをやっていきます。ベストを尽くして、やらなきゃいけないこともいっぱいあるので、そのときに「これだけは最低限」なんて考えずに、素晴らしいことをいっぱい、思いつくこともドンドンやっていきたいと思います。
 
まず「外道」を体験してもらいたい。生の外道を。もちろんCDを聴いてもらってからの方がいいとも思いますけど、それをドンドン人に広めてもらえれば。本当に魂から訴えかけていくので、そんなところをぜひ体験してもらいたい。体験してもらえれば絶対わかってくれると思いますので。俺たちが生きている間じゃないと体験できないしね(笑)。
 
hana
 
インタビューで加納が語った、「どんなバンドにも負けない音を作る」「音楽で世界を平和にする」という目標は一見、荒唐無稽なものに見えるかもしれない。しかし彼の言葉の端々には、何かそこに向けての具体的な指針が存在しているようにも見えた。
 
外道 2012/05/30 @原宿クロコダイル』のライブで、1人の観衆がこう叫んだことを思い出した。「秀ちゃん最高!!」そこに、加納の理想する目標の一端が表されているのではないだろうか?もし彼のギターや歌、そして外道の音楽が真の意味で最高と、人類が1人残らず認められれば、彼らの行っていることは音楽という一つのジャンルを超越し、人々の感性や考え方に影響していくことだろう。音楽は多くの人をつかむことができ、人々を動かす可能性を秘めている。彼はそんな音楽の力を信じて疑わない。だからこそ外道は、40年という長きに渡っての活動を成し遂げることができた。
 
音楽だけで世界に大きな動きをもたらすことはできていないかもしれない。しかし、そのライブステージを踏むごとに彼らは多くの観衆に心躍るような衝動と、音楽を楽しむひとときを与え、確実に人々の気持ちを揺り動かしてきた。そして加納の言うとおり、外道はこれからもまったくかげりの見られない魅力を見せ続けていくことだろう。まだ外道を知らないロックファンも、ぜひ一度彼らを体験してみてほしい。きっと「秀ちゃん最高!!」と心の底から叫べるような素晴らしい瞬間が待っているからだ。

Photo
外道『魂の叫び』
発売日:2013年11月6日
KICS-1979/3,150円(税込)
M01. 虹の彼方から(新曲)*インスト
M02. この世界に(新曲)
M03. 心の叫び(新曲)
M04. マイラブ(新曲)
M05. Rock’n Roll マウンテン(新曲)
M06. そんな
M07. Hey Rock’n Roll 外道(新曲)
M08. 横浜スイートブルース(新曲)
M09. YELLOW MONKEY
M10. ビュン・ビュン
M11. 香り
M12. 記憶の向こう側へ(新曲)*インスト
全曲作詞・作曲:加納秀人
*M10のみ 作詞:加納秀人、中野良一、青木正行/作曲:加納秀人

 

【ライブ情報】
-外道結成40周年&レコ発LIVE TOUR 2013-
 
2013年11月13日(水) 【東 京】渋谷duo MUSIC EXCHANGE
2013年12月21日(土) 【埼 玉】北浦和エアーズ
2013年12月22日(日) 【栃 木】佐野ダイニングバーken
2013年01月13日(月) 【東 京】渋谷CLUB CLAWL
2014年02月07日(金) 【愛 知】名古屋TOKUZO
2014年02月08日(土) 【大 阪】堺TICK TACK
2014年02月09日(日) 【大 阪】心斎橋soma
and more・・・

 

オフィシャルサイト
外道オフィシャルサイト
http://www.ainoa.co.jp/music/gedo/
加納秀人オフィシャルサイト
http://www.geocities.jp/guitarmanhk22/

 

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