コラム
少年は音楽と恋に同時に目覚める
嘉門達夫
83年デビュー。「小市民/鼻から牛乳/替え唄メドレー」などヒット連発。第6回 日本ゴールドディスク大賞受賞。大阪城ホール/日本武道館公演やNHK紅白歌合戦にも出場。『時代の観察者/言葉の魔術師』異名をとる。テレビ東京ネットのお子様バラエティ番組「ピラメキーノ」で「アホが見るブタのケツ」シリーズがオンエアとなり、お子様人気沸騰中!!12/14にはシングル「アホが見るブタのケツ~ベスト~/鼻から牛乳~キッズバージョン~」発売。最新CDアルバムは「“青春”のさくら咲く~スクールセレクション~」。2012年1月~ツアースタート。詳しくは http://www.sakurasaku-office.co.jp/まで。

第1回「ポエムを書いて笑われて」


今回から毎月の連載だ。中学の頃から作り始めたオリジナル曲の歌詞を順次紹介してゆく。そんなん見たくもないわ!と言われても、強制的にアップしてゆく。覚悟してね!

そもそも中2でギターを弾き始め、最初の頃は「吉田拓郎」「井上陽水」「泉谷しげる」「アリス」「ガロ」などの曲をコピーしていたのだが(一番最初に曲らしきモノを弾いたのは『瀬戸の花嫁』の主旋律だった)、「新譜ジャーナル」や「Gut’s」などという音楽誌に載っているギターコードが難しかったため、「ほんなら自分で弾けるコードで歌を作ったらええやん!」という事で作詞作曲が始まった。

中学高校で約60曲のオリジナルソングを作り、友人の中澤君と90分テープの片面ずつにせっせと「アルバム」を録音していった(最初は松山君と3人で『GIV(ギブ)』というユニットを組んでいた。あきらかに『GARO』の影響)。そんな稚拙な初期作品にスポットを当てて、思春期の自分を再確認させてもらう機会にしたい。さらに時代を追って「没」になった曲の数々の紹介とその解説に発展させてゆきたい。まずは中学時代の作品からどーぞー!

File NO.1「空とぶロッキーくん」

僕の背中にはねがあったら どんなにしあわせだろう

大空を自由に飛び交い 狭い町を上から見下ろし

電車も自動車も家も人も みんな小さくなって

広い広い夢の大パノラマ

どんなに すばらしいだろう

どんなに すてきだろう

どんなに しあわせだろう

僕の背中にはねがあったら

考察:いちばん最初に作った歌だ。中2だった。少年が発想する、いわゆる「歌」の世界とは「背中に羽根」的なものだったのだろう。って言うか明らかに「赤い鳥」の「翼を下さい」や、「五つの赤い風船」の「もしも僕の背中に羽根がはえていたら」そのままやん(この2曲もどっちが先?)。ま、すべての創作は模倣から始まるので、13歳としてはこんなものか。まだ「歌は2コーラスなければ」などという概念すら持っていなかった。タイトルも思いつかなくて、アメリカのアニメからいただいている。

File NO.2「月の世界」

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

公害なんかない 自動車なんかない 受験なんかない

静かな静かな ひとりぼっちの世界

寂しくてもいいんです せまい地球よりましだもの

ロケットにのって 旅にでよう とおいとおい月の世界に

考察:どうも少年は空を飛びたがってしょうがねえ。地球を飛び出し宇宙に行っちゃった。アポロが月に行った数年後だからね。月世界旅行はタイムリーだったのだ。昭和40年代後半は巷にポエムが流行っており、そんな線を狙ってみた。ラジオ大阪の人気番組「ヒットでヒット バチョンといこう」の土曜日の人気コーナー「ポエムのコーナー」で採用された作品だ。パーソナリティーは「コメディーNo.1」さん。自宅に電話がかかって来て「生」の前田五郎さん、坂田利夫さんとドキドキしながら話をして、僕が「月の世界」を電話口でひざをガクガクさせて緊張しながら朗読。ノベルティーの「バチョンバッグ」をもらった。

翌日学校へ行くとみんな聞いていて、他のクラスのやつらまでが休み時間に「昨日聞いたでー!」などと声を掛けにきてくれたり、ちょっとした人気者になれた。そこいらあたりから、「ラジオで喋ったり、歌ったり出来たらいいな」と思い始めた。「公害」や「受験」に反発する姿勢を見せた方が、採用されやすいという計算もあった。

File NO.3「かとりせんこう」

ひょろひょろ けむり 夏になれば かとりせんこう

ずっと見ていると 目がまわりそうになる かとりせんこう

いつだって 丸くて みどり色 かとりせんこう

うちわと ゆかたに とってもよく似合う かとりせんこう

夏になれば いつだって かとりせんこう かとりせんこう

そう かとりせんこう

考察:僕としては「夏の情景」を見事に表したつもりだった。あきらかに吉田拓郎さんの名曲「線香花火」に影響を受けて作った作品だ。名古屋の親戚のおばちゃんが遊びに来ていた。母が「最近達夫、歌作ってるの」と言うと、おばちゃんが「聞きたい」と言うので、カセットの録音してあったこの曲を流した。「上手く夏の風物詩を表現しているね!」という答えが返って来ると思っていた。ところがおばちゃんの反応は想像と違っていた。

「ギャハハハハハー!かとりせんこうが丸くてみどりって、当たり前やーん!ギャハハハハハー!」と畳をパシパシ叩きながら、のたうち回って大笑い!・ ・・大受けやん・・。受けようと思って作ったのではない。実際その時の僕は大いに傷ついた。おばちゃんのデリカシーのない感性に憤りを感じた。

でも、今思う。この時に現在に続く道の第一歩を踏み出したのだ。「受ける歌を歌え!」と神が僕に指令を出したのだ。おばちゃんに感謝だ。

以下、次回につづく。