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Let The Music Do The Talking 〜テイク5

TEXT & PHOTO:岡田真理

Photo1990年代、数々のビジュアル系ロックバンドがミュージックシーンに新たな旋風を巻き起こした。その先駆け的存在として世に知られているのが、1989年12月に「ドリーミングナウ」でEPIC SONY(後にKi/oon SONY)からメジャーデビューしたバンド、AURAである。当時、音楽番組やバラエティー番組で彼らの姿を見た人も多いのではないだろうか。
 
AURAは人気絶頂の1992年、わずか3年で活動休止を宣言。以降14年間の沈黙を経て2006年に活動を再開した。そして結成から20年を迎える今年12月、「渋谷club asia」にて20周年記念ライブ『AURA Birthday LIVE!!! 20thコレって成人式?!』を行うことが決定。今回はドラムのKoREDSが、デビュー当時、活動休止期間、そして再開から現在までを振り返りつつ、20周年ライブに対する熱い思いを語ってくれた。
 
果たして空白の14年間、バンドメンバーがそれぞれどのような時を過ごし、それが活動再開後のAURAにどんな影響を与えたのか。そして彼らは、どのような思いを胸に20周年ライブに臨み、これからどう進化を遂げていくのだろうか。

—2006年、AURAは14年の休止期間を経て活動を再開しました。そのきっかけを教えてください。

 
KoREDS:AURAの音源を出そうという話が浮上して、それがきっかけになりました。デビューした当時も今も、僕らは「目黒ライブステーション」というライブハウスをホームグラウンドにしていますが、そこのオーナーが最初の所属事務所の社長でした。活動休止後も社長とはずっと付き合いがあって、ある時「まだベスト盤が出てないから出したい」という話を持ちかけてくれたのです。僕たちは、決して喧嘩別れをして活動休止したわけではなく、年に何回か会ったり、一緒にイベントをやったりしていたので、実はベスト盤の話があるのだと相談してみました。
 

—ベスト盤がトリガーになったのですね。

 
KoREDS:そしたらメンバーも、いいね!いいね!となって。その時、ライブステーションが20周年記念イベントをやるとのことで、そこで一回だけライブをやらないかと社長から提案がありました。それと活動再開が、うまい具合にリンクしましたね。ベスト盤をレコーディングしているうちに、この辺で活動再開も必然だね、という話の流れに自然となっていって。その数年前にはバンドの再結成ブームがあって、その時期にはよく「活動再開しないの?」と聞かれましたけど、それに乗っかるのはなんとなくイヤだった。でも時期的にはそのブームも終わっていてタイミングもよかったし、じゃあやろうということになったわけです。
 

—14年ぶりに活動を再開し、昨年には新曲のみを収録したミニアルバム「未来SOUL」もリリースされましたね。ズバリ、再開してみてどうですか?

 
KoREDS:自然でしたね。しっくりくる、という感じです。例えば、昔の友達とか一年以上連絡取っていない奴とかって、会っても「おお、久しぶりだな。元気か?」って懐かしくなるけど、そういう久しぶり感がまったくなかったですよ。ついこの前までずっと一緒だったみたいで。とにかく違和感がなかったです。やっぱり必然だったのかなと思いますね。イコールそれが自然体になったというか、そんな感じでした。
 

—当時、たった3年間だけの活動だったにも関わらず、14年のブランクがあっても違和感がない。きっと濃い3年間だったのですね。

 
KoREDS:あっという間の3年間でしたね。アマチュア時代は、ライブ動員数が100人くらいだったけど、それ以上はなかなか伸びなかった。それが「イカすバンド天国」という番組をきっかけにして、チケットはどのライブもソールドアウト。いつの間にか、こっちがレコード会社を選べるくらいの立場になってしまって、あっという間にデビューが決まりました。いきなり忙しくなりましたよ。それに、まだ地に足がついていなかったから、最初の1年は物事を冷静に考える余裕もなかったです。
 

—イカ天がターニングポイントとなり、急にスターの仲間入り・・・

 
KoREDS:ついこの間までド!アマチュアのバンドですよ。吉野屋の牛丼がディナーで、ポケットに小銭しか入ってないような。それが取材に行けば何でも好きなものをご馳走してもらえるし、テレビに出たいと思えば「ミュージックステーション来週決まったよ」って言われるし。今日は取材何件、来週はレコーディングと、知らないうちにどんどん物事が決まっていって、僕らはそれについていくのが精一杯。いつのまにかファンもどんどん増えて、どこに行っても騒がれる。夢に描いていた光景が、いきなり現実になってやってきたから、戸惑いはあったし、人気があるという感覚もなかった。ようやく地に足がついたのは2年目からですかね。
 

—1年目はわけもわからない状況。そして2年目から何かが変わってきたと。

 
KoREDS:気持ちにゆとりが出てくると同時に、今度は不信感を抱き始めました。僕らには「ロックバンドとして意義のある曲を世に出していいライブをやる」という本来のロックバンドとしての考えがあったにも関わらず、ビジュアルが先行する。雑誌の取材でも、音楽性の質問ではなく、好きな芸能人は誰ですか、パンツの色は何色ですか、なんて聞かれたりして…。要するに、アイドル的扱いですよね。そんなことに違和感を抱くこともありましたけど、まぁ今振り返れば、とにかく何もかもがむしゃらにやっていました。そういう時期を共有できた者同士だからこそ、14年のブランクがあっても違和感がなかったのかもしれません。
 

—当時と今とでは、音楽性の違いなどはありますか。

 
KoREDS:基本的には変わらないですね。AURAは昔からダーティーなイメージではなく、『ラブ&ピース』というベースで音楽をやっています。簡単に言うと、ローリングストーンズというよりはビートルズ。これからも発信していくメッセージは、『ラブ&ピース』がベースで、それは過去も現在も未来もずっと変わらないでしょうね。

—ところで、1992年の活動休止の理由は、いったい何だったのでしょうか?

KoREDS:最近ではもう、ぶっちゃけた話をしていますが、実は当時所属していた事務所とのゴタゴタがあって。(※ライブステーションとは別の事務所。)簡単に言うと、事務所が夜逃げしちゃったわけです。その後レコード会社であるEPIC SONYさんがバックアップはしてくれたのですが、物理的にも継続が厳しくなってきてしまった。そこで、とりあえずここで一旦バラけようという話になったのが活動休止のきっかけでした。

—2006年までのAURA活動休止中、その間のメンバーの活動状況を教えてください。

 
KoREDS:ボーカルのReds☆は、本名の白鳥智士名義でソロ活動をやっていて、あとは△THE ORANGEというバンドを組んで活動していましたね。ギターのPieはステージに立つことはなく、中村あゆみさんや中森明菜さんなど、多数のアーティストに作曲家として楽曲提供をしていました。ベースのMarbleは、ラグタイムというバンドを作って音楽を続けていました。
 

—形は別にして、音楽活動は継続されていたのですね。KoREDSさんは?

 
KoREDS:僕は93年から新たにバンドを作って、3年くらい活動していました。バンド活動は止まることなく、ずっと続けてやっていました。他にも聖飢魔IITHE OUTSIDERSCATS IN BOOTSなどで活躍していた大橋隆志君らと、99年くらいまでやっていたバンドもありました。あとは、いろんなバンドやアーティストのレコーディングに参加したりとか、人のバックで叩いたりとかもして、2000年になって自分がボーカルでPIRANHAというパンク系のロックロールバンドを結成しましたが、2005年に僕は脱退しました。分かれていた14年間も、AURAメンバーはそれぞれ別々にそれなりに活動をしていましたね。
 

—再結成して、スタートを違和感なく切ることができたということですが、90年代初期と2006年以降では、音楽を取り巻く環境は時代背景とともにガラリと変わりましたよね。

 
KoREDS:あの頃はバンドブームというデカい流れがありましたから、現在とはやっぱりどこか違うのでしょうね。僕らは活動休止期間中、自分たちなりにいろいろと試行錯誤してきました。僕自身も、自分のやりたいバンドをいくつか立ち上げてやってきて、一つの核となるバンドをAURAと同じように売り出したかったこともあるし、逆にこっちのバンドでは売れなくてもいいからやりたいことだけをやっていきたいと思ったこともありました。そんなふうに自分の音楽性に対するこだわりを突き詰めた結果、時代背景や流行のことは考えなくなりましたね。
 

—それぞれ個々で活動して得た新たな価値観が、新生AURAに還元されているようですね。

 
KoREDS:僕のことで言えば、ステージに立つ以上120%の自信を持ってやれるようになりましたね。例えば、昔はお客さんが1000人のライブと10人のライブだったら、確実にテンションの差がありました。でも今は、お客さんが例えたった一人だとしても、自分の貫いているものをステージで見せることができるという自信がありますよ。どんな場面でも、気持ちが揺れることなく、僕の音楽を届けることができます。
 

—ファンにとってもそれはうれしい話ですね。

 
KoREDS:あのね、僕らってホント、アホですよ(笑)。これしかできないですからね。でも、これしかできないからこそ自信持ってやっているし、それが強みになっているのかもしれない。だったらそれでいいのかな、って最近は思い始めています。答えは、まだ見えないですけどね。これが音楽をやっていることの答えなのかな、って。まだ完全に答えが出たわけではないですが。
 

—せっかくなので、KoREDSさんご自身の音楽のルーツもお聞きしたいのですが、音楽の世界に入ったきっかけを教えてください。

 
KoREDS:元々RCサクセションとかも聴いていましたが、ロックに入ったいちばんのきっかけはTHE STREET SLIDERSですね。僕が中3の時でした。山下久美子さんの、「赤道小町ドキッ」で激売れした直後のニューアルバムを買いにレコード店に行ったら、とてもガラの悪いポスターがあって、それが物凄いインパクトで。僕は、リーゼントに剃り込み入れて長ラン中ランというのは好きではなかった。でも不良には憧れていて、そのポスターを見てコレだ!と思ったわけです。高校に入ると、音楽に詳しい奴がいて「こういうの聞いてみたら?」って44マグナムのレコードを渡されました。日本人なのに金髪で、目が緑ですよ。すごい衝撃でした。それからしばらくは、ハードロック一色でしたね。
 

—ドラムというパートを選んだのはなぜですか?

 
KoREDS:僕が生まれて初めてステージに立ったのは中3の文化祭。その時は歌が上手い奴がいたので彼がボーカルをやって、もう一人ベースをやりたいと言う奴がいました。で、僕ともう一人がギターをやりたいとお互いしばらく譲らなかったけど、そいつが先にギターを買ってしまったので、自分がドラムをやることになったという流れです。結局、余ったパートだったというのがドラムを始めたきっかけ。ハズレくじだったわけですよ。その時はRCサクセションの「雨あがりの夜空に」をやることになって、僕が試しにドラムを叩いてみたら、意外と8ビートが形になっちゃった。お、できるじゃん!て(笑)。
 

—どうしてもドラムをやりたくてやったわけではないのですね。今後ギターや違う楽器をやってみる可能性もありますか?

 
KoREDS:僕はね、パートや楽器に関しては執着心がないし、あまり「ミュージシャン」とか「アーティスト」とかって呼ばれるのも好きではないです。「ロック兄ちゃん」でいいですよ。僕は何よりステージにいることが好きで、ライブがすごく好きなので、ロッカーとしてステージに立っていれば、極端な話ですけどタンバリンでもカスタネットでも何でもいい。今もPIRANHA69KINGZというバンドでボーカルをやったりとか、アコースティックデュオをやってみたりとか、いろいろやっていますしね。ロッカーとしてステージに立てていれば僕は本望。まぁ、もっと真剣にドラムやれよって周りからは言われますけどね(笑)。
 

—さて、AURAは結成から今年で20年という節目を迎えるわけですが。

 
KoREDS:まぁ、20周年記念ライブと言っても、14年休んでいましたけど(笑)。メジャーデビューしてからは、確かに20周年なのでね。僕らは、最初の3年間のことを、一時期は過去の栄光としてとらえていたこともありました。活動休止期間中はなんとかAURAの影を消そうとして、僕自身も本名で音源を出していたこともあった。でも、あの時の影って、無理に消そうとしても消せないものです。結果的にどこに行っても「あ、KoREDSさん、元気?」って。ああ、僕は一生「KoREDS」なんだと思いました。
 

—その葛藤はわかる気がします。

 
KoREDS:考えてみれば、あの頃のいろんな経験があったからこそ今があるわけですし、あの頃のことはすべて僕らの自信であり、自慢であり、プライドだったわけですよね。周りの協力もあって、あれだけ売れた。ああいう経験はなかなかできないですし、財産です。だからそういうものを、消すのではなく、全部受け入れることにしました。その延長線上に、活動再開があったのかもしれません。今になってわかったことですけど、14年の間、きっとメンバーの中にもAURA魂みたいなものが残っていて、だからこそ違和感なく活動に戻れただろうし、そういう意味でも僕らは堂々と20周年だと言えると思いますよ。
 

—20周年記念のライブ話が出た経緯を教えてください。

 
KoREDS:デビュー以来20年間僕らがバンド内外でやってきたことの集大成として、何かやってみよう、ということになりました。当時から僕らの音楽を、テレビでも、ライブでもCDでも、何らかの形で聴いてくれていたお客さんも多数来てくれると思います。昔は圧倒的に女性ファンが多くて、1000人いたら999人が女の子という感じでした。活動再開後は、男性ファンが増えていますよ。
 

—男性ファンが増えるのはどう思いますか?

 
KoREDS:当時は女の子ばかりで、恥ずかしくてライブに来る勇気がなかったという男性たちが、最近は足を運んでくれています。同性のファンが増えてくれるのはすごく嬉しいですよ。憧れの存在として興味を持った、なんて言ってくれたりして。話を聞くとアラサー世代が多いですね。当時、おそらくテレビで見てくれていた世代でしょうね。
 

—ライブの見どころを教えてください。

 
KoREDS:僕たちが自信を持ってやっていることは常に変わらないので、そこを見てほしいですね。14年と、止まっている期間は確かに長かったですが、その間にも個々に吸収してきたものがあるので、AURAという形にまた戻って、集大成として見せることができると思います。AURAはいろんな楽しみ方ができるバンドです。純粋なロックバンドとしての見方もあるし、過去のタレント性が前面に出たバンドとしての見方もあるし、そこら辺のアラフォー世代には出来ない非現実的なステージを見せる存在としての見方もあるし、いろんな角度で楽しめるバンドであると自負しています。だから、みなさんの見たい角度で見て楽しんでもらえればと思いますね。「名前は知っているけど見たことがない」という人、「名前も知らないけど、ちょっと行ってみようかな」という人、いろいろいると思いますが、何らかのかたちで絶対に入り込んでもらえる自信はあります。ぜひライブに足を運んでもらえれば嬉しいです。
 

—AURAは今後、どう進化したいですか?

 
KoREDS:音源を発表するにしても何にしても、その時その時の自分たちを100%出していきますよ。これからも流行にとらわれることなく、自分たちの培ってきたものやラブ&ピースというマインドに基づいた詩作り、曲作りをしていきたいですね。

バンドブーム時代に大ブレイクしたという歴史がありながらも、AURAは常に進化しつづけ、未来を見ている。いや、あの大ブレイクがあったからこそ、常に未来進行形でいられるのかもしれない。KoREDSが懐かしそうに語った過去のエピソード一つ一つが、現在の活動や未来への展望にしっかりとリンクしている様子がうかがえた。
 
12月10日に行われる20周年記念ライブでも、AURAの過去、現在、未来、そのすべてを見ることができるだろうと予感している。みなさんもぜひ足を運んで、AURAというバンドのもたらす時空の旅を、一緒に体感してみてはいかがだろうか。

 

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【AURA 公式サイト】
http://www.aura-station.com/

『AURA Birthday LIVE!!! 20thコレって成人式?!』
12/10(Thu) 渋谷club asia
open18:00 start19:00
adv¥3,150(D代別途) door¥4,200(D代別途)
問い合わせ:
サンライズプロモーション東京0570-00-3337

【インフォメーション】
2009年11月28日(土) 柏 Thumb Up
2009年11月29日(日)池袋 らいぶはうすの鈴ん小屋
2009年12月10日(木)渋谷 club asia
2009年12月12日(土)新宿 アンチノック
2009年12月23日(水) 柏 Thumb Up
2010年01月06日(水)目黒 LIVE STATION
2010年01月29日(金) 柏 Thumb Up
※問い合わせは会場まで